国際情勢

宮崎正弘の国際ニュース・早読み

 評論家の宮崎正弘が独自の情報網を駆使して世界のニュースの舞台裏を分析

全て表示する >

宮崎正弘の国際ニュース・早読み

2004/07/10

△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成16年(2004)7月10日(土曜日)
           通巻 第862号
△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△
 本日はニュース解説はありません。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(山東省・ぶらり酒旅日記)

(某月某日)成田空港はごった返していたが、韓国上空から黄海を横切り、青島空港に予定通り到着。
ANA機は搭乗率65%くらいか。機内食を珍しく三分の二ほど食べ、麦酒を二本。赤ワインの小瓶。水割りもすこし。それで一時間ほどまどろんだ。
今回のチケットはどういうわけか、飛行場からホテルへの出迎えサービスと一泊分のホテルも付いている。それも五つ星シャングリラ・ホテルである。個人で旅行して各地のシャングリラ・ホテルで珈琲くらいは飲むことがあるが、宿泊するのは深センと成都いらいかな。長春のシャングリラ・ホテルには毎晩、食事に行ったことはあるが。。。
 青島もまる3年ぶりである。
以前も空港から市内まで殆どの企業広告の看板がハングルで驚いたことがある。当時、駐在日本人は450名程度、韓国人4万人と聞いたけれど、現在、正式登録の日本人がおよそ700名(ヴィザなしの滞在がその二倍)とか。韓国は6万か7万規模だろう、という。なるほど青島は韓国の経済植民地だ。日本企業は大概が水産関係である。
 瀟洒なマンションが増えた。青島市内まで30分ほどの郊外なら、まだ一平米が2000元くらい。26歳という男性ガイドも「先日、50平米のマンションを買った」と鼻をならした。
(すごいな。ガイドってそんなにもうかるの?)。
聞くと、このガイド、北京大学卒業、東大留学組である。日本語はなかなかのもの。それほどのエリートがガイドを選んだというのも主として中国的合理主義、もしくは拝金主義? 日本ならさしずめ「東大落ちこぼれ組」なんて言われるんですけどね。
 海岸寄りの豪邸は邦貨2,3000万円もするようになっている。
「ただし売れ残りが目立つようになりましたね」とガイドが憂鬱そうな表情になった。
 市内へ入る手前に大型スーパー「カルフール」(家爾福、フランス系)がある。市内最大のショッピング街は日本の[JUSC0]だが。。。
 「あ、これだな。爆破されたのは?」と言うと、ガイドが「え。なんで、そんなことを知っているのか?」と不審そうにイスラム・テロについて聞いてきた。
咄嗟に「日本の新聞にも出たから」と答える。(でも日本の新聞にでたっけ?。拙著には書いたけれど)。
 所用を終え、取材先の人とホテル一階の「香宮」という豪華レストランで食事。それからホテル内のバアへ。日曜日の夜なのに外国人で満員、フロアがごった返している。メンバーをみると外資系の社員の集まりか、白人が4人に中国人のスタッフ3人。そのうち一人は若い女性だが、白人と踊っている。衛慧の『上海ベイビー』(文春文庫)が描く退嬰的な世界が目の前で展開されているという感じだ。バンドはフィリピン。歌っているのはすべて英語。やはり文化租界ではないか。


(某月某日)朝、タクシーで青島火車点(駅)へ。威海へ向かうためだ。
 青島名物の深い霧、視界が500メートルほどしかない。雨上がりで道路が濡れている。ホテルで拾った運転手は女性、それも過去何百回も乗った中国のタクシーで一番の美人。ただし、無愛想で何を聞いても答えてくれない。
駅で威海いきのミニ・バスに飛び乗るが、物売りがしつこく、車内まで平気でついてきて押し売り。新聞、ジュース、パン。なかには古本を買え買えと売りつける初老のおっさん。日本人とわかると「数年前まで、ここでも日本人は多かった」と言い出した。
バスは出発してからも市内のあちこちで人を拾い、荷物を集荷するので結局、青島を離れるまでに一時間半ほど費やす。威海までは五時間以上かかる。運賃は41元。
座り疲れで尻が痛くなる。バス・ターミナルは新開地で、旧市内の税関まえの「威海衛ホテル」までタクシーで30分近い。面倒なので、そこに宿泊。
すぐに街へでた。ハングルの看板ばっかり。釣具屋、プラモデル屋、化粧品、そして韓国ファッション、雑貨。海岸通りはパラソルをひろげた屋台が百数十、軒を競っている。ただし売っているのは貝殻細工のアクセラリーばかり。
埠頭まで行って翌日の乗船券を買う。


