国際情勢

宮崎正弘の国際ニュース・早読み

 評論家の宮崎正弘が独自の情報網を駆使して世界のニュースの舞台裏を分析

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宮崎正弘の国際ニュース・早読み

2009/11/01


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  「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
     平成21年(2009年)11月1日(日曜日)
         通巻2758号 
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  (日曜版 特大号)

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【知道中国 299回】                       〇九・十・念九
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樋泉克夫のコラム
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――ドンドン政変、ドンドン改憲・・・
     『中華人民共和国第四届全国人民代表大会第一次会議文件匯編』(1975年)+『中華人民共和国第五届全国人民代表大会第一次会議文件』(1978年)


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どちらも香港の中国系書店である生活・讀書・新知三聯書店香港分社が出版。
75年と78年。わずか3年を隔てただけなのに、中国の変わりようは余りにも激しい。であればこそ両書を読み較べれば、当時の中国の混乱、周章狼狽ぶりが鮮やかに浮かび上がってくる。

75年当時、余命幾許もないとはいえ毛沢東の威令は依然として健在だった。そこで四人組は毛の威光を背中にしての勝手し放題。いわば文革派最後の光芒の下で開かれたのが75年1月の「第四届大会」。前書の表紙を開くと、お決まりの毛沢東語録。そのなかの1つを挙げれば、「国家の統一、人民の団結、国内各民族の団結。これが我われの事業を勝利に導く基本的な保証だ」。

政治工作報告は周恩来(総理)が、憲法改正に関する報告は張春橋(副総理)が行っているが、周恩来の死は1年後で、四人組逮捕は1年10ヶ月ほどの後。この間に唐山地震で大地震が起こり、毛沢東が「マルクスとの面会」に旅立っていった。

 後書をみると、憲法改正に関する報告者は四人組逮捕の立役者だった葉剣英(全国人民代表大会常務委員会委員長)。
「団結し、社会主義の現代化された強国建設のために奮闘しよう」と題する政府工作報告を行ったのは、死を前にした毛沢東から後継者に指名されたという華国鋒(総理)。彼の報告は78年2月26日に行われているが、その年の12月に!)小平は毛沢東の権威を墨守する華国鋒らの動きを封じ込め、返す刀で毛沢東路線を綺麗サッパリと捨て去り、改革・開放路線へと大きく舵を切る。

かくて中国独自の社会主義、いいかえるなら独裁政権下での弱肉強食そのままの“野蛮資本主義”の道を驀進しはじめた。
 今から振り返れば両書とも誰も見向きもしそうにないボロ雑巾のようだが、どうしてどうして当時の政治的情況が反映されていて、じつに面白い。

 たとえば憲法改正に関して。張は報告の最後を「全国各民族人民、先ず以って共産党員と国家工作に携わる人員は必ずやこの憲法を真摯に執行し、勇気を持ってこの憲法を守り抜き、プロレタリア独裁の下で継続革命を徹底して推し進め、我らの偉大な祖国がマルクス主義、レーニン主義、毛沢東思想の指し示す路線に沿って勝利のうちに前進ずることを保証しなければならない」・・・なんとも勇ましく、それでいてなんとも空虚な響きを残す。 

 これに対し葉報告は、「これから23年の後には21世紀に突入する。我ら社会主義の祖国がどのようの変容をみせるのかを、考えてもみよう。

我われは国の上下を挙げて一致努力し困難を克服し、敵に打ち勝ち、我が国を現代化された偉大なる社会主義の強国として建設し、共産主義の遠大な目標に向かって前進しよう。
これは偉大なる領袖である毛主席が遺された願いであり、同時に敬愛する周総理、朱委員長とそのほかのプロレタリア革命家の先人たちが一生を捧げ奮闘し、数限りない先烈が血を流し犠牲となった偉大なる事業なのだ。
この事業を、我われは必ずや勝利のうちに達成する」と結ばれる。

 75年には「プロレタリア独裁の下で継続革命を徹底」を掲げた中華人民共和国憲法は間もなく「現代化された偉大なる社会主義の強国」の実現を期すと書き換えられていた。
 転変極まりない憲法こそ、行方の定まらない政治路線と激越な権力闘争の反映というもの。
これが、いまから30年ほど昔の中国の現実だった。いや今は昔の悪い冗談、かなあ。
《QED》 

