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彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2019.1.3 「信じることの不確かさ」

2019/01/04

 何かを信じるということは、不確かなこと
も含めて信じることになるだろうし、未来に
向かってその対象を信じ続ける可能性を示し
ているのかもしれないが、それが過去形とな
って信じていたことになると、今はもう信じ
ていないことを暗示させて、信じていたのに
裏切られたとか、当初は信じていたのに、次
第に疑念が募ってきて信じられなくなってき
たとか、そうやって信じることができなくな
ってくると、信じていたという過去形を使う
ことになるのかもしれないが、何かを信じよ
うと意識すること自体が、そう思ってしまう
時点で、多少は信じている対象に対して疑念
が湧いてきたことを意味するのかもしれず、
そうした疑念を振り払って強く信じないと、
信じられないようになると、信じることに無
理が生じてきたことを示すのかもしれないし、
それでも無理に信じ続けると、次第に他との
バランスが崩れてきて、それが極端になると、
狂信的な傾向や過信を伴ってくるだろうし、
時として無理に強く信じたばかりに、身の破
滅を招くような事態にもなるのかもしれない
が、普通はそこまでには至らないにしても、
何かを信じることを意識してしまうと、信じ
る以外の面でも、信じることによって、何ら
かのメリットがもたらされるような幻想に囚
われてしまうのかもしれないし、それを信じ
ていれば全てがうまくいくわけでもないにし
ても、信じているだけでも、気休め以上の何
らかの効用がもたらされることを期待してし
まうのかもしれないが、その一方で、時とし
て信じられないことが起こるのを期待してし
まう時もあるだろうし、信じていた通りのこ
とが起こることよりは、信じられないことが
起こることの方が、起きた出来事の程度がよ
り際立っているようにも感じられるだろうし、
一般的には想定外のことが起これば、それは
信じられないことになるだろうが、それでは
安心できないわけで、それよりは信じていた
ことが起こって安心したいだろうし、それと
ともに信じていた対象に感謝の念を抱くこと
にもなるかもしれないし、そういうことが起
こる前には、そうなってほしいと祈るような
気持ちにもなる時もあるのではないか。実際
に何が起こるにしても、起こったことを目の
当たりにすれば、仮に信じられないようなこ
とが起きても、それを信じざるを得ないし、
いったんそうなってしまえば信じるしかない
わけだが、それが起きる以前の段階ではそう
でもないだろうし、起こるかどうかわからな
いことが起こることを、頑なに信じるような
成り行きになると、それは宗教的な奇跡が起
こることを信じるようなことにもなるだろう
し、それに関しては、神の存在を信じるかと
問われれば、実際に神を見た人は信じるだろ
うが、見ていなくても信じるとなると、それ
が神でなくても宗教的な信仰へと近づくので
はないか。またそれは、これから起こる出来
事が、本当に起こると信じるようなことにも
当てはまるだろうし、何が起こるかは、現状
から想像してありがちなことが起こることに
関しては、誰もが信じられるところだが、誰
が考えてもあり得ないことが起こるのを信じ
られるかとなると、それは世間一般の常識か
らはかけ離れてくるのかもしれないし、そう
した常識外れな事態が起こることを信じてい
る人は、宗教的な神秘主義を信じている人に
限られてくるかもしれないが、またそれとは
違う方面で、例えば巨大地震や火山の巨大噴
火などの大規模な天変地異が起こることは、
これまでの地質的な歴史から考えるなら、あ
り得ないことではないだろうが、それが起こ
る日付までも事前に特定されるようなら、ち
ょっとそれは普通の一般常識に囚われている
人にとっては信じられないことになるだろう
し、そうしたところから、これから起こるこ
とに関しては、信じられることと信じられな
いこととの間で、微妙な違いがあることは確
かだろうが、その一方で宇宙人とかUFOと
かになると、その存在を信じるか信じないか
ではなく、単に興味があるかないかの方に重
心が移ってきてしまい、実際にそういった類
いの映像などを見せられたら、それをおもし
ろがって観る楽しみの方がまさってしまい、
またそれはフリーメイソンなどのオカルト的
な秘密結社の類いにも言えることかもしれな
いが、娯楽的な話題として興味深いから、そ
れを信じるか信じないかは、とりあえずカッ
コに入れておいて、そういう話題を興味本位
で取り上げるメディアに惹きつけられてしま
い、それの延長上に宗教的な神秘主義や超能
力の類いも入ってくるのだろうが、そういっ
た真面目に考えるようなことから微妙にずれ
たところから、それを真に受けて妄想を膨ら
ませてしまう人も出てくるわけで、それが現
実の世界情勢やそれに関連した軍事や政治な
どの領域で、陰謀論的なことを主張するよう
な成り行きにもなってくるだろうし、そうい
うところで、どこまで現実に近づけた認識を
持っていられるかは、その人が抱いている想
像や妄想の程度にもよるだろうし、そういっ
た認識のどこまでが現実の範囲内で、どこか
らが虚構の領域となってくるかは、その境界
をはっきりさせることは難しいだろうから、
その人に判断にまかせるしかないようなとこ
ろでもあるのではないか。

