ビジネス一般

日本の支え「モノづくり」

日本の「モノづくり」への賛美と懸念を頭に置きつつ世の森羅万象を考える。図案屋稼業の傍ら、かって商社に勤務した経験も振り返り、書き溜めた著者自身の備忘録でもある。

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モノづくり、あれもこれも

2001/11/19

《seq11》



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    ┃モ┃ノ┃づ┃く┃り┃、┃あ┃れ┃も┃こ┃れ┃も┃ (続編)
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                         --浪費なき日本の繁栄のために--

 《11》 イキモノを殺して食べる作法

黒い牛が、一瞬で横倒しに転がる映像をテレビで見た。

狂牛病について報じたニュースの中で流れた映像だった。
白い作業着の男性の前にノロノロと進み出た牛が、金属の筒を眉間に当てられたと思う瞬間、
バタンと横倒しに転がって動かなくなる。床がすぐに傾斜し、横たわったまま身をすべらせた。
即死した牛は解体工程へと移動し、いずれ牛肉になってわたしたちの食前に上るのだ。
屠場でのもっともデリケートな処理の現場を見せた珍しい映像だった。

映像もほんの短いものだったが、恐らく、テレビ局に向けた抗議の電話が、
少なからずあったのではなかったかと想像する。

というのも、最近の新聞記事で読んだのだが、ある小学校の先生が、
「ニワトリを育て食べる」というテーマで授業を進めたところ、反対の声が上がり、
児童や父兄で賛否を討論した結果、中止することに決めたという話があったからだ。
その理由は「残酷だ」というものだった。

わたしの子供の頃、田舎の従兄弟の家に行ってニワトリ小屋を覗くと、
たいてい一羽がイジメで傷だらけだった。夕飯はというと、鶏肉の混ぜご飯だった。
翌朝になってニワトリ小屋を覗くと、例の一羽が消えていて、
みんなの胃袋に収まったことを悟ったものだ。
従兄弟たちは、どういう作業を経て混ぜご飯になるか、詳しく承知していた。

だれもが好む肉食の習慣は「イキモノを殺して食べる」結果だが、どうにも止めようがない。
同時に、その後ろめたさがトラウマになって消えない。都市化が進むほどに、
屠殺現場が人々の目から遠ざけられ、とくに都会の子供たちは、
そのデリケートできれいごとでない作業の現実を知ることもなく育つ。
しかも、トラウマが高じて、国際舞台では、牛や豚は食べてもクジラやイヌはダメといい、
話が文化、文明論にまで達し、うっかりすると野蛮人にされる。

思うに、英語では、「BULLやOX、COW(牛)」を食べるといえば野蛮人だが、
「BEEF(牛肉)」を食べるといえば、紳士淑女に変身できる。
「PIG」は決して食べないが、「PORK(豚肉)」なら食べる。
つまり、英語圏では、「イキモノを殺して食べる」という残忍な行為が、言葉の使い分けで、
「モノを食べる」という真っ当な食の習慣へとうまくすり替えられるれるようだ。 

これもだが、テレビニュースで見た映像を思い出す。
ある日本商社の英語圏の海外店長が現地で誘拐され、長期の幽閉の末に晴れて解放された。
ニュースは、同国の女性大統領が彼を謁見する場面だった。労いの言葉とともに、
どんなものを食べていたのか、と大統領が聞いた。すると店長は、少々緊張していたのか、
わが商社マンが得意とする日本語英語が出てしまったのか、「PIG」と口走った。
つまり、「豚も食べた」と答えたわけだが、大統領が心なしか怪訝な顔を見せ、
会話が一瞬途絶えた。「PIGなんてタベモノあったかしら?」と自問したのだろう。
脇に立っていた日本大使らしき人物が、即座に「PORK」と口添えして、
大統領は「なるほど」といった顔になった。

「CHICKEN」は、「ニワトリ」も「鶏肉」にも使う共通語だが、
岩波新書の古い一冊「日本人の英語」(マーク・ピーターセン著)によると、
I ate chicken.
I ate a chicken.
では大きな違いがあるという。前者は、単に「鶏肉を食べたことにすぎない」のだが、
後者は、「血と羽だらけの口元に微笑みを浮かべながら」「鶏を一羽食べてしまった」
ことになるというから、たちまち野蛮人にされてしまう。恐ろしいことだ。

30数年前、日本の若者の「尊敬する人」の代表格で、
「生命への畏敬」を説いたシュバイツアー博士(1875〜1965)*が、
トラウマを取り除くに違いない、うまいことをいっている。伝記によると、
博士は肉食を普通に楽しみ、動植物をとりわけ慈しんだ。
正確な記憶ではないが、ある日、水たまりでもがくアリを発見した博士は、
手で救い上げ、安全な場所にそっと放してやった。「どんな小さな命でも、
無駄にしてはいけない」といい、草花をむやみに摘むのも禁じた。
http://members.tripod.com/elpage31/albert.htm

日本の屠場の片隅には必ず供養塔があり、職員たちはお参りを欠かさない。
わたしたち消費者も、イキモノを殺して食べる作法として、
シュバイツアー博士のエピソードと併せ、供養の気持ちを忘れてはならない。
「残酷だ」と思う現実の作業を隠すことなく、むしろ広く知らしめることも大切だろう。
異質な肉食習慣をお互いに尊重することも必要なことだ。
その積み重ねが、忌むべき過剰と飽食の悪循環を少々ながら改善するに違いない。

つづく

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創刊日:2001-04-23  
最終発行日:  
発行周期:3週間毎  
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