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◎読者の声◆ ☆DOKUSHA野KOE◎ ☆どくしゃのこえ◆ 読者の声◎
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(読者の声1)「シナ」と呼ぼう中国を!
地図を見ればわかるように、東シナ海は英語でEast China Sea です。当然中国をシナと呼ぶべきです。
中国とは中華民国なのか中華人民共和国なのかわからない。シナは歴史をねつ造するので、だまされてはいけない。
 最近の日本はNHKを始め文科省は、隋・唐を中国と呼称し中共の手先となって歴史のねつ造に手をかしている。
はやく正しい歴史および歴史認識を改めなければならない。
  (AF生)


(宮崎正弘のコメント)数年前、蘇州のホテルで中国人のインテリ(若い人でした)と話していて、いろんな話をしているうちに、「東シナ海」と言ったら、先方が意外な顔をして「あれは東中国海と、言います」と答えました。かれは日本語が流暢でした。嗚呼、若手にはこういう刷り込みがなされているのか、と軽い衝撃を受けたことがありました。



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(読者の声2)ご高著の広告も書評も拒否されたとのことを、とても不思議な気持ちで拝読いたしました。
ここオランダでも「シィナ」ですし、シナ人自らそう言っています。日本だけが「中国」と呼ばねばいけない、「シナ」は差別語とみなされるという、その歴史的背景は、以前に詳しくご説明して下すった方がいらしたので勉強になりましたが、全く持って理不尽な言いがかりだと思いました。
私個人は、「中国」といういい方よりも、フランス語の「シィヌ」が一番美しい響きを持っていると感じるし、それに近い「シナ」の方が、美的観点からも好きなのです。
日本の藤の花をフランス語では「シープル・ドゥ・シィヌ」というのですが、聞くたび、発音するたび、美しいな、と思います。テオフィル・ゴティエなど、フランスの19世紀ロマン派文学にも「支那の陶器」「支那の刺繍」といった言い回しが翻訳本の中にも出てきますが、全体の文章とのバランスを見ても、時代から言っても、これを「中国の陶器」「中国の刺繍」と訳したら、誤訳になると思います。
それに、「シナ・支那」の方が、よほど美しい異国情緒が感じられます。それでも中国は、本当にどうしても、日本人にだけは、中国と言わせたいのでしょうか。
それとも、ことを荒立てたくないマスコミが、へっぴり腰になっているだけなのでしょうか。確か最近、日経には「シナ」の記述がタイトルにある本の広告が出ていたと記憶しているのですが・・・。
  ちょっと横道にそれますが、海外に住んでいますと、私は「日本」が「ジャパン」と言われているのを、まったく好みません。
フランスだけは、「ジャポン」も使いますが、よく「ニッポン」と言っていますね。日本関係のニュースが他の国より適切で詳しいのも、なぜかフランスのテレビ局です。日本で地震があると、フランス局の文字放送だけは、必ず報道してくれます。私は世界各国に「ジャパン」ではなく、「ニッポン」を採用してほしいと思っています。(「ニホン」だと、「ホ」が発音できない国も多いので。)
    (Hana、在オランダ)

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 (下記は付録です)
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資料 『三島由紀夫の総合研究』(三島由紀夫研究会 メルマガ会報)
      平成21年(2009)10月30日(金曜日)
          通巻第355号  
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   報告
三島由紀夫研究会「公開講座」(第235回)
講師 高森明勅氏
演題 「三島由紀夫の天皇論」
(講師の高森明勅氏は、昭和32年岡山県倉敷市生まれ。当日はマイクを使わず、肉声が朗々と響き渡る名調子によって進められた)。
 以下に公開講座の梗概
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 ▲雷鳴轟いた三島事件の衝撃

 私は個人的に三島由紀夫から大きな影響を受けたものの、三島そのものをテーマとして深く研究したことはない。
 三島が指導したとされる楯の会の憲法論(女系の容認)については、その真偽に疑問があるが、その天皇観については今日から見て、特筆すべき価値がある。
冒頭、今回の講義のテーマが、以下の内容に沿って進められることが示された。

(1)三島は戦後思想のテーマとして天皇の重大性を先進的に捉えた思想家であった。
(2)天皇に対する切り口はたくさんあるが、祭祀の重要性を明快に強調した。
(3)天皇は秩序の側に手を差しのべつつ、反秩序、変革にも手を差しのべる。
(4)天皇論は後ろ向きに過去を向くことが多いが、三島は未来に向かっていち早く指摘した。時代が進むとより天皇が重要になるという視点を持ったが、その後、こうした指摘は三島からはない。

