文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2018.12.31 「予言者の時代」

2019/01/01

 この世界ではそこで行われていることの何
もかもが終わるわけではなくても、何かの終
わりを予言せずにはいられない成り行きとい
うのもあるだろうが、実際に何らかの出来事
や現象などが終わりを迎えることはあるだろ
うし、その終わりを予言したがっている人も、
世の中にはいくらでもいるのかもしれないが、
もしかしたら終わりを予言することよりも、
終わってからその終わりを懐かしむ人も、そ
れなりにいるのかもしれず、予言するよりは
懐かしむことの方が、それがすでに確実に終
わっているだけに、安心して懐かしむことが
できて、それだけ容易なことかもしれないし、
そうやって終わった何かへの追憶に浸るのも、
まんざら悪くないような気分になれるなら、
終わりを予言するよりは、すでに終わったこ
とを懐かしむことの方が、気楽かつ安全な立
場で、その終わった出来事について肯定的に
語れそうだが、その一方で、いつまで経って
も終わらないようなことも、世の中にはいく
らでもありそうで、そのいつまで経っても終
わりそうにないことの終わりを予言するのは、
何か不可能に挑戦するような困難さを伴うか
もしれないが、意外とそういう困難に挑戦す
る受難者のような予言者気取りの人も、世の
中には大勢いるのかもしれず、そういう人た
ちはいつまで経っても終わらない状況の中で、
自らの予言が間違っているかもしれないとい
う不安に襲われて、次第に焦燥感を深めなが
らも、どんな物事もいつかは終わるはずで、
いつかは終わるのだから自らの予言が間違っ
ているはずがないと確信しつつも、毎日のよ
うにくだんの何かが終わることを祈りながら、
実際に今も必死になって何かの終わりを予言
し続けている人もいるのかもしれず、それに
関していつその予言が当たるかを予言するの
は困難かもしれないが、その一方で何かがあ
った後から、それは自らがすでに予言してい
たことだと主張するのは簡単であり、例えば
大方の予想に反して、どこかの国の大統領選
挙で、当選はあり得ないような候補者が当選
した後から、自分はその候補者が当選すると
思っていた、事前にそれを予想していた、と
予想が的中したことを自慢したがる愚かな人
たちが大勢現れたことからも、何かが起こっ
た後から、それが起こることを予言したと主
張するのは安易かつ簡単なことなのだろうが、
さらに調子に乗ってそうなったことが起こっ
た原因や理由を、すぐに特定の何かに結びつ
けて語ろうとしてしまう人も、また世の中に
は大勢いるだろうし、さらにそんなふうに語
ってしまう人の述べていることを信用して、
それで何かをわかった気になってしまう人も
世の中には大勢いるだろうし、そうやって何
でもかんでもわかった気になって、誰もが考
えることをやめてしまうから、その手の浅は
かな宣伝や煽動を信じてしまう人が、大勢い
るような世の中となってしまうわけだが、ま
たいったんそうなってしまった状況を利用し
て、さらなる宣伝や煽動によって愚かな大衆
を大量動員して、そうなった群衆を思い通り
に誘導しようとする人も大勢現れるわけで、
またさらにそうやって何もかもが劣悪な状況
へと誘われるような成り行きに便乗して、こ
のままでは大変なことになる、と危機感を煽
り立てる人も大勢出てくるわけで、そしてこ
のままでは大変なことになってしまうという
ことが、この世の終わりを予言することに結
びついてくるのだろうが、どこまでもそんな
負のスパイラルが続いていくとは思えないも
のの、それも現代的な大衆市民社会にありが
ちな傾向であり、実際には世の中の全てがそ
うなっているわけではなく、そんなふうにし
てメディア上で騒いでいる人が大勢いるだけ
で、その状態も騒いでいる程度も人それぞれ
で千差万別だろうし、誰もがそんな傾向を深
刻に受け止めているわけでもなく、またそれ
を利用して何かを行なっている人たちも、そ
の大半はゲーム感覚の遊びの延長上でやって
いることであったり、そういう行為が娯楽の
類いとして、世の中に定着している面もある
だろうし、それは他のプロスポーツや大衆娯
楽などの興行の観衆と一緒くたになって、フ
ーリガン的に暴徒化するような危険もないわ
けではないが、さらに政治的なデモなどもそ
ういう行為と混同されてしまう危険もあるだ
ろうし、そういう安易で娯楽的な群集心理に
囚われた人たちの存在も、そこに理性や道徳
や倫理などの肯定的な心理作用を見出せない
から、安易に世の中の終わりを予言するには
格好の材料となるのかもしれず、そうやって
否定したい出来事や現象と肯定したい世の中
の終わりとを結びつけるのは、これから起こ
るはずの終わりの原因や理由を、人々のひど
い行為や悪い行いに対して天罰が下るような、
終末論的な紋切り型に求めているわけで、そ
ういったわかりやすく馴染み深い物語的な典
型に安易に飛びついてしまうのも、何でもか
んでもわかったような気になってしまう人た
ちには受け入れやすい成り行きだろうが、そ
んな一見内容的には深刻そうな終末論の類い
も、娯楽の一環として捉えてしまうのも、よ
くありがちな大衆的な態度だろうし、要する
にそんな終わりの予言自体が、誰にとっても
本気で受け止めるようなことではないわけだ。

