文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2019.1.11 「紋切り型の評価」

2019/01/12

 何か現状に関して状況的な面で、判断が誤
っているとみなせることには、狭い範囲では
考えていることや述べていることに妥当性が
あるとしても、その狭い範囲というのが、そ
の範囲を定める側の恣意性に依存していて、
都合の悪い面を思考や言述の範囲に含めてい
ない可能性があるから、そうみなすしかない
わけだが、そうやって都合のいいところだけ
に範囲を区切った偽りの妥当性を伴った判断
は、他からの指摘によって、そうした判断に
とって都合の悪い面が出てくると、その妥当
性が揺らいでしまうわけだが、そういう判断
を下す理由というのが、やはり何とか自らの
判断の正しさを主張するために、自説に都合
の良い範囲だけを取り出して、その中で成り
立つようなもっともらしいことを述べたがっ
てしまうからかもしれないが、そうやって自
分にとって都合のいいことを述べてしまうこ
と自体が、その人の思考の限界を物語ってい
るわけだが、たぶんそういった自らの正当化
に関連する自己主張となる面を意識して抑え
込めれば、自分の主張にとって都合の悪いこ
とにまで思考したり言及することができそう
だが、そこで功利的な損得勘定が過剰に働い
てしまうと、やはり自分を利するように思わ
れること以外は、あえて述べようとはしない
だろうし、そういう計算が働いてしまう人は、
自身の述べている論理が破綻をきたすような
ことにまでは言及できないわけだが、それを
自覚して述べないのと自覚もできずに述べな
いとは違うだろうし、少なくとも自らの論理
が破綻する面があることを自覚できれば、そ
れに関しては戦略的な判断から述べないにし
ても、それをわかっているだけに、そういう
面では慎重に言葉を選んで対応するだけの余
裕があるのだろうが、一方でそれを自覚もで
きずに述べられないようなら、単に思慮が足
りないとしか言いようがなく、そういう人は
世間的な紋切り型の思考や言動の範囲内で活
動することしかできないだろうし、それを超
えるような、例えば集団を束ねるような指導
者的な役割を全うするには不向きな人として
見られるのかもしれないが、中にはそんなこ
となど自覚もせずに、自らの限界を超えたこ
と述べてしまったり、自らの狭い思考から逸
脱するような行為ができる人もいるわけで、
そういう人にはカリスマ的な魅力が生じて、
自らの限界を自覚できる人を補佐役に抱える
ことで、カリスマ的な指導者として、民衆の
人気を得るかもしれないが、少なくとも何ら
かの形でそこに忍び寄ってくる、世間並みの
紋切り型的な態度や思考や言動への誘惑に逆
らえなければ、あるいは誘惑に身をまかせな
がらも他の夢を見るようなことも含まれるわ
けだが、自身の功利的な限界を越えて語るこ
とも行動することもできないのかもしれず、
そうした先入観や固定観念から逸脱する成り
行きというのが、語る対象を肯定せざるを得
ない成り行きだろうし、肯定というと何か褒
めるような意味に取られるかもしれないが、
褒めるというよりは、その存在と、それが人
や団体なら、やっていることを認めることに
つながるだろうし、そういう意味で単に否定
するのではなく、いったんは肯定してみるこ
とが重要に思えるわけで、その辺の感覚が微
妙なところなのだが、たぶんその対象があり
ふれた物事であっても構わないのだろうし、
一見何でもない物事であっても、その存在や
それに伴って生じる現象を否定しようがない
物事があるのかもしれず、そういう物事はと
にかく肯定するしかないだろうし、いくらそ
うした対象について、他からもっともらしい
否定的な面や要素が指摘され、さもそう語る
のが当然のことのように語られていようと、
やはり現に存在していて行われている行為や
現象そのものは肯定するしかないわけで、そ
うした面は理屈でも論理でもなく、またはそ
れを巡って怪しい勘が働いているわけでもな
く、ただ肯定するしかないような物事という
のがあって、そうした物事を否定すること自
体が、それを否定する理屈や理由に、典型的
