国際情勢

宮崎正弘の国際ニュース・早読み

 評論家の宮崎正弘が独自の情報網を駆使して世界のニュースの舞台裏を分析

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宮崎正弘の国際ニュース・早読み

2007/11/26


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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成19年(2007年) 11月26日(月曜日) 
通巻第2010号  増大号
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 一億五千万人の中国人投資家が平均22%の損害をだしていた
  上海株式の狂乱は、明確に終わりを告げたが、大暴落はすこし先だろう
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 過去一年ほど、筆者は「中国株は十月まで」と自信をもって言い続けてきた。
 理由は中国の株式市場では国有企業の株式を売買するのが90%であり、しかもインサイダーによって相場が操作されており、不透明な情報が多すぎるが、第十七回党大会までは、たとえPKO(価格維持作戦)を展開しても、株価暴落はありえまい、と政治的視点から分析したまで。

 党大会がおわり、新執行部が出そろった。直後から劇的な下落が始まった。
 ピークは11月5日である。
ペトロチャイナが上海に新規株式公開をはたし、史上空前の87億ドルをかき集め、翌日にはアリババも公開、これで中国株式は絶頂を売った。
株価は「大調整」なる言葉の下落を始めた。

 ペトロチャイナの株価は上海市場への上場から二週間後に33%下落した。
「多くのディトレーダーという市場新参者を中心に若い世代のあいだには株への失望が拡がった。一億五千万人の中国人投資家が平均22%の損害をだしていた」(TIME、12月3日号)。

 シティ、メリル、バンカメなど錚々たる世界の一流銀行がサブプライムに躓き、米国景気は不況入りするだろう。
 米国が風邪を引けば日本は肺炎になった。いま肺炎の重症に罹る筆頭は中国であろう。

       ○◎み◎や◎ざ◎き◎○ま◎さ○ひ◎ろ○◎
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12月6日は「南京の真実を知る国民のつどい」
午後六時半より九段会館大ホール
南京戦の勇士、生存者が駆けつけパネルとともに登壇して、おそらく最後の証言をします。
歴戦勇士は90歳台後半の方が大半です。
詳しくは下記サイトに ↓
http://www.tsukurukai.com/nanking/tudoi.html
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(関連記事)
   ♪
三島由紀夫氏追悼 没後37周年(第38回追悼会)
  ことしも「憂国忌」に1000名が参加し、三島氏の憂国思想をさぐった
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11月25日、池袋。小春日和に恵まれ、会場には長い列ができた。
開演までに一時間のあいだには音楽、最後の演説などのBGMが流れた。
会は政治学者の藤井厳喜氏が総合司会を担当した。
トップバッターには「開会の辞」として、文藝評論家の富岡幸一郎氏が登壇した。
三島由紀夫、森田必勝両氏の霊に黙祷を捧げた後、第一部のシンポジウム「あれは楯の会事件ではなかったのか」に入った。
パネリストは堤堯氏(元文藝春秋編集長)、中村彰彦氏(直木賞作家)。司会は花田紀凱氏(WILL編集長)が務めた。

途中、司会者の突然の指名で、評論家の宮崎正弘氏も登壇し、年譜を振り返りながら、三島氏が楯の会の構想を抱いて、『論争ジャーナル』を中心に学生の入隊希望者の人選をすすめ、第一回入隊の20人になぜ森田が参加し、その後、森田主導がなされていく経過かを、克明に追求した。
とくに堤氏は文春入社後すぐに三島由紀夫担当となってオリンピックの取材に同行したときから交友がはじまり三島氏から「君も楯の会にはいってくれ」と誘われたり、「俺を殺す一人の男がいる」というので、森田必勝をアルバイト先にまで訪ね、車座になって飲んだはなし。
中村氏は森田の伝記評論『烈士と呼ばれる男』を書いた経緯を、取材者の立場からえぐった。
現場にいた証言として、そのおりおりに遭遇してきた宮崎氏は、その一瞬の印象や雰囲気を、時系列に再現した。

