ビジネス一般

日本の支え「モノづくり」

日本の「モノづくり」への賛美と懸念を頭に置きつつ世の森羅万象を考える。図案屋稼業の傍ら、かって商社に勤務した経験も振り返り、書き溜めた著者自身の備忘録でもある。

全て表示する >

モノづくり、あれもこれも (続編) 《34》

2003/03/17

    ┏━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┓
    ┃モ┃ノ┃づ┃く┃り┃、┃あ┃れ┃も┃こ┃れ┃も┃ (続編)
    ┗━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┛

                         --浪費なき日本の繁栄のために--

 《34》 鉄砲玉技術が美女をつくる

戦争に頼りにされる民間の技術がある。

しかも、出所が日本の企業というので驚かされる。
ベトナム戦争の時代、攻撃用ヘリに、日本製のディスプレイが搭載された話は古い。
最近では、話題のステルス技術がある。電波を弾かずに吸収する特殊な塗料が命という。
本来は、本四架橋の建設に備え、磁気テープのメーカーが新しく開発したものだった。
巨大な構造物が、付近を航行する船舶の無線の往来に妨げになる。それを軽減したかった。
今は都知事になった石原慎太郎が、テレビに出演して声高に語った話がある。
湾岸戦争で日本が130億ドルを提供した以外に、アメリカに特例で提供し、
ピンポイント爆撃の精度を飛躍的に上げた技術のことだった。当局がひたすら沈黙を守り、
マスコミは無視した。商社の仲間がいうには、測位装置*を発展的に応用したもので、
わたしが親しくしていた造船会社の系列会社が開発し、秘かに提供したものだった。
徘徊老人を保護するシステムに応用するなど、そもそもは、平和指向で開発したという。
当のメーカーは大いに迷い、名を伏せるようマスコミを口説いて回ったに違いない。
アメリカ大使館は、なかなか目端が利き、知恵の働く軍のスタッフを置いている。
http://www.asahi-net.or.jp/~ii9s-mtng/sf/sf14.html

日本には「武器輸出三原則」がある。
1967年の佐藤内閣の時代、外為法の運用方針として、
1) 共産国
2) 国連決議により武器等の輸出を禁止されている国
3) 国際紛争の当事国叉はそのおそれのある国
の3地域の場合には「武器等の輸出」を認めないことにした。

1976年、三木内閣で内容がさらに強化された。
憲法などの精神にのっとり、3地域以外へも武器輸出を慎むと決めた。しかし、
1983年、中曽根内閣で緩和された。アメリカとの武器技術交流については、
「武器輸出三原則」の対象外にする閣議決定をした。

この「武器輸出三原則」にも相当のしり抜けがある。
日本製のトラックや四輪駆動車などが、輸出申告とは違い、仕向け先で軍用車に転用される。
北朝鮮の例では、韓国で捕獲した潜水艦や潜水艇に、店内などを見張る監視カメラが潜望鏡、
漁船に普通に積まれている魚群探知機がソナーとして使われていたという。物騒な話では、
某国からの「繊維機械の部品」と称する設計図つきの注文が、ウラン鉱石の精製部品だった。
核爆弾の製造に発展するもので、こんな例はたくさんあるはずだから油断できない。
不幸にも、民間に普及した日本の素朴な技術でさえ、軍需に転用される。

一方、忘れられないのは、その逆が、戦後の日本の復興を少なからず速めたことだ。
軍需によってリードされた航空機産業が、民間に与えた恩恵は計り知れない。同様に、
戦後の日本の復興を速めた原動力は、戦争で培ったインフラだったといっておかしくない。
民需を犠牲にしつつ、人材や技術、設備を軍需に優先的に投入し、必死に磨きをかけた。
戦後、多くを戦災で失ったものの、その残された遺産を最大限に活かした。乏しくも、
外貨を輸出で懸命に稼ぎ出し、それを原資に鉄鉱石などの原材料を海外から仕入れる。
つぎに付加価値の高い製品に仕立てて再び輸出する。この繰り返しで経済を成長させた。
貿易立国しか生きる手がなかった日本が、高度経済成長という褒美を手にした。

日本の当時の基幹産業でも、戦前から輸出に強かった繊維産業は別格だった。
軍需を断たれても影響が少なく、安い労働力を武器に、世界市場に一早く復帰した。
軍需に依存していた産業ほど、戦後の転換に苦労した。銃器の製造が専門だった産業は、
ミシンや工作機などの精密機械メーカーへと鞍替えし、余力で日本の輸出を支えた。
戦争には照準器などの光学技術が欠かせない。戦後をカメラづくりに特化した各メーカーは、
同じ敗戦国で老舗のドイツ勢と競って市場を二分した。巨大な艦船を建造していた造船所は、
石油の消費が伸びるトレンドにうまく乗り、巨大タンカーを世界に供給した。
戦争で培った遺産が、その原動力だったといって過言でない。

気の毒だったのは、航空機関連の産業だ。
再起を恐れた占領軍によって生産ばかりか、運航事業でさえ禁止された。日本は、
完全に羽をもがれた。当時は、鍋釜でさえ戦災で焼失した家族が多く、不足していた。
そこに着目、工場にわずかに残った金属材料を使い、鍋釜をつくって売った会社があった。
不幸なことだが、朝鮮戦争(1950〜1953)が特需を生み、経済を活況にした。
この機に乗じて、生産をスクーターなどから四輪のクルマへとシフトすることができた。
得意だったエンジン技術が、企業再生の柱になった。

商社にいたわたしが、感心して見入った自動の機械があった。
トイレットペーパーのようにロール状に巻かれた金属板を、工作機が自動的に飲み込む。
反対側からは、金属板が口紅のキャップに化け、ポトポトと連続して吐き出す。
ただの平板が、機械の中で切断され、プレスされ、魔術のように変型して現れる。
キャップの表面は、小さなシワ一つなくツルツルで、「深絞り」という技術を使っていた。
最近、元気な会社として話題になる東京は墨田区の町工場が得意とする技術と同じだ。
製造元のA精機は、戦前から銃弾を製造、得意技を活かして工作機の販売もはじめた。
鉄砲玉づくりの技術が、美女をつくるのだと納得した。

日本の景気の先行きが依然として暗く、遺産を食いつぶすばかりだ。
再生に役立つ残されたインフラは何か、徹底してチェックする必要がある。
もちろん、平和を指向する新たな起業でなければならない。
(本文中敬称略)

つづく

表示された社名、製品名は各社の商標または登録商標です
(C) 1997  ZUBO UPDATES CO., LTD.

規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2001-04-23  
最終発行日:  
発行周期:3週間毎  
Score!: - 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  • コメントはありません。