(某月某日)小型船は往復80元。ともかく劉公島へ渡航する。
日清戦争の主舞台だが、李鴻章の北洋艦隊は、ここを基地とした。海軍司令は丁汝昌。かれの武勇については畏友の中村彰彦も日本側の作戦を立案した島村速雄をモデルにした小説に書いている。
 日清戦争の海戦を中国は「甲午戦争」と言っている。劉公島には「甲午戦争記念館」なる反日展示館を95年に建てた。うんざりと反日の陳列を眺めたあと、出口の公園に「和平碑」が静かに建立されている。和平ねぇ。
 次ぎに劉公の記念館をちょっとのぞいて北洋艦隊記念館へ。ここで歴史書を数冊購入するが、一銭もまけてくれない。
「ここは公的機関。まけるなんてとんでもない」だって。
砲台址にずらりならぶ海鮮料亭(と言ってもテント張り)の一軒にはいる。
 蟹、活魚、あさり、海鮮ラーメン、麦酒二本。これで76元(千円ほど)は高いか、安いか。店員がまわりに集まって日本のことをいろいろと聞いてきた。帰りの船中では殆ど寝ていた。
 いちどホテルへもどってシャワーを浴び、それから威海市内見学。もちろん公共バスで。
 夜は夥しくならぶ韓国焼き肉料亭のなかの、もっとも高そうな店に突撃。ややや、宮廷料理の突き出し12品がならんだ。これに野菜スープとカルビ。肉は日本の3人分はありますねぇ。キムチはもちろん無料で付いてくる。またも麦酒を二本。合計127元(1700円ほど)。同じコースで済州島の新羅ホテルで十年ほど前に試したがちょうど十倍でしたね。飲み足らないのでホテル内の酒把(バア)へ。20歳の女性バーテンダーと話が弾む裡にウィスキーを3杯飲んでいた。


(某月某日)午前中、所用を済ませ、バスで煙台へむかう。韓国企業の被害ぶりについて知人を通じて経営者へのインタビューだが、口はがかたいなぁ。
 バスは大型を選んだ。一時間半で到着。煙台市は威海より人口が多い。バスターミナルのとなりに、まぁまぁのビジネスホテルがあったので、躊躇なくそこへチェックインした。一泊140元。
 さて煙台市内ではあまり用事がない。昼飯もそこそこに北西にある蓬莱市へむかう。またもミニバスに揺られ、一時間半ちょっと。
蓬莱はいうまでもなく秦の始皇帝が不死のクスリをもとめて訪れたという伝説がある。バスを降りるや悪質そうなタクシーが執拗に「乗れ、乗れ」と付いてくる。あまりしつこいので日本語で「うるせぇ」と怒鳴ったらぶつぶつ言いながら消えた。
 駅から徒歩で五分。蓬莱閣が見えた。もっとも内部へ入ると、三時間の徒歩コースもあるが、一瞥して、それから工業団地の見学へ行った。わたしにとっては、そちらのほうが重要だ。ここも案の定、工業団地はできたが、進出企業なし。のっぺりと高速道路脇の両側ががらーんとしている。
 帰りのバスでたまたま隣りに座ったのが二十五歳くらいの女性ガイド。国内専門。たどたどしい英語を喋る。旅行のことはやたらと詳しいが、蓬莱の工業の現状について何ほども知らない。いや、関心がないのにも驚かされた。ひっきりなしかかってくる携帯電話で会話がぶっつんぶっつんと切れる。ともかく最近、国内の旅行団が凄まじくて忙しく忙しく仕方がないとこぼした。
 車中から眺めた山東北部の山並みはやさしく、しかも植林に成功したのか、濃い緑が続いた。緑は日本人の心を和ませてくれる。
 バスの到着は夕方になった、煙台市内へ戻った。駅はホテルの隣りである。
今度は別なホテルで夕食を摂ろうと周囲を探すが、適当なレストランが見つからず、結局30分ほど散歩したあと、ホテル対面の綺麗とは言えない海鮮レストランで。ホタテ貝、はたはたのフライ、あさりなど四品ほどとって、半分以上残して麦酒をのんで45元だった。


