文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2019.1.9 「価値判断」

2019/01/10

 物事の価値に関して踏まえておかなければ
ならないことは、確かに人が所有したり使用
したりする物事には、それを必要なものとし
て所有したり使用するだけの価値があるよう
に思われるが、その価値が価格などで測れる
価値だとして、それが金銭的な価値であれば、
資産がある程度あって、自由に使える金銭の
額が大きい人ほど、同じ価格でもその価値は
低下するだろうし、一方で資産が少なくて、
自由に使える金額が少ない人ほど、自身の使
える金額との比較で、高価に思われるものに
は、それだけ高い価値があるように思われる
かもしれないが、その人にとってそれが必要
でなければ、いくら高価な価格がつけられて
いても、価値を感じられなくても構わないの
だろうが、それでも世間的な価値観に意識が
囚われていれば、世間的に見て高価だと判断
される価格がつけられているものには、たと
え不要であってもそれ相応の価値があると思
うだろうし、そうした価値の世間的な共有が、
価値をめぐる世の中の秩序やヒエラルキーを
生じさせていて、その価値の所有者や体現者
を、同じ価値観を共有する人々が尊ぶ心理が
形成されて、そうした思い込みの社会的な共
有によって、人や集団の間にも、価値のある
なしや高いか低いかの格差が生じるのだろう
が、意識がそうした価値観に囚われていれば、
それが偏見だとは思えないし、実際にその人
の収入や社会的な地位に応じて、価値のある
人や価値のない人や、価値が高かったり低か
ったりする人が世の中にいるように思われる
し、またその人に利用価値があるかないかで
も、人の良し悪しを判断してしまうだろうし、
そうした価値判断によって、人を重視したり
軽視したりするわけで、実際にそうした判断
が人や団体の活動の中で行われていれば、自
身とって価値が低いと思われる人がどうなろ
うと、それほど関心を持てないが、自身を利
するように思われる人に関しては、価値が高
いと思われるし、それだけその人に関心を持
つことになるわけだが、また自身と敵対する
ような立場の人にも、関心を示すだろうが、
そういう人には価値があるかとなると、ある
としてもそれはマイナスの価値になるのかも
しれず、敵対関係にあれば、普通は自身に利
益どころか害をもたらすと考えられるから、
その人の存在や活動が、自身から利益を奪う
ようなマイナスの価値があると認識されるか
もしれないのだが、対立することによって逆
に利益がもたらされるような場合には、双方
にとってマイナスとマイナスが掛け合わされ
て、プラスの価値になる場合もあるだろうし、
そういうところで対立をどう捉えるかによっ
て、価値判断が異なってくるのかもしれない
し、例えばそれを競争と捉えれば、競争によ
ってお互いに切磋琢磨し合って、価値を高め
られるように思われるかもしれないし、具体
的にそれがプロスポーツなどの競技であれば、
それが勝利や栄誉や名声や報酬となってもた
らされるだろうし、それが企業間での競争と
なれば、市場が拡大しているうちは、共存共
栄ができる面では確かに利益がもたらされる
が、市場が飽和状態となれば、淘汰が起こっ
て、競争について行けなくなった企業から、
損失が拡大して倒産するか、他の企業に吸収
合併されるかして消えていくわけだろうし、
またそれが経済などの国家間競争として捉え
られると、互いの国が経済成長している間は、
やはり共存共栄の関係が成り立つが、どちら
か一方かまたは両国の経済成長が鈍化してく
ると、自国の経済を守るために、貿易相手国
を敵視するようにもなるだろうが、果たして
そうした敵視が妥当であるかどうかは、一概
には言えないところかもしれないし、他国を
敵視することで利益がもたらされる面と、も
たらされないどころか損失さえ被る面もある
だろうし、例えば他国を敵視することによっ
て軍備増強が図られれば、軍需産業に利益が
もたらされるだろうし、また輸入関税を上げ
て国内の産業を保護すれば、そうした産業に
利益がもたらされるかもしれないが、それに
よって輸入品が値上がりして売れなくなれば、
それに関連した産業では損失が出るかもしれ
ないし、また軍備増強によって戦争への危機
が高まれば、安全保障などの面でそれが損失
と見られるかもしれないし、それによって何
らかの保険料の類いが上がるかもしれないし、
さらにそうした情勢が株や為替の相場にも影
響を及ぼしてくれば、そういう分野でも利益
が出たり損失を被るような面も出てくるのか
もしれず、それによって利益が得られる面に
関しては、利益としての価値をもたらすよう
な認識も成り立つわけだが、それに対する見
方や捉え方によっては、利益どころか損失を
もたらしているように思われる面もあるだけ
に、そこでも人によっても立場によっても認
識の違いが生じてくるのではないか。また単
に利害関係だけではなく、友情とか愛情とか
の経済的な利害とは異なる価値を見出そうと
する場合もあるだろうし、たとえ経済的な損
失を被ってでも人を助けたいと思うなら、人
を助けることの価値の方が経済的な価値より
も優先される状況が、そこで生じていること
にもなるだろうし、他にも経済的な利害とは
異なる価値があるかもしれないが、実際にそ
ういった価値を実感できなければわかりよう
がないわけだ。

