国際情勢

宮崎正弘の国際ニュース・早読み

 評論家の宮崎正弘が独自の情報網を駆使して世界のニュースの舞台裏を分析

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宮崎正弘の国際ニュース・早読み

2004/08/17

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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
     平成16年(2004)8月18日(水曜日)
         通巻 第888号  
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本日分もニュース解説はありません。888号記念 増刊号。
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(旧満州 旅酒日記?)
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 (某月某日)内モンゴル自治区の「赤峰」では豪雨に見舞われた。寒いくらいだ。緯度的には小樽あたり。昔は一面の荒野、馬賊が出没した土地柄だけにひとびとの気性があらい。
ソ連が友好の印として建てた頑丈だけが取り柄のビルが街の中心にがっしりと残り、独特のソ連型時計が周辺を睥睨している。ハルビンなどに残る秋林デパートの建物を想像するとよい。秋林は「チューリン」と発音、ロシア系ユダヤ財閥だった。
 政府ビルの前公園には早朝から太極拳を練習するグループが幾つか、刀をもっての練習にしばしみとれる。
国旗掲揚は儀仗兵が三人、雨の中でも膝高くあげて、行進してきた。

前夜、昔の日本人炭鉱町「阜新」(炭坑社宅址や神社の址が残っていた)で偶然出会った中国の若者3人(女学生がふたり)といろいろな議論をしたが、彼女らは反日感情が希薄、まぎれもなき「親日派」で、ひとりは「日本へ行きたい」。あとふたりは最終的に米国移住が望みだった。
「日本の若者はどうして國をでないの?」という、発想である。
街を歩き回ったあと、のどが渇いたので午後4時過ぎにスナックへはいってビールを頼んだのだ。そこでエンドウ豆をむいていたアルバイトの女子学生が、外国人だとわかると、「英語の練習をしたいので座っても良いですか?」と言って近寄って来たのが切っ掛けだった。「英語もいいけど中国語もすこしは話せますよ」
チャンポンの会話となる。というより彼女らの英語は日本の大学生と同レベルで語彙力がない。通じ合えない場合は筆談で。
そこに若い男子学生も合流した。全員が20歳の大学生。一人っ子政策と所得向上は、社会的に高学歴志向の風潮をうむ。
ともかく日本のことをいろいろと知りたいらしい。
 それで三人を連れて近くの台湾レストランへ。この店は満員だった。だいたい阜新は炭坑で生きている街だから貧困覆いがたく、二年前には暴動があったはずなのに、この繁栄はどうだろう。ちかくは瀟洒なマンションだらけ。所得があがっている証拠である(ただし、3DKで日本円で200万円前後)。
夜行列車がでるまで、三人の若者とワインなどを呑む。鯉の料理など小皿料理をたくさん頼んで、結局、麦酒二本にワインも三本。それでも170元くらいだった。ちなみに北京で同じモノを食すると500元はかるく超えます。
ついでと言っては元も子もないが、中国新世代の考え方、人生観がわかって面白かった。結婚?あまり熱意がない。高齢の結婚がいまや当たり前の中国で、20歳前後の女性には結婚を焦る気持ちもうすいようだ。
「こども? いつかつくりたいけど。。」
海外へでることが当面の夢。三人は小さな時からの幼なじみで、ふたりは瀋陽の別々の大学。もうひとりは吉林の外語大。もちろん学生寮に下宿している。学費は年間2000元前後の由。大学進学率、かくのごとく高い。
「阜新は、その昔、満州国の一部。日本人技術者が多く、神社もあったけれど、そういう歴史、知っている?」と尋ねるとキョトンとしている。
3年前にやはり福州から永定へ向かう夜行寝台で偶然知り合った若者たち三人が「台湾問題をどう思うか」と議論を吹っかけてきたので、
「あそこは56年前まで日本領だった」と答えたら、驚いた顔になって沈黙した場面を思い出した。おもわず苦笑。

