ビジネス一般

日本の支え「モノづくり」

日本の「モノづくり」への賛美と懸念を頭に置きつつ世の森羅万象を考える。図案屋稼業の傍ら、かって商社に勤務した経験も振り返り、書き溜めた著者自身の備忘録でもある。

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《88》 アメリカのなかの日本度

2006/04/25

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    ┃モ┃ノ┃づ┃く┃り┃、┃あ┃れ┃も┃こ┃れ┃も┃ (続編)
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                         --浪費なき日本の繁栄のために--

  《88》 アメリカのなかの日本度

アメリカへ行くと、たくさんの「日本」を見る。

図案屋稼業のわたしは、世俗的な諸々の現象に敏感であるよう心掛けている。
たまたま注文が途絶えて暇があったのを幸いに、10日ほどアメリカに行った。 
それぞれが個性的で、数多くの貴重な作品を仕切りもなしに生身で展示する美術館、
ブロードウエーとオフブロードウエーで競い合う数々の公演、中国語、イタリア語、
スペイン語などが自然に聞こえてきてしまうモノカルチャーでないアメリカ。
見るもの聞くものすべてが刺激的で、図案屋の感性を磨く格好の材料がある。

「日本」も負けず劣らずさまざまな形で息づき、不思議にうまく融合している。
タイムズスクエアの広告塔は、日本の「モノづくり」の成果を誇るかのように、
日本の大発明「カップヌードル」が健在だ。反対側は日本の洋酒「響」だったが、
2001年の夏、HSBC(銀行)と交代した。
マンハッタンをバスに乗って横切っていて、「BOOK・OFF」を発見した。
地元の松戸でよく利用する古本屋だが、夢多いたくさんの日本人が住むマンハッタン、
進出効果は大きいだろう。やたらと明るい店内は、そこそこ込んでいた。

前々から根を深く下ろしている「日本」といえば、日本食だ。
その普及と繁盛振りには目を見張る。半世紀も前、日本占領時代の進駐軍、さらに、
講和成立後に改名した駐留軍に勤務、日本食に馴染んで帰国した多くのアメリカ人、
そして、ビジネスマンとして乗り込んだ多くの日本人が求め、愛好した結果に違いない。
TERIYAKIはとっくに日本の国籍を失い、SUSHIも同じ運命を辿った。

マンハッタンはアッパーウエストのホテルに滞在した。
真ん前に「SUSHI OBENTO」の看板があり、一晩試しに入ってみた。
店の造作から衣装まで、すべてが日本の寿司屋と変わりない。しかし、わたしが入ると、
奥さんと中国語で話していた主人は、愛想笑いとともに心なしか戸惑うような表情をした。
日本人が来ることなんぞは稀なのだろうか。わたしの物腰からとっさに日本人と見破り、
めんどうな客が来たなと思ったかも知れない。つまり、オアシスに来たような気分で、
いきなり親し気に日本語で話しかけようものなら、ほかの客の手前もあるから、
双方が気まずい思いをしたはずだ。注文を終え、店の様子を見ていて面白かったのは、
客との応対の節々に「ハイ」という。桶を差し出すときには「どうぞ」といった。
日本人の目から見ると、細かいところに奇妙に写る「日本」が見えてしまう。しかし、
日本的な雰囲気を損なわないよう努めていた。タネも味も、まあまあだった。
当地では、日本人が明け渡す店を狙い、中国人や韓国人が買い取る例がよくあるらしい。
寿司が他国人の立派な生計の糧と化し、すでに日本の国籍を失っている。

つぎはアメリカ大陸を横切り、西岸に近いラスベガスへ行った。
グランドキャニオンへの往復の飛行中に気づいた「日本」は、説明テープのチャネルが、
英語、日本語、ドイツ語、スペイン語の順だったことだ。日本語が2番目というのは、
それだけ観光客が多いことを物語っている。ラスベガスでは、今回もっとも気張って、
「フォーシーズンズ」という高級ホテルのなかのステーキハウスに行った。お目当ては、
ステーキとカリフォルニアワインだ。予約なしだったが、快くテーブルに案内してくれた。
全く計算外だったのは、着席すると「日本のかたとお見受けしますが、、、」といい、
「わたしは日本人です」というウエイターがメニュー持参で現われたことだ。
わたしにつきまとう本物の「日本」は、どうあがいても捨て切れない。

最後の地は、西岸のロスアンジェルスだ。
童心に帰って、一日をユニバーサルスタジオで過ごした。
映画の場面に合わせてアフレコ取りするショーでは、訪れた観客を舞台に上げておいて、
キューに合わせて実際に役割を演じさせる。何と指名されて舞台に上がる羽目になった。
先ず、出身地を問われたが、7、8人のうち日本人はわたしだけ。わたしの担当は、
キューが出たら悲鳴(スクリーム)を上げよ、というもの。リハーサルをやったが、
年寄りの悲鳴に迫力なんてない。ダメが出て若い女の子と交代させられた。つまり、
観客を笑わすために、わたしごときを意図的に選んだらしいことが分かる。つぎの役は、
キューをもらったら目前の丸い道具に手を乗せる、というもの。いよいよ本番、みんなが、
キュー通りに動く。わたしにキューが出て、手を置くと爆発音がした。それで終了。
同行者に聞くと、後ろの画面に映画のシーンがつぎつぎ写り、それに合わせて録音が進行、
わたしの番で大爆発が起きたのだという。物騒な仕事をさせられた。
大阪のスタジオも同じようなショーをやっているのだろうか。

アメリカのなかの日本度の高まりは、日本の旺盛な「モノづくり」が原動力だった。
ヒトの流入には神経質なアメリカも、ヒト以外のモノやカネ、情報の襲来には壁を設けず、
寛大だったことが大きい。日本も、外からの影響にどんどん曝されはじめた。
とくに近年、アジア諸国との交流が増し、モノカルチャー的体質が崩れはじめている。
ITの進化も、日本が今の日本でなくなる現象を加速させるだろう。図案屋ごときも、
好むと好まざるとに関わらず、目を大きく見開き、新しい現象に負けず順応し、
感性を磨きつづけなければ、世の流れから振り落とされる。
忙しい世に住み合わせた。

つづく

さぶみごろう

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創刊日:2001-04-23  
最終発行日:  
発行周期:3週間毎  
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