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宮崎正弘の国際ニュース・早読み

 評論家の宮崎正弘が独自の情報網を駆使して世界のニュースの舞台裏を分析

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宮崎正弘の国際ニュース・早読み

2009/05/26


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 「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
    平成21年(2009年)5月26日(火曜日)
         通巻第2606号 
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(本号は書評と投書特集です)

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●◎ブックレビュー◎●BOOK REVIEW◎●書評◎●ブックレビュー◎●
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あの天安門の熱狂と挫折のあと、中国の若者がいかに変節したか
 石平さんが『私は毛主席の小戦士だった』につづく赤裸々な衝撃作


石平『中国大逆流』(KKベストセラーズ)
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 あの人たちはいま、何をしているのか?
 趙紫陽回想記が20年ぶりに、秘密裏に録音テープが西側へ持ち出されて編集され、香港で英語版と中国語版が同時刊行され、世界的な話題を呼んでいる。
往時、西側のスパイとか、「和平演変」の首謀者とか言われたが、趙紫陽の主眼は中国の民主化にあり、当時の守旧派、とくに李鵬とトウ小平への呪詛が綴られていた。

 1989年6月4日、天安門広場は流血に染まり、727名(最近の中国の公式数字)が犠牲になった。民主化運動の若者らを鉄砲で弾圧した中国共産党は、民衆の怨嗟に囲まれ、潰えてしまうのは時間の問題と言われた。
欧米の制裁に日本も加わった。ながく中国は孤立していた。
 天安門の学生指導者の多くはキリスト教の地下組織などに依拠して欧米へ亡命した。魏京生、王丹ら著名活動家は欧米の人道的支援と要求があって、病気療養を目的に米国へ逃れた。方励之博士の場合は、米国が特別機を仕立てた。
学生運動の象徴だったウアルカイシ(吾爾開希)やツァイリン(柴玲)らはそののち、外国での亡命生活で日々の糧を得るうちに精神が沈んだ。前者は台湾で結婚し、後者はヘッジファンド関連の仕事に埋没して、従来からの支援者を失望させた。
初志貫徹の中国民主党主席で『中国之春』の主宰者だった王丙章はベトナムから中国へ潜り込んで民主化運動の拡大を図ろうとしたが、広西チワン自治区で拘束され無期懲役のまま。

さて本編の主人公らは著者の石平氏とおなじく、あの1989年天安門を闘った同士である。
北京大学で酒を酌み交わしながら、熱っぽく中国の民主化を語った。地方から学生を率いて上京し天安門広場に座り込んだ武闘派を任ずる男たちもいた。『水滸伝』を彷彿とされる仁義にあつい若者がいたのだ。
1989年六月四日。
暴力を用いた血の鎮圧により西側では広範な反中国デモが組織された。日本でも連日のように中国共産党を批判する集会が開かれた。
そして二十年という長い歳月があっという間に流れた。


▲人間の精神はこうまで荒廃するのか

石平氏は、ようやく決心して日本国籍を取得し、その報告に伊勢神宮へ参詣したほど。そして今度は日本人パスポートで北京の表玄関から堂々と入り、嘗ての「同士」を訪ねる旅に出た。言ってみれば“天安門センチメンタル・ジャーニー”。
北京で『同士』たちに出会った。連日、酒宴が設けられ、ホンネを聞き出す。
「あんたたちは、いかなる歳月を送ったのか?」
だが、結末はあまりにも無惨な精神の荒廃ぶりだった。
ある者は大学教授、ある者は不動産業者であててベンツを乗り回す財閥になっていた。
大学教授は研究費を誤魔化して、デジカメの最新鋭を購入し、研究会名目で豪遊を繰り返す身分。そこには嘗て不正と不公平を糾弾し、特権階級の汚職と腐敗に立ち上がった正義がなかった。ニヒリズムでもない。独特な中華の虚無と強がりの空間。
不動産で成功を収め運転手付きの外車にのり、子供を英国へ留学させている嘗ての同士は「銀弾を共産党幹部に送りつけ、土地買収を容易にして、稼ぎに稼いだ。まもなく中国の不動産バブルは終わる。外国にマンションを買う」と嘯いた。共産党打倒の夢はどうしたのか?と水を向けると「やつらを銀弾で買収している。やつらこそ俺たちのカネの奴隷だ」と切り返した。
只ひとり、共産主義理論に回帰した友がいた。貧乏長屋にかれを訪ねると、資本主義市場となった中国社会をのろい、これを立て直すには毛沢東思想の再建しかない」と時代遅れの熱弁を振るい、別れ際に日本を殲滅するなどと口走った。
かくして天安門の同士たちの精神の腐食と沈滞、現実の問題からのすり替え行為、反対に過激な『愛国』の極への逃避行を目撃してきた。中国の未来に絶望を見いだすのだった。
 石さんの叙述も堂に入って、小説家の情感を持ち合わせた文章に迫力がある。本書の奥つけも六月四日。
 ともかく衝撃的な最新作がでた。

