文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2019.1.13 「主張の妥当性」

2019/01/14

 世の中では様々な人や団体の活動に連動し
て様々な物事が生じていて、またそうした活
動とともに生成された物事が、他の人や団体
も絡んで消費され消滅していることも確かだ
ろうが、そこで物事の生成と消費が単純につ
ながっているわけではなく、中には過剰に生
成されて、消費されずに余った在庫が溜め込
まれたり、また溜め込まれた状態が、それ自
身とは別の価値を生じさせて、さらにそれが
別の物事の生成や消費に利用されたりして、
その生成の具合も消費の具合も蓄積の具合も、
そこに異なった思惑の人や団体が絡んでくる
と、一筋縄ではいかないようなこじれた具合
になってくることもあるだろうし、さらにそ
こに関係してそれらを取り扱う人や団体に特
有のこだわりに基づいて、妙なことが行われ
て、それが時として関係する人や団体の間で
ちくはぐな対応を招いたりして、そうやって
様々な人や団体やそれに関係する物事の関係
が、複雑に絡み合ってもつれ合い、解きほぐ
し難い様相を呈してきたりするわけで、そう
いった成り行きが人や団体や物事に関する理
解を妨げているのだろうが、人や団体が関わ
って様々な物事が生成されたり、それが消費
されて消滅したり、余って蓄積されたりして
いる状況の中で、それらの物事の生成や消費
や蓄積などに関わっている人や団体において、
関係したり取り扱っている物事自体が正確に
把握され理解されているかというと、何を持
って理解とみなすのかもよくわからないとこ
ろであり、自分たちが関わって取り扱ってい
る物事の全てを、完全に理解ているわけでも
ないのは当然だとしても、それに関しては理
解しているように装うことはできるかもしれ
ないが、わかっているように装うほど、他か
ら見ればそれが見え透いたごまかしのように
も感じられてしまい、それを何とかごまかし
ではないように装うには、わかっていること
よりも、むしろわからないことを示した方が、
妥当に思われてしまうのかもしれないが、そ
れでも物事について語るには、それに関して
わかっていることを示さないと話にならない
し、できるだけわかっているふりを装ってい
るようには思われないように、それなりに工
夫を凝らさないとならないのかもしれないが、
それもそんなことが明確にできるかというと、
よくわからないところだろうし、ともかくわ
かっていることとわからないことの両方を示
せれば、何かそれについての一定の水準での
理解になることは確かだが、一方でそれが物
事の理解に関しては、妥協の産物であること
も明らかとなるわけだが、だからと言って、
他に全てがわかっている人や団体がいるわけ
でもないし、そこに関係してくる誰もが、程
度の差こそあれ、わかっていると思っている
面と、わかっていない面の両面を、意識の中
に抱え込んでいるはずなのだろうが、それを
どう言い表すかによって、それがうまく他に
伝わったり、伝わらなかったりするのかもし
れず、また場合によっては、それを他から悪
く受け取られると、疑念を抱かれたり信用さ
れなかったりするのだろうし、どうしてそう
なるかといえば、人それぞれに異なる事情を
抱えていて、事情が違えば共感できない面も
当然出てくるだろうし、何かそう言わざるを
得ないことがあると、なぜそう言わざるを得
ないのかが伝わらず、そこでその人の事情が
邪魔をして、他から疑念を持たれるようなこ
としか言えなくなってしまい、それに関して
はその人の事情を考慮すれば、そうなるのが
当然の成り行きだとしても、他の人の事情と
その人の事情が合うこともないだろうし、ま
たその人が他人の事情を考慮できるかという
と、できることとできないことが出てくるだ
ろうし、それはその場の情勢にもよるだろう
が、そうやって人それぞれに事情が異なって
きて、そんな状況が互いの事情の共感や共有
を妨げて、それに従って、お互いにわかり合
えない人や団体が対立したり争ったりして、
そこに他の人や団体に特有な事情も絡んでき
て、その結果として、さらにその場の状況が
複雑で込み入った様相を帯びることになるの
かもしれないし、そういう面で時として関係
者の間でうまく調整ができて、何らかの妥協
が成立することもある一方で、また交渉が決
裂して対立が長引く場合もあるのだろうが、
それらの顛末を結果から見てどう判断してど
う評価しようと、そんな判断や評価を下して
いる時には、別の新たな問題への対応が迫ら
れたりして、またそれに関して過去の歴史か
らうまくいった事例を持ち出してきて、それ
を参考にしなければならないと主張すること
もできるが、それに関しても、当時と今とで
事情が異なれば、そんなのは気休めの意見に
しかならないだろうし、そんなふうに的外れ
なことを言いたい人はいくらでもいるのかも
しれないが、そういった問題に関しては、し
かるべき立場の人や団体がしかるべき制度に
基づいて、外部から介入するような成り行き
が生じることも生じないこともあるにしても、
制度自体や制度の運用に問題があれば、また
そうした事態に特有の事情が生じてくるし、
またそれに輪をかけて、そういう事情を問題
視して絡んでくる人や団体もいるわけだから、
そうやって人や団体やそれに関連した物事が
複雑に絡み合う成り行きをどう捉えてみても、
人の意識や思考にはその全てを捉え切れるわ
けでもなく、それらの顛末を正確に把握でき
るとは思えないが、それに関しても必ずわか
ったようなことを言う人が、わかりやすく解
き明かしてみせるかもしれないが、そういう
人がわかりやすく説明するほど、わかりにく
い部分を省いて説明してしまうわけだから、
それを真に受けた人がわかったような気にな
るのは、やはり勘違いでしかないのかもしれ
ない。

