国際情勢

宮崎正弘の国際ニュース・早読み

 評論家の宮崎正弘が独自の情報網を駆使して世界のニュースの舞台裏を分析

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宮崎正弘の国際ニュース・早読み

2005/07/03

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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成17年(2005年)7月4日(月曜日)
第1172号  
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 どうなっているのか 中国のエネルギー安全対策?
  人の生命(いのち)は石炭の一粒より軽いらしい
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  下記に羅列するのは中国国内の炭坑や化学工場での爆発事故のホンの一例に過ぎない。

 2004年11月23日、山西省太源の化学工場で爆発事故があり、六名が死亡。
 同年11月25日、河北省唐山市開平区でガス爆発があり、8名が死亡した。
 12月22日には山西省で13人が死亡する事故があった。

 2005年1月7日、河南省縄池県の石油基地で事故がおこり、四名が死亡。 
 1月21日遼寧省調兵市の炭坑でガス爆発事故。七名が死亡。
 1月22日、雲南省冨源県でガス爆発、5名死亡、四名が重症。

 3月10日、山西省呂染地区交城県の炭坑でガス爆発、7名が死亡。
 3月14日、黒龍江省七台河の石油企業で事故、18名が死亡し、3万噸の石油が延焼した。
 3月19日、山西省の遡州炭坑でガス爆発事故。17名が死亡、27名が行方不明、これは「3・19大事故」と命名され、原因究明チームが発足した。
 3月24日、湖南省嘉木県でガス爆発、八名が死亡。

 4月28日、せん西省西韓城の炭坑で事故。五名が死亡、20名が行方不明。
 4月30日、貴州省の納擁県にある炭坑でガス爆発、12名が不明。

 5月5日、内蒙古省の興安嶺付近でガス爆発、12名が不明
 5月12日、四川省攀枝花市でガス爆発、18名が行方不明。
 5月19日、河北省承徳市の爾河炭坑で爆発事故。30名が死亡、20名が行方不明。
 5月23日寧夏省銀川の中衛市で炭坑事故。四名が危篤に陥った。

 6月7日、雲南省昭通で炭坑事故。三名が死亡、七名が行方不明。
 6月8日、湖南省冷水江で爆発事故。24名が死亡、百名が入院。
 6月14日、寧夏省の内蒙古付近にある阿拉善盟古拉本紅旗(旗は蒙古族の「県」にあたる)の化学工場が爆発、七名が危篤。
 6月26日、折江省長広の煤硫工場で早朝に爆発事故が発生、公安の調べでは地下670メートルの現場から数十名を救出したが、四名が行方不明。

 これらは中国語の新聞から小生が拾いあつめ、スクラップしてきた事故のニュースだけで、水面下では、おそらくこの三倍から四倍の事故が発生しているだろう。
炭坑経営者がメディアを買収して事件を隠蔽するか、地方幹部が公表していない事故が多いだろう。

 なにを言いたかったか。想像にお任せします。
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(読者の声1)アメリカ政府がユノカル問題や人民元問題などで、中国に対して一種の「遠慮」があるような文章を読んで、昨日読んだ当地(メルボルン)の新聞記事を思い出しました。
 ある大学教授の意見として大きく記載されていたのですが、以下のような要旨の文章でした。
『中国の人権問題に豪州政府が及び腰なのは、中国が豪州にとって重要な貿易相手だからではないか。そもそも国家間の貿易は政治とは切り離して、対等な立場で行うべきで、我国のように中国の機嫌を損なうのを恐れているような在り方は、国家間に上下の関係があることを認めていることになり、我国を貶めることに他ならない。日本政府は中国政府に謝るばかりで、中国政府の非常識な行いに強く抗議することも出来ないでいる。
過去の歴史問題が日本政府を弱腰にしているからで、これは我が政府が貿易面で弱腰になって中国の人権問題に強く抗議できないのと、まったく同じ状態である。私は我国が日本のような国になってもらいたくない、と強く望むものである。』
 日本政府のだらしなさが世界中に知れ渡っているようです。国民として情けないです
ね。
(KS生・豪州在住)


(宮崎正弘のコメント)豪州産の石炭、鉄鉱石、ガスを中国は大量に輸入していますが、それを良いように政治カード化しているわけですね。
カナダも同様なところがあり、要するに世界中がカネに目がくらんで中国の人権抑圧を見てみない振り。これこそ人道に対する罪ではありませんカネ。


