文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2019.1.5 「理想の調整」

2019/01/06

 自分自身に関して何か将来の明るい展望を
思い描ければ、それはその人が将来に関して
期待できる可能性を信じていることになるだ
ろうが、それとは対照的に自身の将来に関し
て先行きが不透明だと、普通は不安になって
くるところだろうが、何もないよりは確かな
予定や計画があれば、そうしたことの実現に
向けて動くだろうし、それがそこでの活動と
なるわけだが、個人に関することなら、そう
したことの範疇で個人的な目標や目的に向け
て努力すればいいだけだろうが、世の中に関
する将来への展望となると、途端にあやふや
になってくるのかもしれず、それについて政
治的な決まり文句として、活力のある豊かな
社会を築いていく、とか言う目標を掲げて、
それを実現させるにはどうしたらいいかとい
うことに関して、何か耳当たりの良いことを
述べるような成り行きになるのかもしれない
が、そういうこととは別に、社会のあるべき
姿というのが、特に理想的な状態を思い描け
ない場合には、とりあえず現状を批判的に捉
えるなら、至らない点を改善していくような
成り行きにもなっていくだろうし、現状の中
で何が至らないかといえば、それについては
現状を批判している人なら、批判の対象が至
らない点なのだから、すぐにでも改善点を指
摘できるかもしれないが、それを改善できる
可能性があるかとなると、何をもって改善し
たと言えるかについては、改善の程度や達成
度に関して、実際に改善を手がける勢力と、
それを批判する勢力とでは、そこで対立する
ような違いが伴ってくるだろうし、そういう
ところで、改善を手がける側はいつも、自分
たちの活動の成果を強調するだろうし、また
それを批判する側は、そういった成果に関し
ては常に懐疑的であり、大抵は否定的なこと
を述べるだろうし、両者の間で意見や見解の
相違があるのは言うまでもないことだろうが、
それが何を意味するわけでもないのかもしれ
ないし、ただ両者の間でそういった役割分担
ができているわけで、それぞれにもっともら
しいと思うことをやっているわけだから、そ
れぞれにそれをやらせておけばいいような成
り行きとなっていて、特にそれらのどちらを
肯定してどちらを否定するまでもないことだ
としても、それぞれに組する関係者たちは、
自分たちが関係している面を肯定して、それ
と対立している面を批判することになるだろ
うが、そういうことをやるのがあるべき姿か
といえば、そうかもしれないし、あるいはそ
うではないかもしれないし、その人の立場に
よって、意見や見解が分かれるところかもし
れないが、誰もがそれに関して意見や見解を
持つべきというわけでもなく、ただ意見や見
解を持つ人が、それを述べるような成り行き
になってしまうわけで、そういう人たちの立
場を受け入れるなら、それで構わないことに
なってしまうのではないか。そしてそうした
意見や見解が、実際に行われていることに作
用や影響を及ぼすとすれば、そうした意見や
見解が真摯に受け止められたことを示すのか
もしれず、そういうことの積み重ねが社会を
変えていくのだろうし、そういう成り行きに
関係する人や団体が、社会のそういう面を変
えていくのかもしれないが、それだけが社会
の変化ではないし、他の面でも他の人や団体
がそれなりに活動していくに従って、そうし
た活動に伴って、それがこれまでとは違う活
動内容を少しでも含んでいれば、その分だけ
社会が変わっていくのかもしれず、結局はそ
こで活動している人や団体の活動実態の変化
が、そのまま社会の変化となるのではないか。
だから世の中を変えようとするか否かとは別
のところで、その人や団体の活動が以前とは
変わって行けば、それが社会の変化を物語っ
ているだろうし、その一方で、いくら社会を
変えようと掛け声を張り上げていても、それ
が毎度のおなじみの内容で、同じように掛け
声を延々と張り上げている限りで、そんなこ
とをやっている人の動作が変わっていなけれ
ば、実際にその人を含んだ身の回りでは、社
会の変化が起こっていないことになるわけで、
ではどうすれば社会が変わるのかとなると、
例えばその人がそんなことをやらなくなれば、
やらなくなった分だけ、社会が変わったこと
になるだろうし、そういう変化はその人にと
っては認めがたい変化かもしれないが、たと
えその人の思い通りにはならないにしても、
その人がそれをやめることによって、その場
の状況の中で何らかの変化が実感できるかも
しれないし、実際にその人が何らかの社会的
な圧力を受けて、活動をやめざるを得なくな
れば、その人にとっては状況が悪化したと思
われるかもしれないが、圧力を加えた人や勢
力にとっては、自分たちの思い通りになった
のだから、状況が改善したと思うだろうし、
そうやってその場での立場に応じて、一方の
側にとっては状況が悪い方に変化したと思わ
れるとしても、それと対立するもう一方の側
にとっては、良い方に変化したと思われるわ
けだから、そこに対立関係がある限りで、変
化の良し悪しが真逆の判断や評価となってし
まう可能性があるわけで、そういう意味でも
社会のあるべき姿というのは、一義的には決
められないだろうし、それに関して何かしら
批判が行われているなら、批判している側と
されている側とでは、そのあり方が異なって
いると捉えておくしかないのではないか。