 そうした価値に関する判断において何かお
かしいように感じられるのは、比較する対象
の中で、特定の対象を強調したり軽んじたり
する恣意的な操作においてだろうし、例えば
意図的に否定したい対象に関しては、肯定で
きる面をわざと言わなかったり、そうやって
否定したい対象の否定的な面ばかりを強調す
るのだが、たぶんそういうことをやっている
人は、そういうことを戦略的な観点からやっ
ているのかも知れないが、それをやりすぎる
と、その人の意識の土台となる基礎的な価値
観のバランスが狂ってくるのかも知れず、そ
ういう人は次第に価値判断に関しての感覚が
おかしくなって、それに伴って精神的にもこ
じれてくるのかも知れないが、その人のそう
いう兆候が周囲の他の人からも感じられるよ
うになると、その人の恣意的に偏向した強調
や、わざとらしい言い落としが目立つ限りで、
そういった面での偽善や欺瞞がはっきりして
きて、そうなると次第にそういう信用のおけ
ない人は、世の中の主流から遠ざけられてい
ってしまうのかも知れないが、そんな人を主
流の中で重用し続けると、主流自体の世間的
な価値観も狂ってきて、そうした価値観の狂
いに乗じて、以前の世の中では考えられない
ような浅はかで愚かな人や、見え透いたずる
賢さをまとった人などが、そうした方面から
の恣意的な宣伝や煽動によって、世間の脚光
を浴びるような事態が出現するのかも知れな
いが、たぶんそういったことも含めて、現状
の世間的な価値観が形成されているわけだか
ら、世間的な価値観自体に当てにならない面
があるのは確かかも知れないが、それを判断
するのは一般の民衆なのだろうから、判断が
誤っていればそれに応じた世の中になるだろ
うし、それを誤っていると判断するのが、ご
く一部の良識ある知識人であっても、最終的
にはそういった知識人の述べていることも含
めて、一般の民衆がそれらを信用できるか否
かの判断をするしかないのだろうから、どこ
までいってもそういった世間的な価値観に基
づいた判断の正しさなど求めようがないのか
も知れないが、別に正しくなくても誤ってい
ても、それに応じた世の中が形成されて、ま
たそこから世間的な価値観が生じてしまうわ
けだから、それに関してはそういうものだと
捉えておくしかないわけで、それ以上の判断
をそこから求めるわけにはいかないわけだが、
それ以上に何をどう判断すればいいかとなる
と、歴史的にどういうことが起こってきたの
かを考えてみれば、自ずから妥当な判断とい
うものが出てくるかも知れないし、たとえそ
れが正しさや正確さを欠いているとしても、
結果から見ればどうということはないのかも
知れないし、そこに世間という功罪半ばする
ような価値の判断基準があるように思われて
しまうこと自体が、別にそれを信用しようと
しまいと、都合のいい時だけ信用しておいて、
都合が悪くなれば世間の主流を悪く言うよう
な態度をもたらすのだろうし、そんなことを
言っている人が多ければ多いほど、そうした
人たちに偽善や欺瞞があることを承知してお
けば、そういうものだと受け止めておくだけ
で済ませられるだろうし、何もそうした世間
の価値判断に何もかもを依存させる必要もな
いわけで、そうした世間によって構成される
世の中には、少なからず偽善や欺瞞の徒が少
なからずいることを理解しておけば、時には
そうした世間の評価から外れた人たちに目を
向ける余裕も生まれてくるだろうし、その中
には妥当に思われることを述べている人も、
おかしいことや狂ったことを述べている人も
それなりにいるだろうし、それらもある意味
では世間の主流から見れば、世間の周縁部に
生息する人として見られているかもしれない
が、そんなことも含めて、価値とはそれに価
値があることを多くの人たちが同意できるほ
ど高まるものであり、その多くの人たちの判
断が誤っていれば、それは誤った価値となる
わけだが、それが誤っているか正しいかを決
めるのも、多くの人たちがその判断に同意で
きるほど、それが正しい判断のように思われ
てしまうわけだから、しかもその時代の多く
の人たちが同意したとしても、後の時代では
同意できない人が多数派を占めれば、後の時
代ではそれが誤った判断だと思われてしまう
わけで、歴史的に見てそういった判断の誤り
が度々繰り返されてきたわけだから、現状で
妥当だと思われているような判断ほど、後の
時代になってその判断が覆される可能性も高
いことは、踏まえておくべきことなのかもし
れないし、何かそれに関して恣意的な価値判
断を宣伝しているような人に限って、その恣
意性が判断する上で比較する対象のバランス
を著しく欠いているように思われるのだから、
あまりそういった価値判断の宣伝は信用しな
い方がいいのかもしれないし、特に現状で主
流となっている人たちを肯定するために、非
主流となっている人たちを否定的な価値を伴
った存在として利用するのは、単にそれは現
状で主流となっている世間的な価値観を援用
しているだけだろうし、また現状で主流とな
っている人たちを否定して批判しながらも、
さらにそれを否定して批判している非主流派
の他の人たちも否定して批判するような場合
には、そんな批判を行なっている自らの孤立
感を絶望的に宣伝しているだけであり、そん
な人は現状の世の中で主流派と非主流派とが
不均衡なパワーバランスの中で均衡を保って
いるという不条理な感覚を認めがたいわけで、
双方が双方の立場を補完し合っていることが
我慢がならないわけだが、そうした相互補完
関係を突き崩す戦略が欠けていて、だから絶
望的に孤立するしかないのかもしれないが、
たぶんそこにとどまっている限りで、そんな
状態の中で安住できるのだろうし、そうした
人にもその人が世間的に著名人である限りで、
それなりに支持者がついてくるのだろうし、
そんな人はいつまでも気が済むまで絶望的な
宣伝をやっていれば、それなりにそういった
活動として成り立ってしまうのが、世間的な
懐の深さとなるのではないか。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
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