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日本の支え「モノづくり」

日本の「モノづくり」への賛美と懸念を頭に置きつつ世の森羅万象を考える。図案屋稼業の傍ら、かって商社に勤務した経験も振り返り、書き溜めた著者自身の備忘録でもある。

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モノづくり、あれもこれも 《続編》 《33》

2003/02/24

《33》 非常用コックは老いぼれない

韓国の地下鉄火災の報道から、「桜木町事件」を思い出した。

1951年に起きた国電(当時)の車両火災の大惨事だ。
東京駅を経由して神奈川県と埼玉県の間を結ぶ京浜東北線が、桜木町駅を目前に、
東京寄りの線路上で車両火災を起こし、閉じ込められた100人余の乗客が焼死した。
わたしが小学生の頃の事件だが、半世紀も前に一飛びでワープしてしまう自分に気づき、
わが老いぼれ振りが身にしみる。大惨事に至った原因は、ドアが閉じたままだったこと、
窓枠が3段に仕切られた63型(モハ63*)の車両で、脱出できる空間がなかったこと、
さらに、隣の車両に逃げ込もうにも、通路が設けられていなかったこと、などだ。
犠牲者は、逃げ場を失ったまま、火勢に身を任すしかなかった。
http://www.ne.jp/asahi/tetsudo/miyata/kido/miike/page02.html

しかし、同じ車両火災でも、韓国の地下鉄との決定的な違いがある。
司令室と無線でやり取りするような手段やハイテク設備は、一切ない時代だった。
しかも、戦中戦後の物資不足の影響が色濃く、安全を優先する交通機関のモノづくりにも、
現在の環境とは根本的に違う、足りないものづくめの中の苦しいやり繰りがあった。
人為的な錯誤よりも、経済上の理由が、惨事を大きくしたといえる。

当時の国鉄が関東近辺で急ぎ講じた対策は、つぎのようだった。

1 手動でドアを開く非常用のコックの所在を明示した
大惨事に至った大きな原因は、乗降用のドアが閉まったままだったことだ。
実は、不測の事態に備え、手動でドアを開ける仕掛けが、当時から車内にあった。
以前にも触れたが、電車やバスの自動ドアの開閉は、圧縮空気の力で動くシリンダを使う。
圧縮空気を外に逃がせば、ドアの押さえが利かなくなり、力をかけずに手で開けられる。
各車両のシートの下には、そのように空気を逃すコックが設置されていた。運転席には、
ヒモで引っ張る式の仕掛けもあった。悪戯を恐れてか、設置場所を明示していなかったが、
この事故があって以来、積極的に公開するようになった。乗降ドアの脇に「緊急の場合、
椅子の下のコックを手前に引くと、全部のドアが手で開けられます」などと書かれた。
英文の表示に、「Pull the handle toward you」とあった。
「手前に」の英語表現に感心した覚えがあるから、高校生頃まで目にしていたようだ。

中学生で電車通学だった従兄は、このコックの設置場所と機能を知っていたという。
悪戯盛りだから、何時か、秘かに動かしてやろうと仲間と企んでいたに違いない。
この事件で美談の主になり損なったことを盛んに残念がっていた。

乗降ドアの大きな窓ガラスを割れば脱出できたはず、という疑問が沸く。
しかし、空襲などで破損した後遺症か、多くがガラスではなく、丈夫な木の板張りだった。
わたしの記憶では、中央には、顔くらいの大きさの丸いガラスが、1枚はめ込んであった。
今でいう強化ガラスのようなものがない時代だ。したがって、必要な強度を保つには、
厚みを増さなければならない。その分、材料や製造コストを押し上げてしまうだろう。
現在では想像できないが、ガラスでさえ貴重品で、供給力が十分でなかった。

2 3段式の窓から2段式へと移行した
犠牲者は、窓ガラスを割って脱出することもできなかった。
というのも、63型の窓は、上下にスライドする3段のガラス窓で仕切られていた。
中央の窓枠が不動で、開けるときは、上段も下段も中央に重ねる仕組みだった。
ガラスを割ったとしても、木枠が狭いため、大人がすり抜ける巾さえなかった。
木枠で3段に仕切った理由は、ガラスの製造コストを抑える苦肉の策だったと思う。
平面で、全面1枚の厚いガラスを量産する工場など、限られていたといってよい。
間もなく、2/3まで開くよう改善されたが、やがて2段式が多く走るようになった。

この頃、級友が見せてくれた「アサヒグラフ」(当時)の写真に目を見張った。
下段の窓枠から差し出された黒焦げの2本の足を大写しした惨い写真が載っていた。
足を差し出したものの脱出できず、そのまま火焔に襲われ絶命した姿だった。

3 車両間に連結通路が設けられた
犠牲者は、通路を伝って隣の車両に避難することもできなかった。
わたしの記憶では、幌の補給がないためか、通路を板でふさいでいる車両が多かった。
ハモニカを吹き、アコーディオンを弾きながら小銭を稼ぐ白衣の傷痍軍人をよく見たが、
駅ごとに降り、隣の車両へ移っていた。やがて、全車両に幌つきの通路が設けられた。
もっとも恩恵を受けたのは、傷痍軍人だったに違いない。

わたし以上の世代は、「桜木町事件」で、非常用コックの効能を頭に刻み込んだ。
ところが、後年になって、皮肉にも、命を救うはずの貴重な知識が裏目に出た。
同じ関東で起きた「三河島事故」(1962年)や「鶴見事故」(1963年)では、
電車が衝突、脱線するや、危険を感じた乗客が、難なくドアを開けて線路に降り立った。
そこへ対向電車が突っ込み、「三河島事故」では、線路上での犠牲者が多数を占めた。

悲しいことだが、痛ましい事故ほど貴重な教訓を残す。
とはいえ、この「桜木町事件」も、記憶するものがすでに少なくなった。今や、
非常用コックの効能は忘れられ、所在もさり気ない。しかし、電車を利用するなら、
設置場所を確かめておく必要がある。どんな電車に乗っても、その気で探せば見つかる。
最近では、シートの下でなく、乗降ドアの脇に設置するようになったようだ。
赤枠で囲んだ透明なカバーの内側で、スタンバイしている。

韓国の大惨事も、車内に閉じ込められたまま焼死した犠牲者が多かった。
停電した暗黒の中ではパニックになる。非常用コックを見つけるのも容易でない。
延焼が速いだけ、大量の有毒ガスが、身体の自由を早くに奪う。窓は強化がラスだから、
並みの力では割れない。最先端の装備や構造が、脱出を難しくしたかも知れない。
新しい惨事が、古い教訓を世代交代させ、新しい教訓を生む。

しかし、半世紀を経ても、非常用コックに老いぼれる気配がない。

つづく

さぶみ・ごろう

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創刊日:2001-04-23  
最終発行日:  
発行周期:3週間毎  
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