 (本書はKKベストセラーズより明日発売です。定価1680円)

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(読者の声1)盧武鉉・韓国前大統領の自殺、世界に衝撃を与えました。わたしは、ちょっと違う感想を抱きました。あれほどの反日、偽善、無定見の人物でしたが、自分で自分を恥じた。恥を知っていたという事実は動かせません。キリスト教は自殺を認めない。韓国は大多数がキリスト教徒。この場合、宗教的論争が起こらないのも不思議ですが。
   (UY生、栃木)


(宮崎正弘のコメント)そうですね。「恥」という概念で政治家の評価を計るとすれば、すくなくとも、日本のOとかH,K、もうひとりOがイニシャルの指導者をかかえる某野党リーダーよりは、盧武鉉前大統領のほうが結果的にはマシだった?
 「含羞」があり、恥をしのぶ価値観があると、たとい無能でも人間味を感じますから。



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(読者の声2)貴誌2605号(読者の声1)横浜市のNN生さんの反論にお答えします。
 <愚生が子供のころ,「支那」,「朝鮮」と言ふ呼称には明確な侮蔑の響きがありました。>、<(「支那」が差別語であるというのは)意見ではなく,事実認識である>
とのこと。
おそらくそうであろうと考えていました。そのために、昭和30年代に「支那」という言葉に親しみを込めて使う中年女性の例を紹介しました。これもまた事実です。侮蔑とは無縁の「支那」使用もあったという「事実認識」を示したのです。もちろん、それが全てではありませんが。
人間はとかく自分の経験を絶対化しがちなものです。「支那」に関していえば、日本人の中には侮蔑的に使う人もいれば、特別な価値観を込めずごく自然に(中立的に)使う人もいた、というのが事実です。その使用実態(どちらが多いか少ないか)は、時代によっても異なるでしょう。
おそらくNN生さんは「支那」という言葉が日常生活で普通に使われていた時代をご存じないのでしょう。
戦前から昭和20年代ぐらいまでは、隣の大陸国を指すとき「支那」と呼ぶ大人が多く、「中国」といえば山陽・山陰を合わせた地方の呼び名と感じるのが普通だったのです。戦前の雑誌で各地方の特徴を特集した記事の中には「東北人」「関西人」などと並んで「中国人」という分類もありました。日本の中の「中国人」です。
そんな日常生活の中では、隣国を「中国」や「中国人」と呼ぶ人より、「支那」や「支那人」と呼ぶ人が多かったのは当然です。それは蔑称でも何でもありませんでした。(もちろん、憎々しげに「支那人め!」と使う人もいたに違いありませんが、それは「アメリカ人め!」と同レベルの表現であって、「チャンコロ」や「アメ公」という蔑称とはレベルが違います)。
しかし昭和30年代半ば以降(特にテレビが普及して以降)に物心ついた子供たちは、学校やテレビなどで隣国を「中国」という名称で教えられて育ちましたから、「支那」というのは古い大人たちの言葉、または隣国を侮蔑的に呼ぶ時だけ使う言葉、という印象を持って育ったのでしょう。
ネット時代になると、隣国に反感をもつ青少年が「支那」をもっぱら蔑称として使う事例が増えました。しかしネット上にもこれを蔑称ではないと自覚して使う人々もいたことは間違いありません。
つまり、NN生さんの「事実認識」は成長した時代を反映していると思われます。

