国際情勢

宮崎正弘の国際ニュース・早読み

 評論家の宮崎正弘が独自の情報網を駆使して世界のニュースの舞台裏を分析

全て表示する >

宮崎正弘の国際ニュース・早読み

2007/01/04


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◆◇◆◇◆

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成19年(2007年) 1月5日(金曜日) 
通巻第1660号   (新春特大号)
△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△

<< 今週の書棚 >>

 ♪
中村彰彦『会津武士道』(PHP研究所)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 会津武士道と葉隠れ(鍋島武士道)とは天地の距離とは言わぬまでも相当の開きがある。
 そもそも源平、織豊、徳川と、その時代それぞれの武士道があり、さらに徳川三百年のあいだに各藩に育まれた武士道は千差万別、それぞれが独立的な解釈があった。
前田家、酒井家、伊井家、尾張名古屋、水戸学とそれぞれが独特の美学を育んで、藩校でもユニークな教育を施した。
 ならば、なぜ最後の最後まで徳川に忠誠を誓い、土壇場にきて徳川御三家の裏切りをものともせずに戊辰戦争の最後まで、一族郎党すべてが鶴賀城に籠城して闘った会津は愚鈍なのか、忠誠一途なのか、それとも、それこそが会津武士道の美学か。
 俳優の菅原文太は仙台出身だが、筆者中村彰彦との対談で「仙台から見ても、会津だけは、東北人ではない」と言い放ったのをうけて、
「そうでしょうとも、もともとは高遠。出自を辿れば信州ですから」と中村彰彦は断言的だ。
 本書の語り口はやさしい。
なぜなら語り下ろしであり、しかも従前までの中村作品の集大成ダイジェスト版とも言えるのからだが、速記をまとめた河崎貴一氏が、東奔西走して、撮影し集めてきた珍しい写真を眺めるだけでも本書を読む価値がある。
 その一端を一覧すると、
 容保が書いた会津藩家訓
 家老田中玄之墓
 日新館(会津藩藩校)童子訓、およびプール、天文台跡
 会津が江戸防衛のために千葉に築いた竹岡御台場の図
 ペリー艦隊を警戒する会津藩船の図
 孝明天皇の御しんかん
 斗南藩上陸地の石碑
 佐川官兵衛の写真
 など、半分近くは評者(宮崎)も初めてみた。
 またテレビ番組で、この会津武士道を中軸としたドラマが作製された由である。


  ♪
加藤聖文『満鉄全史』(講談社メチェ)
@@@@@@@@@@@@@@@@@

 国策と言う名の「無策」によって、日本の対満州鉄道政策は場当たり的に変更され、翻弄された。
或る年には日本のGDPの43%もの巨費を注ぎ込んだ。かの西原借款は返金されなかった。その挙げ句、満鉄も満州の諸設備、インフラ、建物、工場のすべてがソ連と中国に只で召し上げられた。
いったい、あの満州鉄道の四十年とは何であったか。
 同様なことが戦後日本の政治、官僚機構、利権団体にも言えるのではないのか。
国鉄民営化、道路公団民営化とは何であったか? 結論は見えている。郵政民営化も大失敗の幕切れだろう。
 満鉄無策の教訓は生かされない。
 そもそも松岡洋右は「満州は日本の生命線」と言った。石原完爾は「世界最終戦」と定義した。多くの若者が満蒙開拓団に応募し、荒野の果てに散った。応召されて闘って、そしてシベリアに抑留され、凍土の地で犠牲になった旧軍人の魂は泣いている。
 その過程を淡々と若き学究は記して、今日的意義を問う。


