文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2019.1.8 「自己宣伝の材料」

2019/01/09

 意図してずれたことを述べているのは、そ
こで何かを感じ取っていて、それをずらさな
いと物事の本質が見えてこないからかもしれ
ないのだが、意図している限りで、それがご
まかしに感じられてしまうことも承知してい
るし、それでも言わんとしていることは、大
筋で物事の本質を突いていると自負している
のかもしれないし、そんなふうにしか物事を
語れないこと自体が、語る上での不具合とな
ってしまっているとしても、そうした不具合
を受け入れた上でないと、それに関しては何
もまともには語れないのかもしれないが、実
際にそれがまともに感じられるかというと、
到底まともだとは感じられないから、そうい
う意図的なずらしに関して、ごまかしを指摘
せざるを得ないのかもしれないが、誰がそれ
を指摘しているのかといえば、たぶん表立っ
ては誰も指摘していないのかもしれず、特に
ごまかしだとも思っていないのかもしれない
し、そうであるならうまくごまかしているこ
とになるのかもしれないが、具体的に何をご
まかしているのかといえば、意図してずれた
ことを述べることによって、述べている対象
を救おうとしているわけで、しかもその対象
が救うに値するような対象ではなく、それど
ころかまずは批判されなければならない対象
であるのに、それをわざと批判しないどころ
か、批判の対象から外して、救おうとまでし
ているのであり、それが倒錯的な行為である
ことは百も承知で、そんなことをやってしま
うわけだから、それはごまかし以外の何もの
でもないのだが、あえてそんなことをやらざ
るを得ないのは、別に批判の対象を肯定した
いからではなく、ただ肯定しているわけで、
肯定しようとして肯定しているわけではなく、
肯定するだけのことができるかというと、た
ぶんその気がなくても肯定しても構わないの
であり、実際に理由もないのに肯定すること
ができるわけだ。要するにそれは屁理屈を伴
わない肯定であり、ただその存在とやってい
ることを認めればいいわけで、また認められ
ないから批判するのではなく、認めつつも批
判するのでもなく、単にそれを肯定すればい
いわけだ。それがどういうことなのかわかり
にくいかもしれないが、理屈とか批判を付け
加えないと何も言えないわけではないという
ことであり、少なくともそれで何かが言えて
しまうのであり、その対象を肯定することが、
何かを言っていることになるわけだ。それを
簡単に言うなら、ただの説明でしかないわけ
だが、それは人のやっていること肯定するだ
けで済んでしまい、逆に否定して、それをや
ってはいけないことだとは言わないだけであ
り、そしてそれがどのような行為であっても、
やってしまったことを批判するのではなく、
やってしまったことを認めつつ肯定するわけ
だが、そうやって逆説的に何か言いたいわけ
でもなく、ただやってしまったことについて、
様々な方面から説明を試みればいいのかもし
れないし、説明して何らかの結論を得るとい
うよりは、ただそれについての説明を示せば
いいのではないか。実際にはそこで何かが行
われて、その行われていることを知って、そ
れが興味深いからそれについて説明しようと
するわけだが、たぶん説明するだけで構わな
いのだろうし、他には何も付け加える必要は
ないわけだろうが、なぜそこでずれたことを
述べてしまうのかといえば、そこで生じてい
る成り行きに逆らおうとするわけで、それが
どんな成り行きかといえば、語る対象やそれ
を語っている人を取り巻く世の中の風潮によ
って、語らされてしまう成り行きであり、そ
の語らされてしまう成り行きというのが、世
間の同調圧力から生じているのかもしれず、
それに逆らうには、そこからずれたことを述
べなければならず、それをやるには語らされ
てしまっていることを自覚しないとできない
わけで、それを自覚しないで語ってしまうと、
その対象に関する反応として、誰もが安心す
るようなことしか語れなくなってしまうわけ
だ。そしてその誰もが安心するようなことと
は、それを肯定して賞賛したり、否定して批
判するようなことになるわけで、それに対す
る肯定や否定の二項対立的な物言いから抜け
出られなくなってしまうわけで、なぜそれで
はだめなのかというと、だめなのではなく、
別にそれで構わないのだが、そんなふうに語
ってしまうと、それ以外のことが述べられな
くなってしまい、それではその対象について、
狭い範囲内のことしか語っていないことにな
ってしまい、それ以外のことが語られていな
いことに気づいてしまうわけだが、別に気づ
かなくても構わないわけだが、実際に気づか
ない人はそれで済んでしまうわけで、そうで
あるならそれに越したことはないのかもしれ
ないが、なぜか気づいてしまったら、やはり
それだけでは不十分に思われてしまうわけで、
だからそれ以外のことを語ろうとして、実際
にそれを語るには、まずはそれに対する肯定
否定の二項対立からずれないと語れないだろ
うし、語ろうとすれば自然にずれてしまうわ
けで、そういうことについては自覚がなくて
も、自然に語ってしまえる場合もあるわけだ
が、語らされてしまう成り行きに巻き込まれ
ていると、それを自覚していないと、それに
ついての肯定否定の判断に引き込まれてしま
うわけで、実際にそう語ることが当然のよう
に思われてしまう人は、すぐにそれについて
の良し悪しの判断を下してしまうだろうし、
またその判断の理由を求めようとしてしまう
わけで、そうなるとその対象ではなく、その
対象を自分がどう思っているかを語っている
ことになってしまい、そういう傾向がさらに
高じてしまうと、その対象よりも、それにつ
いて何らかの判断や評価を下している自分に
ついて語ってしまっているわけだ。

