国際情勢

宮崎正弘の国際ニュース・早読み

 評論家の宮崎正弘が独自の情報網を駆使して世界のニュースの舞台裏を分析

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宮崎正弘の国際ニュース・早読み

2007/01/05


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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成19年(2007年) 1月6日(土曜日) 
通巻第1661号    (1月5日発行)
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 広州市が一万ドル倶楽部へ。「革命」は広東からまた起こる
  貧富の格差が中国の経済コミュニティの分裂状態を産むだろう
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 中国広東省広州と言えば、鎖国時代に唯一開かれていた貿易港である。
 広州交易会が一年に一度開かれ、日本の商社も渋々として買い付けやら商談に赴いた。LT貿易の拠点も広州だった(LTとは、国交回復以前、高崎達之助と寥承志との間でかわされた貿易協定。ふたりの頭文字をとった)。

 当時の広州は薄暗い町だった。
 香港からの入り口にひらける深センは貧しい漁村だった。
 中国から買う物は殆ど無かった。

 広州はいうまでもなく広東省の省都である。
古くから貿易港として栄え、アヘン戦争の舞台になり、周辺は砲台が築かれ、林則徐は押収した阿片を高く積み上げて虎門砲台のあたりで燃やした。

1898年、香港はイギリスの植民地となり、ニュー・テリトリィ(新世界)といわれた九龍半島の付け根部分は99年間の租借地となった。
九龍半島突端と香港島はイギリスの領土だった。
清朝の衰退に乗じて孫文が義挙に立ち、日本の志士も参加した恵州暴動を切っ掛けに、革命の炎は全土に拡大した。
 孫文を利用して政権を握った袁世凱の独裁はやがて崩壊した。

 北伐のための第一次国共合作は、この広州の郊外、黄甫に軍学校がつくられ、校長が蒋介石、政治部長が周恩来。大元帥閣下が孫中山こと孫文だった。
 だが三民主義革命も崩壊した。

 革命烈士の多くは広東人だった。
 途中から革命の成果をかっさらった毛沢東は、当初はソ連の傀儡であり、進取の精神に富む広東人士を革命政権から遠ざけた。
 葉剣英将軍は広東に蟠踞し、その子、葉選平は「広東覇王」と言われ、中央政府に逆らった。
 
トウ小平の時代にようやく広東人脈との表面的和解がなり、江沢民時代にはとうとう葉選平を中央政府に招いて北京に呼び寄せて政商協主席に祭り上げた。
かわりに子飼いの李長春を省長として送りこんだ。広東の富を吸い上げる企みも含まれていた。

 この間、改革開放が急速に進んだ。
 最初に広東へ投資を敢行したのは香港の財閥と企業だった。ミシン工場や玩具、軽工業を持ち込んだ。
 ついで海外華僑、タイ、マレーシア、やがて台湾とインドネシア華僑の列がつづき、日本企業も本格進出を決める。家内制手工業に毛の生えた程度のレベルから、製造設備をもちこむ大規模な形態への変化には二十年の歳月もかからなかった。

 途中経過を省くが、いまやホンダに象徴される外国企業が広東全域を覆いつくし、ついにはトヨタが進出を決めたことでエンジニアのスカウト合戦がおこり、賃金は二倍になる。
 広東は製造業が中心で、上海のようなIT、金融、サービス産業とは産業構造が異なる。
 広東の最低賃金は中国一となって、とくに深センでは労働者が毎月800元。これでは繊維、雑貨産業はなりたたない。

 広東の南端からはじまった富の形成は、新しい人工都市、深センが三万人の漁村から人口1000万人を突破する大都会に変貌し、摩天楼が乱立し、ついで不動産投資が投機とかわり、バブル経済の象徴とも言われた。

 或る報道によれば、いまでは深センにおける通貨交換率は、香港ドル1=人民元1・1だったものが逆転。香港ドル0・95=人民元1という驚くべき状況となり、しかも深センのショッピング街では、香港ドルを受け取るのを嫌がるそうな。

 乱気流は広東省という巨大な胃袋、労働力、その旺盛な経済活動がもたらした。

 深センから広州へ至る東莞、順徳、番兎ばかりか西の肇慶、東の恵州。さらには対岸の珠海、中山へと発展が爆発的に続いた。
この地域は真珠のように輝きをみせた。
「珠海デルタ経済圏」の肉付けがなされた。
 2005年の旧正月には労働者不足が鮮明化し、付近の広西チワン自治区、貴州省、安徽省へと人材募集係がおもむいても労働者は確保できず、一方でよりより条件をもとめて広州から、深センへとながれこむ流民の群れは止まず、同地域の治安は極度に悪化した。

 全域のヤクザも深センにダーティなビジネスをもとめ、また博打と売春が公認あるいは黙認されているマカオにも夥しき人が流れ込む。

 1月4日、広東省広州市統計局は、06年度のGDPが推計速報で768億ドルと発表。同市の人口はおよそ700万人だから、ひとりあたりのGDPは一万ドルを突破したことになるとした。

 台湾も韓国も一万ドル倶楽部入りしてから民主化路線が本格化した。

 広東の市民意識、民主化への希求意識は上海人にまさるとも劣らず、先進地域特有のメンタリティは、つぎの意識革命に繋がるだろう。
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<< 資料 >>

「歴史の改竄を許してはならない」
                     迫田勝敏
 
 台湾の歴史が曲げられようとしている!
2・28事件から60周年になる今年、事件を改竄(かいざん)する問題映画が完成した。
映画は、事件の発端をつくったタバコ売りの女性、故林江邁さんを描き、フィクションでなく、「記録映画」と銘打っている。
 問題は事件の発端だ。台湾の公式記録では、1947年2月27日の夕刻、林さんが台北市内の天馬茶房前の路上で闇タバコの取り締まりに遭い、タバコを没収され、殴打されたことが発端だが、「記録映画」では蒋介石軍の兵隊が林さんの娘、林明珠さんからタバコを買おうとし、中国語が分からない娘さんが、略奪と誤解したことが発端としている。

