宮崎正弘の国際ニュース・早読み
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宮崎正弘の国際ニュース・早読み
平成14年(2002)8月13日(火曜日)
通巻387号
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http://www.melma.com/mag/06/m00045206/a00000060.html
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チベット紀行(その2)
パンチェン・ラマの写真が方々に掲げられ、次の「支配構造」を暗示している
ついに巡礼回路(八郭街)からもダライラマの肖像画、写真が消えていた
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ポタラ宮殿は壮麗で神々しい。
写真でイメージしてきた観光地点としての印象より遙かに壮大かつ狷介孤高として聳える。
外国人観光客は正面玄関からではなく後方の門からクルマごと後宮の丘を登り、いきなり裏口から入るシステムになっている。
バター油臭いに宮殿内に一歩足を踏み込むとそこは立錐の余地のないほど外人観光客でぎっしりなのだ。
朝一番で入場したはずなのに、この数百数千の外国人は一体どこに泊まっているのか、と思う。
なかには韓国人、台湾人の団体も目立つ(これら両国の物見高い団体ツアーは、中国の奥地の何処へ行っても出くわす。言葉と仕草で直ぐに分かるが、最近の日本人ツアーは実におとなしく、行儀が良い)
宮殿の中では英語、韓国語、フランス語、ドイツ語、そして日本語が飛び交うが、ここに中国語のガイドの大声が被(かぶ)さる。
いまや中国国内の観光団がイナゴの大群となってラサに押し寄せているが、彼らの夥しさと喧しさは形容しがたい。台湾も韓国も真っ青で、まさに「中国的」風景である。
さてポタラ宮には千の部屋があると言うが、どこにもダライラマの写真がない。所々に先年、なくなったパンチェン・ラマ十世の写真のみが、さりげなく飾られている。
97年頃からダライラマの写真、肖像は一切禁止命令が出たからだ。
□次期総書記はチベット弾圧の張本人だ
こうした冷血なチベット支配政策の中心に胡錦濤・次期総書記がいる。
胡錦濤は安徽省の生まれで、精華大学卒業組である。かれは「革命元勲」から第四世代に属し、悪く言えば「顔のない、薄っぺらな印象」しかない。
この胡錦濤には多くの知られざる暗い顔がある。
1988年当時、胡はチベット書記の任にあった。おりから勃発したチベット暴動を武力弾圧した張本人なのだ。
チベットの聖都「ラサ」はチベット語で「神の地」という意味。この「聖域」を中国は軍事力を投入して踏みにじった。
中国がチベットになした悪の業績は、血生臭い惨事、極悪非道という以外、言葉がでてこないほどの凄まじき殺戮、弾圧、宗教破壊だった。
歴史的経緯は省略するとして、新生中国が「改めて」チベットを軍事侵略したのは1951年、多くの仏教徒を虐殺し、ラマ教の由緒ある寺院を破壊し尽くした。
1959年、ダライ・ラマはインドへ亡命し、臨時政府を樹立した。中国は居残ったパンチョン・ラマに対抗心を煽り、北京に都合のいいように政治利用し、なんとしてもダライ・ラマ十四世の精神的影響力を排除しようと躍起になった。
北京幽閉のかたちのパンチェンラマに配偶者を押しつけ、聖と俗を混合させたり、晩年、彼が神経的にも衰弱をはやめた。
1987年から、ラサにチベット民衆の蜂起が断続的に起こり、89年には戒厳令が敷かれた。
そのときの弾圧の責任者は胡錦濤だった。
世界の人権活動家、民主活動家が立ち上がり、北京に抗議したが、日本政府はこの列に加わらなかった。ハリウッドでは「セブンイヤーズ・イン・チベット」や「クンダン」などを映画が作られ、フィルムを通じて世界の世論に訴えた。北京の猛烈な妨害工作にかかわらずダライ・ラマ十四世にはノーベル平和賞が贈られた。
