ビジネス一般

日本の支え「モノづくり」

日本の「モノづくり」への賛美と懸念を頭に置きつつ世の森羅万象を考える。図案屋稼業の傍ら、かって商社に勤務した経験も振り返り、書き溜めた著者自身の備忘録でもある。

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《82》 浮沈で学ぶ経営のありかた

2005/12/19

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    ┃モ┃ノ┃づ┃く┃り┃、┃あ┃れ┃も┃こ┃れ┃も┃ (続編)
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        --浪費なき日本の繁栄のために--

 《82》 浮沈で学ぶ経営のありかた

商社では、実にいろいろな商品を担当した。

機械部門にいて、工作機械の対米輸出を担当したことがある。
工作機械とは、金属のかたまりを削ったり、板をプレスしたりして必要な
型に加工する機械で、モノづくりには欠かせない。どんな型も加工できる
という汎用性や精度、耐久性の良し悪しが、その国の工業水準を決める。
日本は、優れた工作機械を輸出する国として知られている。

1980年代、日本の工作機械の対米輸出は絶好調だった。
日本の工作機械の年間の生産額はせいぜい1兆円規模で、そのほぼ半額を
輸出していた。アメリカにとっては、絶対額からすれば自動車の輸入額の
足下にも及ばない。しかし、当時のレーガン大統領は、自国の防衛産業が
日本の工作機械に極度に依存する事態を憂え、自動車などにつづき、日本
政府に輸出を抑制してほしい旨を申し入れ、無視できない事態に発展した。
新たな貿易摩擦*を心配した通産省が指導に乗り出し、業界は渋々ながら、
VRA(輸出の自主規制)を受け入れた。アメリカからは、自国の業界を
再生させるためのもので、自由貿易を否定するものでない、という苦しい
注釈がついた。時を同じくして円高も急激に進み、工作機械業界は、輸出
規制と円高の「ダブルパンチ」を受けた。わたしの所属した工作機械部が、
あおりで不採算になり、お取りつぶしの憂き目に遭ったのも苦い思い出だ。
幸いコンピュータの部門が好調で、そこへ異動した。
http://www.geocities.co.jp/EpicureanTable/4630/stories/st1-catfeed.html

古い話だが、何故、アメリカのメーカーが衰退したのか。
そもそもは、アメリカに習って成長したのが日本の工作機械メーカーだ。
ところが、アメリカを脅かすことになったのだから、驚きというほかない。
経営スタイルに、致命的な違いがあったことが大きい。

第1に、経営者の経営への取り組み姿勢の違いだ。
日本のメーカーの経営者は、設備投資が急に冷え込んで需要が落ち込むと、
先ず工場を動かしつづけることを考えた。仕事がない日は、全員で工場の
草取りをした、などという話があったほどだ。多くは、商社などを頼って
輸出に活路を求め、伝承されてきた技術力を温存するよう努めた。いわば、
景気の先の回復を見越して緊急避難したのだ。中小規模の企業が多いので、
経営者の強い支配力があり、我慢を全社に強いる基盤を持っていた。
2、3年も待つと、景気が回復して忙しくなったのも事実だ。

対して、アメリカの経営者は、待つことをしない。
日本の工作機械の攻勢が原因で徐々に力を失い、不採算が決定的になると、
工場の価値が減る前に、躊躇することなくまるごと売り払うことを考えた。
株主の厳しい目が、そうさせたようだ。その結果として、熟練の作業員が、
翌日にはタクシー・ドライバーに職替えして町を流すなど、貴重な技術が
継承されることもなく雲散霧消する。お取りつぶしを選んだわたしのいた
商社も、同じ選択をしたといえるが、広く浅く関わり、逃げ足も速いのが
商社の特徴で、生産設備もないのだから、失うものが多くない。
余剰人員をうまく社内でさばけば、問題は解決する。

第2に、アメリカのメーカーは、サービスを怠った。
日本のユーザーは、価格や品質、納期、納入後のサービスにうるさい。
国内で鍛えられた日本のメーカーは、アメリカにおいても、価格や品質は
もちろん、納期を厳守した。遠近をいとわない誠実で細やかなサービスも、
やや荒削りで緩慢な対応が普通のアメリカのメーカーに大きな差をつけた。
アメリカという国が、想像もできないほど広い国土を持つだけに、納期の
厳守はもちろん、サービス体制の維持は、並みの苦労でない。衝撃を嫌う
デリケートな工作機械ともなれば、運送には細心の注意を払うことになる。
日本からアメリカまで運ぶのだから、輸送中に起きるリスクは並みでない。
担当した縦型旋盤のメーカーの1つU社は、全米に20台ほどの納入実績
しかなく、同社としては、採算に乗るレベルの商売ではなかった。しかし、
国内市場が冷えた時の安全弁としてアメリカ市場を考え、さらに、将来の
有望な市場として位置づけていた。全米をカバーするには足りず、費用も
決して小さくはなかったが、1人のサービスマンを常駐させていた。彼が、
ことあるごとに、マンハッタンの川向こうのロングアイランドの拠点から、
飛行機を乗り継ぎ、レンタカーを駆ってユーザーを訪ねるのだが、本体の
価格がリーズナブルで、納期も確実だったし、性能への満足度も高かった。
突発的な故障に、電話1本でどんな田舎へも2日待てば来てくれるという
安心感があった。日本なら、2日も待たせたら大目玉だが、アメリカでは、
それで評価された。風のごとく現れ、徹夜してまで修理を完璧に終えると、
風のごとく去って行くと評判だった。1つだけ不満は、サービスマンとの
意思疎通がよくないというものだった。日本人サービスマンは、技術力を
買われて駐在の重責を担わされていたが、英語は得意でなかったのだ。
彼の口癖は、早く日本に帰りたいというものだった。

大らかなアメリカのユーザーも、自国製を選ばなくなった。
日本のメーカーと違う緩慢ともいえるサービスに失望したのだ。
やがて、日本の各メーカーが必然的に市場を奪った。レーガン政権時代の
この古い話は、メーカーの経営の本来のありかたを語るものとして忘れる
ことができない。メーカーならば、設備や技術、技能者など独自の資産を
一貫して維持することが第一に重要だということを気づかせてくれた。
会社を安易にバラ売りすれば、国力までも失われる。

あれから、20年以上も経った。
日本の工作機械メーカーは、「ダブルパンチ」を避けるため、素早く現地
法人化へと動き、現地での生産を開始した。対抗策が見いだせない企業は、
合従連衡に頼り、馴染みのブランドを捨てるしかなかった。

一方、アメリカの工作機械業界が再生したかどうかは、定かではない。

つづく

さぶみ・ごろう

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創刊日:2001-04-23  
最終発行日:  
発行周期:3週間毎  
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