しかし戦前・戦中・戦後と一貫して変わらなかったのは、「支那」を侮蔑的に使う人もいれ中立的に使う人もいたということ。
それが事実です。拙論(http://ikedaikki.blog103.fc2.com)はそういう事実(支那を侮蔑的な意味で使っていない多くの事実)を指摘したのです。それをお読みになった上での反論でしょうか?
ご自分の周囲の経験だけが「事実」だとお考えですか?

小生が問題にしたいのは、人権派左翼がいくつかの侮蔑的用法の事例を取り上げて「だから支那は差別語だ」として「言葉狩り」をしている現実です。
このような形の言葉狩りを許せば、日本語という伝統的な言語がズタズタに切り裂かれてしまいます。現に新聞・テレビ・単行本では使えない「禁止語」なるものが1冊の分厚い本になるほどリストアップされ解説されています。
これらは日本語の伝統を否定し、過去を抹殺しようとするものです。「支那」もまたそのような言葉の一つです。
現在、新聞では「支那」「部落」のほか、「人夫」「女中」「瘋癲」「群盲象をなでる」「片手落ち」その他、多数の言葉が掲載拒否、または言い換えを求められます。テレビの場合、新聞の数倍の言葉が放送禁止語として規制されています。「支那が差別語になったのは自業自得。差別語であっても我々は自由に使えばいい」などという甘っちょろい状況ではないのです。
だからこそ小生や勉強会仲間(主に物書きを職業とする人々ですが)は、人権派左翼と論争をして、彼らの恣意的な「差別語」認定を是正する場合があるのです。「支那」に関していえば、NN生さんのように、それを自分の狭い経験から「確かに支那は差別語だ。それは事実認識だ」と主張することは、こうした言葉狩りに加担することを意味します。「差別語として使われていない事実がこれだけある」という事実提示に耳を傾けないことも同様です。

実際、人権派左翼の中には「差別語として使われていない事実」を多数突き付けられると、今度は必ず論点をずらして、次のように主張します。「使う側が差別語として使っていなくても、相手が嫌がっているのだから使うべきではない」と。
この論理は、部落解放同盟などの部落差別反対運動団体から、フェミニズム運動団体、その他多くの身障者・病人・職能組合などに至る反差別運動団体がよりどころにする便利な論理となっています。
もちろん「支那という言葉を使うな」という人権派左翼(中共擁護派)も、この論理を最後の砦としています。「靴を踏んだ人間は何も感じなくても、踏まれた人間は痛いのだ」という屁理屈です(この喩えは間違っていますが)。
この論理を無条件に認めてしまうと、これはいくらでも悪用できます。セクハラ、パワハラ、その他もろもろのハラスメントを主張する人々は、「言われる側が嫌がっている」と主張するだけで、相手の言論を封じることができるからです。また、被害者を装えば、相手の表現を規制し、自分の望む表現に変更させることもできます。「支那」→「中国」の場合がまさにそれです。

さて蒋介石はご指摘のように日本に留学したことがあります。
<蒋介石は心底日本を憎んでゐたかもしれませんが,日本人を太古の支那人のやうに「倭奴」と思ってゐたでせうか.さうだとしたらなぜ日本に留学などするのですか.彼が「支那」と言ふ呼称を捨てたがったのは,それに付き纏ふ古く遅れた国と言ふイメージを嫌ったことと,やはり日本人が使ふ「支那」の呼称に侮蔑の響きを聴きとったから,と考へるのが自然であると思ひます.>(NN生さん)

