国際情勢

宮崎正弘の国際ニュース・早読み

 評論家の宮崎正弘が独自の情報網を駆使して世界のニュースの舞台裏を分析

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宮崎正弘の国際ニュース・早読み

2007/12/22


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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成19年(2007年) 12月22日(土曜日) 
通巻第2035号 
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<< 随筆 >>

 天草四郎はクリスチャンだったのか

  (この文章は雑誌『自由』11月号から転載です)


 ▼島原の乱とは何だったのだろう

 熊本で所用を済ませた筆者はその週末のスケジュールが空いていたので、そのままふらりと天草の旅へでた。嘗て何かの本を書くために島原半島を取材したことがある。普賢岳噴火の前のことで、目的は徳川幕府の安定を揺らした軍事的叛乱=「島原の乱」の拠点となった原城址と島原城をみるためだった。
 島原城の大振りな縄張りに驚かされた。
 僅か数万石の大名に過ぎなかったのに、この巨大な構築物。軍事的要塞の規模が意味するものは何だろうかと考えた。

 農民の乱が勃発した当初、筵旗を立てた一揆くらいにしか考えていなかった徳川政権は、付近の藩に制圧を任せた。
 この初動が失敗だった。前線司令官が討たれ、暴動叛乱は徳川幕府の政権安定の基盤を脅かすほどの規模となった、このキリスト教徒の叛乱鎮圧のために”智慧伊豆”と呼ばれた松平定信を現地に派遣し、十数万もの軍勢を動員、三ヶ月の兵糧攻めのあと、伴天連どもを殲滅した。
これが世に言う「島原の乱」あるいは「天草四郎の乱」である。
 
天草四郎が率いた農民+伴天連の軍勢は、最初から島原城に依ったのではなく本格的な戦場は天草各地だった。天草は上島と下島からなり周辺に無数の小島、無人島がある。
 上島と下島のちょうど付け根に位置する本渡城と西端の富岡城が大規模な軍事衝突の現場となった。
 富岡城の難攻不落を知った天草四郎は、有明の海を渡って対岸の島原半島へ上陸し、島原城を拠点として徳川政権と対峙したのだ。


 ▼展示パネルに違和感

 熊本から天草の本渡へバスで向かった。
 地図をみると近いと思われたのだが、なんと三時間近くかかる。バス座席の柔らかなソファでも尻が痛むほどだ。
 熊本を南下し、八代方面に向かいながら宇土から西に進路を変える。三角港から「天草五橋」が始まり九州と繋がっている。天草の各地と熊本、長崎、島原、八代を結ぶ連絡船もある。観光地として開けてきたため釣り客、温泉客が増えた。

 天草へ入ると、いきなり景観が大胆に美しく海に沈もうとしていた晩夏の夕日がみごとに綺麗だった。本土に一番近い大矢野島には天草四郎メモリアルホールがあり、歴史館を兼ねているが、じつは結婚式場でもある。
 展示パネルを丁寧に見たが、地元の身贔屓なのか、自由と平等をもとめてのフランス革命と天草四郎を同列に置いていて驚かされる。歴史解釈がいかに自由だとは言え、これは改竄史観に近いのではないか。
 
キリスト教徒の叛乱という西側の「殉教史観」にも名状しがたい胡散臭さを感じるが、反乱軍の軍事指揮は、天草四郎をカリスマとして祭り上げただけで、主体は小西行長の浪人。サムライたちは朝鮮出兵経験もあり、軍事行動には慣れていた。
 
これに加わった農民は、前藩主寺沢氏の苛斂誅求に耐えかねていた。貧困のどん底、絶望的境地にあった。そうした精神的空白状況にキリスト教が救いだと説けば、藁に縋る思いで叛乱に加わった農民が大半だったのではと推定される。
 南蛮文化と早くから接してきた天草には、織田信長時代から教会が建立されており、たしかにキリスト教が蔓延する地盤はあった。

 翌日、早朝にバスターミナル駅前のビジネスホテルをでて、田舎のバスに乗って富岡へ向かった。一時間以上かかる。田舎道を海沿いに、集落を迂回しながらだから到着するとへとへとな疲労感を覚える。バスを降りて急坂を上ると富岡城が地元の観光資源としてピカピカに再建されていた。海に突きだした山城だ。筆者の興味を惹いたのは、その大規模な縄張りで、秀吉の名護屋城址を連想した。
 