で紋切り型的な先入観や固定観念に囚われた
面があって、そういう面から作用や影響が及
ぼされて、否定的に見られている物事を、世
間でもありふれた物言いで否定してしまうこ
とが、そうした紋切り型的な文句に惑わされ
ている証拠となるのかもしれず、それが物事
の肯定できる面を見逃してしまう原因にもな
っていて、そういう意味で、思考や言述の対
象となる物事を紋切り型的な言葉を使って否
定するような行為が、そうした紋切り型の表
現の枠内に、対象となる物事を押し込めるよ
うな無理が伴ってくるわけで、それが紋切り
型的な表現を無自覚に使う人の都合であり、
そういった表現を使って対象となる物事を貶
めないと、その人の理屈や論理に関して妥当
性が揺らいでしまい、その物事を否定的に評
価した判断が誤っていることになってしまう
から、それを避けるためにも、紋切り型の否
定的な言葉を使って、魅力のない印象をその
物事にまとわせたいわけだが、その反面、そ
れが紋切り型の表現であるだけに、表現自体
がありふれていて、そうした物事に紋切り型
的な表現を伴わずに直に接した人にとっては、
現実に体験する物事と、言葉で表現された間
接的に見聞する物事との間で違和感を伴うわ
けで、たぶんそういった違和感から、紋切り
型の否定的な表現を使って、語っている対象
を貶める行為の欺瞞性が明らかとなってくる
のかもしれないが、そういった欺瞞性を無自
覚に世間的な紋切り型に浸された意識が気づ
くかというと、大抵は気づかないだろうが、
中にはたとえ無自覚ではあっても、そんな欺
瞞などは無視して、世間の手垢にまみれた表
現とは違うことが言えてしまう人もいるわけ
で、やはりそういう人の存在やその人の言っ
ていることややっていることは肯定して認め
るしかないわけだ。

 20世紀を代表する知識人であるミシェル
・フーコーは、フランス革命にも第一次世界
大戦にも第二次世界大戦にも一切触れること
なく、他の誰とも異なる歴史を語ることがで
きたし、一方で20世紀を代表する独裁者で
あるヨシフ・スターリンにとっての、第一次
世界大戦の勃発は、革命をきっかけを作った
一大事件であり、その最中に起こったロシア
革命のどさくさに紛れて立身出世のチャンス
を掴んだわけだが、第二次世界大戦の方は、
自らの全体主義的な政治活動が、束の間の小
休止を迎えた時期だったし、彼はその前後で
人民の大粛清を実行して、自らの権力基盤を
磐石なものとしたわけだが、またスターリン
と双璧をなす、同じく20世紀を代表する独
裁者であるアドルフ・ヒトラーにとっての第
一次世界大戦も、それにかこつけて成功のチ
ャンスを掴む一大事件であり、大戦が勃発し
たことを神に感謝したそうだが、第二次世界
大戦の方は、その戦争自体よりも、やはりそ
れにかこつけて自らの政治理念を実行するた
めの絶好の機会と捉えたわけだし、それらの
人たちにとっては、革命だの戦争だのは、そ
れを利用したかその機会を捉えたか否かに関
わらず、ただ偶然の事件でしかなかったわけ
だが、それらとは対照的に世間的な紋切り型
に囚われた人たちは、その革命だの戦争だの
の大げさな舞台仕掛けに引き込まれて、中身
のない妄想を抱いてしまうわけで、そうなっ
ている時点ですでに的外れなわけだが、世間
的にはそれが的外れではあり得ないだろうし、
革命や戦争といった大掛かりな舞台装置の上
で演じられる悲劇や喜劇の類いに、多くの人
たちが目を向けて、そこから教訓の類いを感
じ取ってほしいのだろうし、またそういった
悲惨な事態が起こらないようにするにはどう
すればいいかを、公の場で真剣に議論しなけ
ればならないという方向へ、世の中の世論を
誘い込もうとするわけで、そうした紋切り型
的な成り行きが何を招いてきたかは、実際に
そうなってしまった結果から考えてみれば、
そうした傾向についての何やらもっともらし
い正当化が成り立つわけだが、そういった物
事を結果から見てしまう紋切り型的な思考だ
と、要するにたまたま起こってしまった革命
や戦争などが、必然的に起こるかのように錯
覚してしまうわけで、それがそもそもの勘違
いなわけだが、そうした偶然を必然と置き換
