トップ > ニュース&情報 > 国際情勢 > 宮崎正弘の国際ニュース・早読み

 評論家の宮崎正弘が独自の情報網を駆使して世界のニュースの舞台裏を分析

RSS


メルマガの登録・解除

登録した方には、メルマ!からオフィシャルメルマガ(無料)をお届けします。



宮崎正弘の国際ニュース・早読み

発行日:11/28


○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 
  『三島由紀夫の総合研究』 
     (三島由紀夫研究会 メルマガ会報) 合本
       平成19(2007)年11月29日(木曜日) 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

三島由紀夫氏追悼 没後37周年(第38回追悼会)
  ことしも「憂国忌」に1000名が参加し、三島氏の憂国思想をさぐった
**************************************

平成十九年11月25日、池袋の豊島公会堂。
開演までに一時間のあいだには音楽、最後の演説などのBGMが流れた。会は政治学者の藤井厳喜氏が総合司会を担当した。
トップバッターには「開会の辞」として、文藝評論家の富岡幸一郎氏が登壇した。
三島由紀夫、森田必勝両氏の霊に黙祷を捧げた後、第一部のシンポジウム「あれは楯の会事件ではなかったのか」に入った。パネリストは堤堯氏(元文藝春秋編集長)、中村彰彦氏(直木賞作家)。司会は花田紀凱氏(WILL編集長)が務めた。
 途中、司会者の突然の指名で、評論家の宮崎正弘氏も登壇し、年譜を振り返りながら、三島氏が楯の会の構想を抱いて、『論争ジャーナル』を中心に学生の入隊希望者の人選をすすめ、第一回入隊の20人になぜ森田が参加し、その後、森田主導がなされていく経過かを、克明に追求した。
とくに堤氏は文春入社後すぐに三島由紀夫担当となってオリンピックの取材に同行したときから交友がはじまり三島氏から「君も楯の会にはいってくれ」と誘われたりした。
三島氏が「俺を殺す一人の男がいる」というので、森田必勝をアルバイト先にまで訪ね、車座になった飲んだはなし。中村氏は森田の伝記評論『烈士と呼ばれる男』を書いた経緯を、取材者の立場から仔細に語った。
また現場にいた証言として、そのおりおりに遭遇してきた宮崎氏は、その一瞬の印象や雰囲気を、時系列の再現した。
 このシンポジウムの記録は近く雑誌『WILL』に紙上再録される予定。

ひきつづき「憂国忌」の第二部は三島氏が市ヶ谷台での最後の演説のなまなましい録音が流されたあと、檄文朗読(日本保守主義研究会)を漆原亮太、渡辺慧裕、福本哲の三人の学生が分担、記念講演に移った。
井尻千男氏の講演は「武士道の悲しみ  最後の特攻としての三島由紀夫」と題して、一時間以上の熱弁を振るった。
最後に「閉会の辞」を西尾幹二氏(評論家)がつとめた。

井尻千男氏の講演記録は概略を下記に、12月22日発売の『月刊日本』で紙上再録される。
西尾氏の閉会の辞は「シンポジウムで、これまでまったく知らなかった三島—森田の関係と事件への伏線が時系列に論理的に語られ、こうした視点で考えたことがなかったので、全体の三島像を把握する上で参考になった。また井尻さんの講演は江藤淳、司馬遼太郎というふたつの「戦後」と三島の「伝統」との距離を比較されながらの熱弁で、とても感動的だった」と述べた。
 会場ロビィでは森田必勝遺稿集『わが思想と行動』の稀少本、ワック出版のDVD(映画ミシマ)。村松英子さんの『三島由紀夫 追想の唄』、鼎書房の『三島由紀夫研究』(季刊)など新刊本数種類の頒布がおこなわれ、盛会に終了した。
 散会後、希望者には会場に飾られた生花を分解して配布された。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  ♪
(((((((( 井尻千男先生の講演概略 )))))))

三島死後、江藤淳と司馬遼太郎の対比から思想状況を語る
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

憂国忌、第二部に井尻千男氏が「武士道の悲しみ 最後の特攻隊としての三島由紀夫」という演目でご講演頂いたが、会場も満員で、本年行われた三島由紀夫関連の講演でも最高峰に位置する内容であった。
 井尻氏が掲げた三島由紀夫の言葉は昭和45年の産經新聞に掲載された「果たしえていない約束 私の中の25年」の一節を当時日経新聞の記者であった氏は何度も読み返していたと述べている。