   ♪
畠奈津子『拉致の悲劇 日朝交渉への気概を問う』(高木書房)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 気鋭の漫画家、畠奈津子さんは『チベットの悲劇』でデビューしたが、じつは四年前にも「拉致」の悲劇に果敢に挑んでいた。
橋本左内に憧れというのも畠さんの故郷・福井県の英傑であるばかりか、憂国の志士を目指す若い思い入れが随所に顕現されている。
活字のおおい総合雑誌どころか、活字が多いとビラも読まない若い世代。漫画でしか啓蒙できない一群の若い世代がいる。
しかし、かれらも真実を知れば立ち上がるのだ。
近作『百人斬り』(日新報道)も評判をとったが、この作品は画風のみずみずしさといい、切り口の鋭さと言い、次々と腕も上げてストーリィ展開の技量も上がっている。国民運動各団体が支援するばかりではなく、個人個人がこの本を大量に買って片っ端から友人に配ろう。
         ◎  ◎
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  ♪
(読者の声)貴誌1月4日(水曜日)通巻第1658号< 新春特大号 >(読者の声4)に「倭寇は本来、商人ですが、支那沿岸で商売して代金を受け取る段になると、相手の支那人がもう支払ったと嘘をついたり、その他様々の不正を官民上げて仕掛けてくる。
それを怒って、日本刀を振り回したのが実相だった」というのは、事実でしょう。それに加え以下の2点も銘記することが肝要と考えます。
 1.倭寇は、元寇(蒙古襲来)から数十年経ってから始まりました。
初期の倭寇は主に対馬等元寇で被害を受けた地域住民の生き残りおよびその子孫が報復として行ったものです。約2万人が虐殺され、多くの婦女子が掌に孔を空けられその中を鎖を通して連れ去られました。
それは、慰安婦の強制連行などという事実に反するものではなく、本当にあった強制連行、拉致でした。報復を行った彼らの心情はいかがでしたでしょうか。
2.当時日本から明に輸出された主要物資は日本刀でした。
当時日本の武器製造技術は優秀でした。そして主要なお客様は、明の王朝から見ればいつ匪賊となるか分からない地方の住民たちでした。
かれらが強力な武器を持てば、王朝転覆、そこまで行かなくとも王城から遠い地方での統治権を失うことにつながります。
明王朝が倭寇取締りを室町幕府に求めた背景もここにあります。
 室町時代以降も日本の武器製造技術は高度でありました。16世紀後半には鉄鋼生産量でも鉄砲生産量でも鉄砲の性能でも世界一でした。そして、その鉄砲の主要輸出先はオスマントルコでした。
オスマントルコがヨーロッパ諸国を破竹の勢いで打倒した要因のひとつは、日本から輸入した高性能な鉄砲の威力でした。
ところが、徳川家康による覇権の成立後、日本は武器輸出を禁止しました。
もし日本が武器を輸出し続けていたら、17世紀にヨーロッパはオスマントルコによって統一されていたことでしょう。
つまり、EU(ヨーロッパ共同体)が300年早く誕生していたのです。
ヨーロッパ統一を遅らせた犯人は徳川家康だったのです。
また、日本は市場競争力がありながら、武器輸出を自主的に取りやめた歴史上稀有の国です。三木内閣のときにも武器禁輸三原則を打ち出しいまだに守り続けています。
まさにこれこそ皇国の国柄といえます。
 ところで、実はある観点からみて日本は現在世界第三位の武器輸出国であることはあまり知られていません。
日本製の猟銃は非常に性能がよく信頼性が高いので海外に多く輸出されています。年間7〜8千億円くらいでしょう。
それらの多くが武器に改造され高級小火器として世界中で垂涎の的となっているようです。
改造するのは買ったものの勝手、売る方がコントロールできるものではありません。
そして、製造業者のおおくは中小企業です。禁輸すれば、それらは倒産し従業員は失業します。
共産党と朝日新聞にどうすべきか考えてもらいましょうか。
難しい問題は取り上げないかレアですから、よい頭の訓練になることでしょう。
 新年から皮肉が過ぎましたら、ご寛恕のほどを。
    (ST生、神奈川)


(宮崎正弘のコメント)なるほど一理ありますね。トルコがEUの主導権?
          ◇
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  ♪  1月5日(金曜日)午後一時から三時まで(関西方面のリスナーは午後二時まで)。
ラジオ日本「ミッキー安川のずばり勝負」に宮崎正弘が生出演します!
              △
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
   ♪ 
<宮崎正弘の中国・台湾、北朝鮮関係著作>
 『中国から日本企業は撤退せよ!』(阪急コミュニケーションズ刊)
 『中国人を黙らせる50の方法』(徳間書店刊)
 『出身地でわかる中国人』(PHP新書、1月中旬増刷出来)
 『中国のいま、三年後、五年後、十年後』(並木書房)
 『朝鮮半島、台湾海峡のいま、三年後、五年後、十年後』(並木書房)
 『拉致』(徳間文庫)。