  ▼遙かなる天草

 次なる目的地は大江という集落で下島の南西に位置する。
 いまも二百戸ほどのクリスチャンが固まって住んでいるという。大江天主党という立派な教会が残り(ただし明治時代の建物)麓には天草ロザリオ館。

 もうひとつ崎津という集落にも天主堂が残っているというので、出かけようとしたら、なんとバスがないのである。午後二時に、もう辺地を結ぶ交通手段はタクシーしかない。運良く近くの雑貨店を兼ねたタクシー兼業者に頼み、崎津教会へ。

 峻険な崖道を海沿いに拓けた崎津もまた小さな集落。ここでもキリストの信徒はいまや百戸のみで、周りを囲むのは禅宗の信者の家並みが続く。寺の数がやたらと多い。

 帰路、天草コレジヨ館にも寄ってみた。
 園田直氏がこの地の出身であったことをフト思い出したからだ。天草全島を地盤に園田氏は選挙に強く、外務大臣在任期間も長ければ、その外遊回数も歴代外相の誰もが記録を更新できないほどだ。

 加瀬英明氏と園田氏は親しかった。往時、首相と外相顧問でもあった加瀬氏は園田外相名代としてフォード大統領ら米国高官と事前の折衝にあたった。フォード引退後、「フォード・ライブラリー」を建設する運びとなり、日本は園田氏の主導で応分の寄付をしたのだが、その落成式でフォード、カーター、レーガン、ブッシュの並ぶ式典で挨拶する園田の大きなカラー写真がコレジオ館に飾られていた。

 そのままタクシーで本渡への帰路、飛行機で熊本空港まで飛ぶことを思いついたが、これまた一日一便しかない。
福岡には一日四便あるというが、筆者は熊本からのチケットであり、結局、途中の天草松島という景勝地で一泊、翌日またまたバスに揺られて熊本へ戻った。
 長い道のり、天草はじつに遠い。

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(読者の声1)世界の中での日本は海中の蛸壺に陥り、そこには誰も訪れず、情報はもたらされず、その存在は忘れられ、しかしある意味で凪いだ海面下で平和を享受しております。
これは平和ではなく、無為と怠惰と気概の欠如がもたらすカオスの一歩手前だと感じております。
21日付けの貴誌の報道は極東で安逸を貪ぼっていた我々を覚醒させる価値ある情報です。
モルガンスタンレーが四半期で一兆円を超える損をだしたと発表したことは、なんとも豪気なものと評価できます。そうであれば、他社(シティあたり)は発表している損がかなり抑えられている疑いがあります。
思い返せば日本は、モルガンスタンレーの元の会社に日露戦役の軍艦費や関東大震災の復興資金を提供してもらった恩義があります。
しかしアメリカは日本ではなく中国にまず救済資金の奉加帳を回しました。
中国は釣り竿の先に黒石製の針を付け、その重さで竿が折れそうになりましたが、米財務長官のポールソンが自ら海に潜り、モルガンスタンレーという見事な釣果を針に引っ掛け中国に釣り上げさせました。
ポールソンが売国奴となるか、或いは救国の英雄に祠りあげられるか、やがてその評価が定まるでしょう。
とにかく米中同盟はまず金融で強い絆が結ばれたという事実は押さえておくべきです。
日本にはポールソン風情に張り合える、高橋是清も渋沢栄一も中山素平もいないのでしょうか。  
   (HN生、品川)


(宮崎正弘のコメント) いやそればかりか、個人で大博打をやってのけた是川銀蔵氏のような相場師もいないのです。90年代まで相場を牽引した野村証券も、あの体たらく。
バブルの頃、野村の朝礼時の総括と方針を参考に各社、その日の相場対応を決めた。
往時、NYの野村証券を一週間取材しました。ウォール街の並みいるエコノミストが野村の動向に目を光らせていました(拙著『世界マネー戦争はここまできた』、文藝春秋ネスコブックス、絶版)。
 昨今は野村などからトラバーユした日本人が、外資系証券で、ウォール街のコンピュータ理論で相場を張っているに過ぎず、カンを働かせる相場師は不在になりました。
 日本の運命を決めることの出来ない日本の政治家同様に日本のマーケットの方向性を日本人自身が決められないのです。