さて赤峰行きの夜行寝台は(これも駅に昼間のうちに並んで入手したのだが「一等寝台」も「下段」も語彙が通じない。「軟臥」ということをうっかり忘れていた。だいたい「自由席」は中国では「自願無席」って言うんです)、午後10時に阜新から内モンゴル自治区の赤峰へ向かう。かなり酔っぱらっていたのか、寝台へもぐりこむとぐっすり寝込んで、目覚めると午前5時。赤峰のひとつ手前の駅だった。隣の食堂車は終夜営業のようだ。
ようやくこの稿もモンゴル自治区へ到着した。
 赤峰では(ここも昔は満州の西端)、近郊のカラチン王府を見る目的がある。
早朝なのでまず駅前旅館(きれいな建物)に入る。シャワーを浴び、となりの食堂で朝ごはん。お粥と饅頭二種、料金? たったの10円。それからバス駅へ行って赤峰の地図をさがすが、案の定「そんなものありません」の返事。
ホテルへもどると、問題が起きた。
投宿した部屋は五階だが、エレベータがないのは仕方がないにしても、部屋がきれいなので延長宿泊をもうしでると、この旅籠は外国人は休憩だけで、宿泊を認めていないというではないか。地方へ行くとまだまだ古くさい官僚主義がしっかりと残る。
仕方なく、市内で一番良いホテルを尋ねる。赤峰賓館、じつに立派な建物でロビィもひろい。部屋には応接セットもあって、一泊220元。地方都市の物価の安さよ!
さて豪雨のなか、タクシーをチャーターして勇躍カラチンへ飛ばす。かなりの距離だ。カラチン市まで二時間、さらに市内から王府までたんぼ道を30分。このポプラ並木のでこぼこ道をはしっていると童話の世界にいるような錯覚が生まれ、わが幼年時代を思い出すのだった。
往復5時間、チャーター料金260元だった。運転手に「蒙古族か?」と聞くと「わたし、満族だ」。少数民族だから子供はふたりだという。上の子はまだ高校生。彼はちょうど50歳。(あ、また年齢まで聞いてしまった)

ならば昼飯を奢ろう、とカラチン市内のレストランで羊肉の鍋、牛肉の鍋を頼む。これは漢族の好みではない。レストランは中国北方に独特の個室。ここではチーバオを着た中年女性がマダムで、昼間から濃い化粧をしている。
(どういう街だろう? カラチンって)。
ようやく見つけた王府址はみごとな観光施設に化け、清朝の服装をした女性ガイドが十人近い。片言の英語を喋る女性ガイドも一人いたが、あとは方言が強い普通語だ。それだけ国内からの観光バスツアーが多い。日本人はくる?と聞くと「そうね。一年に数人くらいですかねぇ」。
山に囲まれた緑の台地に、当時の巨大なモンゴルの王都が偲べる。カラチン王家の何代目かが川島芳子の父親、この地には日本が河原某女史を派遣した。そのときの記念写真が一枚だけ、王府の展示品に残っていた。
 敷地は広く、設計はミニ故宮。往時の満州浪人や馬賊となって活躍した伊達順之介やら、胡桃沢耕二の浪漫的な小説を思い出しながらカラチン王府を歩く。(ちなみにカラチンは中国語では「客喇沁」と宛て字)。
ともかく寒い。