(宮崎正弘の三島由紀夫関連三部作)
 『三島由紀夫の現場』(並木書房)
 『三島由紀夫“以後”』(並木書房)
 『三島由紀夫はいかにして日本回帰したのか』(清流出版、絶版)。
    ▼
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
◎宮崎正弘のホームページ http://www.nippon-nn.net/miyazaki/
◎小誌の購読は下記サイトから。(過去4年分のバックナンバー閲覧も可能)。
http://www.melma.com/backnumber_45206/
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(C)有限会社・宮崎正弘事務所 2007 ◎転送自由。ただし転載は出典明示のこと。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


下記は附録です
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
『三島由紀夫の総合研究』 
   三島由紀夫研究会 メルマガ会報
      平成19(2007)年 1月5日(金曜日) 貳
            通巻 第110号   
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

(読者より その1)
 昨年12月4日に収録された桜チャンネルの三島論特番について。(出席は司会=水島総、西尾幹二、松本徹、山崎行太郎、宮崎正弘、遠藤浩一、富岡幸一郎の各氏)。
三島に興味を持っている向きには、研究のヒントや導入に繋がるおおくの事柄が鏤めれれた討論会でした。
続きを熱海の旅館あたりで泊り込み、徹夜で語られれば、ベストセラーになると存じます。
印象に残った箇所を羅列します。

・黛敏郎は、三島の自決を精神的クゥ・デタと呼んだ。
・三島の評伝『高貴なる敗北』を書いたアイヴァン・モリスの云う通り、有効性を求めず死を選んだ歴史上の人物の列に三島も加わった。
・三島は『憂国』を、深澤七郎の「風流夢譚」事件で右翼から命を狙われ、左翼でないアリバイとして書いたが、これを書いて日本回帰に突き進んだ。
・フランス人のユルスナールの三島論はアモーレとパッションのみだが、 イタリアでの三島の捉え方は深く、「複雑な彼」のようなアルバイト的小説ではなく、重要な三島の作品はすべて真っ先に翻訳されてきた。 三島をムッソリーニと比較して、伝統回帰主義者として見ている。
・ドイツでは「金閣寺」がドイツ語のオペラとして上演された。
十代書簡集でムッソリーに共感したと東文彦宛に書いている。 ヒトラーは親父が愛好していたせいか嫌いだったようだ。
以上が宮崎正弘氏の発言です。

他の方々のご発言を以下、(我流に解釈して)。

・「新潮」の昭和45年2月号で ”文学の宿命” と題して三島について述べが、「国文学」の同年5月号の三好行雄との対談で三島がこの拙論を肯定的に取り上げてくれた。 当時若い評論家は、三島を褒めないことが処世術であった(西尾)。

・三島は『憂国』について喜劇でも悲劇でもなく、至福の物語と語っている。
愛とエロスを描いた作品である。存在しない不条理を描き、運命を引き寄せた(松本)。
・三島はこれで鉱脈をあてた(富岡)。

・三島事件は、ノーベル賞を取ろうという超一流文学者の死として捉えるべきである(山崎)。

・「斬」で”首斬り浅”を書いた綱淵謙錠は、 三島の自決の仕方は、偉大な精神力がないと出来ない作法だと云っている。
・昭和41年に発表された『英霊の声』は、戦中派としての三島が、戦争で散華した同世代の”声”を綴ったものだ。

・死の数ヶ月前に、「諸君!」に掲載された、大塩平八郎を礼賛した、語りおろしの『革命哲学としての陽明学』は重要である(宮崎)。
・その直前『自由』にかいた論文も原稿40枚分と云って語ってもらい、原稿に起こしたら、一切訂正の必要なく、最後の句点でちょうど40枚となったとは驚くべき才である(西尾)。

・ゲーテは、小説のなかでウエルテルを殺したが、自分は生き長らえた。
・三島はザイン(存在)を超越してゾルレン(当為、あるべきもの)に至る努力をした。

・三島は、芸術は”月”のような仲介者で、 地上を照らしても、太陽のように暖めることはできないと語った。

・小説なら一晩七枚と決め、戯曲は興が乗ると30枚は書いたそうだ。 昼間は、ボディ・ビルをしたり、映画に出たり、そういうことの出来る人だった。 そうやってバランスをとっていた(西尾)。

・三島はルソーでもボルテールでもないサドを取り上げて『サド侯爵夫人』で描いた。
 フランスでこれは上演されているが、ドイツで『わが友ヒトラー』は上演できないのか。