蒋介石が日本留学を望んだのは、日本を憎んでいたか好きだったかに関係はありません。彼は日清戦争後に多くの支那人が日本の近代化に学ぼうと留学したのと同じ動機で留学したのです。日本の進んだ軍事技術を学ぼうとしたのでしょう。魯迅より少し遅れて、しかし魯迅がまだ日本にいる時期に、蒋介石も日本留学しました。ご存じのように、魯迅は「支那」「支那人」という言葉を著書で何度も使っています。その時期に<日本人が使ふ「支那」の呼称に侮蔑の響きを聴きとった>のなら魯迅がわざわざ「支那」を使うでしょうか?
NN生さんの推測は、ご自分の経験を過去に投影しただけのように思われます。蒋介石も、日記に日本人と親しくした事実は書いていますが、「支那」の呼称で侮辱されたなどということは書いていません。

その当時、彼は東京振武学校(陸軍士官学校に入る前の予備学校)を卒業後、陸軍士官学校には入らず、新潟県高田町の陸軍第十三師団野砲兵第十九連隊に二等兵として入り、そこで1年間の実地訓練を受けました。その当時の兵営生活について、蒋介石はこう書いています。
<日本の明治維新の立国精神を感得し、武士道の精神に触れる生活がそこにあった。のちに『私は、日本の伝統精神を慕い、日本の民族性を愛している。日本は私にとって第二の故郷である』とまで言い切った“日本認識”は、この時期に得たものであった。>と。

蒋介石は、日本留学時に<日本の民族性を愛した>ほど、日本が気に入ったのです。これが<日本人が使ふ「支那」の呼称に侮蔑の響きを聴きとった>とNN生さんが言われる人物の言葉でしょうか? 蒋介石は、日本留学当時、魯迅と同じく「支那」という言葉に何の違和感も感じてはいなかったのです。なぜなら、それは侮蔑語でも差別語でもなかったからです。
歴史を、推測で勝手に捏造してはいけません。NN生さんの推測は、人権派左翼の歴史捏造の手口と大差ないのです。厳しい言い方をして申し訳ありませんが、自分の狭い経験や最近の風潮を、過去の歴史に投影して、歴史を歪めることが戦後盛んに行われたため、戦後世代の歴史認識は大きく歪められています。「支那」という言葉ひとつを取ってもそうなのです。

ではなぜ蒋介石は、のちに「支那」という言葉を目の敵にし、日本に「大中華民国」を使えと要求してきたのでしょうか? 第一次大戦後、いわゆる21箇条要求、五・四運動、中国共産党結成、日本軍の山東出兵、排日・侮日運動などの流れの中で、日本との緊張関係が高まり、日本に対する弱腰は支那国内の統治に影響するとみた蒋介石が、対日批判の一環として、「支那」は「死に体」を意味する侮辱的な言葉だと強調し、軍人やインテリを煽ったとみるのが正解でしょう。もちろん「死に体」云々はデマですが、当時、支那は国内外に対するデマ宣伝を得意としていました。
蒋介石の“真意”を文献で辿ることはできませんが、少なくとも蒋介石が軍人たちを相手にそういう演説(「支那」=「死に体」という演説)をした記録は残っています。日本に対する敵愾心を煽ることが目的だったものと思われます。支那事変の頃の記録です。そしてその当時、蒋介石は日記に「倭寇」「倭奴」という言葉を使って日本を見下しています。一留学生の時代と最高権力者の時代とでは物の見方も生き方も戦略戦術も変わるのは致し方ないことかもしれません。NN生さんは<(蒋介石が)日本人を太古の支那人のやうに「倭奴」と思ってゐたでせうか>と疑問を呈しておられますが、拙論をお読み下さい。
事実を確認せずに、推測だけで反論するのは、人権派左翼と同様の誤りを犯すものです。
 最後に、<支那が今やるべきことは,「秦」と言ふ国名に由来すると言ふ由緒ある「支那」と言ふ呼称を大切にし,それに世界が畏敬の念を抱くやうにすべく自らを律することです.>
とのお言葉、まことにおっしゃる通りです。大いに賛同いたします。
しかし支那がそういう立派な自覚を持つまでに、あと何百年くらい待てばよいのでしょうか? 
それまでは支那におもねるマスコミや人権派左翼らの言葉狩りに、黙って従うのが正しいのでしょうか?
NN生さんが無責任に「遠慮なく使へ」と言っても、マスメディアでは表現が規制(排除)されているために、使いたくても使えないのです。たった1つの言葉でも、歴史的な歪曲から取り返すことは大変なのですよ。
   (池田一貴)