   ♪
(読者の声2)『正論』(8月號)の貴稿「中國の工作外交に陷落寸前の日本」にジュアン・チャンに關して、かうあります。
(引用開始)「毛澤東には素晴らしい業績は何一つない。彼は完全なモラル缺陷人間である」と結論する彼女に、米週刊誌『タイム』(6/13號)が意地惡く食ひ下がつてインタヴューを
試みた。
「それぢやあ何故、多くの現代中國の若者が毛澤東を尊敬してゐるのか?」
「あれは洗腦よ」と一言で片つけている」(p.99-100、毛澤東の權謀術數)

「シナ人がシナ人を評したら、どうなるか?」といふ話だと思ひますが、(外國人である)私はもう少し毛澤東に同情的です。(毛澤東の存在を必要たらしめたのはシナ人自身ですから)
「聖人」は儒教にとつて必須の要素であり、それは「天災」と同義の現象である(北村良和)といふ觀點からすると、毛澤東は典型的な聖人だと思ひます。そこに日本人や西洋人の尺度を持込むのは、あまり意味のあることではないと思ひますが…。
例へば、落語に「泥棒に弟子入りした男」の話があります。親方から「今夜、どこそこの家へ忍び込んで來い」と言はれて、奧でゴソゴソしている。
「何やってんだ」と親方に呶鳴られて、「盜んだ物を包む風呂敷を探してんです」と答へる。
「馬鹿野郎、それも向かうのを使ふんだ!」と親方に呶鳴られる訣ですが…。
先生の御説を讀んで、「なるほど支那人對策、かうすれば…」とやつても、悲しいかな日本人は落語のシロート泥棒みたいな律儀さを發揮してしまふのではないか、と危惧いたしますが如何でせうか? それから(出典は失念いたしましたが)毛澤東は『平和』が大好きな人物だつたやうです。國共合作の初期の頃、廣州か?香港か?の國民黨代表部に、共産黨からの聯絡員として詰めてゐました。
そして、訪ねて來たシナの新聞記者のインタヴューに答へてゐます。
麻雀(マージャン)について、記者の「どういふ上がりが好きか?」との質問に對し「平和(ピンフ)がいいですね。私は平和(ピンフ)が一番好きです」と答へてゐます。古い話の蒸返しですが… 支那語にも「平和」といふ語彙はある(意味は違ふが)と御指摘申上げます。
 もうひとつ引用します。過日の【宮崎正弘のコメント】のなかで、
「先日も或る会合で「中国語には“平和”という語彙はありません。あるのは“和平”
です」という話をしたばかり。「和平」の語源はPEACEです。これはPACIFY(平定する)です。要するに圧倒的軍事力が相手を平定し、そこに訪れる秩序が「和平」であって、日本の言う「平和」という概念は世界史では通用しません」(引用おわり)。
モンゴリアであれ、ブリタニカであれ、パックスの主体者とは、そういうものでしか
ないと思います。
 (SHOWA 78)


(宮崎正弘のコメント)御高見、ありがとう御座いました。
(1)、ジュアンは、すでにイギリス人と結婚して十数年以上、ロンドンに居住してからも長い歳月。メンタリティの一部はコスモポリタンだと思います。TIMEの記者はイギリス人と思われます。それでも潜在意識から「洗脳」という政治用語を選んでいると想像します。
(2)泥棒への弟子入りという比喩はたいへん思白く、うかがいました。
(3)「平和」という語彙は明治以降、とくに日清戦争以後、日本からの翻訳語としてシナへ伝わっています。あの時には「憲法」「議会」「民主」「人権」など、明治初期の日本人が翻訳して用いはじめたコトバの殆どをシナからの留学生が持ち帰っておりますから。
つまり伝統的な中国語のなかにはなかった語彙です。
 魯迅、孫文、宋教仁、梁啓超、周恩来、周作人ら、数えればきりのない中国からの知識人が日本で学んだ。しかし、概念を掴めても、「実際につかみ所のない(NOT TANGIBLE)」コトバであったことでしょう。
ですからおっしゃるように毛沢東も、流行語として、「平和」を用いたかも知れませんが、スメドレー、スノーなどのシンパ作家やら、それを翻訳した日本人の左翼の人達が、曲げて翻訳している可能性もあります。とくに意図的誤訳は要注意でしょう。
 (4)毛沢東は共産主義者ではあっても、平和主義者でなかった。
  中国人の一部にある熱狂的な毛沢東崇拝は『史上始まって以来の大帝国』を築いた“実績”です。流血の犠牲を度外視した、かの狂信的中華ナショナリズムから来ているとおもいますし、まさに外国人には度し難い現象です。 