 私の父は昭和三年生まれ。特攻に出撃できず、17歳で終戦を向かえた。特攻に志願した17歳の選択は間違っていなかったと、生涯信じていた。
その父は、小学生の頃から、同期の桜を繰り返し聴かせた。そして、三島、森田の慰霊祭を、毎年欠かさず神社で催行した。
 三島事件当日、私は岡山県倉敷の中学二年生であった。
11月25日の衝撃は、昨日のことのように覚えている。10年前雑誌「諸君!」のアンケートに応えたこの時の思いも、現在までまったく変わっていない。それは雷鳴のごとき啓示であり、ものすごい戦慄であった。
 その日、元文学少女とおぼしき担任の女教師は、「静かにしろ」と叫ぶなり、教室のテレビを生徒に見せた。そして口を極めて三島を罵倒した。
民主主義、命の大切さ、憲法を守ることの価値を強調した。そんな教師にむかっ腹が立った。もとより命の大切さはわかっている。その命を擲って訴えたことにこそ耳を傾けよ。詳しいことはわからなかったが、命がけで伝えようとしたことの意味を考えた。


 ▲事件直後、三島本を買いに走った

 その日下校すると、すぐに本屋に駆け込み、新潮文庫の「仮面の告白」と「金閣寺」を買った。商機に聡い書店では、一番目立つところに三島本特設コーナーを設置していた。
 三島初体験となったこの二冊の作品は、ただし事件とはまったく結びつかない。むしろ三島作品を持っていることが親に知られることは、あたかも悪書を持っているのを見つかるような、後ろめたさを感じた。
 学校では三島事件を題材にしたパネルディスカッションが開かれ、左翼的で二言目には米帝国主義が悪いという友人に、三島擁護の側に立つことを要請され、引き受ける。
当時、学校の中で、三島をほめる人間は一人しかいなかった。その結果、学校中の嫌われ者となり、女生徒からも後ろ指をさされ、暗い青春時代を送ることになる。

 楯の会の阿部勉氏がリーダーだった「憲法研究会」がまとめた幻の三島憲法論は、三島メモを元に学生に討議させて、三島の死後に完成されたが、文体がつたなく三島本人の書いたものとは思われない。
 ただし、男系を否定するという踏み込んだ問題提起を、阿部が思いつくとも思えない。この案が三島本人の考えか否かについては、今も判断に苦しんでいる。

 戦後の保守、右翼は天皇の大切さをいいながら、ただ崇めているだけで、天皇の問題を真っ正面に据えて深く凝視してこなかった。
思想のメルクマークとなる、一体だれがいたであろうか。
 三島は東大全共闘との討論で、「君たちが天皇と一言いえば、手を結ぶ」といった。
思想の究極において守るものとは何か。「尚武のこころ」で石原慎太郎氏と対談した三島は、最後に守るべきものの価値として三種の神器をあげて、最後は自分を守るという石原と根本的に食い違う。

石原は、三島の発言を冗談だと受けとめる。先の五輪誘致における皇室利用発言を見てもわかる通り、石原の皇室観はてんでだめである。
 憲法論は、九条に限定していない。それでは、米の軍事戦略に巻き込まれることになる。第一条で天皇に触れなければならないのはもちろんのこと、天皇の神聖を保証する条文を復活させなくてはならない。この二つがセットにならなければ、日本の真の自立はない。
国家には福祉的価値と、自立的価値があるが、戦後の我が国は前者ばかりを大切にしてきた。後者の根拠こそ、天皇の祭祀であり、天皇の本質である。このことを三島は強調した。

 国家元首には二種類あり、大統領のように選挙によって選ばれる者と、世襲によって継承される形がある。
また天皇は世襲君主として祭祀を行うことで、世俗君主とも区別される。国家元首+世襲君主+祭祀。これが天皇である。福田恒存氏と対談で三島は、「お祭り、お祭り、お祭り、お祭り、それだけだ。これがぼくの天皇論の概略である」といった。


▲葦津珍彦氏の天皇論と温度差

葦津珍彦氏は、天皇とは、天下の祀り主であるといった。その葦津から私も嘗てアドバイスを受けたことがある。昭和55年、三島論を書きたかったがうまく書けずに「自主防衛への序説」という論文を発表したところ、その文章から三島の影響を感じた葦津から「あまり三島から影響を受けないように」と編集部に電話があった。
 両者には天皇の祭祀に対して温度差があった。
葦津にとって、三島の天皇無謬論は、多神教の神道の精神とは相容れない。三島は、226の決起の根拠における正当性としての天皇、という思想を展開している。

プリーストキング説く祭司王と天皇の祭祀とは違う。
プリーストキングによって説かれる祭司とは、五穀豊穣であれ雨乞いであれ、祈願の祭りを司ることであり、その地位は不安定で権威が低い。現世利益の獲得によって尊敬を受け、利益がなければ非難、退場、追放、さらには殺害といった運命に陥る。
 旧暦2月4日に執り行われていた律令時代最大の祭祀、祈年祭においては、神祇官、大臣以下の百官、全国の神社から神主の代表が集合するものの、天皇は出席されない。
祈年祭とは、その年の五穀豊穣を祈る祭りであるため、天皇は祈年祭には関与されない。