えるような思考こそが、偶然を偶然として肯
定できないことの紋切り型的な症例を示して
いるわけで、そういう思考に囚われた人たち
にとっては、そこで人や集団が争っているだ
けの革命や戦争こそが、自らの思考や精神の
拠り所となってしまうわけで、特にそういっ
た大事件に受動的な立場で巻き込まれた人た
ちにとっては、それが自らの人生を台無しに
した許し難い事件であるように思われるだろ
うし、そういった革命や戦争を自ら主導した
立場ではない人たちが、それらを積極的に主
導した人たちに比べて、革命や戦争の本質を
わかっているかというと、それは受動的な範
囲内でしかわかっていないわけで、そういっ
た範囲内に限られた経験しかないから、それ
らを積極的に主導した人たちのことにまでは
思考が及ばないわけで、そこでそれらの人た
ちに特有な判断の誤りが伴ってくるだろうし
、結局そういった人たちは、革命や戦争を否
定的な紋切り型の対象と決めつけて、その悲
惨さや場合によっては滑稽さを強調すること
しかできないだろうし、その抗いがたい肯定
的な魅力については否定的にしか語ることが
できず、しかもそれについて語っている時点
からは、もはやそんな大事件など過ぎ去った
遠い昔の出来事でしかないわけだから、現状
では安全な時空から、ひたすら被害者づらで
それらの紋切り型的な対象について語ってい
られるわけで、そういった内容に他の人たち
がリアリティを感じられるかというと、紋切
り型的な思考に囚われていなければ、首をか
しげるしかないわけだが、それを語っている
当人も自覚しているから、また迫り来る革命
や戦争の予感や兆候を感じ取ろうとして、期
待に胸を膨らませている人もいるのかもしれ
ないが、それにしても初めからそうした偶然
の出来事を、因果応報を含んだ必然の出来事
として否定することしかできないわけだから、
それを絶好の機会と捉えたヒトラーなどと比
較すれば、どちらがそうなった時点で強いか
は一目瞭然なわけだが、結局そうなれば強い
側が主導権を握るしかないわけで、そういう
悲惨な出来事を二度と繰り返さないという教
訓が生かされることはないわけで、少なくと
もそれが間近に迫っているだとか、このまま
では戦争になるだとかの、危機感を煽るやり
方は、何とかそういった脅しを利用して現状
を否定したいがための後ろ向きな態度に見ら
れてしまうだけに、現状の中で主導権を握っ
ている人たちにとっては、馬耳東風の無視す
る対象にしかならず、それでも世間体を気に
しなければならない機会には、それについて
の通り一遍の世間的な紋切り型に沿った無難
な対応は心がけるだろうが、それに比べて現
状で主導権を握れずに受動的な境遇を強いら
れている人たちにとっては、このままでは大
変なことになる、という危機感を煽るような
脅しの類いは、自分たちの団結の拠り所とも
なるだろうし、このままでは大変なことにな
るから、自分たちが一刻も早く主導権を握っ
て現状を変えなければならない、という切実
かつ深刻な危機感を共有せずにはいられない
わけで、そのこのままでは必然的に大変なこ
とになるはずだという思い込みが、果たして
他の一般の市民の人たちに受け入れられるか
となると、現状で満ち足りている人たちにと
っては、到底受け入れがたいことだろうし、
また現状の延長上で豊かになるために積極的
に努力しているにとっても、現状そのものが
危機的な状況なら、現状を認めた上で努力す
る大前提が成り立たなくなってしまうわけだ
から、それも受け入れがたいことになるわけ
だろうし、そうなると必然的に危機感を煽る
ことに共鳴するような人たちは、現状の中で
は少数派となるしかないのではないか。だか
らそれを多数派にしようとしてさらに頑なに
危機感を煽るのだから、そうなってしまう時
点で無理が生じてしまうことは理解しなけれ
ばならないし、それこそが判断の誤りを招い
ているわけだ。 

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創刊日:2001-03-26  
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