(宮崎正弘のコメント)言葉狩り、昭和も遠く なりにけり。



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(読者の声3)貴誌通巻第2604号で宮崎さんが福岡で江戸時代に発見された「金印」関して「あれは偽物で、誰が作ったのかも特定されている。福岡藩の儒学者でしょ。日本でつくって、あたかも『魏志倭人伝』の中味が本当であるかのごとくに金印が『発見された』とする大がかりな歴史改竄です」
と書かれましたが、あれは未だに国宝に指定されていて、福岡市博物館に展示され、同博物館のWebのトップページに誇らしげに写真付きで掲載されています。早く、「金印」の国宝指定を解除をしないと恥さらしです。
     (TS生、大和市)

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 読者の声、どくしゃのこえ、DOKUSHANOKOE、どくしゃのこえ、読者の声
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(読者の声4)インフルエンザウイルス騒ぎで思い出しました。
日本国民は過去にも流行病の海外からの流入に苦しみながら見事に対処してきました。
南米の原住民が激減したのはヨーロッパからの侵攻者による殺害、奴隷化よりも、ヨーロッパ人が持ち込んだ病原菌による感染の方がより大きな原因であったと読んだことがあります。
日本でも、戦国時代に南蛮人が梅毒も持込ました。
これが江戸時代には花柳病と呼ばれました。これはよく一般に知られていますが、それに加え、江戸時代末から明治時代にかけて、外国船が日本に寄航したあと、その地域で流行病、特にコレラが流行したことはあまり知られていません。
「まず、1817(文化14)年にインドに発したコレラの流行はアジア、アフリカに拡大し、1822年(文政5年)にはわが国へも波及、関西地方を中心に多くの罹患者、死者を出しました。その後、1858(安政5)年に中国から波及したコレラの流行が長崎に上陸し全国に蔓延しました。この際の流行では江戸だけで2カ月弱で10万人以上の死者が出たとも伝えられています」(長崎新聞平成20年2月、東條正長崎大学経済学部長の署名コラム)。
これが、幕末に開国し外国船が頻繁に日本に寄航するだけでなく、船員が上陸するようになると、さらに頻繁に流行するようになりました。

「とくに明治時代の流行は、明治10年9月長崎に来航した英国船から伝播したのが最初で、その後全国に広がり、明治10年から20年の間にコレラによる死者は273,816人で当時の日本の人口が約3,600万人(明治22年)であったことから、その被害の大きさに驚かされます。コレラを始めとする水系伝染病流行の根本原因は不衛生な飲料水にあることから、近代水道布設の緊要性が提唱され、。。。。。」(富山市水道50年史)という状況でした。特に、大きな被害があったのは、明治18年から明治19年の大流行で日本全国で10万人が亡くなられました。

特筆大書したいのは、この状況に当時の日本人がどう対応したかです。
「バルトン(Willian K. Burton:英国人)氏は、明治20年(1887年)帝国大学工科大学の招請に応じ来朝し、衛生工学講座を担当した。明治22年(1889年)内務省衛生局雇工師を兼務し、学生を指導する傍ら、わが国上下水道および土木工事の企画経営に尽力し、大阪、神戸、広島、岡山、下関、仙台、名古屋、福岡、門司など主要都市の水道創設工事や設計指導を行い、わが国上下水道の普及の基礎をきづきました。富山県へは、明治26年(1893年)8月14日に来富し、飲料水を調査の後、熊野川の水を市内に引用しようとして水源調査を行った。20日諏訪座で衛生演説会をひらき、市の上下水道工事に関する意見を開陳して10日帰京した。

