国際情勢

宮崎正弘の国際ニュース・早読み

 評論家の宮崎正弘が独自の情報網を駆使して世界のニュースの舞台裏を分析

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宮崎正弘の国際ニュース・早読み

2006/01/14

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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成18年(2006年)1月14日(土曜日)
         通巻第1353号 臨時増刊
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◎本日です !
1月14日(土)午後一時より
 << 皇室典範改悪阻止 国民総決起集会 >>
  「皇室典範」という日本の歴史と伝統の中枢にある聖域が冒されようとしています。
  多くの国民の良識を伝えましょう!

【弁士】井尻千男、伊藤哲夫、伊藤玲子、遠藤浩一、大高未貴、小田村四郎、加瀬英明、河内屋蒼湖堂、小堀桂一郎、田久保忠衛、中西輝政、名越二荒之助、西尾幹ニ、西村幸祐、荻野貞樹、平田文昭、宮崎正弘、三輪和雄、百地章、八木秀次、渡部昇一ほか。
【とき】14日(土曜日)午後一時から二時半まで(予定)
【場所】日比谷野外音楽堂
    http://www.tokyo-park.or.jp/hibiya/ongakudo.cgi
【連絡】皇室典範の慎重審議を求める全国地方議員の会 (03)3311―7810
【備考】入場無料 集会終了後、デモ行進があります!
         ◎
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(読者の声1)貴誌1352号。森ビルの六本木ヒルズは「カネがすべて」というホリエモン型新人類を大量に生み出しました。
 タワー51階の「六本木ヒルズクラブ」は入会時に150万ぐらい必要ですが、メシはうまいものの、若者が下卑た大声で笑いあっていたり、ガキ連れた家族がいたりします。
 そのガキがはしゃぎながら走り回っている。
 よほど「ファミレスへ行け」と怒鳴りつけようかと思いましたが、会員の人に連れてってもらった立場なので、がまんしました。これが最高級会員制クラブの実態です。
 昔は品格のある金持ちがいたのですが、いまの金持ちは下品がついてまわりますね。そういう世界をつくった張本人が森ビルなのですから、少し痛い目にあったほうがいいと思います。
 回転ドアで子供が死んだときの対応にしても、補償すればいいとハナから「悪うございました」とやりました。あれははしゃぎまわらせた親の責任でしょう。当たり前に通ればなんということはないドアなのですから。
 ともかく森ビルが日本人を変えつつあるようで、中国での失敗は歓迎したいところです。
     (新宿区 hanasan)


   ♪
(読者の声2)現在台湾に居住しています一介の若者です。こちらの「夕刊フジ」の記事をご覧下さい。
 http://www.zakzak.co.jp/top/2006_01/t2006011044.html
 いかがです? この柳井某の発言。
 中国共産党の実態やその正体をろくすっぽ知らないのに、この偉そうな発言。台湾には(幸運な事に)まだ同社の店舗は出店していませんが、良識ある日本の皆さん、ぜひとも抗議および不買運動をお願いいたします。
抗議先・お客様相談室 http://www.uniqlo.co.jp/customer/index.html
   (YK生、台湾)


(宮崎正弘のコメント)いつの間にか、相手の心理に嵌ってしまう。ストックホルム症候群でしょうか。ユニクロは中国で大工場を稼働させ、中国国内にもチェーン展開。つまり、この会社は中国を抜いては存立が考えられない。
現地ではユニクロより人気が高くて品揃えが豊富なのはジョルダーノです。
 ところが「李鵬の頭は亀の卵」とジョルダーノを経営していた黎智英が発言した途端、二つほどのジョルダーノが焼き討ちされ、とうとう彼はジョルダーノ経営から手を引きました。
台湾の許文龍さんは、脅かされて台湾独立に反対の意見広告を新聞に打たざるを得ないところまで追い込まれた。
 商人は脅かしに弱いのです。何千、何万もの従業員を抱えていたら他に選択の余地もないでしょう。だから逆に、この柳井某なる媚中発言をくりかえす輩も出てくる。
 それにしても政治が経済を云々というのは本末転倒の議論ですね。かれの頭の中も亀の卵かも。
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(休刊のお知らせ)小誌は15日付けが休刊になります。
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間もなく発売!
宮崎正弘の新刊『出身地でわかる中国人』(PHP新書、820円 税別)

