国際情勢

宮崎正弘の国際ニュース・早読み

 評論家の宮崎正弘が独自の情報網を駆使して世界のニュースの舞台裏を分析

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宮崎正弘の国際ニュース・早読み

2005/12/14

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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成17年(2005年)12月14日(水曜日)二 号外
臨時版 

(本号は小誌を媒体とした回覧です。一般読者の方は無視してください)

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(憂国忌関係者、重遠社関係者、日本学生同盟OB、三島由紀夫研究会関係者並びに全国の愛国者の皆さんへ緊急連絡)
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 三浦重周(三浦重雄)氏が急逝
  22日、緊急ながら「追悼のゆうべ」を開きます。
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驚天動地の衝撃が走りました。
 12月10日午後九時半頃、政治思想家の三浦重周(本名 三浦重雄、重遠社代表、三島由紀夫研究会事務局長)は郷里の新潟市の岸壁で寒風吹きすさぶなか、壮絶な割腹自決を遂げました。
遺体の発見は翌日(12月11日、日曜日)午前九時頃で、直ちに近くに住む兄上が立ち会われて検視の結果、心臓部は肋骨に達し、咽喉部を切ったので喉に刃物がつきささったままの状態でした。
三浦代表は皇居遙拝のかたちで正座したままうつぶせの状態であったことが判りました。菩提寺の三浦家代々の墓には本人が前日に訪れた足跡がありました。
 壮絶にして見事な割腹を遂げた大西中将の最後を思い出させてくれます。

 急遽、遺体の安置された三浦長兄氏実家を弔問、兄上は開口一番「立派な最後でした」と言われました。

 12日夕刻から親族のみによる密葬の通夜が執り行われました。
三浦家は親戚が多く、しかし密葬ということで、友人関係は多くを呼ばないでほしいといわれました。このため「友人一同」として花輪を出すことにし、友人知人の皆さんの分まで何回も何回も合掌しました。

 12月13日午前11時半より本葬が新潟市赤道の斎場で執り行われました。
 兄上は「重雄クンは憂国の情やみがたく、青雲の志を抱いて上京後、理論研鑽と運
動に挺身し、自決は覚悟の上」としっかりとした口調で挨拶をされました。
 出棺後、小生は友人二人と火葬に立ち会い、最後に骨を拾いました。一年分の泪が三日間で出尽くしました。火葬場までに道のりは日本海の荒波、吹雪でした。

 さてご遺族の了承を得られましたので次のお知らせを申し上げます。

 「三浦重周(三浦重雄)さん追悼のゆうべ」(仮称)
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とき       12月22日(木曜日) 午後六時半(六時開場)
 ところ      市ヶ谷「グランドヒル市ヶ谷」二階「白樺の間」。
献花、黙祷、献杯、経過説明と「三浦さんの思想、その人柄」など追悼スピーチ、スライド上映(予定)ほか。
 会費形式     おひとり一万円(ほかにご供花を申し受けます)。
 記念品      三浦論文、および資料と写真を集めた冊子
          後日、参加者全員に三浦重周論文集を謹呈します。


 読者のなかの関係者は、この告示を三浦氏の知り合いと思われる人々に転送して頂けると幸いです。緊急の催しのため、案内状の印刷物はありません。住所録が整備されておりませんので。

また当日、ご出席を頂ける方は下記へお名前とご住所をお知らせ下さい(できれば電話番号も)。
Sna76980@nifty.com
或いは
sna76980@yahoo.co.jp

22日には追悼の冊子しか間に合いません。半年後を目処に三浦重周論文集を刊行する予定でご出席の全員に郵送します。

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(C)有限会社・宮崎正弘事務所2001−5 ◎転送自由。転載は出典を明記。
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創刊日:2001-08-18  
最終発行日:  
発行周期:ほぼ日刊  
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