バルトン氏は明治29年(1896年)満期解任後、後藤新平氏の推薦により、台湾へ渡り、上下水道の設計調査、設置を行い明治32年(1899年)8月5日異境の地で没した。
彼の功績は台北市に銅像と共に残されました。」(富山市水道50年史、日本水道史総論編)さらに付加えれば、 バートン氏(「バルトン」よりこちらの方が英語での発音に近い)は、来日した英国人「お雇い外国人」の多くがそうであったようにスコットランド人であった。青山墓地に埋葬され、平成18年には、故郷のエディンバラにも碑が建てられた。
重要なのは、当時の為政者達が「水系伝染病流行の根本原因は不衛生な飲料水にあること」を明確に理解し、当時の日本の財政にはとてつもない負担であったにもかかわらず、上下水道システムの確立をめざしたことです。しかも本土だけではなく台湾においてでもです。

このような優れたご先祖様を持つ現在の我々日本国民の現状への対応は見事なものといえるでしょうか。
(1)マスク着用することは、だれに強制されるでもいなく多くのい国民が行っていますが、マスク着用の意義とどのように着用すればよいかを正確に理解している人はまれです。
(2)中学校理科の授業で学んだはずのウイルスとバクテリアの違い、さらに対処法の違いを正確に覚えている大人は稀です。これで、日本の教育水準の高さを自慢していたらあまりに能天気です。
(3)厚生労働省の方針により、日本で使われるワクチンは、国内のワクチン製造業者が生産したものだけです。その結果企業間の競争が欠如し、日本のワクチン製造業者のレベルは低く、迅速な対応ができない状態です。

しかもこういった重要な問題をマスコミも政府も国会も取り上げません。
今回のH1N1 A型のインフルエンザウイルスが大流行するかどうか、あるいは強力がどうかはさておき、この現状を改善しないと、いつか大惨事を引き起こします。
馬鹿騒ぎも、「馬鹿騒ぎ」と馬鹿にすることも止めて冷静かつ素直に現状を観る必要があるのではありませんか。
   (ST生、神奈川)


(宮崎正弘のコメント)そういう外国人がいたのですね。ご教示有り難く。



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(読者の声5)先週の水曜日、リビアの首都トリポリにある米国大使館で30年振りに星条旗が掲揚されました。大使自身は既に昨年12月に着任してたものの、これは米国とイスラム社会の和解を象徴する出来事です。
http://news.yahoo.com/s/ap/20090513/ap_on_re_af/af_libya_us_1
このリビアの首領カダフィーは一年程前に「オバマは黒人だから劣等コンプレックスを持ち白人よりたち悪く振舞うだろう」とか、「オバマはケネディーの様にイスラエルのモサッドに殺されるのを恐れている(笑)」と言いたい放題でしたが、オバマが大統領に選ばれたら黙った(笑)。
http://www.haaretz.com/hasen/spages/991948.html

だいたい、浅黒いアラブ人が欧米人より無垢で人種差別主義者で無いと誰が決めたのか? ポストモダニストか?イスラムのレイシスト集団アルカイダのナンバー2のアイマン・ザワヒリはオバマの事をニグロと罵倒。
http://www.google.com/hostednews/afp/article/ALeqM5jNt6opxM9fQt1fh8fjXMsXvXeKMA
シリアのアサドもまだオバマを甘く見ているようで、イスラエルと和平交渉を始めると主張する一方でハマスやヒズボラと切らないどころか武器供給を続けている。
さらに、「米国は彼らとも交渉するべき」などと立場を理解してないので、最近オバマ政権は経済制裁を延長。オバマらは原則的に物を考える感じなので、機会は与えるが答えなければ冷酷な対応を取る。
http://english.aljazeera.net/news/americas/2009/05/20095815106605431.html
http://newsfromsyria.com/2009/05/11/syria-reactions-to-the-sanctions/
結局、政権が変わってもかつて米軍宿舎爆破した因縁のヒズボラは簡単には赦さないのか。
それとも中東の民主国家レバノンは米国の虎の子扱いなのだろうか?
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/8063111.stm