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(読者の声2)中国による金融面でのアフリカへの取り組みについての重要な指摘、中国株式市場が天井を打ったという判断。サブプライムによる金融逼迫に対して米国の有力某氏が協力要請に訪中という記事。刻々と展開する生々しい事態と今回(21日付け貴誌が)取上げた事実がどのように絡んで展開するのか、貴誌から目を離せません。
 それにつけても日本を見ると、政官財の当事者集団の愚鈍ぶりには暗澹とします。やはり耐用年数を終えた末期現象と見ていいのでしょうか。
一度、日本側のどうしようもない見当識な対応振りというか失策を、具体的な点でご指摘ください。
(SJ生)


(宮崎正弘のコメント) 米中は経済同盟をお互いに言いつくろいつつ、相手にいかにババを引かせるかの、ゲームの最中。中国銀行、中国工商銀行などに出資したのがゴールドマン、モルガン、UBSであり、今度は、中国の外貨資金プールから、モルガンなどにカネを回してもらったという、まさに持ちつ持たれつの構造でしょう。



   ♪
(読者の声3) 中国の異常気象は年中行事の感がありますが、山水画のような風景で有名な桂林の漓江も悲惨な状況のようです。
1991年に漓江下りをしたときは豊富な水を湛え、川エビ料理と漓江ビールが美味しかったのですが、現在では83キロの船旅も僅か6キロしか船で進めないとか。
 ※中南海ノ黄昏 http://ihasa.seesaa.net/
 食料品や燃料価格の高騰、洪水、渇水、旱魃と本当にオリンピックが開催できるのでしょうか。アメリカの銀行やファンドに出資するのもいいでしょうが、農村部の安定がなければ共産党政権そのものが揺らぎかねないと思うのですが。
書評を書かれていた産経新聞の福島香織記者、年内に記者証が更新されないと中国で記者活動ができず、そうなると実質的な国外退去処分になるとか。
産経新聞のえらい人は ”なんか目を輝かせて「おお、そうなったら正月元旦の1面トップだな。見出しは『本紙女性記者 事実上の国外退去』『北京五輪イヤー、不安な幕開け』できまりだな。五輪直前だし、これはAP、ロイターもキャリーするぞ」と、すごくうれしそうでした。と自身のブログに書いています。記者証の更新期限は29日らしいので、あと一週間注目です。
   (PH生)


(宮崎正弘のコメント) 小生が漓江下りをしたのは1990年でした。ボートの上で、川菜とつまみを食べながら三時間ほど、悠然と下りましたが、途中、泳いでいる若者や外国人がいた。
水は澄明ではないにしても、まだ腐臭を放ってはいなかった。
北京空港には、真ん中に大きな待合室がひとつだけ。数時間遅れても一切アナウンスがなかった。北京から桂林ゆきは120人乗りくらいで、途中雷にあって、緊急にカンツォーに着陸すると中国語のアナウンスがあり、カンツォーが広州のことと分かりました。教科書で習った発音はグアンズォーですから地域によって発音がかくも違うのかと印象深いことでしたね。
で、あの滔々たる水も枯れているという情報は昨秋からありましたが、最近は観光船が動かない、と聞いておりました。
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(年末年始の発行について) 小誌は暦通り年末年始は休刊となります。
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  • 名無しさん2007/12/22

    秀吉と家康がなぜキリスト教を認めなかったのかという本当の理由を学校ではほとんど教えていませんね。当時のイエズス会の裏の顔を知らなければ、彼等はただの横暴な権力者としか理解されないでしょう。もちろんキリスト教を禁教したために、翻弄され犠牲になった人々もいました。しかしながら当時キリスト教を認めることが、日本という国家の危機に繋がるということをいち早く察知した秀吉という男の能力に歓心するばかりです。



    しかしながら今の学校教育の状態では、キリスト教を受け入れられなかった暴君というニュアンスの方が強くなってしまうのではないでしょうか。



    戦前では、この下りはどのように学校で扱われていたのでしょうか。

  • 名無しさん2007/12/22

    PH生さんの伝えられた産経新聞のエライ人の話が本当ならば、やはり彼らのみがまっとうな自由主義に立脚した民主主義的新聞ということですね。

    独裁にこびるエセ民主主義諸新聞を取っていたこともある自分が恥ずかしい。

  • uchi2007/12/22

    私にもメールマガジンが届かないので、shimaさんの書かれているhttp://miyazaki.xii.jp/ を含めたメールを試しましたが、届きました。