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 評論家の宮崎正弘が独自の情報網を駆使して世界のニュースの舞台裏を分析

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宮崎正弘の国際ニュース・早読み

発行日:12/3


 ◎小誌総発行部数990万部を更新! ◎小誌登録読者10302名(12月2日現在)
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成19年(2007年) 12月3日(月曜日) 
通巻第2016号  
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 MI5(英国情報局保安部)が銀行に警告
  「中国国有企業の金融活動に警戒せよ」
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 スパイ映画でおなじみのMI6(エム・アイ・シッックス)は、かのジェイムズ・ボンドが所属する秘密情報部。007は架空の物語だが、原作者のイアン・フレミングは実際に情報部員時代の経験を生かして、ジェイムズボンド・シリーズを書いた。
 MI5(ファイブ)のほうは情報局保安部(軍情報部5課)。

 フィナンシャルタイムズ(12月3日)速報によれば、MI5責任者が英国の銀行(銀行名を特定していない)に対して、「中国国有企業の金融活動に警戒を」と異例の警告をだしていることが分かった。

 秋のシドニーAPECでは、春先にペンタゴンのネットワークが中国のハッカー襲撃でずだずだにされたことをブッシュ大統領は首脳会談の席上、胡錦濤に抗議した。
 温家宝は訪独のおり、メルケル首相からハッカー襲撃に関しての抗議を受け「善処する」と回答した。2日に訪中した高村外相は、温首相とあっても、抗議した形跡はかけらもない。

 マネーロンダリングの取締ばかりではなく、金持ちとなった中国は各国に政治的謀略資金をばらまいている。
ヒラリーに85万ドルを不正献金していた事実も発覚し、民主党から圧勝ムードが消えている。これも中国の謀略活動が遠因にある。

 それにしても中国国有企業が英国の銀行を通じて、どういう謀略を次ぎに仕掛けようとしているのか、明かではないが、英国政界ばかりが焦点ではないだろう。
 ロンドンはビッグバン以来、世界を自由に行き来する投機資金のプールでもあれば中継地でもあり、多国籍企業の自由な金融活動に恵まれている。

 シドニーには親米保守のハワード政権を打倒したラッド率いる親中派政権が誕生したが、仮説としては、ロンドン経由シドニーという資金の流れも推理小説の世界を超えて、おおいに考えられる。
 政界復帰を狙う親中派のタクシン元タイ首相もロンドンに亡命している。パキスタンのブッド元首相も、つい先日までロンドンに生活していた。

           ◎◎◎
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(読者の声1) (12月2日付け)の産経新聞掲載の宮崎さんの書評を読みました。
取り上げられた本は福島香織北京特派員の『危ない中国 点撃(クリック)』。同様の本は他にも出ていて、その中には重版時三万冊刷ったものがあるといいますから、尋常ならざる中国食品への世の関心の高さがうかがえます。
貴台の書評のなかに、「(嬰児のスープのような)ゲテモノを含む食事に中国人が拘る理由は、伝統的な「医食同源」という意識を越えて体制転覆の危機意識が脅迫観念としてつねに金持ち階級にあるからだと、(福島氏は)突く」とあります。
小生は同氏のブログを愛読していますが、その条りは見逃していました。深く鋭い洞察と観じ入りました。
福島氏は、食に限らず一つのテーマ毎にかなり長いブログを書いていて、ねちっこさを感じます。記者だからか、女性だからか、福島氏だからか、小生には謎です。
  (有楽生)


(宮崎正弘のコメント) 嘗て、小誌の書評欄で予告しましたが、詳しい評を産経に書くと言っておりました。産経が意外にはやく出してくれました。



    ♪
(読者の声2) 第十七回中国共産党大会がおわって新人事が発表されたときに、すかさず宮崎さんは、「これは胡錦濤の大敗」と言いました。
 日本のマスコミは「これで胡体制安泰へ」と総括していたので、その百八十度違う評価の大胆さに驚きもしていたのですが、ようやく最近になった日本でも、胡錦濤体制が盤石ではなく、中国は不安だらけだとする論評が増えて来ました(たとえば『正論』今月号の中西輝政、石平氏との巻頭対談がそうです)。いつも貴誌メルマガで予測される宮崎さんの確かな目に感心しております。
        (ZI生、徳島)