(某月某日)失敗した。早朝五時半に起きて身支度し、六時に煙台空港へ行ったまでは良かったのだ。
 八時発の済南行きに乗ろうと思ったからだ。カウンターで「今日は済南行きはない」と素っ気なく言われ、空腹なので空港の二階の食堂で早朝サービスを食べてからタクシーで煙台市内へと舞い戻り、またまた長距離バスに座る。
 飛行機で済南へ飛べば僅か50分たらずだが、バスだと六時間はかかる。ボロバスだと尻が痛くなるので、一気に済南まで進まず、とりあえずは維坊市までのバスを選ぶ。発車した途端、大変な豪雨になった。
 雨にけぶる高速道路を中国のクルマ、オートバイは120キロもの猛スピードで追い抜いていく。神風タクシーも多い。
 道路の両岸は野菜、とうもろこし、桃、リンゴ、ビニール栽培農家。意外に水が豊の様子だ。黄河からはずれ、土地の小川、用水が発達している所為だろうか?
 維坊で雨があがったので、バスを乗り換え瑠博(しはく)まで、陽の高いうちに行こうと考えを変えた。
目指すのは龍山遺跡だから済南へ行けば30キロほど東へ戻ることになり、瑠博までいけば翌日、龍山へ立ち寄って済南までの行程が60キロくらいで、楽になるからだ。
 瑠博ではがらり夏の暑さになった。
 バスターミナルから雨のあがったぬかるみを五分あるき、ホテルへ。駅前に三軒ほどあるが長年の第六感で「これ」とおもったローズ・ホテルという建物へ入った。
老舗で、ロビィは広いが、設備の古い分だけ料金は安い筈だ。案の定、一泊186元。とろこが応接間つきの広さ。テーブルにはお菓子が用意され、くだものの差し入れ。新聞も持ってきてくれる(日本語があるはずはないけれど)。ポットには湧かしたばかりのお湯、お茶パック。一流ホテルなみのサービスの良さには感激する。
もっとも瑠博はふるい都であっただけに街全体が深い歴史の趣がある。なんだか、この街は情緒があるなぁ、と思いながら二時間ほど散歩して汗をかいた。繁華街に聳える四つ星ホテル「しはく酒店」で珈琲を飲んだが、一杯僅か10元(上海のハイヤットは一杯が150元。念のため)。
ロビィでいつも驚くのは、一流ホテルほど中国人の客で埋まっていくのである。近年、外国人と中国人の料金の格差はほとんどない。コネによる割引はあるが、それだけである。日本からでも最近はインターネットで予約したほうが有利なホテルが増えたように、そういう点は「国際化」しているのである。
で、そのロビィには昼間から優雅にタバコをくゆらせて世間話をしている中年アベックが結構居る。それも有閑マダム? なぜ、中国は最近これほど美人が増えたのかなどと考えている裡に夕食の時間となる。
ホテルでの献立。アワビのクリーム煮。エビ(20匹)。ネギ味噌ワッフル。餃子(20ヶ)と麦酒二本。これで119元でした。


