文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2019.1.10 「騒ぎの煽動者」

2019/01/11

 それを一般的にそう呼ぶかどうかは、何と
なくそう呼んでも構わないような気もするだ
けだが、現代の大衆市民社会と呼ばれる状況
の中で、一般の市民が生きている現状は、よ
く考えてみれば、ただ普通に生活しているに
過ぎないのだが、その普通という状態も人そ
れぞれに感覚が異なるかもしれないが、そこ
に人が生きていく上で目的や目標を設定でき
るかというと、一時的ではなく恒久的に信じ
られるような目的や目標というのが、なかな
か見当たらないのかもしれないし、実際にそ
んな目的や目標をはっきりと掲げている人が
いたら、それはその人独自の目的や目標であ
って、他の人には関係のないことになりやす
く、何かそういったものを大勢で共有するよ
うな成り行きにはならないのかもしれないが、
人によっては特にそんなことをやる必要も感
じられないかもしれないし、それ自体がたわ
いない幻想に過ぎないのかもしれないが、た
とえそれがたわいないものであろうと、何か
幻想を抱いていないと、他に何もなければ、
何のために生きているのかわからなくなって
しまうかもしれないが、人によってはそれが
たわいない幻想であろうと、馬鹿にできない
事情となるのかもしれず、他人の幻想をたわ
いないと馬鹿にしてみても、では馬鹿にして
いるその人には他に何があるかと問われたら、
そこには相変わらずただの生活しかないわけ
で、その他に何があるかといえば、やはりそ
の人のなりの幻想があるとしかいえないので
はないか。そしてその幻想の主なものとして
は、ただ漠然と豊かになりたいという願望で
あったりするかもしれないし、別にそれを漠
然とそう思っているだけではなく、人それぞ
れにそれなりに豊かになるように努力してい
るつもりであり、努力しているつもりの当人
にとっては、それはつもりではなく、実際に
努力している実態があるのかも知れないが、
普段は改まってあまりそういうことは考えな
いだろうし、ただそこで活動しているのであ
り、その活動に心を奪われているから、そん
なところまでは深く考えるまでもないことで
あり、活動としてそこで何かをやっていれば、
それで気が済んでしまうようにも思われるだ
ろうし、それ以外に何を考える必要もなくな
ってしまうのかもしれないし、実際にやって
いるそれが、仕事であれ趣味であれ娯楽であ
れ、日常の生活の延長上に何かをやる成り行
きがあるわけで、そのやっていることに手一
杯となっている限りで、満ち足りた気持ちに
なれるのかもしれず、満ち足りていれば、そ
れ以上考える必要はないだろうし、やってい
ることにかかりきりになっている限りで、そ
れについて考える余裕もないわけだが、実際
にもそれ以外には何もないことに気づけない
にしても、そういうことに気づかないように
意識して心がけているわけでもないにしても、
自然と何かをやっていることに没頭しようと
するだろうし、それをやっていれば気が紛れ
てしまうのかもしれないが、他の何かに真剣
に向き合えるかというと、そういったことに
利用できる格好の行為が、争うことであり、
何らかの形で他の人や団体と争っていれば、
争いの渦中で、争っている以外のことを考え
る必要もないだろうし、そんなわけで、誰も
が争うためのきっかけを探しているのかもし
れないが、もちろんをそれを直接に意識して
いるわけではなく、ただ世の中で何らかの活
動をしていれば、必ず思い通りにいかないこ
とが出てくるだろうし、それが他人や他の団
体が邪魔をしているから思い通りにいかない
と思えば、そうやって自分以外に思い通りに
いかないことの責任を転嫁できるだろうし、
そんなふうに思い込めれば、自分の活動の邪
魔をしているらしい人や団体と争う理由がで
きるわけで、それが自然な成り行きとして他