・三島は心の中の狂気を捨てないで、それにとりつかれ、客体としてではなく密閉した意識をつくって、最晩年爆発的にたくさんの作品を書いた。

・三島の作品を読んで面白いと思うようになったのは、三十才半ば以降である(遠藤)。

・’60年代の社会・政治状況の流れを無視して三島を語れない。
・ベルリンの壁ができたのは、’61年だ(西尾)。

・20世紀は自由主義対スターリズム、ファシズムの戦いだったが、自由主義がファシズムの打倒にスターリズムを利用し、これを生き長らえさせてしまった。

・三島は”反近代”を掲げても、近代のなかでしか育たない作家だった。

・三島は時代を取り込んだいい作品を書いている。
『大臣』という短編作品は、戦後、女性代議士に抱きついて辞職した吉田内閣の泉山という大蔵大臣をモデルにしている。

・カルト集団、 ソ連の崩壊、少年犯罪、子供の大人化、とっちゃん坊や、それらを見ずして三島は逝ったが、これらを知ったらどう思うだろう。

・三島は、トーマス・マンを見倣って実生活と小説の世界を分けることに努力したが、”行動と責務”と言い出したあたりで、分別が成り立たなくなった。
・晩年の三島の中で二元論が成り立たなくなりそれに我慢ができなくなった。

・『英霊の声』は自らを没入させて書いている。二分していた芸術的様式美と実生活が混こうしている。
・自由と不自由、 禁忌のなかでこそ、タブーがあってこそ燃え上がるものがある。

・三島は秩序を持った文化、 古典主義のレジスタンスとしての歌舞伎を称揚し、制約のある戯曲の世界で自由に羽ばたいた(遠藤)。

・昭和30年頃の「小説家の休暇」で、三島は、「相対主義にとどまるべきで、唯一の絶対主義こそ警戒すべき」と述べている。

・林房雄は、三島について、本居宣長から平田篤胤に向かったと興味深い指摘をしている。また菊(天皇)と刀(軍隊)の連繋が絶たれた、”芭蕉も西鶴もいない昭和元禄”を嘆き、批判した『文化防衛論』は注目に値する(宮崎)。

・『仮面の告白』の冒頭で、「カラマーゾフの兄弟」を引用していて、注目される。

・村上春樹に注意を払ってきたが、「アフターダーク」を読むと、彼が行き詰っているのを感じる。国のない文学は成立するのか?  刀のない処で生きられるのか?
村上は歴史や伝統のない世界を描いていて、日本文学というだけで忌避される韓国・中国含めて、世界で広く受容されているが、”無国籍”に行き詰まりを感じ、辛くなっているように思う(水島)。

・三島は、永井荷風のような小さな秩序の中に矮小化されたくないと云っていた。
・小林秀雄は、三島との対談で 「君の魅力は、才能だけ」と云っていた。
・『鹿鳴館』で影山伯爵に、「世界をたぶらかすのだ」と語らせている。

・江藤淳は、「諸君!」の昭和45年1月号の、”ごっこの時代の終わり”と題した論文で三島を揶揄した。
・芸術家としての様式美と実生活を一致させるのが左翼作家である。 大江健三郎もそうした私小説作家である。三島は逆私小説を書いた。

・夢が深いほど現実がみえる。「マクベス」のなかの落ちていく人間然り、投身者も、その死の瞬間にすべてが見えるものだ。

・「荒野より」という三島邸に忍び込んだ精神異常の若者を描いた作品がある。

・三島は”豊かさこそ至高”とする官僚の啓蒙主義の左傾化を指摘し、警告していた。

・「雨のなかの噴水」という短編で、噴水に喩えて、絶えざる挫折を描いている。これは三島の重要なモチーフだ(松本)。

・『豊饒の海』の中の重要なモチーフは、常に流れ落ちる滝だ(宮崎)。

・明日のない世界を書くことが、三島文学の原質・根本原理だ。
・三島は戦後の矛盾をすべて引き受けて逝った。 (以上)
    (西法太郎)