  ――日本の「人国記」と同様に、中国人もその出身地域によって性格もマナーも千差万別、大きく分けても「北京愛国」「上海出国」「広東売国」。
台湾本省人は、その意味からも「中国人」とは相当異なる。また「中国のユダヤ人」といわれる「温州人」は荒っぽい投機型商売に熱中する理由はなにか? 中華思想は、そうした動機として如何に作用しているのか。
世界に三千五百万人もの「華僑」と「華人」と「新華僑」、「新移民」の違いは? 日本への密航者はなせ福建省が多いのか、中国マフィアの色分けは? などと従来の中国人論に波紋をなげる本邦初の試み。


    ☆
1月30日 全国書店で一斉発売!
宮崎正弘『中国瓦解』(阪急コミュニケーションズ、1600円、税別)

――9%台もの「高度成長」って嘘じゃないのか! 現場で目撃したこれほどの矛盾を中国経済は抱えている。
もし本当に世界のうらやむほどの高度成長なら、なぜインフレが起きず、新卒の大学生に職が無く、賃金が上昇せず、各地で暴動がおきるの? 中学生でも抱く疑問への回答を無視して、きょうも北京の誇大な政治宣伝が続くが、実態を正確に把握すべき時がきた。
さもなければ日本企業は、再び失敗の災禍に見舞われるだろう。
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(サイト情報)1月12日、ライス国務長官はベルリンで開かれている英仏独3カ国の外相会談(EU-3)での「イランの核開発問題を国連安全保障理事会に付託すべき」との決定に強い支持を表明した。
 イランは昨年8月、ウラン転換作業を再開し、またさる1月8日には、研究目的のため核施設での核関連活動を再開すると国際原子力機関(IAEA)に通告している。
(1)ライス国務長官の記者会見 On-the-Record Briefing by Secretary of State Condoleezza Rice  Washington, DC, January 12, 2006 
http://www.state.gov/secretary/rm/2006/59083.htm

(2)対イラン米国政策 ニコラス・バーンズ国務省政治担当次官の高等国際問題研究院(SAIS)における講演 U.S. Policy Toward Iran、 R. Nicholas Burns, Under Secretary for Political Affairs Johns Hopkins University Paul H. Nitze School of Advanced International Studies、November 30, 2005 (Remarks As Prepared) 
http://www.state.gov/p/us/rm/2005/57473.htm
(3)CRSレポート(米議会調査局)Iran's Nuclear Program: Recent Developments, updated November 23, 2005 
http://www.fas.org/sgp/crs/nuke/RS21592.pdf
(4)科学者連盟(FAS)のイランの核政策の動き。The Federation of American Scientists (FAS)
http://www.fas.org/nuke/guide/iran/nuke/ 
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<<宮崎正弘のロングセラーズ>>
『朝鮮半島、台湾海峡のいま、三年後、五年後、十年後』(並木書房、1575円)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4890631925/ref=ase_ritoukijapan-22/250-0520816-2194622

『中国よ、“反日”ありがとう』(清流出版刊、1400円+税)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4860291239/africa07-22/ref%3Dnosim/250-0800565-9441848

『瀕死の中国』(阪急コミュニケーションズ刊、1600円+税) 
『世界経済のいま、三年後、五年後、十年後』(並木書房、1575円)
『中国財閥の正体―その人脈と金脈』(扶桑社、1600円プラス税)
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◎宮崎正弘のホームページ http://www.nippon-nn.net/miyazaki/
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(C)有限会社・宮崎正弘事務所2006 ◎転送自由。転載は出典を明記。
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『三島由紀夫の総合研究』
     三島由紀夫研究会 メルマガ会報
     平成18年1月15日  メルマガ化第一号
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 話題 浅利慶太が三島「鹿鳴館」を上演 日生劇場
    村松英子「サロン劇場」は07年に「薔薇と海賊」
    映画「春の雪」に若者が感動
    映画「ミシマ 雅」が全国縦断上映で好評
    三島全集に幻の映画「憂国」のCD
 
 (今月の三島論)  
 雑誌        中村彰彦「渋澤龍彦と三島」(『昴』、貳月号、集英社)
 単行本       松本徹『あまつちを動かす』(試論社)
      ◎
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企画読み物
(三島作品の舞台をあるく)  
        宮崎正弘
>バンコック編<

ノーベル賞騒ぎから逃れて長逗留のタイで三島が極めた「宗教哲学」とは? 
 