チベットのしきたりではダライ・ラマの後継者はパンチョン・ラマ(阿弥陀仏の化身)が指名し、パンチョン・ラマの後継はダライ・ラマが指名する。しかし歴史的にみても屡々対立が起きる。
パンチョン・ラマ十世が本拠地のシガツェ(ラサからバスで七時間)にあるタシルンポ寺で急死したのは、胡錦濤と会見した数日後だった。いまも暗殺説が根強く、胡との関連を云々するチベット人が少なからずいる。
ダライラマ猊下は霊童ニマ少年を「パンチョンラマ十一世」と認定した。北京は95年二月に突如、このニマ少年を拉致し、一方的にノルブ少年を後継者と指名した。
ノルブ少年は「傀儡」と言われ、2002年7月5日に十三歳の儀式を中国政府公認で行い、「江沢民主席の教えに従い愛国の活き仏になります」と誓わされた。
このノルフ少年の写真が、実にさりげなくポタラ宮、ノルブリンカ、大昭寺、小昭寺〔ラモチェ)、セラ寺、デプン寺などに飾られている。即ちこれを見たら「後継者の霊童は、ノルブ少年です」と宣伝しているようなものである。
チベット仏教第三位の高僧カルマパ十三世は00年一月にインドへ亡命し、ダライラマ政府に身を寄せた。カルマパは中国が指名した経緯があるが、仏教の教えにそむく中国の愛国虚言には乗せられなかったのだ。
2001年7月17日、胡錦涛国家副主席が率いる中国中央政府代表団はラサを訪問した。
これは1951年の「チベットの平和解放に関する協定」締結から50周年に当たるので、その「祝賀」行事に参加したものだ(「侵略支配」を「平和」と言い換える中国の図々しさ!)。
中国が主催した式典はポタラ宮の真ん前の公園で行われ、仰々しくも「記念碑」を建立した。私の訪問したのは、その式典から僅か十日後である。記念碑は早くも人民から省みられず寂しく立っていた。記念写真を撮る人さえ居ない。
胡はチベット書記時代にラサ「暴動」を軍を出動させて鎮圧し、多くのチベット青年を拷問のすえ獄中死させ、それ故に北京中央の「覚え」めでたく、異例の出世と遂げた。
01年6月下旬に北京で開かれた第4回チベット工作会議で「チベットを現代化建設の前列に進ませる」方針が決まった。
あまりに開発の遅れたチベットを放置すればするほどに人心の荒廃が進むとの懼れからである。
中央政府は新たに312億元(約4500億円)をチベットに投資するが、青海からの既存の鉄道に加えたゴルムトーーラサ間に鉄道を敷設(これだけで三億三千万元の予算)するなど合計117のプロジェクトを進めている。
これは「チベット住民の生活向上」が目的とされるが、実際には工事のために夥しく入植する漢族、とくに独身の中国人達へのアパート建設などに投じられており、羊、やくの毛皮なども漢族の商売人が流通ルートを独占している。
ダライ・ラマ14世の影響力は依然として絶対的なもので、漢族のいう「平和」とは「チベット侵略と支配の恒久化」でしかない、と多くのチベット民衆は認識している。
表面的に町の辻や寺から肖像絵や写真が消え去ろうとも精神世界の永遠なる聖域は、力で変更させることは不可能である。
□精神世界 vs 物質文明
チベットの篤実な民が健忘症にかかり、北京に擦り寄って、長年の中国共産党への怨念、その暴力支配への恨みを物質的な文明プロジェクトで晴らすことが出来るなどと北京の考えることは、あまりに非精神的で、即物的過ぎる。
ただし、ロシアに「タタールのくびき」があるように嘗て吐番(チベット)は現在の雲南、四川、青海から内モンゴルにかけて支配し、元と組んで漢族を挟み込み、西安を軍事陥落させた。
漢族にはそのとき以来の「吐番のくびき」が潜在的メンタリティに内在するのは事実であろう。
実際に内モンゴルから寧夏回族自治区、青海省を連続的に歩いてみると、紛れもなくこれらは「チベット文化圏」である。随所にラマ教寺院があり、黄みがかった茶色の僧衣をまとう若い僧らが、そこかしこで経を読んでいる。
参詣客は絶え間なく続き、信仰は完全に蘇っている様を読みとれるのだ。
さて筆者はまだポタラ宮の中にいる。