   ♪
(読者の声3)福沢諭吉が1885年に時事新報に「脱亜論」を発表し、「中・韓と付き合えば身の破滅だ」と叫んだことは諸君はもちろんご存知だと思う。 
「我日本の国土は亜細亜の東辺に在りといえども、その国民の精神は既に亜細亜の固陋を脱して西洋の文明に移りたり。然るにここに不幸なるは近隣に国あり、一を支那と云い、一を朝鮮と云う。」  
 有名な一節である。 
 ところで、この「脱亜論」の全文を通読したことのある人はどれほどいるだろう。 どんな本だと思っているだろうか。岩波文庫一冊くらい? 実は違う。「脱亜論」は新聞の囲み記事であり、一気に読める分量なのだ。 全文がこれだ。言葉遣いが硬いから一言一句を丁寧に追う必要があるけれど、なんせこれを読みこなせば「福沢諭吉の脱亜論を全文読破した」と胸を張って言えるのである。 

『脱亜論』(明治十八年三月十六日付『時事新報』)
「世界交通の道、便にして、西洋文明の風、東に漸(ぜん)し、到る処、草も木もこの風になびかざるはなし。けだし西洋の人物、古今に大に異(ことな)るに非ずといえども、その挙動の古(いにしえ)に遅鈍にして今に活発なるは、ただ交通の利器を利用して勢(いきおい)に乗ずるが故のみ。故に方今(ほうこん)東洋に国するものゝ為(ため)に謀(はか)るに、この文明東漸(とうぜん)の勢に激してこれを防ぎおわるべきの覚悟あれば則(すなわ)ち可(か)なりといえども、いやしくも世界中の現状を視察して事実に不可なるを知らん者は、世と推し移りて共に文明の海に浮沈し、共に文明の波を掲げて共に文明の苦楽をともにするの外(ほか)あるべからざるなり。
 文明はなお麻疹(はしか)の流行の如し。目下(もっか)東京の麻疹は西国長崎の地方より東漸して、春暖と共に次第に蔓延(まんえん)する者の如し。この時に当り、この流行病の害をにくみてこれを防がんとするも、果してその手段あるべきや。我輩(わがはい)断じてその術(すべ)なきを証す。有害一偏の流行病にても、なおかつその勢(いきおい)には激すべからず。いわんや利害相伴(あいともな)うて常に利益多き文明に於(おい)てをや。ただにこれを防がざるのみならず、つとめてその蔓延を助け、国民をして早くその気風に浴せしむるは智者の事なるべし。
  西洋近時(きんじ)の文明が我日本に入りたるは嘉永の開国を発端として、国民ようやくその採(と)るべきを知り、漸次に活発の気風を催(もよ)うしたれども、進歩の道に横わるに古風老大の政府なるものありて、これを如何(いかん)ともすべからず。政府を保存せんか、文明は決して入るべからず。如何となれば近時の文明は日本の旧套(きゅうとう)と両立すべからずして、旧套を脱すれば同時に政府もまた廃滅すべければなり。しからば則(すなわ)ち文明を防(ふせぎ)てその侵入を止めんか、日本国は独立すべからず。如何となれば世界文明の喧嘩繁劇(はんげき)は東洋孤島の独睡を許さゞればなり。
 ここに於てか我日本の士人(しじん)は国を重しとし政府を軽しとするの大義に基き、また幸(さいわい)に帝室の神聖尊厳に依頼して、断じて旧政府を倒して新政府を立て、国中(こくちゅう)朝野(ちょうや)の別なく一切万事、西洋近時の文明を採り、独(ひと)り日本の旧套を脱したるのみならず、亜細亜(あじあ)全洲の中に在て新(あらた)に一機軸を出し、主義とする所はただ脱亜の二字に在るのみ。
  我日本の国土は亜細亜の東辺に在りといえども、その国民の精神は既(すで)に亜細亜の固陋(ころう)を脱して西洋の文明に移りたり。然(しか)るにここに不幸なるは近隣に国あり、一を支那と云い、一を朝鮮と云う。この二国の人民も古来、亜細亜流の政教風俗に養わるゝこと、我日本国民に異(こと)ならずといえども、その人種の由来を殊(こと)にするか、但しは同様の政教風俗中に居ながらも遺伝教育の旨に同じからざる所のものあるか、日支韓三国相対(あいたい)し、支と韓と相似るの状は支韓の日に於(お)けるよりも近くして、この二国の者共は一身に就(つ)きまた一国に関して改進の道を知らず、交通至便の世の中に文明の事物を聞見(ぶんけん)せざるに非(あら)ざれども、耳目(じもく)の聞見は以(もっ)て心を動かすに足らずして、その古風旧慣に恋々(れんれん)するの情は百千年の古に異ならず、この文明日新の活劇場に教育の事を論ずれば儒教主義と云い、学校の教旨は仁義礼智と称し、一より十に至るまで外見の虚飾のみを事として、その実際に於ては真理原則の知見なきのみか、道徳さえ地を払うて残刻(ざんこく)不廉恥(ふれんち)を極め、なお傲然(ごうぜん)として自省の念なき者の如(ごと)し。