灼熱、熱狂のバンコックにて
 
 私が初めて「暁の寺」を訪れたのは1972年の暮れであった。
 インドから帰って10ヶ月ほど経過して、私は3週間ほど東南アジア各国をほっつき歩くたびに出た。
 真っ先に行ったのは台湾で、田中政権がいきなり昨日までの朋輩を斬り捨てたインモラルな外交に立腹したからである。台湾ではペンクラブの会長・王濫氏らと会食したり淡水の大学の「日本語学科」に招かれ講演したりいているうちに、予定より一日多く滞在してしまい、香港をすっ飛ばしてそのままバンコックへ入国した。
 宿泊したのはナライで一応四つ星といわれていたが、三島が逗留したエラワン・ホテルに比べると場末のビジネスホテルといった感じだった。
 それでもぜいたくを言っている場合ではない。
 私は拓大OBで印刷会社を経営している住田さんを訪ねた。在留20年の氏からタイの政治経済のあらましをざっとレクチャーして貰おうというわけだ。というのも私には「暁の寺」より先に行かなければならないところがあったからである。
  
 おりからバンッコクに進出した日系デパートに過激派が爆弾を仕掛けたという脅迫状が届き、物騒な雰囲気が漂っていた(あとで分かったことだが、商売敵の華僑が金をわたして過激な学生を煽り、「日貨排斥」を裏で仕掛けていたのである)。
 そこから次にベトナムの取材(当時まだベトナム戦争中)に行こうとしていた筆者にタイの学生組織へあてた抗議の手紙を後輩たちから託されたのだ。タイの学生たちが日本国旗を燃やしたり、×印を付けて、反日運動を大々的に組織化しようとしていた。 そこで、これに抗議するのという、やや無謀な目的を伴った旅となった。
 そこで出かける前に徳岡孝夫氏に電話してアドバイスをもとめたところ、
 「抗議文はタイ語で書いたんでしょうな?」
 と言われ、出鼻をすっかりくじかれてしまった。私は、それを英語で綴ったのだ。(徳岡氏はバンコックから帰任して2年経った頃で、その後ベトナム赴任になる)。
 学生たちの真の目的は政府の腐敗糾弾にあり、「反日」は隠れ蓑というのが、いろいろと事前調査の結果、私の得ていた正確な情報で、他の目的については支持するとした。
 その抗議文(兼激励文)を学生運動の責任者チラユット・ブンミーの手に直接手交した。
 その夜、彼らを住田家の庭で開かれたガーデンパーティ(それは私を歓迎するパーティだったのだ)に誘ったところ、最高幹部が三人、ついてきて様々な話題について論じあった。
 彼らが「三島は改憲を訴えて腹切りをしたのか」「何故命を賭けたのか」「日本で彼はどういう風に理解されているのか」「命も要らぬ名も要らぬというのは日本の知識人全ての価値観か?」などと矢継ぎ早に質問されたことを鮮明に覚えているのである。その記録を73年2月頃の「日本学生新聞」に掲載したはずだが、既に二十数年前になくしてしまって具体的な会話を再現できないのが残念!
 翌日の現地の英字新聞「ネイション」紙には一面で出た。(ブンミーは、その後世界的有名人となって国外へ逃亡、最近タイへ舞い戻ってタマサート大学教授をしているそうな)。
  