(某月某日)赤峰からバスで承徳へ向かう。天候は快晴。早朝7時20分発。大型冷房つき。6時間ほどかかっただろうか。じつは疲れ果ててバスの中で半分ほど寝た。景色は意外に素晴らしい。そして驚いたことに河川に水がないのだ。
昨夜の豪雨も河川を恵ませなかったのか。
 承徳はむかしの熱河。もちろん旧満州です。日本時代の熱河省の中心で、エカテリーナ別荘ならぬ皇帝の夏の離宮があった。
 承徳では完全に一級河川が干しあがっている。一泊する予定だったが、バスの沿線に承徳の古城などが目撃できたので、バスターミナルで軽く昼飯をとったのち、そのまま北京へ向かうことにした。
 バスが着いたときからまとわりついてきた旅行代理店のおばさん、市内観光ハイヤーで100元というが、やめにした。途中、昼間のうちに見たい光景があるから。
ミニバスは満員。補助椅子をだして次々と乗客を途中からも乗せる。豪華バス冷房つきに乗りたかったが、時刻があわない。
 北京の水瓶である「密雲ダム」は承徳から三時間ほどの距離。湖底がのぞけるほどに水が渇水状態。このダムへ流れ込む支流もまた、水がない! 深刻な水不足については三ヶ月前の『新潮45』にも書いたが、あらためて驚きである。
車窓から万里の長城をふたつ見学、西北の八達嶺や居庸関より風情がある。途中からピッピー風のドイツ人夫婦が乗り込んできた。聞くと北京駐在の新聞記者だそうな。
 北京近くになると車の洪水が始まり、市内へ入ってから一時間以上、合計5時間半もかかって、ようやく西直門ターミナルへ着いた。

(さて、北京ではどこへ泊まろうか?)
 一週間、まるで日本人と会わなかった。さすが北京、市内で二人ほど日本人をみかけて「嗚呼、都会に来たんだ」と妙な感慨が湧く。結局、宿泊したのはホリディインで、北京に同ホテルは五つもあるが金融街に近いところを選んだ。一泊670元。過去一週間分のホテル代金に匹敵する金額が北京ではたったの一晩でとぶ(もっとも五つ星ホテルだと、一泊2000元から3000元はとられますがね)。
 食事後、ホテル内のバアで一杯。美女が多数。英語も少し話せるママさんは重慶の反日ブーイングなど一連の出来事をまるで知らなかった。つまみとビール2本飲んで120元でした。部屋へ戻って、ゆっくりと湯船につかり、テレビをつける。反日サッカーのニュース、一切報道されていない。


(某月某日)この日はまる一日を「反日記念館」などの見学に宛てる。廬講橋までは市内から遠いため半日がかり。ほかに軍事記念館など。これらは『新潮45』に記事を書くため、再取材の必要があったからだ。


(某月某日)早朝から地図をにらんで通州へ行くことを決める。この取材も今回の旅行では重要な案件のひとつだ。
 通州は、最近北京市に編入され、おどろいたことに昨年から地下鉄が繋がったため、市内のホテルから一時間で着いた。
 河北省の通州県でかの「通州事件」がおきた。当時、通州にはキ東防共自治政府(段汝耕)という親日政府があり、日本人は租界では安心していたら、紛れ込んだ反日の「保安隊」によって260名もの日本人が惨殺された。その場所は、いまだこんもりとした不気味な荒れ地となっている。何回も合掌する。
 北門には石碑があるだけ、白塔と西海子公園はそのままで、当時の政府跡地は「愛国公園」、戦車とロケット砲が展示されており、付近の壁面いっぱいに「義和団の乱」の正当性と独ソ、日本を批判している。当然ながら通州事件への言及は一行もない。公園内の四阿では老人達が京劇の言い回しを独特の抑揚で歌うようにセリフを述べ、となりは中国風の琴を奏でている。平和な風景だ。
 当時の病院跡地には中国の病院が建ち、付近はデパートばかりだが、繁華街の一角に新築のスーパーがあり、その裏手から南門(一部が残存)にかけては、イスラム教徒の貧民街がひらける。ゴミが積まれ、異臭を放ち、胡同はぬかるんでいる。
全体の旧城内をまわるにも、結構道のりがあり、人力車、モーターバイク、オート三輪、タクシーを使い分けて、4時間ほどで全貌を把握できた。この紀行は『正論』の11月号に書く予定である。