公式記録は事件の当事者は林江邁さんと専売局の取締係員としているのが、映画では娘さんと兵隊になり、衝突の原因も取締りの係員の殴打だったのが、映画は言葉が通じなかったための誤解とする。つまり、暴動の原因は暴力でなく、誤解だったというのだ。
誤解で暴動になったとしても、その後の2万人とも3万人ともいわれる大量虐殺は正当化できるものではないが、善意の兵隊と被害者意識の強い台湾人という構図となると、事件の悪辣さが減殺される。これは明らかに蒋介石側の罪を軽くする歴史の改竄だ。

しかも問題は、この改竄が、事件の現場にいたと称する娘の林明珠さんの「証言」で行われていることだ。事実なら歴史的証言だが、林明珠さんはいままでなんども事件について語ってきたが、現場にいたことも、兵隊のことも一言も話していない。なぜ、今になってこれまでの証言を覆し、そんなことを言い出したのか。

新年早々(1月2日)に阮美[女朱](げんみす)さんが、民進党の田秋菫立法委員たちの支援で反論の記者会見をした。
阮さんは父親が2・28事件で拉致され、殺された。
ご夫君の強力で私財を投じて、父親の行方を探し、80歳になる昨年まで事件の全貌解明を続けてきた人だ。その詳細は「台湾、二二八の真実、消えた父を探して」などの著書に詳しいが、凄まじい執念には敬服するばかりだ。
その阮さんによると、林明珠さんの「証言」はすべて嘘。現場に兵隊はいなかったし、林明珠さん自身、2001年に阮さんが取材した時に、自分はその場にいなかったと話しており、その証言テープは記者会見でも披露された。娘さんの兄もその証言に立ち会っており、ビデオも会見で放映された。

実際、現場証人はまだ何人も健在だ。筆者自身もその一人の話を聞いたことがあるが、専売局の係員がタバコを没収し、それを取り戻そうと係員の足に抱きついた林さんを銃床で叩いて怪我をさせたと聞いている。現場証人の話は当然ながら似たような話になっている。それがまぎれもない史実なのだ。

では、なぜ歴史改竄の映画を作ったのか?
実は「記録映画」を作ったのは台北市だ。つまり製作を命じた最高責任者は馬英九市長ということになる。文化局は昨春、製作を民間(製作者・楊渡)に委託し、製作の過程で文化局も楊渡氏も阮さんに話を聞きに来ることはなかったという。
林明珠さんの「証言」、いや「虚言」だけで製作した。というより最初にストーリーがあってそれに合った「証言」を林明珠さんがしたということも考えられる。

しかもこの記録映画をVCDにして発売する予定で、市内の小中学校には貸し出しもするという。つまり、台北の小中学生の歴史教育の教材である。しかも虚言で改竄し、2・28事件は悲惨な事件だが、蒋介石軍は悪くはなかった、台湾人の誤解が原因だったと教え込もうというだ。これでは蒋介石時代の反日歴史教育、中国の江沢民時代の反日歴史教育と同じ手法ではないか。

もし、そんな2・28事件像が出来上がるとどんなことが起きるのだろうか。
少なくとも事件を一つの史実として蒋介石政権、国民党・外省人批判をし、独立志向を強めてきたグリーン陣営の主張が弱められることになろう。
相対的にブルー陣営の意気が上がる。
 田立法委員は「馬英九の『企図脱罪』(罪を逃れる企み)だ」とし、「馬英九は事件の遺族に対して謝罪せよ」と求めている。昨年、私設記念館を閉じ、事件調査はもう止めると一時は宣言した阮さんも嘘は許せないとさらに追及していく構えだ。3日の自由時報は会見の模様を半ページ使って報道し、一部テレビも阮さんのインタビューを放映するなどようやく動きが出てきた。

しかし聨合報、中国時報などは一言も報道しないし、報道しても「記録映画」を否定し、放映禁止にし、回収しなければ何の意味もない。台北市文化局の仕事だから市議会で責任追及し、当時の最高責任者であった馬英九の責任追及もできるはずだ。そこまでやれるかどうかは世論の支持があるかどうかにかかっている。

馬英九市長は昨年末、任期満了で国民党主席に専念し、来年の総統選に向け動き出した。馬英九の置き土産、「記録映画」は小中学校での放映が始まれば、来年の総統選だけでなく、将来の台湾の行方にも影響するのである。
(2007・1・3)

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(この文章は重要な指摘を含むため、「台湾の声」より転載しました。著者の「さこた・かつとし」氏は台湾在住、前中日新聞台北支局長。宮崎の知己でもあります)。
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<宮崎正弘の中国・台湾、北朝鮮関係著作>
 『中国から日本企業は撤退せよ!』(阪急コミュニケーションズ刊)
 『中国人を黙らせる50の方法』(徳間書店刊)
 『出身地でわかる中国人』(PHP新書、1月中旬増刷出来)
 『中国のいま、三年後、五年後、十年後』(並木書房)
 『朝鮮半島、台湾海峡のいま、三年後、五年後、十年後』(並木書房)
 『拉致』(徳間文庫)。

(宮崎正弘の三島由紀夫関連三部作)
 『三島由紀夫の現場』(並木書房)
 『三島由紀夫“以後”』(並木書房)
 『三島由紀夫はいかにして日本回帰したのか』(清流出版、絶版)。
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