 そういう意味で何かの終わりを予言するこ
とは、真面目に考える行為を終わらせること
にも結びつくかもしれないのだが、それを冗
談で語るなら何でも語れるわけでもないだろ
うし、それとは反対に現状のひどさを真に受
けたりするのは怖いことかもしれないが、現
状がいかにひどいかを真面目に語るのは容易
だろうが、そうした語りを茶化すのも容易な
ことだろうし、そういう実態から判断すると、
現状がひどいというよりは、現状がひどいと
語る人の語り方がひどいのかもしれず、しか
もそれを語っている人にその自覚がないとこ
ろも、ひどい現状を物語っているかもしれな
いのだが、要するに現状がひどいところは、
現状がひどいと語る人とともに、ひどくなっ
ているということだろうし、要するに現状が
ひどいと語る人もひどいのであり、その一方
で、現状が素晴らしいと語る人も、ひどい現
状から目を背けているのかもしれないが、そ
れが世の中のほんの一部で起こっているに過
ぎないことだと思いたいが、そうでもない面
もあるのかもしれず、そういうところで、現
状の全てがひどいとは思えないにしても、別
にひどいところがあってもいいじゃないかと
も思えないにしても、結局はひどくてもひど
くなくてもどちらでも構わないような現状の
中で人は生きているのであり、それを普通の
こととして捉えておけば、そういう状況の中
で何が終わるわけでもないことを実感できる
だろうし、確かにそこで何かが終わるにして
も、それは何らかの出来事であり現象でしか
なく、それは意識では捉えきれない全ての中
のほんの一部を構成している物事でしかなく、
そうした全体にとっては小さな終わりが、世
の中に何をもたらすとしても、それによって
世の中の全体が終わりへと導かれることはな
さそうだし、そう感じられてしまうから、巷
で流行っているらしい、このままでは大変な
ことになる、という終わりの予言を信用でき
なくなるのだろうし、だいぶ前から、このま
までは大変なことになると脅しているわけだ
から、もうすでに大変なことになっているは
ずなのに、実感としてはそうでもなく、大変
なこととはこの程度なのか、と実感している
限りで、やはりこのままでは大変なことにな
るという予言は信じられないだろうが、そう
なるとこのままでは大変なことになるという
予言自体には慣れてしまって、別にそれを不
快とは思わないだろうし、不快でないのだか
ら、別にいくらでもその手の予言をやってい
ても構わないような気になるわけで、そうで
あるなら預言者気取りの人がいつまでもどこ
までも、このままでは大変なことになると脅
していてほしいとは思わないにしても、それ
が気にならない限りで放っておかれるような
状況となるのかもしれず、実際にその手の人
たちが放って置かれるような実態もあるのか
もしれず、そうであるなら特にそんなことの
良し悪しを語る必要もないだろうし、無視し
ていれば済むようなことでしかないのかもし
れないが、ではそれ以外にどんな予言が可能
であり、それを真に受ける必要があるのかと
なると、そもそも予言しなくても構わないだ
ろうし、実際に予言する必要のない人は予言
しないだろうし、その手の予言についても無
関心だろうが、ではそうした予言の他に何を
真に受ける必要があるのかというと、もしか
したらそれは、世の中の現状そのものを真に
受ける必要があるのかもしれず、それがひど
いとか素晴らしいとかいうことであるよりも、
こうなっているのが当たり前となっている世
の中の現状を真に受ける必要があって、そこ
からその当たり前となっている現状を疑う必
要もあり、またそれを真に受けることを茶化
すような成り行きも疑わなければならないだ
ろうし、さらに世の中がいかにひどいかを物
語ろうとする人も、また世の中がいかに素晴
らしいかを物語ろうとする人も、両方ともに
疑う必要もあるのかもしれず、そうやってそ
うすることが当たり前であるように物語ろう
とする人が存在する現状を真に受けることが、
何かそういう当たり前のように思われる行為
を疑うことにつながっていくのかもしれない
し、またそれは原因と結果を簡単に直結して
わかったような気になるのが、当たり前のよ
うに思われてしまうことも、疑わなければな
らないのかもしれず、それが何にしても、当
たり前の行為が疑わしい行為に思われてしま
うことが、現状に対する思考を促すのだろう
し、そういう意味で思考することは疑うこと
に結びついてしまうわけだが、なぜそれが当
たり前に思われてしまうのかといえば、それ
を当たり前のように思わせる成り行きがそこ
で生じているのだろうが、そういう成り行き
に人を巻き込むような現象が世の中で起こっ
ているということだろうし、その現象が何か
といえば、それを簡単にいうなら、同調圧力
とか、周りの空気を読むように仕向ける権威
的な物言いとかになるかもしれないが、そう
だとしても、それに対する態度として、同調
圧力に屈しないとかの、単純な反抗では持続
力がなく、そういった反抗を呼びかける人が
ひとたび権威となれば、すぐにそれに感染し
て、他へ向かって自覚のない同調圧力を強い
るようになるわけで、そういった主義主張の
対立こそが、どちらかの陣営へと同調するよ
うな呼びかけを伴ってしまうわけだから、そ
れに関しても、現状を真に受けるということ
は、そういった当たり前のように行われる対
立も疑わなければならないだろうし、そうい
う意味で物事を疑いだすときりがないわけだ
が、疑うからといって疑う対象を否定するわ
けではなく、安易にその良し悪しを決めつけ
てしまうことも、それを当たり前のようにや
ってしまうことを疑うわけだから、疑う状態
を保つのはそれだけ面倒な事態を伴うのかも
しれない。 

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