 暁の寺の小乗仏教の国でも政変 

 さて「暁の寺」である。
 私はまだ脱線したまま、三島作品の舞台にも近づいていない。
 その旅行はタイそのものが初めてでもあり、見るもの全てが新鮮で、瞼を閉じるといまもカラーフィルムのように色つきであのときのバンコックの情景が浮かんでくる。
 その翌年にタイの学生運動は暴力的になって過激化し、73年10月には「血の日曜日事件」が惹起されてタノム首相が海外へ逃亡した。世に言う「学生革命」で、およそ4,50名が殺された。
 直ぐにタイへ飛んで行こうにも飛行機はバンコック便を控えていたので、現地入りは3,4日遅れた。
 当時世界一周便をとばしていたパンアメリカンに搭乗してまたバンコックへ行く。
 すでに顔見知りとなっていたから数人の学生指導者に集まって貰い意見を聞いた。彼らは興奮して、これでタイの政治は変わる、と熱狂的に語った。その熱狂は一時的にせよ軍部さえも沈黙させ、交通警官まで街から逃げていたから渋滞の整理も出来ず、街は一日ラッシュアワーだった。 私はナライホテルで専属のクルマを頼み、それで毎日移動していた。
 
 バンコックの「学生革命」について私は大急ぎのレポートを何本か綴った。
 私は早とちりに「百年遅れの明治維新」と書いた。林房雄がそれをじっくり読んで「宮崎くん、これは大げさじゃないのか」と諭すように言った。
 「あの國に維新が起きる?」
 矢野暢(当時、京都大学教授になったばかりの新進批評家で論壇デビュー直前だった)が「絶望的なまでに古いパターンだ」と学生の裏側にうごめくタイの権力機構の、古くて、カビのように変わらぬ体質を批判していた(ついでに書いておくと、このころ私は矢野教授が上京するたびに新宿へ連れ出して飲んだものである)。
 タイの権力機構は、それからも殆ど、代わり映えがしない。ぬるっとした、つかみ所のない、タイ式の笑顔のなかかに政治が、汚職もろとも包み込まれ、民衆も暴力を用いてまでの反乱を起こす気がないことは他の東南アジアーーたとえばインドネシア、マレイシアーーと比べても明確に了解出来るところである。

 田中角栄総理がタイを訪問したときは、たいそうな反日暴動が起きた。
 それでもおとなしい反抗だった。ところがインドネシア訪問では大暴動に巻き込まれ、荒々しく迎えられたのだ。軍が出動し、田中角栄首相一行は命からがら逃げて帰ってきたという不名誉な歴史の一齣があった。
 
 さて初回のバンコック行きのことに話は戻る。
 学生たちとの用件が手間取り、日経新聞の特派員を訪ねたりするうちにシンガポールへ出発する日になった。そこで一泊し、サイゴン行きの飛行機に乗り換えるためである。ところが、バンコックで、私はまだ「暁の寺」を見ていないのだ。
 顔なじみになったホテルの運転手に「テンプル・オブ・ザ・ドォーン」(暁の寺)へ立ち寄ってから飛行場へやってくれ」と言うと「アンタ、ここへきてまだいってなかったの?」と言いたげな顔をされた。
 運転手はおもむろに車を出して五分もしないうちに路地でとめる。静かな住宅街の一角、その片隅に車をよせるので、「何でこんなところに止めるの?」と初歩的な質問をした。
 私は河を艀(はしけ)でわたり暁の寺の建つ中州へ行くということを知らなかった。
 チャオプラヤ河の対岸、タマサート大学の斜向かいに聳えるのがワットアルン、これが通称「暁の寺」なのである。私は時間がないので乗り合いの艀をまたず一隻チャーターして対岸へ渡った。(といっても当時は700円程度だった)。
 初めて見上げる、その寺は太陽の光を浴びて光り輝いていた。
 舟からあがるとバラバラーっと駆け寄ってきたのは土産屋さんの売り子で、次に蛇使いが観光客の首に蛇を纏わせ、カメラの収めさせてチップを貰っている。
 寺は近くへ寄ると崩れかけた石づくりで、彫刻の顔も歳月を経て、激しく破損しており、顔がもげていたり、苔むしていたり完全な形のものは皆無と言っていい。ワットアルンは74メートルの大伽藍を囲み、中規模の伽藍が4つ。遠くから望遠レンズをぼかしてみると、あたかもエムパイア・ステイト・ビルと似ている。 
暁の寺(ワットアルン) 
 ガイドの説明では18世紀のワットアルンは廃墟だったという。
 おりからのビルマとの戦闘に敗れたアユタヤ王朝のタクシン王によって再建され、さらに大伽藍はチャクリ王朝のラマ二世の命令で着工された。ラマ三世のときに一度完成するが、本堂が焼失したためラマ五世の治世下でまたもや再々建立されたという長い歴史をほこる。
 大伽藍のてっぺんまで登るとそこにはヒンズーのエラワンとインドラ像がある。これぞタイ仏教のエキスなのである。
 何故か私はそれを見たときに一度に疲れがでて、その場にしゃがみ込んだ。
 エメラルド寺院よりも黄金色ではないけれど、遠景だけは神々しいのが取り得である。
 