(某月某日)朝、サダム・フセインの裁判が開始されたニュースをやっている。田舎なのにCNNも入る。今日はタクシーを雇って済南まで行く予定である。
長距離バスでも良いが、途中の「商丘」という街で、さらにローカルなバスか三輪タクシーが人力車に乗り換えになる。誇りっぽく、暑い日なので、やはりタクシーを雇った。
 目指すは龍山遺跡だ。
要するに黄河文明四千年の歴史と無縁の農耕文化がこの地にあった。中華とは異なる、稲作文明の民族が黄河の南にいて栄えていたのだ。秦の始皇帝以前である。
 途中で高速道路を何回か昇っては降りる。また昇って、また降り、工事中の区間は田圃のあぜ道、ぬかるみ、道無き道を行くことになった。当方が山東省の微細な地図を持参していなければ、ひょっとしてこの運転手、道を知らないのではないか。その懸念はあたった。
 ようするに中国人の言う「問題ない」というのは額面通り受け取っては行けないのだ。
「問題ない、まかせとけ」というのは彼らのメンツであり、実態は問題だらけでもそれを迫ると「メンツを失った」といっておこるのである。「問題ない」というのは「問題が大有り」と思えばほぼ間違いないのである。
 ともかく迷いに迷った。午前9時まえにホテルをでて、ようやく龍山遺跡にたどり着いたのが11時。二時間も道に迷った。
 遺跡の発掘現場は周辺100キロに五、六ケ所と点在している。わたしは古代遺跡の専門家ではないので、象徴的な展示をみて書物を買えば良いのだが、嗚呼、ここで陳列のほかに売っているのは壺のレプリカだけ。書物は一切無いという。漢族は、まだ正式に非漢族の高度文明の存在したことを認めたくないからだろう。西安の兵馬傭はあれほど宣伝してもね。
 さて出口で太陽信仰のレリーフをながめ、写真に収めると済南へ向かった。
運チャンは済南市内の道を知らなかった。市内へ入って40分、ホテル付近で20分ほど迷って、それでもしゃあしゃあとタクシー代のほかにチップを要求してきた。
 ホテルは駅前の通りの横町にあり、フランス風のプチホテル。全体を白い壁で統一していてなかなか瀟洒なデザイン。
 予約していたわけではなく知り合いの評判を聞いていたからである。
一泊240元。おそい昼食後、黄河を見に行く。なにしろ済南は山東省の省都というより、黄河の最終出口で、これより上流が天津、北京である。
三年前にみたとき、済南まで流れてきた黄河はまさに水量の希薄な小川のごとくで、観光船は岸辺に打ち上げられ河は干し揚がる寸前だった。水がないからだ。
だから、この街はやたらとほこりっぽいのである。青島、威海、煙台のように海岸でもないので風が弱く、埃りだけが多く、街全体が乱雑で不潔である。
 さて、この日は土曜日、済南駅で異様な人手を目撃した。週末の旅行客である。
青島までの汽車の切符を買おうと並んだのだが、汽車どころか、バスさえ超満員なのだ。それほど最近、中国各地、人手が多い。あのSARS騒ぎのころの、どこへ行ってもガラガラな境遇、いまや大変貌なのである。
 そこで黄河の見学を終えるや、バスターミナルへ行って翌日朝一番の青島行きのチケットを購入した。これなら安心。大型バスは保険混みで97元。
 夕食は町中のごみごみした屋台街のそばの大衆食堂へ入った。といっても街では一流らしく、価格は屋台の数倍する。家族連れ、友人同士10人のパーティなど、雑然と込んでいる店。魚だんごの鍋と、もう二品ほど頼んだが、どうしてもおもい出せない。勘定書の記憶もないが、酒代もいれて30元したか、しないかだろう。


(某月某日)午前四時ごろ目が覚める。旅先ではいつもそうである。だから何冊か本を持っていく。今度は平間洋一さんの『日露戦争が変えた世界史』(芙蓉書房出版)。浩瀚な、重厚な本で、労作でもあり、目から鱗の歴史絵巻的な本であり、これを毎日一章ずつ読み進めている。あと二章。
 さて、7時半発車の青島行き大型バスに乗るため、ホテルを六時半にチェックアウト。タクシーで3分の距離。乗っても良いが朝の散歩がてら荷物をごろごろ引きずって駅まで15分かかる。バスは満員で乗れない人がぶつぶつ言いながら次か、その次の切符を買いに走る。
 青島に着いたのは結局、午後の一時半を廻った。六時間。途中で3カ所、交通事故のため高速道路が片側交通になったり、大渋滞箇所があったりしたからで、事故がなければ五時間でつく筈なのだ。
 昼をぬいて青島で面談を一件済ませる。JUSCO正面の上島コーヒで。
もう一人は夜、飲みながら話しましょう、ということになり、それではと慌てて街へでた。青島で海軍博物館は見ているが、まだ康有為の故居を見たことがないからだ。戊戌政変の立て役者、日本に亡命したが孫文とはそりが合わす、悲劇の人生を送ったかれは、大学者でもある。
 康有為故居は中山公園の麓の細い路地をはいった、古い3階建ての洋館。応接間、書斎、寝室など当時のままである。入場料は8元。にもかかわらず中国人見学者は殆ど居ない。興味がないからだ。
(そんな時間があれば、海岸へ行って海水浴か、洒落たカフェか、買い物へでもでかけよう。日本人がなんだって、この人物に興味があるのか)と、行き先を告げたらタクシーの若い運チャンがそういう表情をつくった。
 見学のあとバスで金融街まででて、新華書店の新築「書城」に入る。新作やら、地図を買うためだが時間があまったので、日本文学コーナーをのぞいた。嗚呼、ここも「日本文豪」のコーナーは渡辺淳一作品で埋め尽くされていた。
先週、上海の名門・復旦大学で渡辺淳一氏が講演(学生の質問には露骨な性描写についてばかりで、その発言中も学生は平気だったそうな)。福州路(むかしの四馬路)の「上海書城」という中国最大の本のデパートで渡辺さんのサイン会には数百が押し掛けたという話を後日、講談社の担当から直接聞いた。さもありなん。
 夜、宿舎に知り合いが来て、日本人専門のナイトクラブへ。またまた驚いた。銀座とおなじ。ホスピタリティは銀座よりまし、美人度は銀座とちょぼちょぼ? 料金はただし、銀座の十分の一。軍歌を歌えないのだけが、玉に瑕である。