と争いたくなってくる原因なのかもしれない
し、そういった争いの成り行きへとその身を
投じるのが、自然な振る舞いのように感じら
れるのではないか。また誰もがそんな成り行
きへと引き寄せられてしまうとすれば、当然
の帰結として世の中で争いが激化するのかも
しれないが、争いの程度や度合いにも千差万
別があり、大抵の場合は社会の治安が保たれ
ている限りで、争っている双方ともに致命傷
を負わない程度に、力の入れようを加減した
争いが主流となるのかもしれないし、面倒な
事態にならない程度で争いを収めるように心
がければ、それに越したことはないわけだが、
それでも他人や他の団体がやっていることが
気にくわないことには変わりないだろうし、
そんな人や団体が存在する限りで、争いの火
種が絶えることはないわけで、実際に世の中
で争いが起こっている限りで、それに関連し
てそうした争いを利用して人や団体などの活
動が行われているわけで、そうした争い自体
が活動なのだろうが、そんな活動の中には政
治や経済などの揉め事から、日常の些細な揉
め事まで、様々な活動が行われるわけだが、
そんな争いに気を取られていると、何でもな
い日常の実態を忘れられるから、日常に退屈
しているほど、そうした騒ぎに敏感に反応し
やすくなって、騒ぎに便乗して感情を高ぶら
せて、気を紛らそうとするのだろうし、それ
が何でもない日常を乗り切るための生活術と
化している面もあって、そういう人々に騒ぎ
のネタを提供するニュースメディアやワイド
ショーやゴシップ雑誌などが繁盛しているわ
けで、それをどこまで真に受けるかが、その
人の良識や見識として問われているのかもし
れないが、果たしてそうした騒ぎは真剣に検
討すべき事柄なのか、あるいはそれらの中の
どれかに社会に関する深刻な問題が潜んでい
るのだろうか。

 それを深刻に受け止められるかどうかは、
その人のそれらの騒ぎに対する姿勢や立ち位
置に絡んでくることかもしれないが、その一
方で何もないところで、あえて自身が騒いで
それがメディアの話題となるように画策する
人や団体も現れるだろうし、また騒ぎに便乗
して、世間や世論が味方する側について、味
方をしている自身の自己宣伝に利用しようと
する人や団体も現れるし、そういう成り行き
の何が深刻に受け止めるべきなのか、理解に
苦しむところかもしれないが、そういった騒
ぎ自体には考えるべきことは何も含まれてい
ないだろうし、騒ぎに至る過程で、そこに関
わってきた物事が消化されて、騒ぎ自体のエ
ネルギーへと変換されてしまい、それが騒ぎ
によって燃やされているわけだろうし、騒い
でいること自体が炎上そのものであるわけだ
が、中にはそれをより大きな炎上へと焚きつ
ける役割を担った人や団体もいるわけで、そ
れが他の人や団体へと言いがかりをつけて、
自爆テロのように騒ぎを起こしたり、騒いで
いる人や団体の味方を装って、それを自己宣
伝に利用したりする人や団体でもあるわけだ
が、そういうことをやっていること自体が、
あまり中身のないことなのかもしれず、その
場の状況の中で、自らを利するような決めつ
けを行なって、それを世間的な集団意識や世
論や民意などとして定着させたいのかもしれ
ないが、そういった印象操作が、果たして実
質的な人や団体の活動に作用や影響を及ぼす
のかというと、実際にそれが何らかの効果を
発揮していると思いたいのかもしれないが、
そうだとしてもそうした効果によって何がど
うなるのかといえば、そうした画策がたわい
ないものでしかないことが、世の中の情勢と
してはっきりしてくるだけで、要するにそう
したたわいない画策に応じた、たわいない世
の中の情勢が出現するわけで、そんなたわい
ない情勢の中で、それに適応した人や団体が
たわいないことをやっている世の中となるわ
けで、それが現状の大衆市民社会の実情なの
かもしれないが、別にそれがたわいない以外
の何を表しているわけでもないだろうし、間