 そして物事を考える上で、その対象となる
それを本当に信じられるかとなると、それに
ついて考えるなら信じるしかないのかもしれ
ないが、それのどこまでが現実でどこからが
虚構であるかとなると、その境界が定かでな
ければ、普通に考えても虚構の領域までも信
じるしかないのかもしれず、特にそれがつじ
つまが合っていて確からしく思われるなら、
たとえ虚構であっても信じてしまうわけで、
また虚構の話の中でも、そこで語られる現実
の物理や数学などの理論の類いは信じるしか
ないだろうし、あまりそういうところで話が
虚構であるから信じられないという理屈は通
用しないだろうし、そういうところでは現実
であるか虚構であるかの判断と、信じるか信
じられないかの判断は、別のところにあるわ
けだろうし、虚構の領域で現実の問題につい
ても語れるわけだから、そこではそれを信じ
るか信じられないかという判断は、現実の領
域でも信じられないことがあるとともに、虚
構の領域でも信じられることがあるわけで、
真実の中にも信じられないことはあるし、嘘
の中にも信じられることがあるのだから、そ
のどちらに重点を置いたとしても、それなり
に確からしいことが言えるのではないか。ま
た現実の世の中で誰か特定の人の言っている
ことを信じられるかとなると、その人を信頼
しているなら、その人が真実を語っているこ
とに関して、それを信じることができると同
時に、たとえ嘘をついていても、その人に対
する信頼が揺るがない可能性もあるわけで、
騙されてもその人を信頼できるかとなると、
その人が騙していることに関しては、信頼し
ていれば許すことにもなるだろうし、また逆
にその人が真実を語ってしまったばかりに、
裏切られたと思うこともあるだろうし、そう
なるとそこで信頼関係が壊れてしまうことに
もなるわけで、できれば嘘をついていてほし
かったと思うこともあるわけだから、その場
の状況によって、信じられる内容にも微妙に
ずれが生じてくるのかもしれず、そういうと
ころで一義的な解釈は成り立たない場合があ
るだろうし、たとえ矛盾したことを述べてい
ても構わないような状況もあるのかもしれず、
それに関しては、その場で嘘も方便的なこと
を語らざるを得ないところで、単純明快で実
直なことを述べてしまうと、何かその場の空
気を読めていないような気まずい雰囲気とな
ってしまうだろうし、そういうところで気を
利かせて、事を穏便に収めるために、あえて
わざとらしい嘘をつかざるを得ないような成
り行きになってしまうと、自分が相手から信
頼されることを期待して、相手にもそれとわ
かるような嘘をつく羽目に陥るような、やや
こしい事態になってしまうだろうし、そうい
う状況の中で何を信じるかとなると、自分が
つく嘘を相手もわかってくれていることを信
じるしかないだろうし、そこで相手が、何を
見え透いた嘘をついているのかと怪訝な顔を
するのではなく、そんな嘘をつくのが当然で
あるかのような平然とした態度でいてほしい
のだろうし、そういうところで双方の信頼関
係が試される状況ともなるのだろうが、そこ
で信頼関係が壊れていると、見え透いた嘘を
ついた側が裏切られて、その場で恥をかかさ
れることにもなるのだろうし、そんな状況と
なってくると、お互いにどこまで相手を信じ
られるかをめぐって、それとなく腹の探り合
いとなるだろうし、またそういうところから
疑心暗鬼が募ってくるのだろうし、表面的に
は平静を装いながらも、場合によっては、心
の中で疑いの萌芽を温存しておいて、相手を
裏切って陥れる機会を窺うような成り行きに
もなるだろうし、そこでは相手をいかに信じ
られるかと同時に、自分の器量や技量を信じ
ていないと、駆け引きに負けてしまうだろう
し、またそんな駆け引きに熱中している間は、
そんなことをやっている自身と相手との信頼
関係は維持されていて、たとえそこで自分が
相手を裏切ろうと、また相手が自分を裏切ろ
うと、そういった程度の水準では、お互いに
双方をその程度の奴として信頼しているわけ
だが、何かのきっかけで、どちらかまたは双
方が、そこから身を引き剥がして、そうした
心理的な駆け引きを、何かせこくてくだらな
いことをやっているように思われてしまうと、
そんな渦中に巻き込まれている自身を何か突
き放して見るようになってしまうだろうし、
そうなるとそんなことは眼中にはなくなって
しまうわけで、そういう人間関係自体を信じ
られなくなってしまい、それが高じると、も
はや関係が壊れようが修復しようがどうでも
よくなってきて、嫌気がさして意識がそこか
ら外れてしまうと、そうなってしまったこと
自体が、それまでの自分も相手も信じられな
くなってしまったことを意味するだろうし、
そういった関係を止揚したり揚棄することに
もつながってくるわけだが、それは何かもっ
と高次元で成り立つような関係を求めること
になるのかもしれず、そういう関係が成り立
つ境地があるように思われること自体が、も
しかしたら幻想に過ぎないのかもしれないの
だが、それに関しては、実際にそうした世の
中の状況を達観しているように装う人も中に
はいるだろうし、それが装っているのではな
く、実際に自らがそうなっていると信じてい
る人がいるとすれば、多くの人がそうした幻
想を信じることの効用として、それが何か争
いのない平和な社会の到来を予感させるかも
しれないのだが、現状の世の中でそうした態
度でいられる人を具体的に指し示すことがで
きるかというと、今のところ該当するような
人物は見当たらないのかもしれない。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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