屋上に近い休憩室に入ると、今度は江沢民揮毫の書が大げさに掲げられている。チベット人の巡礼者らは、この部屋には入ってこないから、おそらく江沢民の揮毫があることは誰も知らないであろう。
ポタラ宮見学は時間がかかる上、迷路のように内部は構成されているため屋上付近で太陽が拝めると元気が出る。ただし屋上にきて写真を撮るのは外国人ばかり(なぜなら別途料金がかかるからだ)。
途中、立入禁止ゾーンから漢族の人民武装警察官がぬっと顔を出した。
寺の所々は公安警察が悠然と見張っているのだ。
マニ車はそうした現代の政治境遇とは無頓着に回り続け、チベットの若者達は中国語よりも英語学習に熱を上げ、篤実な信仰心は一人一人のなかへ堅くしまわれた。
無論、現実の享楽にふけるチベットの若者も居る。
北京のマインドコントロールに引っかかって信仰を捨てつつある人がこれからも夥しく輩出するか、どうか。
午後は郊外のセラ寺へ行った。
茶褐色の禿げ山に大伽藍が並び、ラマ経三大名刹に数えられる。
河口恵海が何年も留学した嘗ての総合大学である。学生数七千人も居たと言うが、いまや寂れ、数百の僧しか住んでいないという。玄関は工事中で大工に「一日いくら貰えるのか?」と尋ねたら「三十元貰える」との答えがあった(信者の喜捨で成り立つと思っていた私には、その高額日当が信じられなかったが。。。)。
セラ寺もまたパンチェンラマの写真だけ。名物の若僧同士の禅問答はない。青海の塔乙寺と設計思想が似ている。
翌日、私はタクシーを雇って郊外のデプン寺まで足を延ばした。
このデプン寺はゲルク派最大の規模を誇る名刹、また巨大なタンカ(仏画)のご開帳を岩場でおこなう儀式でも知られる。
ラサから離れているので、観光客は十数人しか居ない。リックを背負った外人が二人、私の前を水を飲みながら歩いている。僧院で休憩している僧は、その法衣から判断して日本の天台宗かと思われた。
ダライラマの寝泊まりしていた部屋が残り、隣の台所には巨大な圧力釜。写真を撮る場合は別途十五元、要求される。
なんとも活気を喪ってしまっている。
隣村までクルマで十五分、ここにはネチュン寺がある。
まことにローカルなお寺だが、それゆえチベットの巡礼が多く、明らかに漢族を敵視している。
しかもネチュン寺となると外国人が極端に少なくチベットの巡礼が殆ど、ちなみに受付で入場料を十元取られたが、ほかの寺寺ではカラー印刷のチケットなのに、この寺はざら紙。ポスター、絵はがき、カタログ。一切ない。
素晴らしい壁画の由来を知りたかったが、沿革をのべたパンフレットさえないのだ。
しかし、この漢族が滅多によらないネチュン寺でさえ、「偽パンチェンラマ」の写真が飾られており、ダライラマはない。一切、その痕跡はチベットの寺院から消し去られて居るのだ!
市内へ戻って、北京東路を左折、人混みの歩道を億へ進むとラモチェ(小昭寺)がある。.
小昭寺にも五体投地を続けている人達が何十人と境内に泊まり込んでいる。
石畳を上下左右にガタガタ揺られながら尋ね尋ねしてたどり着いた尼寺も、ともかく何処にもダライラマの写真も肖像もない。
町の土産屋さんはどうか。
パルコル(大昭寺を囲む巡礼路)で、ぎっしりと並ぶ屋台で何軒かに尋ねたが、緊張した顔を向けるか、にやっと笑うかして「ダライラマの写真は一枚もありません」と言うのだった。
替わりに売られているパンチェンラマは肯んぜられるにしても、なんだって毛沢東、林彪の書や置物や写真が売られているのだろう?
チベットの聖域がここまでの統治を受けてしまっては、これからどうなってしまうのか?
漢族に完全なまでの支配体制強化に甘んじてしまったのか、「チベット独立」をいうものは全員消されたか、監獄へ送られた結果なのか。
精神世界の聖地を土足で踏みにじった中国の姿勢は、いずれ批判されるとしても現実はあまりに過酷である。
(この文章は単行本収録に際して大幅に加筆されます)。
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