「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである」

 三島の倒壊的心理を描写していたのであるが、将来の日本の状態を見事に的確に言い表した言葉である。三島氏は誰と果たし得ぬ約束をしていたのだろうか?
井尻氏は一つの推測をする。三島自身は明確な答えを出してはいないが、「英霊」との黙約ではないかと考えている。それと三島が少年時代に影響を受けた憂国の士である二・二六事件の特高も含まれているのではないかと考えている。

 井尻氏は三島事件以後1970年代に大勢の知識人が三島的思想からの大逃走劇があったと語る。
そして振り返ると、文壇では江藤淳や司馬遼太郎の存在が大きくなるのだ。江藤は三島が最大の意欲作として臨んだ『鏡子の家』を膨大な枚数の評論でコテンパンに非難する。
三島としては戦後日本が迎えた、空虚、ニヒリズムを的確に描写したのだが、江藤は「リアルティ」がないとして痛烈に書き上げる。しかしそれに対して非難をせず、静観していたのは三島なりの美学と言えるだろう。
 現代日本が、欧米列強に感化され、GHQの教育により、日本の原点回帰は遅れ、多くの知識人は三島事件当時に、その行動に対して距離を置く事で中間の位置を保っていたが、現代になり三島由紀夫の発言や、行動がリアリティを持って人々に理解されようとしているのは紛れのない事実である。
 結局、江藤淳も最終的には「西郷南州」の評伝を書く事で精神的に三島由紀夫と和解する事になる。

 井尻氏の講演は日本人の源泉と言える万世一系の天皇制や、日本文化を堅持する事の大切さと、三島由紀夫の精神は決して色褪せるのではなく、今後も議論され、継承される事の大切さを訴えているのだ。
 江藤や司馬をありがたがるのではなく、改めて三島由紀夫の声に耳を傾け、原点回帰を思考する。
 文学のみならず、沖縄の教科書検定など米軍の支配から逃れる事も出来ず、袋小路に陥っている憲法を打破し、日本民族として原点に立ち返った議論が必要であると私たちに井尻氏は伝えようとしているように感じられた。
                  _(秋山大輔 記)
          ◎   
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
   ♪
憂国忌への感想がたくさん寄せられました。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@

(1)憂国忌は大変感動的で、また、誠に有意義な憂国忌でした。第二部では井尻先生のお言葉全てが私の思いと一致し、思わず、会場で「そのとおり」と叫んでしまいました。
 第一部では森田必勝さんの性格というものが、当時の政治状況とともに如実に炙り出され、今流行の言葉で言えば、その当時にタイムスリップした感を受けました。
 また、第二部では井尻先生のご講演に大変感銘を受け、「近代の超克」ということに改めて思いを深くしました。
 閉会の辞では西尾幹二先生が閉会の辞というよりも補足講演のようになり、最後の最後まで熱気溢れるというよりも正に真剣勝負のご講演でした。
以上のような憂国忌の様子を勉強会で報告したいと考えております。
     (松田生、北九州)


(2)保田與重郎が三島事件の夜に読んだという次の歌に涙が止まりません。
景仰歌三首

 国のため、いのち幸くと願ひたる、畏きひとや 国の為に、死にたまひたり

 わがこころなほもすべなしをさな貌まなかひに顕つをいかにかもせむ

 夜半すぎて雨はひさめにふりしきりみ祖の神のすさび泣くがに
                 (昭和四十五年十一月某日)。

憂国忌における井尻千男先生の講演(37回憂国忌二部)でも、沢山の涙を流してきました。今年の憂国忌は親子ずれが多かったと聞き及んでなんだか嬉しくなりました。井尻先生の講演内容は、いつ拝聴しても心に響きます
まだまだ日本は捨てたものではないとの思いを抱かせてくださる乃木将軍に言及されたことも感銘深く、先生の教えに添った家庭作りをこれからも心がけたいと強く思いました。聴衆の方の心からの拍手が鳴り止まなかったことも感動的でした。
   (FF子、東京都)
 