午後、二泊したホリディインをでて、王府井の定宿へ移動する。
台湾飯店は一泊460元ながら、台湾料理のレストラン(ここはおいしい)、西洋レストラン、バア、日本料理の料亭が揃っている上、となりは欧州人が多い「ノボテル」(夜中に飲みに行くのに便利)。向かいはペニンシュラ。歩いて二分で王府井の盛り場。面会にも便利だからだ。
夕方、某テレビ局のK支局長と会食。かれは重慶からとんぼ返りで北京に戻ってきたばかり。広東料理に舌鼓をうちながら、臨場感あふれる重慶の反日暴動寸前劇{二回目の試合}を聞いたあと、ふたりで三里屯へウィスキーを飲みに行った。“北京の六本木”(三里屯)は外交街に近いのだが、この夜、随分とすいていた。飲んでいるのは欧米人ばかり。反日暴動などで騒然としている所為か日本人観光客が少ない。三里屯でK支局長と別れ、タクシーでホテルへ戻った。疲れがたまっているのか、ウィスキー三杯でそうとう酔っている。


(某月某日)北京から往復8時間かけて保定へ行く。
「保定」といえば、軍人エリートの代名詞。かの中国近代の軍事幹部学校跡地が、どうなっているか確認のためである。大渋滞の市内を南へくだり、ようやくバスターミナルへ到達するのに一時間以上かかる。バスは大型で32元。
保定の街も埃っぽくて、そのうえ野卑で、素っ気なく、しかも古都なのに市民は情緒不足。駅前ではおばさんのポン引きが執拗についてくる。「かわいい若い子、100元。どう?」。あまりのしつこさに日本語で「うるさい、あっちへ行け」と怒鳴ったら、やっと引き上げた。
さて、軍幹部学校だが、市内のはずれにちゃんと記念館が残っており、しかも蒋介石のレリーフと簡単な紹介がある。中国は、このへんも、じつに便宜主義である。
夕方、うっかり駅前を走っている北京行きミニバスに乗ったら三時間かかった。南のターミナルは木柵園汽車点だが、ここから夕方の渋滞がひどく、北京市内の中心街までタクシーで一時間ちょっと。
へとへとに疲れ、食事のあと改めて出掛ける気力もなくなり、雨が降ってきたこともあって、九時半には寝た。年かなぁ。


(某月某日)帰国日。飛行機は夕方なので、午前中に買い物。土産? 違います。書籍の買い出しです。
 中国で最大の文化的変化のひとつは書籍。それも印刷が綺麗になり、紙質は格段に進歩し、カラーの技術があがり、もちろんその分、比例して価格もあがった。
 現代史資料のほか、参考文献、中国人のみた中国人論など抱えきれないほど本を買い込むと、やっぱり最終日にボストンバックがひとつ増える。そのため鞄のなかに、もう一つ鞄をいつも持ってきている。こういう最新の資料がなければ、日々変化する中国の経済を論じるのは無理ですよ。
 部屋へもどって北京の知り合いに片っ端から電話で挨拶。「え、帰国する日に電話なんてひどいじゃないか」と言う知己もいる。が、「これから昼飯に駆けつける」と言う人はいなかった。
 まだ時間があるので北京でこれまで見学していない孔子廟に行った。ホテルから車で15分。タクシー16元。入場料は8元。
 敷地は広いが、佐賀県多久の孔子廟よりは狭い。
 想像した通り、参詣客極僅か。日本人?まるでなし。イギリス人夫婦が一組、若い学生が二人、四阿で勉強をしている。タダではいれる老人(65歳以上は無料)も三人ほどいるが、ようするに孔子信仰は廃れている証拠。
これは全土共通である。中国で、どの孔子廟へ行っても、仏教寺院のような振るわいがない!
――衣食足りて礼節を知る?
いまの中国は「衣食足りても礼節をしらず」だ。
 それにしても首都北京の王府井のそばにある孔子廟が、この不振とは!
某新聞が「北京で孔子が復活」なんて報道は、いかに与太記事であるかが分かった。