(宮崎正弘のコメント)「大敗」説は最初、香港のウォッチャーから流れてきたものです。北京にいると、客観性がすこし失われる懼れがありますので、つねに香港情報との対比を心がけています。
           ◎◎
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(お知らせ) 12月7日午後一時からラジオ日本「ミッキー安川のずばり勝負」に宮崎正弘が久しぶりに生出演します。
出番は午後一時から三時半ごろまで。関西方面のリスナーの皆さんには午後二時まで。
    ◎◎  ◎◎
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   ♪
<< 二回連載(その1) >>

第一部シンポジウム(第37回憂国忌の概略記録シリーズ)
「あれは楯の会事件、森田必勝主導ではなかったのか」
 @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

       パネリスト 堤  堯 (元『文藝春秋』編集長)
             中村彰彦 (直木賞作家)
宮崎正弘 (評論家)
       司 会   花田紀凱 (『WILL』編集長)
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 「憂国忌」(11月25日、豊島公会堂)では三島森田両烈士に黙祷の後、文藝評論家の富岡幸一郎氏が「開会の辞」、総合司会は政治学者の藤井厳喜氏がつとめた。
第一部のシンポジウム「あれは楯の会事件、森田必勝主導ではなかったのか」の記録を下記に掲げます(「三島由紀夫研究会のメルマガより転載」。


 ▼なぜ連載「僕を殺すたった一人の男」が始まったのか

  
<花田紀凱>私は、文芸春秋時代の上司である堤堯さんと、今日、会場におられる田中健五元文春社長(憂国忌発起人のひとりでもある)をもっとも尊敬しています。
記憶力抜群で面白い堤さんには、私が編集長をしている『WILL』に連載中の「ある編集者のオデッセイ」を、堤さんが死ぬか、私が死ぬか、どっちが早いか分かりませんが、どちらかが死ぬまで続けるつもりでやってもらっています。 
 これは私が関わっていた雑誌『編集会議』からの連載で、まだ5年程度ですが、途中から三島由紀夫論に入って、すでに24回。
それだけで原稿用紙で800枚の分量です。

中村彰彦さんには、かれの週刊文春編集部時代に大野晋のタミル語起源説を完膚なきまでに論破してもらいました。
 それでは堤さんに口火を切って貰います。
まず簡単に堤さんと三島由紀夫との出逢いはどういう場面からですか?

<堤 堯> 私は1961年文芸春秋に入社して、最初に配属されたのが『オール読物』の編集部。そこの女性社員から三島邸に原稿取りに行くよう云われて、三島と出合ったのが最初だった。
 会うなり三島さんから、「胸囲は?」と訊かれた。 女性社員が三島に、「ゴリラみたいで新入社員歓迎会で「東京ドドンパ娘」を裸踊りした男が行く」と吹き込んでいて、三島夫人も一緒になって、どんな男だろうと僕のことを待っていた。
 三島さんとは1964年の東京オリンピックを一緒に観に行った。 
池島信平社長の企画・立案で始まった「あの人と一週間」では、三島さんに一週間密着もした。山中湖の三島由紀夫文学館にある書斎は整然としているが、実際の書斎のスチールデスクの上は本の山で雑然としていた。 
正面には母子像があった。
オリンピックの聖火の最終ランナーは早稲田大学の選手だった坂井君で、それを観た三島さんは、選手の胸の日の丸はきれいだ、金を払ってもやりたいと言っていた。

<花田> つぎに作家の中村彰彦さん。中村さんは、森田必勝をモデルに『烈士と呼ばれる男 森田必勝の物語』を雑誌『諸君!』に連載され、単行本になさいました。いま、文春文庫版も絶版のようですが、いずれ復刻を待ちたい。
ところで中村さん、この本を書かれる切っ掛けとは何でしたか?
本のあとがきでは「さて、これからどうやって生きていこうかと私が悩んでいるときに森田氏は、『さて、どうやって死ぬか』という命題を考えていた云々とありますね?