(某月某日)朝四時半起床。平間さんの浩瀚本、ようやく全部読み切った。林房雄の『大東亜戦争肯定論』とならぶ大局的な歴史観。その広範にして広汎なパースペクティブに感心しながら、ともかく読み通しましたね。随所に傍線を引きながらの302ページ。
 ホテルの周辺は意外に静か。それもそうだ。日曜だった。
 ゆっくりとホテルの朝食を食べて、さて日曜日なら急ぐ必要もあるまいとタクシーで青島郊外の流亭空港へ向かう。それでも片道4,50分はかかる。料金はちなみに高速をいれて95元なり。
 今度の運転手は50歳。(しかしどうしていつも相手の年まで聞いてしまうのだろう?)「無事故三十年」をいうベテラン。いろいろ聞くと娘が青島大学を卒業、それなのに就職が決まらないんですよ、とぼやく。
 この話、青島の不景気の側面を示唆するが、同時に運転手さんでも子どもを大学へ送る余裕のある社会になっていたという中国経済の大変身のほうにこそ注目だろう。この国が毎年マーケットへ送り出す新卒、じつに360万人。半分は思い通りの就職先が決まらず、暫時フリーターで食いつなぐか、遠方へでるか、日本へ留学するか。それとも希望額の半分の給料に甘んずるか。
それでも10%は完全に職がない、という。
 そんな話をしている裡に飛行場につく。チップを渡そうとしたが、絶対に受け取らない。モラルの高い運転手が中国では増えた。いつぞや上海で、夜、道を間違えて大回りをした運転手さんが「代金をいただくわけには参りません」と畏まったときは本当に驚いた。
 空港で昼となったので久しぶりに中華をはなれてスパゲッティを食し、文庫本を読みながら出発時刻を待った。「?」。旅先で殆ど会わなかったのに、ここでは周囲が殆ど日本人である。観光グループは一組もなかったが、かといって駐在員でもビジネスクラスに乗る人は3人しかいない。日本は不景気である。
帰りもANAは時間通り、と思いきや30分遅れて出発となった。その日の朝、東京からきた飛行機なので一週間ぶりに日本の新聞を読んだ。
――選挙で自民党が苦戦という見出しがまっさきに飛び込んできた。
   ◎ ● ◎ ● ◎ ● ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(サイト情報)外交評論家・加瀬英明さんのホームページ ↓
http://www.kase-hideaki.co.jp/magbbs/magbbs.cgi
             ●
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 ♪
(読者の声)シドニーのY・Sさん(7月10日号投稿者)に。
「標準語」が「共通語」に変わったのは、東京の方言を「共通語」と呼んで、東京以外の地方の言葉を差別するのはけしからんと言われないようにするために「共通語」と呼び換えることになったと当時聞きました。
つまり日本語を標準化するのではなく、日本人誰でも理解し合える日本語が共通語であるといううたい文句でした。しかし、現実には東京以外の方言はますます使われなくなってきています。