天皇最大の祭りとは、新嘗祭である。(かつては11月二番目の卯の日)。
このお祭りの最大の特色は、収穫が所与のものとして認識されていることである。新嘗祭においては、収穫の多少に左右されることはない。
このことによって、豊饒祈願のお祭りよりも高い権威を持つ。ここでは、新穀を天照大神に献げつつ、自らも召し上がる神人共食が行われる。新嘗祭は宮中における第一の大祭であり、宮中三殿に隣接する神嘉殿にて執り行われる。

神嘉殿は、新嘗祭を行うためだけの建物である。また御装束も普段の祭祀においてお召しになる黄櫨染御枹(こうろぜんのごほう)ではなく、白の御枹をお召しになる。天皇御自らが御給仕をし給い、そこで使われる器は、伊勢神宮で使用される素焼きの器より、さらに古い製法を用いて焼かれる。
ご即位に際しての大嘗祭では、大嘗宮が建てられるが、この建物も樹皮がついたままの柱を使用する等、より古い時代の様式が踏襲されている。
こうした点において、天皇の祭祀がプリーストキングの説く祭司よりも、もっと高い権威を持つことが理解できる。
 中国の皇帝は徳を問われ、天変地異、不作、飢饉も皇帝の徳が足りないためと捉えられた。それは現在の共産党とて同様である。
 日本では、天皇が責任を問われることはない。天皇はもっと高い位置におられるからである。統治者として祭祀を行い、国をしらす、公平無私のお心を持つ。
明治憲法の第一条の原案は、「大日本帝国は万世一系の天皇のしらすところなり」であった。これこそが古代以来の天皇の統治権のあり方であった。これは時代に左右されるものではない。


 ▲石原都知事の天皇論は浅薄すぎないか

 石原慎太郎氏は、産経新聞の日本よにおいて、天皇はただ祭りをしていれば良い。わざわざ被災地にお見舞いに行く必要はないといった。宮中深く祈ればよいと、まるで三島の「英霊の声」から変な影響を受けたようなことをいっているが、例えば東京大地震が発生して、都民に大きな犠牲が出たときでも、東京都知事として天皇のお見舞いを断るのか。
 国民、国家の統治者である天皇がお見舞いされることで、阪神淡路の人達は、本当に慰められ、励まされた。例え首相が100人出向いても適わない。こうしたことは、世俗の政治家にはなし得ない。

 天皇は秩序の側に立ちつつ、大化の改新、建武の中興、明治維新といった歴史の節目においては、変革の側に手を差しのべた。これら国史に留めた壮大な変革の歴史において、天皇は大変重要な役割を果たされた。
天皇を奉じてまずは少数の者が立ち上がり、それはやがて大きなうねりとなって、歴史を突破してきた。
大化の改新における蘇我入鹿の排除は、皇極天皇のご意志によってなった。民族と国家が分断、断絶の危機にあるとき、天皇のご判断により偉大な変革が成就した。

 三島の天皇論は非常に深いと同時に、危険な部分もあるが、今後の日本の未来を見るときに見落としてはならないものがある。我が国が、工業化、都市化することは避けられない。ただしそのことで日本人の源泉が鬱積し、フラストレーションがたまるであろう。
そうして、不可逆的に拡大するフラストレーションから我が国を救済するものこそ天皇である。あらゆる近代に対するアンチテーゼ、最後の砦、引き返すことのできない道としての近代化に対する、悲劇的意志こそが天皇である。
三島の天皇論では、226事件や人間宣言ばかりが強調されるが、歴史の行く手への天皇論、近代化に対するアンチテーゼになりうる天皇論こそもっと重視すべきである。

 今上陛下は、御即位における大嘗祭において、「昭和天皇と少しでも違っていたら教えて欲しい」と仰せになられたという。宮中での稲作は明治になってから開始された。明治の水田は農家が管理したが、昭和天皇になって、御自ら御田植え、刈り取りをされるようになった。
平成の御代にいたって、今上陛下は、種籾もおまきになる。ここで収穫された稲は、伊勢神宮の神嘗祭と、宮中の新嘗祭に供出される。
天皇にとっての稲作は、単なる農作業ではない。最も重要な祭祀への準備である。
こうしたことからも、今上陛下の祭祀への尋常ではない思いが伝わって来る。
                    (文責 浅野正美)
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