(3)三島由紀夫氏の生き様そして亡くなり方から松岡洋介氏の生き様亡くなり方を考えました。そこに絶望とその絶望を超えて自ら捨石と成さんとする姿を見ました。
内田康哉氏が外務大臣のころ当時出先のヨーロッパで列強との交渉の矢面にたっていた松岡は、あまりに無体な要求をしてくる本省および外務大臣を現実的な対応をとるように必死に説得しようとしたそうです。しかし内田外相は満州国での虚仮の成功体験と自分は外交をわっかている大物だ、現場はおれのいうとおりにうまくいくという妄想にとらわれ、事実を客観的に観察して論理的、創造的に構想を組み立てることをしませんでした。
 そこでの強い挫折感が後年の松岡氏に大きく影響したことは確かでしょう。そして自らが、外務大臣となって外交における国家意志を策定する地位に就いたとき、あの愚昧な「内田外相」なるものが実は当時の日本の国家中枢の本体であり、たしかに自分の外交手腕を以ってすれば、多少は有利に運べてもその先には列強の当時の日本には打ち破ることのできない国家意志があることを見て取っていたのではないのでしょうか。
そこでの自分の役割は後世のための捨石になるしかないと見切ったと思えてきました。
彼はナチスドイツにだまされるような馬鹿ではなかったのではと信じます。
そのアナロジーで三島氏をみてみると、そこには絶望と輝かしく偉大な伝統とのはざ間で自己を捨石にした姿が見えてきます。
    (ST生、神奈川)


(4)憂国忌における井尻千男先生の講演で、「海行かば水漬く屍、山行かば草生す屍。大君の辺にこそ死なめ。顧みはせじ」という大伴家持の歌の心情と三島の自決を位置づけられたの感も我が意を得たりの感もあったが、それ以上に、「あっ!!!」と思ったことがある。
 花田紀凱『WiLL』編集長が司会の討論会で、三島の遺作である「豊饒の海」四部作の英訳のことが話題に上ったのだが、その英訳について、宮崎正弘さんが、
「1巻2巻は何とか英訳できたが、3巻、4巻はどうにもこうにも難儀で英訳が誰もできない。
 とくに第三巻『曉の寺』は、阿頼耶識など仏教哲学の極致のような思想書となっているから」と語ったのだ。 
 第三巻は、結局ドナルド・キーン氏がチャレンジした。4巻はとうとう、エドワード・サイデンステッカーさんが引き受けて、ようやく英訳された」。
 わたしは、サイデンさんと親交はなかったが、その英語には大変にお世話になった。学生時代からサイデンさんの英訳を「暗記」したりしていた。
 11月4日に開催された、「サイデンステッカーさんを偲ぶ会」では、加瀬先生、ドナルド・キーンさんなどが友人として挨拶されたが、その時、宮崎正弘先生がサイデンさんが事故に会って以来止まっていた時計が「動き出した。動き出した。」と驚かれ、私もその時計を見たが、一同、サイデンさんが会場に霊界より来られているのだと納得したのであった。
    (YF生、神奈川)


(5)37年経った今でも現代に通用しそうで、「何ゆえ日本人なのか」と考えさせられました。
 たしかに現在の日本には、周りを見まわしてみても「男子」たる人物が少なく、「大人」「父親」「母親」が少ないように思います。よく言われるように多くの日本人が、大切な日本の歴史や伝統を、簡単に捨ててしまったことに原因があるはずです。
 そのような昔の日本の良さが、数年前から欧米で注目され始め、現在では日本ブームが巻き起こっているそうです。それは現代日本が注目されているわけではなく、私たち日本人が捨て去った「古き善き日本」が注目されています。 
   (FF子、小平)


(6)憂国忌の翌日、多摩霊園の三島由紀夫先生のお墓に行ってきました。
あふれるばかりのお花に三島さんご夫妻もさぞお喜びになっておられることでしょう。
一輪の真っ白なバラ。昨年は同じく一輪でしたが真っ赤なバラ、どなたでしょう、とても気になります。多磨霊園は、先月訪れた山中湖の錦絵的な紅葉を思い出させてくれるような素晴らしい景色でした。こんな風に四季折々の風を肌に感じて生きていける心の余裕が嬉しいです
     (深井貴子)


(7)憂国忌はたいそう記憶に残る内容でした。私が三島由紀夫をよく理解できない大本に、なぜあのような最期を企画したのかという素朴な疑問がずっとあったのが、森田必勝の主導から逃げることはできなかったのだと仮定すると、疑問の半分ほどは説明できます。
 この仮説に立てば、実にもったいない才能を殺してしまったとまことに残念に思う以外にありませんが、しかし天才三島由紀夫はこの自決そのものが後世に与える影響までも考慮のうちだったはずで、井尻先生の講演を聞いて、三島の描く宇宙観が今あるものと生との矛盾のうちに何かを見ていた、そこに裸の神々の存在と消滅があったように感じました。
半可通ぶったことを書いて恥ずかしい限りですが、当日の体調悪く、せっかくの機会を先生が作ってくださったのに懇親会に出ずに申し訳ございませんでした。
  (鈴木生、愛知県)