 さて荷物が増えたので、飛行場までタクシーを飛ばす。45分で着いた。高速道路代金もいれて145元(メーター通りで!)。これは地方都市のホテル代より高い! 昨年九月に同じコースを走ったときは確か120元だった。なんとなく腹がたつのでチップを払わずに済ませる。
 さるにても北京到着日に両替した人民元がまだ2000元ほど残っている。とりわけ節約したわけでもないが、豪華なホテルを避け、ガイドは一切雇わず、飛行機は一回きりで、のこりはバスで移動したからだろう。次回分の取材費に充てるため財布にしまう。
 乗る飛行機は武漢あたりから飛んできたので、むろん日本の新聞を積んでいない。二週間ちかく、かくして日本の情報から隔絶された空間にいたことになる。待合室でも乗客はほとんど中国人。日本人は数人ほどしかいない。
(サッカーの反日運動の所為かなぁ)。
しかしいつものように各地で燃えるような反日感情の眼に遭遇しなかった。日本人と分かると歓迎される場面のほうが多かった。反日活動分子って、おそらく3000人前後。13億の3000人(0・0000023%)に日本のマスコミは振り回されていて、それを中国共産党が情報操作し、外交の武器としているのだ。
 出発が一時間近く遅れ、成田着は午後十時をかなりまわった。
到着ロビィは深閑としている。電車はすでになく、何年ぶりかで最終のリムジンバスに駆け込み東京駅へでた。自宅へたどり着いたのは翌日になった。
             
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(読者の声1)幼時に阜新にいました。懐かしい。炭坑の日本人住宅街はどうなっているか? 川の畔にあった汚い中華料理店はどうなっているか? まあ、何も残っていないでしょうね。黄塵万丈とともに消えた。昔は阜新は蒙古の町、炭鉱開発で漢民族が流れ込んできたのです。
      (Mi生)

 (宮崎正弘のコメント)阜新に住んでおられたとは驚きですね。小生が事前に知り得た情報の範囲では日本人炭坑技師を中心に7,800名おられたとか。日本人学校も女学校もあった由でした。
 旧日本人街はすぐに見つかりました。緑に囲まれた公園がつづく一角で、いまも往時のママの建物がいくつか残り、とくに給水塔はそのままと思われます。あとは一帯が高級住宅地、マンション街。ブティックやら簡易レストランやら、意外な発展ぶりと繁栄ぶりに、いささか驚きました。
 神社は公園の倉庫と化してしました。川のそばの中華料理屋さん? こればかりは分かりません。往時の面影は給水塔くらい。新開地はバス駅付近で、瀟洒なビルのラッシュ、韓国人の進出が顕著。
 鉄道駅は、おそらく昔の位置でしょう。建物も古く、市内から遠い。タクシーで20分かかりました。閑散として侘びしく空き地が目立ち、そこから三キロほど南の新開地は、高級ホテル、国際会議のできそうなホテルが二軒。開発がちぐはぐな印象を持ちました。
 そういう感じです。残念ながら阜新市内地図をさがしても売っておらずコピィも差し上げられないのが残念です。
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◎宮崎正弘のロングセラーズ◎
『中国財閥の正体―その人脈と金脈』(扶桑社、1600円税込み)
『中国のいま、三年後、五年後、十年後』(並木書房、1500円+税)
『拉致』(徳間文庫、590円+税、以下同)
『ネオコンの標的』(二見書房、1500円)
『ザ・グレート・ゲーム』(小学館文庫、476円)
『胡錦濤 中国の新覇権戦略』(KKベストセラーズ、1460円)
『いま中国はこうなっている』(徳間書店、1500円)
『迷走中国の天国と地獄』(清流出版、1500円)
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