<中村彰彦> 私は東北大の国文に入りましたが、卒論を書く段になってそのための古典を買う金がなくて、自分の書棚を見て、三島さんを取り上げて100枚、実際には120枚書きましたが、卒論に仕立てました。
そこで三島初の長編『禁色』を取り上げたのですが、わが卒論は三島由紀夫論序章といった程度で終わっているんです。 
それから大学院に行かないで、文芸春秋に入社し、消化不良の感を覚えていましたが、日本学生同盟OBだった宮崎正弘氏は週刊誌時代に取材を通じて知り合い、森田必勝の後ろ姿を追いかけるきっかけをつかんだ。

<花田> お二人の背景が漠然と掴めました。
ここで皆さん。司会者の特権で、もう一人、突然の指名ですが、パネリストに登壇頂くことにしたい。それはこの憂国忌の裏方をやっていて、表にでることを極端に嫌がってきた人、評論家の宮崎正弘さんです。
このシンポジウムは森田必勝と三島由紀夫の関係を論ずるわけですから、ここはやっぱり森田遺稿集を編纂され、現場の生き証人でもある宮崎さんからもお話を聞いた方が良いと思います。どこにいますか、宮崎さん?
宮崎さんは、三島由紀夫三部作も書かれた。最初の作品『三島由紀夫以後』のときは、十年前でしたが、わたしも出版記念会に行きましたっけ。
 いまの堤さん、中村さんのコメントを引き続いて、その経緯の続きを話してください。

<宮崎正弘> 私は、三島さんとは3回しか会っていません。しかし森田必勝さんとは3年間一緒に暮らしました。
 檄文にあるように「われわれは四年待った、最後の一年は熱烈に待った」。
 しかし死ぬまでの「最後の一年」は一緒ではなかった。かれは楯の会専従になったものですから。そのうえ、大学入学以前の森田のことはなにも知らなかったのです。中村彰彦氏に「この人の伝記を書かないか」と四日市に誘うまでは。


 ▼ 森田青年は四日市海星高校で生徒会長だった

<花田> では森田さんの年譜を見ながら、いわゆる「三島事件」へと至る過程を振り返りましょう。
会場の皆さんは、お手もと記念冊子の4ページをご覧ください。森田必勝さんの略年譜を掲げております。
 森田必勝(まさかつ)氏は、昭和二十年生まれで、地元四日市の海星(かいせい)高校の卒業。そういえば、この高校は野球が強い学校ですね。生徒会長を二期つとめ、当時は河野一郎の門をたたくなど行動派でした。

<中村> 森田必勝氏の高校時代は面白い。
 おとなしかった森田が、思春期になると急に活動的なる。高一の夏休みの九州への無銭旅行や、高三のときに河野一郎邸に押し掛けたりもする。
 四日市に生まれ、父母を早く失くし、自分の面倒を見てくれていた兄の結婚で、群馬の伯母に預けられ、又すぐに兄宅に戻される。戻ったら離れに住む。
まもなく母代わりに慕っていた姉が嫁いで出て行き、寡婦になった群馬の伯母が他に頼る場所がなく一緒に住もうということになったのです。 
 そんな複雑な家庭環境からでしょうか、昭和35年(森田15歳)、森田家から五分もかからない距離に引っ越してきた上田家の家長は、夏はパンツ一枚で胸毛を見せる豪放磊落な性格で、森田はその家長に父親像を重ねました。
森田の初恋の相手とも交際をはじめる。
それを初恋の相手の母親から友達でいてほしいと線を引かれるんですね。 
森田は第二か第三の父親像を河野一郎に重ね、そしてさらに日本の一番古い家の天皇家に求めて、森田にとっての究極の父は天皇となった。これが上田家家長の茂氏の解釈ですね。彷徨う魂です。 

<花田> 森田さんは高校時代生徒会長になり、勉強はできた。大学受験では二浪したんですね。

<宮崎> そうです。二浪ですから、私より一歳年上だけど、学年はひとつ下でした。

<中村> ちょっと補足しますと、当時、茗荷谷の東京教育大学、今の筑波大があって、森田さんはその教育学部を二浪のときに受けて落ちた。森田は早稲田大の教育学部に入学してから、東教大のバリケード前で記念写真を撮ったことがある。

<宮崎> そう、そうでした。これは教科書裁判を起こした東教大教授(当時)の家永三郎に、20名くらいで抗議に出掛けたら、民青を中心にわれわれが千人の学生に囲まれて、「右翼、帰れ!」コールを受けた。学校は授業中断となりました。帰りにその千人の前で写真を撮ったんです。読売新聞が報道しました。 
 当時の学生運動の流れを説明しますと、昭和41年の早大は半年もバリケードが築かれ、ストライキをしていて授業のない状態が続いた。
 学費値上げ反対闘争だというのが理由だが、本当は左翼のセクト争いだということが分かってきた。 
 11月に早大紛争が二度と起こらないよう、共産主義に学内が侵されないよう、日本学生同盟を結成して、その支部として翌昭和42年2月に防衛問題を研究する国防部を創設した。森田さんはこの学生運動組織に一直線に参加してきたんです。
 森田必勝のモットーは、「我ことにおいて悔いず」でした。 