 語る対象よりも、それについて語っている
自分が優先されてしまうと、対象を尊重しな
くなってしまい、それについて自分がどう判
断してどう評価しているかを優先的に語ろう
としてしまい、そこでは対象ではなく自分の
判断や評価を尊重したいわけで、たとえ対象
を賞賛していようと、実質的には対象ではな
くそれを賞賛している自分を賞賛したいこと
にもなって、そうなるとそれについて語って
いる自らを自画自賛していることにもなりか
ねず、対象について語っているように見えて、
実は対象について語っている自分について語
っていて、そんなふうに語っている自分を正
当化したいわけで、結果的に対象自体が脇に
追いやられてしまい、まず語りたいのは、そ
れについて語っている自らの判断や評価の正
しさを主張することになってしまうわけで、
だからといって対象のことなどどうでもよく
なってしまうわけではないが、まずは対象を
正しく賞賛したり正しく批判したりする自分
を語りたいわけで、そうなってしまうと対象
のことなど二の次だと思われても仕方がない
わけだが、世の中の風潮が自己宣伝や自己主
張をもてはやすような成り行きになっている
と、そうした風潮に巻き込まれている人は自
然とそんな傾向になっていくのだろうし、そ
ういう人は無自覚に自己宣伝や自己主張に利
用できる対象を探してしまって、それを見つ
けてきては、自分の宣伝や主張に利用してし
まうわけだが、果たしてそれが対象について
語っていることになるかというと、多少は語
っているはずだろうが、それよりは語ってい
る自らを正当化したり、それを通して自らの
主張を宣伝したいわけで、その主張とは、対
象について自らが正しい判断や評価を下して
いるということであって、対象そのものを語
っているというよりは、それについての自ら
の判断や評価の正しさを語っている割合の方
が圧倒的に大きいだろうし、それが対象につ
いての正しい語り方だと言えるかとなると、
どうも疑問を抱かざるを得ないのだが、では
語る対象についての自らの判断や評価の正し
さを主張することが、対象についての正しい
語り方ではないとすると、正しい語り方とは
何かとなるわけだが、どう語っても構わない
のなら、何が正しいというよりは、ただ対象
について語ればいいだけのことでしかないわ
けだが、そこに自己宣伝や自己主張を紛れ込
ませようとすると、途端に対象が脇へ追いや
られて、代わりにそれについて語っている自
らが前面に押し出されてくるわけで、そうい
うところに語っている人の偽善や欺瞞を感じ
取れるなら、普通はそれが正しい行為だとは
思われないわけだが、語っているうちにそう
した自己主張や自己宣伝へと逸れていってし
まう人には、それがわからないだろうし、そ
ういう人に語っている対象を尊重する気がな
いように感じられるのも、それほど見当違い
なことではないのかもしれないが、その一方
で、語る対象というのは、語りによって変化
するようなものでもないのかもしれず、対象
はそのままでも、その語り方によって印象が
変わってくるわけで、それに対する賞賛を真
に受ければ、何か良い印象を受けるし、それ
に対する批判を真に受ければ、何か悪い印象
を受けるし、それを良く言えば良い印象を伴
い、悪く言えば悪い印象を伴うわけだから、
その対象自体を知りたいのなら、そういった
語る人が決めつけた印象を取り払った上で、
それ自体を知ろうとしないと、それについて
知ることができないだろうし、しかも他にも
余分な情報として、それについて語る人の自
己宣伝や自己主張も付け加えられているわけ
だから、それも取り払わないと、それ自体を
知るには至らないわけだが、そうだとすると
そんなふうにそれを知ることを邪魔するよう
な語りの内容が正しいとは思えないだろうし、
そういう語りはこちらが知りたいことを知ら
せない代わりに、あちらが知らせたいことを
押し付けてくるような内容となるのかもしれ
ず、そういう語りに押し切られてしまうと、
あちらの思う壺にはまって、時として誤った
知識を受け取ってしまう事態にもなりかねず、
特にそういう宣伝や煽動に長けている人だと、
話術や文章術によって騙す術を心得ているだ
ろうし、そういう面ではその手の語りには十
分に注意を払って接しないと、あちら側のい
いように丸め込まれてしまう可能性があるわ
けで、それに関して注意しなければならない
ことは、まずは語り手が語る対象を尊重して
いるか否かであり、始めから一方的な決めつ
けによって対象を語っているような場合には、
すでに対象を尊重していないどころか、攻撃
している場合もあるわけで、実際に攻撃して
いれば、悪く言うしかないだろうし、否定的
な評価を下すしかないわけだが、その一方で
対象を賞賛している場合であっても、一方的
な決めつけによって賞賛している場合には、
その人が宣伝したい価値観に適合しているか
ら賞賛している場合があるわけで、それに関
しては一方的な決めつけによって攻撃してい
る対象が一方にはあって、その攻撃して否定
したい対象と比較して、それとは真逆の一方
的に賞賛したい対象を持ってくるわけで、そ
うした二つの対象を並べて論じて、一方は自
分が宣伝したい価値観に適合するから賞賛し
て、もう一方は適合しないから否定して攻撃
するような成り行きになるわけだが、それら
の対象自体について知りたいなら、まずは語
り手が宣伝したい価値観や、それらの対象へ
の賞賛や批判をずらして取り払った後に何が
残るかを見ないと、それらの対象自体へと至
れないだろうし、それが何も残らないような
ら、その手の語りは語り手自身の創作であり、
フィクションとみなすしかないのではないか。
 

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創刊日:2001-03-26  
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