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彼の声

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彼の声 2019.7.11 「肯定する力」

2019/07/12

 たぶん他人を思いやる余裕があれば、それ
だけ利己的な意識から離れられるかもしれな
いが、その他人というのが嫌いな人だと、思
いやるどころか不幸になってほしいとさえ思
う場合もあるかもしれないし、結局自身にと
って都合のいい他人は思いやることができる
かもしれないが、都合の悪い他人を思いやる
ことができないとなると、それこそ利己的な
意識そのものとなってしまうわけだが、思い
やるだけで何もしなければ、心の中で思いや
っているだけで、思いやる対象となっている
人にとっては、何のメリットもないように思
われるかもしれないが、少なくとも思いやっ
ている限りで、直接の意地悪や嫌がらせなど
の攻撃がないだけでも、マシだと思うしかな
いのかもしれないが、逆に思いやる心などひ
とかけらもないどころか、逆に悪口や嫌がら
せなどを仕掛けてくる相手を思いやることが
できるかとなると、たぶんそんな人を思いや
ることが肝要なのかもしれず、それも何か別
の魂胆があって思いやるのではなく、たとえ
ひどい人であっても心の底から思いやること
で、その人に対して憎悪の感情が芽生えない
ことが精神衛生上好ましいのかもしれず、そ
れも自分のために他人を思いやるという利己
的な思いの一種かもしれないが、実際にそう
なればお互いに攻撃の応酬とはならないだろ
うし、自分から仕掛けない分だけ無駄な労力
を使わずに済むから、身体の面でもそれなり
にダメージが少なくなるのかもしれず、そう
やって物事をできるだけ良い方向へと持って
行こうとすれば、世の中の傾向を否定的に捉
える意識からは脱却できるのではないか。そ
こでなぜ世の中の傾向や動向を否定的に捉え
ることがいけないのかといえば、否定的に捉
える方が楽だからというと、何が楽なのかに
わかにはわからないかもしれないが、要する
に自分の思い通りにいかない面は、気に入ら
ないから誰もが否定的に捉えたいわけで、ま
たそれを否定してしまうと、常に自分が悪い
のではなく、相手が悪いのであり、またそん
な相手を含んだ世の中が悪いということは、
比較的簡単に言えることであり、そうやって
対象を否定することによって自己満足に浸れ
るのかもしれないが、ではそれを肯定してし
まうと自己満足に浸れないのかというと、思
い通りにいかない面を肯定することは、自分
に足りない面があるから思い通りにいかない
と解釈することもできるわけで、そうである
なら自分の方が至らないのだから、何かもっ
と研鑽を積んで精進して、満足できる自分に
持っていこうとするだろうし、それだけ積極
的に活動することになるわけで、そういう意
味で、何か気に入らないことがあっても、そ
れを否定せずに、そこから何か肯定的な面を
掴み取ろうとすれば、否定的に捉えてそのま
まとなるよりは、そんな現状よりも良く見え
る可能性があると言えるのではないか。そし
て現状を否定的に捉えて、このままではだめ
だから改善しなければならないというよりは、
だめなのではなく、だめとは判断せずに、そ
こにも肯定的な面があるはずであり、それを
探し出そうとすれば、探しているうちに、そ
れまでには見えてこなかった面が見えてくる
ようなら、安易に否定せずに探してみた甲斐
があったことになるのかもしれず、そうなれ
ば結果的にだめと決めつけて否定するのとは
違うやり方を模索できたことになるわけで、
そうやって物事を肯定的に捉える習慣が身に
つけば、否定してあきらめる手前で踏みとど
まることができるだろうし、たとえどんなに
ひどい人がひどいことをやっているように見
えても、そのやっていることを成り立たせて
いる要因があり、そこにはその人だけでなく、
その人と関係している人や団体の行為や活動
もあるわけで、そうした様々な行為や活動と
の連携の中で、その人の行為や活動も成り立
っているとすれば、それが成り立っているこ
と自体は肯定しないとならないだろうし、そ
れまで否定してしまったら、その人の行為や
活動が成り立っていること自体の肯定性との
間で矛盾が生じてしまい、その矛盾をごまか
すために、それを否定する言説の中にフィク
ションが入り込んできて、言説自体の信憑性
が怪しくなってくれば、それに気づいた他人
から信用されなくなってくるだろうし、そう
いうところで何かと他人の行為や活動を全否
定してしまう言説のフィクション性があらわ
となってくるのかもしれず、全否定という奥
行きのない構図は、確かにわかりやすいし、
そんなことを主張する人と一緒になって気に
入らない物事を全否定していれば、それ以上
考える必要がなくなって、楽になってしまい、
物事の微妙な面を見極めようとして、研鑽を
積んだり精進するような成り行きにはならな
くなるだろうし、それが娯楽として単純明快
なフィクションを求める傾向とも重なって、
否定する手前で踏みとどまるような動作をも
たらせなくなってしまうわけで、そうやって
物事の単純な解釈に依存してしまうと、実際
にはそれでは済まなくなってくるわけで、要
するに誰からも否定されるようなひどい活動
が成り立っている事実をうまく説明できなく
なってしまい、何やら悪い人たちが悪事を働
いているような単純化された解釈になってし
まうわけだが、そういう言説のフィクション
化を回避するには、まずはそういうひどいこ
とをやっている人たちのことを思いやって、
そういう状況をもたらしている原因を探ると
ともに、どのようにしてそういう行為や活動
が行われているかを説明しようとしなければ
ならないだろうし、それを説明しようとする
ことによって、説明に使う材料をあれこれと
探す成り行きになって、そうした成り行きの
中で、ひどいことをやらざるを得ないような
理由や原因も導き出されてくるわけだが、中
には理由や原因とは無関係な動作も得られる
のかもしれず、それが行為や活動を肯定する
動作であり、肯定するのに必要な力も出てく
るわけで、その力を引き出すのがそれらの行
為や活動を肯定しようとする意識であり、そ
れがそんなことをやっているひどい人たちを
思いやる心なのかもしれないが、またそれが
その人たちがそんなことをやっているおかげ
で、それを肯定的に捉える自らはそんなこと
をやらなくても構わないような境遇でいられ
るのかもしれず、それとは逆に実際にそれを
全否定するような人たちには、そういう行為
や活動が回りに回って、ある時立場が変わっ
てみれば、かつてそういうことを全否定して
いた人たちが、知らない間にその人たちも自
分たちが否定していたことをやらざるを得な
い立場に追い込まれているわけで、しかもそ
んなことをやっている人たちにはその自覚が
ない場合もあるわけだ。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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