今月イスラエル首相に選ばれて最初の外遊をエジプトで無難にこなしたビニヤミン・ネタニヤフは次のヨルダン訪問の後に米国訪問。就任当初から衝突が予想されたオバマ米国大統領との会談準備に余念が無かったよう。両者の会談をテレビで見ると、真剣な顔をして身振り手振りで説明するネタニヤフに対して眉一つ動かさず聞き入っているオバマはなかなか貫禄があり臣下に報告を受ける国王の様。
本来、イスラエルと米国の国力差を考えると当然だが、今までそうではなかった。イスラエルの政治解説者の分析では、オバマは大変なインテリで中東問題の詳細点に関心を持ち突っ込んだ質問をするので、外交筋は新大統領は「今までとは違う」と認識。舐める訳にいかないと認識したようですね。
http://www.jpost.com/servlet/Satellite?cid=1242212406429&pagename=JPost%2FJPArticle%2FShowFull
  (doraQ)


(宮崎正弘のコメント)そうですか。オバマは想像以上に無能と思っていたのですが、ネタニヤフが緊張して会談に臨んだ? 共和党系のミニコミ誌は一斉にオバマ批判一色です。とくに赤字予算、グアンタナモ、核廃絶。GM救済等々、米国の没落の道筋を自らつけている大統領ですから、トルーマンのような無知無邪気プラスJFKのように無能かと。



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(読者の声6)楡周平の『骨の記憶』を手に取っています。松本清張ばりの日本古来の土俗性とミステリー性、犯罪性が塗り籠められている作品です。
作中に描かれている東北地方岩手の貧しい農村地帯の生活ぶりは私のいた中部地方信州の実家田舎暮らしを彷彿とさせてくれます。
さて『新しい歴史教科書』を取り上げた際の宮崎さんのコメント、「二日がかりで『新しい教科書』を読んで「嗚呼、ようやく日本人の手になる本物に近い歴史の叙述がある」と素直に感動した」の件に心が鳴動しました。
今月から始まりました「日本塾」の初回ゲストスピーカーは藤岡信勝先生でした。それは星陵会館であった「教科書シンポジウム」の前日でした。四時間に亘るマラソン講義が始まる十分前にニ百部のレジュメを入れた紙袋を下げて拓大正門を潜る藤岡信勝先生の後ろ姿を追いながら新築されエスカレーター、エレベーター、冷暖房完備のC棟の階段教室にたどり着きました。教室に入るとモデレーター(進行役)である井尻千男先生が泰然自若と最前列に鎮座され厳粛なそれでありながらなごやかな雰囲気が室内に醸されていました。
ふと井尻先生の隣に目を転じますと拓大客員教授の石平先生が駆けつけていました。
「歴史の見直し」は弛まない先生方、有意の方々の営為により確実になされ進んでいると思います。ところで来年は安保改定五十周年の由。日米の識者を一同に会したシンポジウムを期待しています。
   (有楽生)


(宮崎正弘のコメント)日本塾へ行かれましたか。小生、その日は自分の講演会でしたので欠礼しました。次回も先約あって伺えません、替わりに聴かれたらレポートをかいていただけると幸いです。
小誌の読者も知りたがっている内容だろうと推察していますので。
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(編集部より)メールの不着が頻発しています。おそらくセキュリティが強すぎる結果だと思いますが、36時間以内に返信がない場合、下記へ再送して下さい。
yukokuki@hotmail.com
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宮崎正弘の新刊 
http://miyazaki.xii.jp:80/saisinkan/index.html
宮崎正弘・石平 共著
『絶望の大国、中国の真実――日本人は中国人のことを何も分かっていない』
(定価980円。ワック文庫) 
  
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 『世界が仰天する中国人の野蛮』(黄文雄氏との共著。徳間書店、1575円)
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  • paka2009/05/26

    某野党リーダーは、

    OとHとKと、もう一人「K」です。