 海外に住んでいた日本人と朝鮮人の間の子供で両親がなくなり、日本にいる祖父母の下へ帰った人に日本国籍が認められたという記事が数日前にありました。こういったケースで日本国籍が認められたのは52年ぶりのことだそうです。日本政府が、日本国籍を非常に制限した形でしか認めなくなったのは昭和21年からのことです。
第二次大戦後、敗戦国民として不利な扱いを受けないようにとの配慮から合邦時点での韓国系、朝鮮系、台湾系の日本人の日本国籍を日本政府は無効としました。
翌年、(1)日本国籍を彼らがもっても著しい差別はないであろう、(2)彼らの内日本に住みつづける人たちは日本国籍を取得したほうが好都合な場合も多いであろうという、2つの観点から、日本政府は、以前日本国籍をもっていた人たちが、本人が希望すれば無条件で日本国籍を付与するという法案を国会に提出しようとしました。
これを知った当時の韓国大統領李承晩がGHQにその法案を出させるなと強硬に主張しGHQは日本政府に法案の国会提出をやめさせました。冷戦の脅威が日々強くなり、いつ熱戦となってもおかしくない当時、GHQが対ソ連最前線の友好国である韓国の要求をみとめたものです。この経緯を日本人、在日韓国人、在日朝鮮人、在日台湾人はよく認識すべきです。自己の利益なら同胞にどんな不便があっても構わない、むしろその不満を日本人に向けさせて利用しようという李承晩の心性が垣間見られます。日本人のやさしさとはまさに別世界の精神です。
また、一旦決まると、そのまま馬鹿正直に前例を踏襲するのは日本の役人根性でしょう。タイム誌アジア版7月12日号にノグチタカユキという名の日本人に、中国で脱北者の支援をした罪で懲役8ヶ月の判決を中国の地方裁判所がくだした、という記事がありました。私は日本の新聞でこの記事を見ていませんが、日本のマスコミはどうなっているのでしょう。これは、白日晴天下の中国政府による拉致事件です。
           (ST生、神奈川)

<<念のため質問を再録します>>(読者の声)「いつも楽しく「国際ニュース・早読み」を読んでいます。私の知らない事やいろいろと勉強になり、とっても楽しみにしています。ところで「標準語」の件ですが、今、日本では標準語は無く、「共通語」と言うのだと思うのですがどうでしょうか。確か昭和43年か45年頃に国語審議会とかで決定されたと記憶しているのですが、政府の機関というのはいい加減で気まぐれですから、又もとに戻したのかもしれませんね。この標準語、共通語の問題は、我が家でも玉に揉めるので、正確なことを知りたいのですが、どなたか知りませんでしょうか。私はシドニーに20年以上住んでいますので、調べたことがありません。怠け者をどうぞ助けて下さい。新聞も何も取っていませんが世の中の事に何とかついて行けるのは、宮崎先生のお陰で物凄く助かっています。有難うございます。」(引用止め)。
         ◎ ● ◎ ● ◎
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

☆宮崎正弘の最新刊  
『中国財閥の正体―その人脈と金脈』(扶桑社、1600円税込み)
http://www.fusosha.co.jp/senden/2004/046355.html
『中国のいま、三年後、五年後、十年後』(並木書房、1500円+税)
http://www.namiki-shobo.co.jp/

☆宮崎正弘の好評ロングセラーズ
『拉致』(徳間文庫、590円+税、以下同)
『ネオコンの標的』(二見書房、1500円)
『ザ・グレート・ゲーム』(小学館文庫、476円)
『胡錦濤 中国の新覇権戦略』(KKベストセラーズ、1460円)
『いま中国はこうなっている』(徳間書店、1500円)
『迷走中国の天国と地獄』(清流出版、1500円)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
◎宮崎正弘のホームページ http://www.nippon-nn.net/miyazaki/
小誌の購読は下記で登録できます(↓ 無料)
http://www.melma.com/mag/06/m00045206/a00000060.html
(↑ ここの左欄をクリックすると過去三年分の小誌バックナンバー閲覧可能です)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(C)有限会社・宮崎正弘事務所 2004 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2001-08-18  
最終発行日:  
発行周期:ほぼ日刊  
Score!: 99 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  • コメントはありません。