 その後、何回か、タイへ赴いたが、率直に言ってワットアルンは毎回訪問するほどの魅力は持っていない。もっともこれは主観的見解であって「何度見てもあれはいい」という人を何人も知っている。
 仕事の関係でそれからも十回近くはタイへ行っている。それゆえ少なくともバンコック市内なら地図は諳んじることが出来るけれど、考えてみれば、バンコック郊外へは、古都アユタヤと有名なリゾートのパタヤ・ビーチしか私は訪れたことがない。
   
  
 「暁の寺」で何かに憑かれる
 
 三島はノーベル賞騒ぎを逃れるためにバンコックのエラワンホテルに長期に逗留し、間にはラオスへ出かけて、弟の案内で国王陛下に拝謁したり、またタイへ戻って徳岡孝夫とほぼ毎晩会って食事に出かけた(「五衰の人」、文春文庫)。
 それはそれとしてあのつまらないワットアルンだけが三島の「暁の寺」の舞台ではない。
ジンジャンと本多が会見し、幼き姫がさっと豪華な座椅子と飛び降りて「日本へつれて帰って」と叫び出すのは離宮での出来事だった。
 三島がそのモデルとしたのは当時、共産主義討伐軍本部が置かれた「薔薇宮」である。
 いまは観光客に大々的に解放されているが、当時、内部の取材は軍幹部に頼んでも実現せず、三島が夫人と出かけてそとの垣根をかき分け盗み見て、しかし内部の模様を例によって三島が写真機のような緻密な精度で描いている。

 薔薇宮は「どれが入り口か分からぬほど多くの仏蘭西窓にかこまれていたが、その一つ一つが薔薇の木彫りを施した腰板の上部に、黄、青、紺の亀甲の色硝子を縦につらね、そのあいだにさらに近東風の五弁の薔薇形の紫硝子の小窓をはめ込んでいた」(「暁の寺」)。
 

 この薔薇宮はいま、観光客相手に象のショウ、民族舞踊、12ヘクタールもある庭園は絶好の行楽地と化して、俗悪そのもの。バンコックからバスで一時間近くかかるが行くとがっかりすることになるだろう。

 第一巻の「春の雪」の終幕近くで死んでゆく松枝清顕が「又会うぜ、きっと会う。滝の下で」と輪廻を爆薬のように仕掛けて、第二巻の「奔馬」では大三輪神社の滝で打たれていた飯沼勲が清顕と同じ場所にほくろを持っているのを、三島は本多に目撃させる。本多はそれで職をなげうってでも勲の弁護を引き受けたのだった。
 第三巻でバンコックにいる本多は、いきなりジンジャンから「私は日本人の生まれ変わり、日本へ連れて帰って」とまとわりつかれ閉口した。
 というのも第二巻の終わりで「次の」輪廻を目撃するのは「ずーと南の滝のした」であることが暗示されており、それは本多の行ってきたインドはアジェンダであるかも知れず、又バンコックであるかも知れない。三島の創作ノートでは「夢」と「転生」が「火薬のように装填され、各巻にはじけてゆく」とある。
 しかもジンジャンは本多と松枝清顕が広い邸の池でボート遊びをした日付も、飯沼勲が逮捕された日付も正確に記憶していた。
 だが彼女のいた離宮には「滝」がない。
 このころの本多は戦争の最中であるにもかかわらず宗教哲学の研究に没頭しており、インドでは仏教の淵源を辿ろうという野心を抱き、書斎では世界の歴史のなかで栄枯盛衰があった様々な宗教の神秘を学んでいる。そして本多は何故、飯沼勲があのような激しい神風思想に取り憑かれるのか、懸命に理解しようとするのだった。
  