 ▼ 森田青年と三島由紀夫の親密度が増していった過程

<花田> その後、国防部運動が全国的な横の連絡組織をつくる。森田が議長にある。すると三島さんが、国防部の全国組織の結成式で万歳三唱をしたんですよね。

<宮崎> ええ、昭和43年6月15日、これは昭和35年に樺美智子が死んだ日なのですが、全日本学生国防会議の結成式がありました。
 国防部の全国組織を立ち上げることになり、森田がその初代議長に選ばれた。森田が三島さんに挨拶に行くと、自ら祝辞を述べに行こうと言ってくれたんです。
 森田と三島さんの事実上の最初の出会いは、昭和43年3月です。森田の遺稿集にあるように、前年に六本木のアマンドで、早稲田の国防部数名と三島さんと会合があるのですが、このとき森田もいたか、どうかは定かではありません。
 第一回の楯の会の前身となる三島小隊の体験入隊は昭和四十三年三月でした。
三島さんも十数日参加した、自衛隊富士学校滝ヶ原分屯地での一ヶ月間の体験入隊で、参加予定の中大生5人が、中大のスト解除に伴う試験再開で直前に参加できなくなって、森田らが急遽駆り出されたんです。 
森田は体験入隊から帰ってくると、私の前で机に座り、滅多にかかない手紙を書く。三島さん宛に「先生のためには、いつでも命を捨てます」と礼状を書いた。 
生きていくのに必死だった若者の多くにあって、森田はどうやって死のうかを考えていた。
理解できない飛躍のある思考の持ち主なのか、或いはこうした短絡的思考で走ることの出来るタイプの人か、私には分からなかった。
その手紙を出して数日後に三島さんから「あの手紙には参った」という電話が森田にあった。それから二人は親密化していった。

<花田> 昭和四十年代前半、日本でもっとも有名人だったのが三島さんでしたね。
この三島美学か、マヌカンかと当時はさんざんマスコミからからかわれた三島由紀夫の行為でしたが、いま我々は後智慧で、オモチャの軍隊ではなく、まさに「革命の哲学としての陽明学」を実践した三島由紀夫の像をみるわけですが、現実に、当時の雰囲気を知っている堤さん、そもそも堤さんは、三島さんから「お前も楯の会に入れ」って誘われたそうですが?

<堤> 昭和44年1月の東大闘争の後、三島さんから会いたいと俺に電話があって、文春のオフィスの中にあった日本文化会議の部屋で、「東大を動物園にしろ」の聞き書き役をした。その場で、僕も三島さんから、「楯の会」に誘われた。

     (次号に続く)
     ◆◆
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◎「憂国忌」発起人、賛助会員、三島研究会会員ならびに関係者の皆さんへ
 (1)事務手続きが遅れておりましたが、憂国忌報告および記念冊子を、年内にお届けします。
 これはご出席ご欠席を問わず、上記賛助会員の皆さま全員に郵送されます。しばらくお待ちください。
 (2)当日の井尻千男先生の記念講演は22日発売『月刊日本』に紙上再録されます。
       ◎ ◎ ◎ ◎ ◎
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『中国は猛毒を撒きちらして自滅する』(徳間書店、1680円)
『2008年 世界大動乱』(改訂最新版、1680円。並木書房)
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 宮崎正弘の比較的入手しやすい本の一覧 ↓
 http://miyazaki.xii.jp/saisinkan/index.html
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宮崎正弘のホームページ http://miyazaki.xii.jp/
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  1. 高村外相「アホ」ですね、美人で金持ちで優しければ「スネル」のも手、軍事力が無ければ「色気」で中国の上前をはねる事も考えなければ「外相」落第です。
    大平さんの様な惚けた政治家が欲しいですね。

     2007/12/3

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宮崎 正弘

宮崎 正弘

http://www.nippon-nn.net/miyazaki/

国際情勢の裏情報を豊富なデータと人脈から解析してゆく。独特な方法と辛辣な批判精神によるニュースの裏側で織りなされている人間模様に興味を持つ。筆者の人生観と執筆を継続する動機の基軸は同じ。ホームページは http://miyazaki.xii.jp/

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