(8)井尻先生のご講演は本当に真剣勝負そのもので、このような講演は私の一生で後にも先にもこれが最後ではないかと思わせる程のものでした。北九州市から参加した甲斐がありました。本当に有難う御座いました。
   (天下の無法松]


(9) 憂国忌での井尻千男さんの講演はすばらしい内容でした。するどく要点を指摘し、感動的(普通講演では経験できない、知的感心を超えている)ですらありました。
   (匿名)


(10) 三島氏は剣道を目黒区剣道連盟で稽古されていました。
当時の連盟には皇宮警察主席師範で目黒区剣道連盟第三代会長小梛敏先生や、神道無念流第九代宗家で目黒区剣道連盟代五代会長佐伯肇先生はじめ蒼々たる剣豪が稽古をされていました。
連盟七代会長小梛稔先生(敏先生嫡子)や神道無念流十代宗家平林幹雄先生は、よく稽古をされたそうです。三島氏は弟子をつれて来場され、着替えを手伝わしておられたのを「剣の理法を学ぶ姿勢がなってない」と一喝され、以後は御自分で着替えをされるようになった、と言うエピソードを仄聞しました。
またその剣道はかなり激しく動き回る剣風であったと聞いております。古賀氏は居合のすじがかなり良かったらしいのですがやはり藁とはかなり違う。事件のときは手が震えて刃すじが乱れたのでしょう。
   (至乃輔)
           ◎
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(C)三島由紀夫研究会 2006—2007  ◎転送自由
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

最新の記事

ブックマークに登録する

TwitterでつぶやくLismeトピックスに追加するdel.icio.usに追加Buzzurlにブックマークニフティクリップに追加Yahoo!ブックマークに登録記事をEvernoteへクリップ
My Yahoo!に追加Add to Google

規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

登録した方には、メルマ!からオフィシャルメルマガ(無料)をお届けします。


この記事へのコメント

コメントを書く


上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。
コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  1. 三島由紀夫氏の意思が生きている日本、救われる思いで読ませて頂きました、後世に伝えられる「死」伝える人が居る「日本」有りがたい事です。

     2007/11/29

  2. チヤイナ株の下落は取りあえず12月の第1週までつずく、本格的には20年10月頃
    だと、思います。

    K.S 2007/11/28

このメルマガもおすすめ

  1. Japan on the Globe 国際派日本人養成講座

    最終発行日:
    2017/05/21
    読者数:
    13242人

    日本に元気と良識を。歴史・文化・政治・外交など、多方面の教養を毎週一話完結型でお届けします。3万8千部突破!

  2. JOG Wing 国際派日本人のための情報ファイル

    最終発行日:
    2017/05/22
    読者数:
    3904人

    政治・経済・外交・社会・文化などの分野において「元気な日本」を作るためのオピニオン誌です。

  3. 月刊アカシックレコード

    最終発行日:
    2017/05/07
    読者数:
    17030人

    02年W杯サッカー韓国戦の「誤審」を世界で唯一「前日」に誌上予測し、誤審報道を「常識化」した推理作家が、政官財界の分析にも進出し、宣伝費ゼロで読者19,000人を獲得。2009年9月から月刊化。

  4. 頂門の一針

    最終発行日:
    2017/05/23
    読者数:
    5695人

    急所をおさえながら長閑(のどか)な気分になれる電子雑誌。扱う物は政治、経済、社会、放送、出版、医療それに時々はお叱りを受けること必定のネタも。

  5. 甦れ美しい日本

    最終発行日:
    2017/05/19
    読者数:
    7050人

    日本再生のための政治・経済・文化などの発展・再構築を目的とし、メールマガジンの配信を行う

発行者プロフィール

宮崎 正弘

宮崎 正弘

http://www.nippon-nn.net/miyazaki/

国際情勢の裏情報を豊富なデータと人脈から解析してゆく。独特な方法と辛辣な批判精神によるニュースの裏側で織りなされている人間模様に興味を持つ。筆者の人生観と執筆を継続する動機の基軸は同じ。ホームページは http://miyazaki.xii.jp/

過去の発行記事