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日本の支え「モノづくり」

日本の「モノづくり」への賛美と懸念を頭に置きつつ世の森羅万象を考える。図案屋稼業の傍ら、かって商社に勤務した経験も振り返り、書き溜めた著者自身の備忘録でもある。

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モノづくり、あれもこれも (続編)

2001/12/31

《seq13》

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    ┃モ┃ノ┃づ┃く┃り┃、┃あ┃れ┃も┃こ┃れ┃も┃ (続編)
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                --浪費なき日本の繁栄のために--

 《13》 日本の音づくりの正夢

この年末、マエストロ・朝比奈が突然に逝った。93歳だった。

マエストロ・小沢が、正月恒例のウィーン・フィルの「ニューイヤーコンサート」に向け、
初のリハーサルを行った翌日、12月29日のことだ。
日本の楽壇の、明と暗を知らせる大きなニュースになった。

朝比奈隆(1908〜2001)は、現役で最高齢の指揮者だったが、
10月まで元気に棒を振っていた。予期しない訃報に驚いた。
戦前の京都大学で法律を学んだという異色の経歴で、亡命ロシア人に師事して指揮法を学んだ。
高齢をいとわず、海外の著名な楽団で客演指揮して驚かせたが、軸足は日本に置いていた。

対する小沢征爾は、1959年、若くしてフランスの「ブザンソン国際指揮者コンクール」で優勝、
それを契機に、今は亡きカラヤンやバーンシュタインに可愛がられ、
破格の厚遇を受けながら国際舞台で才能を磨いた。
富士重工のスクーター「ラビット」を伴い船で渡欧し、それを駆って「武者修行」の途中に応募、
たちまち優勝してしまったというのだから勇ましい。渡欧前に在学した桐朋学園で、
斎藤秀雄(1902〜1974)に指揮法を徹底的に仕込まれた。
教えを忠実に守ったことが優勝につながったという。「斎藤先生」を敬愛して止まない小沢は、
「サイトウ・キネン・オーケストラ」を組織し、世界の檜舞台で活躍する斎藤門下の演奏家を集め、
長野県の松本で毎年公演する。
今や昔話だが、小沢がまだ20代、帰国してさっそうと臨んだNHK交響楽団(N響)のリハーサルで、
誇り高き楽員たちにボイコットを食って指揮台で立ち往生した事件があった。
30数年を経た1995年、「チャリティー・コンサート」の企画のもとで一度だけ共演したが、
絶えて久しい。小沢も大家として円熟したし、N響も当時を知る楽員がほとんど退き、
留学経験者が増えて若返っている。
日本の楽壇の双璧、小沢とN響の共演を待つクラシックファンは多いが、実現はいつのことか。

年末恒例の、日本人がことさら好むベートーベンの「第九」の初演が、1918年、
坂東俘虜収容所(徳島)のドイツ人捕虜によって行われたという話が面白い。第一次世界大戦では、
日本が戦勝国で、青島(中国)で捕らえられたドイツ兵が多数収容されていた。
彼らが余興で演奏したのがはじまりという。

極東の端に位置する日本の、かくも洋楽にのめり込む姿は不思議だ。
そのルーツを辿ると、明治維新後の西欧化政策に端を発する。 音楽も例外でなく、
当初は「お雇い外国人」が洋楽教育を施した。やがて、名曲「荒城の月」を作曲しながら、
24歳という若さで病没した瀧廉太郎(1898〜1998)や、小沢たちを育てた斎藤のように、
ドイツ留学の経験者が日本の洋楽を世界レベルに押し上げた。

バイオリンの「スズキ・メソード」を生んだ鈴木鎮一(1898〜1998)もドイツ帰りだ。
ユニークな早期教育法で、豊田耕児、江藤俊哉、諏訪根自子などのソリストを育てたが、今や、
世界30数カ国で採用されているというから驚く。夫人はドイツ生まれで、
内助の功*もあった。
斎藤にしても、鈴木にしても、留学期間が5年にも満たない短期だ。
帰国後の業績の大きさを思うと、その吸収力と伝達力の人並みでないことに驚く。
ましてや、日本とは異質の文化を背負う、初心の洋楽とあっては、苦労が絶えなかったはずだ。
http://www.matusen.co.jp/myway/suzuki/wrt00.html

「日本のピアノ100年―ピアノづくりに賭けた人々 」(前間孝則・岩野裕一共著、草思社)*は、
その並みでない苦労を序実に語っている。
ピアノ本体の「形」は寸分違わず完成しても、「本物の音」はなかなか完成しない。
「音づくり」に果敢にチャレンジする経営者、木工や鋳物の職人、調律師、
手を貸すプロのピアニストたちの「本物の音」に賭ける姿が神々しいほどだ。
http://www1.sphere.ne.jp/smart/piano1001028.html

日本人が、異質の洋楽をとことん理解し、演奏できるのか、という疑問は過去のものになった。
洋楽のハードも、ソフトもマスターし尽くし、違和感なく大いに楽しんでいる。
オーケストラの数は、プロにアマを加えたら、いったい幾つになるだろう。

この年末、高名な作曲家Sが発言した内容が印象に残る。参加した某フォーラムで聞いた。
以下の発言の一部は、通常、テレビや新聞、雑誌ではタブーなのだという。

1 クラシック音楽を、日本から世界に発信する夢を持つが、現実は厳しい、
2 ヨーロッパの発信力は衰え、ジュリアードがあるニューヨークに人材が集中している、
3 しかも、ユダヤの資本と人脈の強い影響を無視できない、
4 日本の音楽家にとって、そのコネクションを持つ小沢征爾、内田光子(ピアノ)、
 諏訪内晶子(バイオリン)、五嶋みどり(バイオリン)の4人を除き、
 国際舞台で活躍するには見えない障壁がある、
5 近年、韓国出身の音楽家の活躍が目覚ましいが、
 ベトナム戦後に特例で移民を許された韓国人たちが、有能な人材をアメリカに呼び、
 ジュリアードに学ばせるなど、積極的な支援を行っている、
6 日本のクラシック界も、負けてはいられない、
というもの。

「クラシック音楽を、日本から世界に発信する夢」を正夢にと願うだけでもすごいと思う。
日本の楽壇の音づくりの実力が、それなりの高いレベルに達したからこその発想だろう。
特定の国家や思想、資本、人脈に左右されない音づくりに徹してほしい。

(文中敬称略)

今年も、丹念に読んで頂き、たいへん有難うございました。
どうぞ、良いお年をお迎えください。

つづく

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創刊日:2001-04-23  
最終発行日:  
発行周期:3週間毎  
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