このシンポジウムの記録は近く、小誌にも再録されるほか、来年発行のメルマガ合本にも収録予定。また雑誌『WILL』に紙上再録の計画がある。

ひきつづき第二部は三島氏が市ヶ谷台での最後の演説のなまなましい録音が流されたあと、檄文朗読(日本保守主義研究会)を漆原亮太、渡辺慧裕、福本哲の三人の学生が分担、記念講演に移った。
講演では「武士道の悲しみ  最後の特攻としての三島由紀夫」と題して、井尻千男氏(拓殖大学日本文化研究所所長)が一時間以上の熱弁を振るい、最後に「閉会の辞」を西尾幹二氏(評論家)がつとめた。

井尻千男氏の講演記録は12月22日発売の『月刊日本』で紙上再録される予定。
西尾氏の閉会の辞は「シンポジウムで、これまでまったく知らなかった三島―森田の関係と事件への伏線が時系列に論理的に語られ、こうした視点で考えたことがなかったので、全体の三島像を把握する上で参考になった。また井尻さんの講演は江藤淳、司馬遼太郎というふたつの「戦後」と三島の「伝統」との距離を比較されながらの熱弁で、とても感動的だった」と述べた。

 会場ロビィでは森田必勝遺稿集『わが思想と行動』の稀少本、ワック出版のDVD(映画ミシマ)。村松英子さんの『三島由紀夫 追想の唄』、鼎書房の『三島由紀夫研究』(季刊)など新刊本数種類の頒布がおこなわれ、盛会に終了した。
 散会後、希望者には会場に飾られた生花を分解して配布された。

  ◇
なお最後に司会の政治学者兼詩人である藤井厳喜氏が自作の詩(下段)を読み上げた。

  ♪
『正午だった』
     作 藤井厳喜

 正午だった
 役人たちは書類に埋まり
 財界人たちはカネ勘定に忙しく
 政治家たちは泥沼であがいていた

 正午だった
 真昼の光を浴びた
 一人の男がバルコニーで叫んだ
 誰も耳を貸さなかった
 戦には負けたが、
 サムライの
 誇りは捨てるなと叫んだ
 集まった男たちは彼をあざ笑った

 正午だった
 ひとつの窓は閉じられた

 男は切腹した
 若い男が
 彼の首を刎ね
 自ら切腹した
 
 正午だった
 男の身体から溢れた血は
 世界中の街角へ流れ出した
 鮮血は止まらず
 世界中の薔薇を染めた
 世界中の窓は開かれ
 世界中の鐘が鳴った

 正午だった
 日本刀は血にまみれていた
 腐った魚たちはまだ眠っていた

 正午だった
 世界はミシマの不在によって
 満たされた

 正午だった
 昭和四十五年十一月二十五日の
 正午だった

 その日の
 午後一時は
 永遠に
 来なかった

(憂国忌関係は『三島由紀夫の総合研究』メルマガより転載しました)
            ◇
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『中国から日本企業は撤退せよ!』(阪急コミュニケーションズ刊)
『出身地でわかる中国人』(PHP新書)
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  • 名無しさん2007/11/26

    憂国忌での井尻千男さんの講演はすばらしい内容でした。するどく要点を指摘し、感動的(普通講演では経験できない、知的感心を超えている)ですらありました。

  • 至乃輔2007/11/26

    三島氏は剣道を目黒区剣道連盟で稽古されていました。当時の連盟には皇宮警察主席師範で目黒区剣道連盟第三代会長小梛敏先生や、神道無念流第九代宗家で目黒区剣道連盟代五代会長佐伯肇先生はじめ蒼々たる剣豪が稽古をされていました。連盟七代会長小梛稔先生(敏先生嫡子)や神道無念流十代宗家平林幹雄先生は、よく稽古をされたそうです。三島氏は弟子をつれて来場され、着替えを手伝わしておられたのを「剣の理法を学ぶ姿勢がなってない」と一喝され、以後は御自分で着替えをされるようになった、と言うエピソードを仄聞しました。またその剣道はかなり激しく動き回る剣風であったと聞いております。古賀氏は居合のすじがかなり良かったらしいのですがやはり藁とはかなり違う。事件のときは手が震えて刃すじが乱れたのでしょう。

  • 名無しさん2007/11/26

    支那株の下落はもう始まっていたのですね。

    これだけでもマスゴミが避ける非常に貴重な情報です、ありがとうございます。