 それらの成り行きに関して、誰もがそれな
りに当事者の面があるとしても、その程度に
は当然のことながら差があって、その中で主
導的な役割を果たしている人や団体もある一
方で、従属的な役割を強いられている人や団
体もあるだろうし、その中で公平な立場をと
れば、都合よく特定の人や団体やその役割だ
けを正当化するわけにもいかないのだが、ま
たそれも当然のことのようにそうはならない
わけで、そこに関わってくる人や団体のどれ
か一つに焦点を当てて、そうした対象を主人
公のように見立てて、それに絡んだ出来事を
中心に物語ることによって、それが物語る人
の都合が反映したフィクションとなって、そ
ういったフィクションを求める人たちを楽し
ませることになるわけだが、結局それも出来
事に絡んでくる人たちに含まれるわけで、そ
れらは物事の消費の過程に絡んでくる人たち
でしかないだろうし、それがまた新たな物事
の生成につながるとしても、そこでの生成と、
その基となった物語化されたフィクションの
生成と、肝心の大元の出来事とは、それぞれ
がだいぶ離れているわけで、そこからまた単
純な結論めいた言説を導き出すとなると、そ
れが何になるかといっても、たとえその中で
何か教訓のようなことが言えたとしても、だ
からと言って、それもそこから生成された物
事でしかなく、そうした物事を他の誰が共有
する必要があるかとなると、興味や関心がな
ければ無視すればいいことでしかないだろう
し、そういうところで物事の捉え方に限界が
生じるのかもしれないが、そういう面でそう
いった教訓もどきから、そこに関わってくる
人や団体が守るべきことや、やってはいけな
いことなどが導き出されるとしても、あらか
じめそれらが出来事が起こる前から決定され
ていたわけではなく、あくまでもそれは出来
事が起こった後から導き出されたものでしか
ないだろうし、実際にはその場の状況に応じ
て可能なことが関係する人や団体によって行
われるわけで、それを外部からしかるべき権
限を伴った機構によって決められるわけでも
ないだろうし、それを今後のために事後的に
決めたとしても、それが法律などの決まりで
ある限りは、破ることができるわけで、実際
に当事者がそんなことをやった後から、決ま
りがどうのやるべきことがどうのと、いくら
でもそんなことは言えるのかもしれないが、
それも後から言えることでしかなく、別に前
もって決められたことを後から指摘している
わけでもないだろうし、その場の結果に応じ
て、指摘できることも変わってくるわけで、
結局どこまでそんなことを言ってみてもきり
がないわけだが、たとえきりがなくても言い
たい人は執拗にいつまでも言い続けるだろう
し、そういう行為が鬱陶しければ、周囲から
無視されるしかないわけだが、実際にも何か
メディアが注目するような出来事が起これば、
そこへと介入したい人が、それに関してそん
な語ろうとするのであり、そしてそこで述べ
ていることに賛同してくれる人が多く出るこ
とを期待して、盛んに自らの存在とその言説
をメディア上で宣伝しまくるわけだが、そう
いう行為がその人の述べている言説の内容と
どう結びつくかは、相変わらず定かではない
だろうし、その人の目論見通りに、その言説
内容の賛同者が多く出て、それが世の中の世
論に反映されれば、それが公の場での政治に
何らかの影響を及ぼすかもしれないが、だか
らと言って、その人とは異なる言説の内容も、
同じように政治に何らかの影響を及ぼすかも
しれないし、そんなことをやっている人が他
にもいくらでもいるのが、現状の大衆市民社
会の実態なのだから、そんな行為自体が世の
中の風潮を反映した成り行きの一部として絡
め取られているわけで、他の多くの人たちが
やっているのと似たような行為として、その
人も世間から生じている何らかの立場や態度
の一翼を担って、その中で共感できる人や反
感を抱いているような人との相対的な位置関
係や距離に応じたことを述べているわけで、
それが自らの主張だと錯覚しているのかもし
れないが、そうであるならそれが他の誰もが
主張する紋切り型の主張内容とどう違うかを
確かめてみなければならないのかもしれない
が、確かめるということが、他の多くの人か
らの共感を期待することでもあり、実際に多
くの人からの共感を得られれば、それは他の
多くの人たちも同様に思っていることであり、
特にその人に固有の主張でもなかったことが
証明されてしまうわけだが、結局そうなって
しまうにしても、そんな他の誰もがわかって
いるような相対的な立ち位置から生じる主張
内容を、自らの主張だと思い込んでしまうこ
と自体が、そう思い込ませるような世の中の
成り行きの中で生じていることなのかもしれ
ないし、もしかしたらそれは誰に特有の主張
なのでもなく、世間的な集団意識がその人に
言わせていることなのかもしれないし、たま
たまその場では、その人にそんな誰もがわか
っていることを言わせるような順番が回って
きただけなのかもしれず、他の誰でも構わな
かったのに、その人が言う順番が回ってきた
ことが、ただの偶然の巡り合わせと捉えたら
いいのか、あるいはその人が人一倍その種の
紋切り型に対する感応力が高かったからなの
かは、そうなった結果から見れば何とでも言
えることであるだけに、やはりそんな主張を
すること自体が、その人にとっては大したこ
とのように思われるとしても、世の中にとっ
てはどうでもいいような些細な出来事でしか
ないのかもしれないし、それがさらに単純化
されたものが、手を挙げて横断歩道を渡りま
しょう、とか言う実践されない交通標語のよ
うな感じになるのではないか。それを当人の
意識の中では、持てる知恵を振り絞って、様
様なところから得られた貴重な情報を基にし
て、まとめ上げたような気になっているのか
もしれない。 

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