 我輩を以てこの二国を視(み)れば、今の文明東漸の風潮に際し、とてもその独立を維持するの道あるべからず。幸にしてその国中に志士の出現して、先(ま)ず国事開進の手始めとして、大にその政府を改革すること我維新の如き大挙を企て、先ず政治を改めて共に人心を一新するが如き活動あらば格別なれども、もしも然(しか)らざるに於ては、今より数年を出(い)でずして亡国と為(な)り、その国土は世界文明諸国の分割に帰すべきこと一点の疑(うたがい)あることなし。如何となれば麻疹に等しき文明開化の流行に遭(あ)いながら、支韓両国はその伝染の天然に背(そむ)き、無理にこれを避けんとして一室内に閉居し、空気の流通を絶て窒塞(ちっそく)するものなればなり。輔車(ほしゃ)唇歯(しんし)とは隣国相(あい)助くるの喩(たとえ)なれども、今の支那、朝鮮は我日本国のために一毫(いちごう)の援助と為らざるのみならず、西洋文明人の眼を以てすれば、三国の地利相接(あいせつ)するが為(ため)に、時に或(あるい)はこれを同一視し、支韓を評するの価を以て我日本に命ずるの意味なきに非(あら)ず。
  例えば支那、朝鮮の政府が古風の専制にして法律の恃(たの)むべきものあらざれば、西洋の人は日本もまた無法律の国かと疑い、支那、朝鮮の士人が惑溺(わくでき)深くして科学の何ものたるを知らざれば、西洋の学者は日本もまた陰陽五行の国かと思い、支那人が卑屈にして恥を知らざれば、日本人の義侠(ぎきょう)もこれがためにおおわれ、朝鮮国に人を刑するの惨酷(さんこく)なるあれば、日本人もまた共に無情なるかと推量せらるゝが如(ごと)き、これらの事例を計(かぞう)れば枚挙にいとまあらず。これを喩(たと)えばこの隣軒を並べたる一村一町内の者共が、愚にして無法にして然(し)かも残忍無情なるときは、稀(まれ)にその町村内の一家人が正当の人事に注意するも、他の醜におおわれて埋没するものに異(こと)ならず。その影響の事実に現われて、間接に我外交上の故障を成すことは実に少々ならず、我日本国の一大不幸と云(い)うべし。
  されば、今日の謀(はかりごと)を為すに、我国は隣国の開明を待て、共に亜細亜を興(おこ)すの猶予(ゆうよ)あるべからず、むしろ、その伍を脱して西洋の文明国と進退を共にし、その支那、朝鮮に接するの法も、隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、まさに西洋人がこれに接するの風に従て処分すべきのみ。悪友を親しむ者は、共に悪名を免(まぬ)かるべからず。我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」。
   (AN生)


(宮崎正弘のコメント)その昔、そうですね。いまから20年ほど前に小生も福沢諭吉を論じた一冊を上梓しております。もちろん上記の中枢箇所を引用しました。こんにち、これほど福沢の預言が真実味を帯びて甦ってきたとは!
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(休刊のお知らせ)小誌、7月6日付けが休刊の予定です(日帰りの講演ですので、発行出来るかも知れませんが)。。。
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<<宮崎正弘の新刊>>
『中国よ、“反日”ありがとう』(清流出版刊、1400円+税)
『瀕死の中国』(阪急コミュニケーションズ刊、1600円+税) 
『中国のいま、三年後、五年後、十年後(改訂版)』(並木書房、1575円)
『世界経済のいま、三年後、五年後、十年後』(並木書房、1575円)
『中国財閥の正体―その人脈と金脈』(扶桑社、1600円)
『拉致』(徳間文庫、590円+税、以下同)
『ザ・グレート・ゲーム』(小学館文庫、476円)

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