    ▼
(編集部より) 現在、某出版社で、この対論の活字化(単行本化)を検討中とのことです。


   ♪
(読者より その2)劇団四季の「自由劇場」でロングラン上演されている話題の『鹿鳴館』を観てきました。
年末のマチネでしたが、ほぼ満席で、二十歳代の若い観客を多く見かけました。
その中に、評論家の金美齢さんが観に来ておられ、感想を伺いました。
昭和33年に学生として来日した金さんは大の演劇ファンで、「四季」の上演には学生演劇の時代から通っていたとのことでした。
「四季」のミュージカルは熱心に観ていて、海外に打って出るだけの素晴らしい舞台と賞賛していました。演劇では男優の養成術に長けていると感心していました。
『鹿鳴館』は大学院生の時に、ご主人の周英明氏と一緒に観た懐かしい作品で、今度が二度目。その時の主役、影山伯爵夫人の朝子役は丹阿弥谷津子だったそうです。
その時も堪能したそうですが、三島の自決前で、今観るといろいろと感じさせられるわねと語っていました。
月刊誌『FACTA』の上演記事を読まれていて、その中に触れられている『幻景の明治』を書いた前田愛(よしみ)氏は金さんの学生時代の親友のお兄さんの由で、前田氏を思いながら観られたようです。
人それぞれ、いろいろなことを想いながら観ているのですね。
      (HN生、品川)
        ◎ ◎ ◎
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(お知らせ1)

鼎書房から『三島由紀夫研究』第三号が発売されました!
 松本徹、佐藤秀明、井上隆史(ミシマ研究の御三家)が責任編集

 三号は『仮面の告白』を特集

 主な内容 「バンコクから市ヶ谷まで」 徳岡孝夫を囲んで
      「『岬にての物語』以来25年」 川島勝氏を囲んで
 仮面の告白各論 細谷博、井上隆史、久保田裕子、池野美穂、松本徹ほか。
 
 全174ページ、2500円。三島研究には必携
 ◎おもな書店にご注文いただくか、或いは下記へ
 鼎書房 132−0031 東京都江戸川区松島2−17−2
     電話FAX兼用(03)3654−1064
     http://www.kanae-shobo.com
♪  ♪
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(お知らせ2)

「憂国忌」ビデオ 180分
 実費にて頒布開始(申込は1月9日まで)

 第三十六回三島由紀夫追悼会「憂国忌」の完全収録版です
 @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 「薔薇と海賊をめぐって」女優 村松英子 
「薔薇と海賊」のさわりを熱演 大出俊、伊藤高夫、若柳汎之丞、村松えり
 三島由紀夫は自決直前に「海と海賊」を観劇、号泣した逸話があり、この「薔薇と海賊」を自決前に、そして自決以後、オスカーワイルドの「サロメ」の上演を指示していた。

  憂国忌特別シンポジウム
 司会=水島総 田中英道、井尻千男、井川一夫、富岡幸一郎、萩野貞樹、藤井厳喜、山崎行太郎(順不同、敬称略)
 ほかに篠沢秀夫、松本徹の追悼挨拶。総合司会=菅谷誠一郎
 檄文朗読 日本保守主義研究会の諸兄

 価格は実費2980円
(ほかに送料別途390円 合計3370円、振込代金無料)
 申込は(1)お名前(2)住所(3)〒番号(4)御電話番号(5)「憂国忌ビデオ」と但し書き、
 の五点だけを書かれて下記へ
 yukokuki@hotmail.com
 代金はビデオ到着後、同封される振込用紙でお支払い下さい。

 なお、このヴィデオは桜チャンネルの御好意による実費限定品です。
注文部数だけ限定作製します。発送は一月末。「三島研究会」の名前での郵送になります。
(協賛 憂国忌実行委員会)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  ♪
(お知らせ3)
    ▼
 “現代の北一輝”はかく考え、かく行動し、かくして憤死した!
  三浦重周(前三島由紀夫研究会事務局長)の遺稿集第二弾
  『国家の干城、民族の堡塁』(K&Kプレス)。
     定価税込み2310円。
 日本の核武装を予見する政治論文に加えて、前作『白骨を秋霜に曝すを恐れず』でも好評だった随筆のエッセンスが選別され、巻末には資料として三浦が「早稲田大学国防部」時代の共同論文「満州国の理想」を再録、さらに多くの関係者の追悼文を附録に掲載。
   ◎
なお郵送希望読者は、下記へ
yukokuki@hotmail.com
 お名前、ご住所、〒番号をお書きになり、「遺稿集第二弾」と明示してください。
書籍到着後、同封されている振込用紙を使用して書籍、郵送代金ともに2600円をお振り込み下さい。
       □□□
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
三島由紀夫研究会 HP http://www.nippon-nn.net/mishima/contents/
        メール  yukokuki@hotmail.com
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(C)三島由紀夫研究会 2006 ◎転送自由
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2001-08-18  
最終発行日:  
発行周期:ほぼ日刊  
Score!: 99 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  • コメントはありません。