 哲学を小説にする難しさ
 
 このあたりから小説としても面白さは急激に稀薄となり「暁の寺」は思想書の趣を帯びてくるのである。たとえば以下のような記述。

「思えば民族のもっとも純粋な要素には必ず血の臭いがし、野獣の影が射している」」民族の最も生々しい純粋な魂は地下に隠れ、折々の噴火にその凶暴な力を揮(ふる)って、ますます人の忌み怖れるところとなった」(暁の寺)。

 勲の考え方は「すべてを拒否すること、現実の日本や日本人をすらすべて拒絶し否定することのほか、この最も生きにくい生きかたのほかに、とどのつまりは誰かを殺して自刃することのほかに、真に「日本」とともに生きる道はない」とする激越なもので、神風連の武士たちの「純粋な過激さ」と酷似している。

 本多は既に清顕と勲の熱狂的な行き方を見てきた。今の彼は、戦争を目の当たりにしての虚無、宗教的無我の境地である。
 

 バンコックにはその苛烈さがなかった。
「破局に対抗するに破局を以てし、再現もない頽落と破滅に処するに、さらに巨大、さらに全的な一瞬一瞬の滅亡を以てすること、そうた、刹那刹那の確実で法則的な知的滅却をしっかり心に保持して、なお不確実な未来の滅びに備えること、本多は唯識から学んだこの考えの、見もおののくような涼しさに酔った」
 その本多をしても、ジンジャンを日本に連れ帰るのは憚られた。なにしろ王家の姫君なのである。
 やがて戦争が終わり、17才になったジンジャンは日本に留学に来るが、幼き日に日本人だと言い張って本多にまとわりついた行為を一つとして覚えてはいなかった。そこでジンジャンの「輪廻」は俄に怪しいものになってしまうのだ。 
 
遺跡で物乞いをする子供たち この時代、並行して三島は村松剛らがやっていた同人誌に「太陽と鐵」を連載していたが、このなかで、
 「……私は想像力の淵源が死にあることを発見した。日夜、想像力の親交を怖れて備えを固める必要もさることながら、私がその想像力、少年時代この方私を絶えず苦しめてきた想像力を逆用して、それを転化し、逆襲の武器に使おうと考え始めた」とつづりはじめる。
 「男は何故、壮烈な死によってだけ美と関わるのであろうか。日常性においては男は決して美に関わらないように注意深く社会的な監視が行われており、男の肉体美はただそれだけでは、無媒介の容体化と見なされて蔑まれ(中略)真の尊敬を獲得するにいたらない」
 などと死への疾走を始めたプロセスにいるわけだが、それはあくまで後智恵でしかなく、「暁の寺」執筆時点の三島の心境など霊媒使でも分からないだろう。
 ただこれだけは言えるのではないか。
 三島はバンコックをジンジャンの舞台としたはずなのに、あまりにインドの印象が強烈にすぎてタイの仏教と輪廻の考え方がすっかり薄味になってしまったことである。それはしかし、私もまたインドを先に見てしまってから「暁の寺」に行ったため全身が打ち震えるほどの感動を味わえなかったように、三島の精神と思索のなかでもタイ仏教はすっかり脇役に押しやられてしまったのである。「思想の小説化」はそれほど難しいのである。
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(お知らせ)小誌は三島研究会の会員だけに限定せずに、三島研究の論文、エッセイをつねに募集しております。作品論、作品感想、読後感、政治論、芸術論。分野を問いません。ご投稿をお待ちします。原則として実名。
 またゲスト寄稿者コーナーも常設します。
   ◎ ◎
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三島由紀夫研究会
   HP   http://www.nippon-nn.net/mishima/contents/
   メール  yukokuki@hotmail.com
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(C)三島由紀夫研究会 2006 ◎転送自由
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