ビジネス一般

日本の支え「モノづくり」

日本の「モノづくり」への賛美と懸念を頭に置きつつ世の森羅万象を考える。図案屋稼業の傍ら、かって商社に勤務した経験も振り返り、書き溜めた著者自身の備忘録でもある。

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モノづくり、あれもこれも 《seq10》

2001/10/29

《seq10》
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    ┃モ┃ノ┃づ┃く┃り┃、┃あ┃れ┃も┃こ┃れ┃も┃ (続編)

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        --浪費なき日本の繁栄のために--
 《10》 はるかなり、ハノーバー

ドイツの中北部の都市・ハノーバーは、そのメッセ(見本市)会場で有名だ。

昨年、EXPO2000(世界万博)が開かれ、同じ10月に終わった。
かってモノづくりに携わり、欧州の技術に一目置いていた日本人には、格別の感慨があるに違いない。

毎年春先になると、重厚長大から軽薄短小まで幅広い商品の、
大規模な産業見本市(ハノーバーメッセ*)が開かれた。この時期、日本の企業戦士たちがこぞって出かけ、
「追いつけ追い越せ」の秘策を練ったのではなかったか。疑いなく欧州は、アメリカと並んで、
新しい技術の宝庫であり、発信地だった。
http://www.hannovermesse.de/homepage_e

わたしがはじめて行ったのは、1973年のこと。この頃には、日本のTVや音響機器メーカーなど、
多数の企業が欧州進出を果たし、小間を大きく占めて堂々の展示をしていた。なかに、
日本の無名と思われるメーカーがあり、商品を小さな小間に展示し、
壁には白いモゾウ紙に手書きした説明文を掲げている剛毅なところもあった。野外展示場には、
日本の建設機械メーカーが大きなクレーン車を展示していて、広いサイトのどこからも展望でき、
日本もなかなか善戦しているな、などと思ったものだ。

当時の東京では、大きな見本市の会場が晴海にあった。しかし、ハノーバーメッセでは、
規模の大きさや洗練されたディスプレーに目を見張った。当時の日本とは大違い、無骨な機械の展示会場でも、
絨毯がきれいに敷かれているのは常識だった。つまり、全世界から来る多くの重要な見込み客を相手に、
たった数日の会期のためにも投資を惜しんでいなかったのだ。驚いたのは、さすがにドイツ、
ほどんどの小間が小さなカウンターバーを設けて、商談で訪れるお客にビールを振る舞っていたことだった。

商社にいたわたしの役割は、重要な取引先だった空圧機器メーカーの担当者とともに会場を歩き、
日本で売る新商品を見つけることだった。輸入するか、国産化するかして、
新しい商売の種にしようとの魂胆だ。
めぼしい商品を見つけては、構造や価格、売れ行きを聞き出した。
まあ、少なくとも1970年代までは、どう考えても、産業のあらゆる面で、
欧米諸国のメーカーに謙虚に見習うところが多かったといえる。

この20年、技術で世界水準に追いつき追い越し、東京も大阪も立派な見本市会場を備えるとともに、
日本のメーカーが、かってほど熱心に、ハノーバーに通わないのも道理だろう。しかし、
以前指摘したように、ロケット、原子力、新幹線、果ては日常の食製品にまで予想外の事件が発生し、
日本のモノづくりが築いた高い信用を少なからず失墜させた。
諸外国から学んでいた謙虚な姿勢を忘れた反動だろうか。

案外、少々の劣等感と強い緊張感が、マンネリと脇の甘さを防ぐバネになり、
日本のモノづくりの高い水準を確実に保ち、永続させるのかも知れない。

つづく

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創刊日:2001-04-23  
最終発行日:  
発行周期:3週間毎  
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