違ってもそれが深刻な事態であるはずがない
だろうが、やはりそんなたわいない子供騙し
のような事態に危機感を抱いてしまう人や団
体がいるから、そういう人や団体が危機感を
煽って、このままでは大変なことになると騒
ぎ立てるわけだが、それも騒ぎ立ての別バー
ジョンに過ぎないことであり、それ自体もた
わいない騒ぎ立ての一種であり、まったく真
に受けるようなことではないのかもしれず、
そうやって騒ぎ立てる方へと民衆を導こうと
すること自体が、無駄で無意味な試みとなる
他ないわけだが、ではそれとは逆に、何が起
こっても騒ぎ立てない方へと民衆を導けるか
というと、すでに騒ぎ立てている人たちが、
世の中ではほんの一部の人たちに過ぎないこ
とが明らかとなりつつあるのかも知れないし、
すでにほとんどの人たちは傍観者であるか無
関心であるかのどちらかであるのかも知れず、
そう意味では民衆に向かって騒ぐようにけし
かけて、騒ぎを利用して民衆を恣意的な方へ
と煽動しようとする手法そのものが限界を迎
えつつあるのかも知れないし、何か特定の物
事について、民衆を一致団結させようとする
手法でさえも、無効になりつつあるのかも知
れないし、そういうところを考慮するなら、
そうした手法に依存して成り立ってきた民主
主義という制度そのものが、意味をなさない
ものになりつつあるのだろうが、そうなると
そうした制度に依存して自己主張や自己宣伝
をやろうとしている人や団体が、危機感を募
らせるのもうなずけるところだろうし、自分
たちの存立基盤が失われつつあるのだから、
それが深刻な事態であることを自覚せざるを
得ないのだろうが、だからと言ってそれ以外
の人たちにとっては、別に深刻な事態だとは
言えないだろうし、そうした制度に依存しな
くても生きて行ける限りで、何とも思わない
だろうし、実際に制度の形骸化に直面してい
ることに無自覚なのかもしれないが、制度と
いうのはその必要がなくなれば形骸化するの
であり、実際に形骸化すれば、次第にそれで
構わないような成り行きになっていくのだろ
うが、そうなってしまっては困るような人や
団体が、最後の断末魔の叫びのようにして、
形骸化をもたらした犯人探しをして、犯人に
見立てた人や団体を名指しして、非難したり
批判しながら騒ぎ立てるわけで、現状がそん
な段階に達しているかどうかは、人によって
見解が分かれるところかもしれないが、実際
に現状の世の中を否定的に捉えて、そうした
否定性を象徴している対象として特定の人や
団体を名指しして、それらに向かって盛んに
批判を行なっているような人たちは、その批
判が断末魔の叫びであるかどうかは、もうし
ばらく時間が経ってみないことには断じ難い
ことかもしれないが、ともかく現状の形骸化
しつつある制度にしても、一朝一夕にできあ
がったものではなく、様々な歴史的な経緯や
複雑に込み入った紆余曲折を経ながら、現状
へと至ったわけだから、これからそれらの制
度がどのような制度へと至るかは、またそれ
なりの歴史的な経緯や紆余曲折を経ながら変
貌していくことは、おおかた予想がつくこと
かもしれないし、それがどんな状態へと至る
かは現状ではわからないが、たとえどんな状
態へと至っても、そこで人々が普通に生活し
ている状態が保たれていれば、やはりそれは
何でもないことになってしまうだろうし、要
するにそれについてあえて騒ぎ立てるような
深刻な状況とは言えなくなってしまうわけだ
ろうが、そこでも気に入らないことをやって
いる人や団体がいる限りで、それなりに争い
が起こって、それに呼応して騒ぎを煽り立て
る役目の人や団体が現れるだろうし、そんな
騒ぎに関心を持つ民衆もそれなりにいること
になるのかもしれない。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
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