 またそれが固定した理想のあり方ではない
にしても、とりあえず状況の捉え方が、その
場での状況から何らかの作用や影響を受けて
しまうから、その場の状況に囚われたあり方
が、自然に求まってしまうわけで、またそれ
が自然に思われるから、その場の状況に対応
しているようにも感じられるわけだが、それ
が狭い範囲での対応だと、その範囲から外れ
るところでは通用しない対応となるだろうし、
またそうした狭い範囲から作用や影響を受け
て導き出されたあり方というのも、その場の
制約や限界に囚われたあり方となってしまう
わけだが、その場に依存していて、その場か
ら離れられない人にとっては、それが理想の
あり方に思われてしまうわけで、そういう人
の理想は、その場に依存しないで、その場か
ら離れてしまった人の理想とは相容れないだ
ろうし、そういった立場の異なる二人が何か
のきっかけで遭遇すれば、当然対立しやすい
だろうし、お互いの意見や価値観が合わない
だろうから、両者の間で調整や妥協が難しく
なるだろうが、そういうところが実際の立場
の違いになるわけで、そういうことの延長上
に、社会の改善に取り組む人と、それを批判
する人との立場の違いがあるわけだろうし、
両者の間で活動内容や範囲が異なれば、その
人に及ぼされる作用や影響も異なってきて、
両者がともに目指すべき社会の理想状態を思
い描けば、一方には自然に思われることが、
もう一方には不自然に思われるほどではない
にしても、それなりに自然に感じられる程度
や傾向が異なってくるだろうし、それぞれに
依存している環境が異なれば、異なる環境に
応じて導き出されるあり方というのも、それ
なりに異なってくるのかもしれず、そういっ
た差異を両者の間で調整する必要があるかと
なると、対立していれば、その対立を維持す
るためにも違いを際立たせるわけだから、調
整などする必要がないとともに、逆に差異を
強調する必要が生じてくるだろうし、場合に
よってはどちらのあり方がもっともらしいか
をめぐって、論争するような成り行きにもな
るのではないか。果たしてそういう成り行き
が何をもたらすかは、その時点では何とも言
えないだろうし、それ以降の成り行きに応じ
て、様々なケースが考えられるかもしれない
が、対立するならしていても構わないのかも
しれないし、論争に至っても構わないのだろ
うが、そうやって争っているうちに、両者と
もにあるいはどちらか一方の活動内容や範囲
が変わってくれば、両者あるいはどちらか一
方を取り巻く社会状況が変わってくるだろう
し、そうした変化が社会の変化と言えるわけ
だが、それとともに思い描く理想のあり方も
変わってくるだろうし、そうであるなら理想
状態そのものが、社会の変化とともに変化し
ていくわけで、それは世の中の変化にかかわ
らず固定したものではないことになり、そこ
から推測するなら、現状で思い描いている社
会の理想状態というのが、未来永劫変わらな
いとは思えないだろうし、世の中の時代状況
の変化に合わせて、思い描く理想状態も変化
していくなら、現状で思い描いている理想状
態にこだわる必要も感じられなくなるのかも
しれないが、そこでもそれに関する先入観や
固定観念に思考が依存していれば、こだわっ
てしまうだろうし、こだわるのが自然に思わ
れる限りで、固定化した理想状態を思い描い
てしまうわけで、またそうした状態を基準と
して、現状との差異を導き出して、それが悪
い違いなら批判するだろうし、また理想状態
と比べて差異が感じられなければ、そうした
状態を肯定して賞賛するのかもしれず、そう
した判断や評価を下す上で、固定した基準が
必要となってくるわけだから、そこからも基
準を固定するような成り行きが伴ってくるわ
けだが、それがいつまでも固定していられる
かというと、そうでもないだろうし、世の中
の変化に合わせて、絶えず基準を調整しなけ
ればならないだろうし、そういうところで、
基準を固定しながらも調整しなければならな
いような、両義的な対応を迫られるわけで、
そこで調整という概念を受け入れられないと、
世の中の変化にうまく対応できなくなってし
まうのかもしれず、固定しているように感じ
られる基準が動いているわけだから、それだ
け微妙な感覚が必要とされるのかもしれない
が、それに関しては例えば重力場で物体が運
動していれば、そこには位置エネルギーと運
動エネルギーの関係があるわけで、位置エネ
ルギーが増えれば運動エネルギーは減るだろ
うし、運動エネルギーが減れば位置エネルギ
ーが増えるだろうし、それを社会の状態に当
てはめれば、社会が激しく変動していれば、
それだけ価値基準も激しく変動するだろうし、
社会が恒常的に安定していれば、それだけ価
値基準の変動も少なくなるわけだろうが、そ
うした変動の程度を誰が調整できるわけでも
なく、ただ変動の程度に合わせて、自分たち
の状態を調整しようとするわけで、そうした
調整に含まれるのが、思い描いた理想状態の
調整なのかもしれず、それを調整せずに固定
したままだと、現状に合わなくなって、実際
に理想と現状の落差が著しく大きくなってく
ると、思い描いた理想状態に対してリアリテ
ィを感じられなくなってしまい、最悪の場合
は理想を放棄するような事態にもなるだろう
し、そうなると虚無的な気分となって、何を
やるにも投げやりでいい加減な態度にもなる
かもしれないし、また現状の中で自分を利す
ることだけにこだわるような功利主義の虜と
なってしまうのかもしれないが、だからと言
って現状に合わない理想に頑なにこだわって
いると、教条主義的な融通の利かない人とな
ってしまうのではないか。 

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創刊日:2001-03-26  
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