文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

全て表示する >

彼の声 2018.12.30 「自己への信頼」

2018/12/31

 無意識というのは何か内容があるわけでも
なく、ただ単に意識が働いていないように思
われるだけかもしれないが、自分がやったこ
とを意識していなければ、無意識のうちにや
ってしまったことにもなるだろうが、それが
何らかの失敗を伴うと、しまったと思って悔
やむだろうが、無意識のうちにうまくやれて
しまったら、そんな自らの能力を過信してし
まうかもしれないが、それもその場での偶然
の巡り合わせが作用して、たまたまその時は
うまくいってしまっただけかもしれないから、
二度目はないと思っておいた方がいいのかも
しれないし、また心身の鍛錬によって、意識
しないでも一定の動作ができるようになる場
合もあるだろうが、いくら鍛えても全てを制
御できるわけでもないのだから、そういう方
向での鍛錬にもそれなりの限界があることは
肝に命じておいた方がいいだろうし、特に自
分だけでなく他の競争相手も心身を鍛錬して
いるような場合には、鍛錬を怠れば競争相手
に遅れを取ってしまうだろうし、そういう場
合の競争が成り立っている範囲内ではそうか
もしれないが、競争とは関係のないところで
も、何かの時に役立つように、日頃から心身
を鍛錬している人も結構いるだろうし、そん
なふうに程度の差こそあれ、誰もが特に意識
しなくても一定のことができるようにしたい
とは思うだろうが、そういう目的を伴わない
レベルでは、特に普段からそんなことを気に
かけるわけでもなく、それを意識していよう
といまいと、自分が普通に何かをやっている
ことから考えるなら、意識的に身体を制御し
ている面と、意識しなくても勝手に体が動い
てしまう面の、両面があることは確かだが、
意識的な面では完全には制御しきれていない
ことも確かであり、特に意識しないのにやっ
ていることが、意識の制御を離れているとい
うよりは、逆に身体の方が意識を意識させな
いように制御している面もあるのかもしれず、
そうやって意識と身体とは相互に作用や影響
を及ぼし合っていて、その時々では制御に関
して一時的な上下関係が成り立つにしても、
全般的にはどちらが上位でどちらが下位とい
うわけではないのかもしれないが、歴史的に
見れば意識の方が後天的に身体に付け加わっ
た機能である可能性はあるだろうし、それに
関しては人が社会の中で他人との間や集団の
内や外で効果的に動作するには、無意識の動
作だけではうまくいかないことから、そこで
自己や他者への動作に対応するために、脳神
経のネットワークの中で何かを意識するとい
う機能が強化されてきたのかもしれないし、
そういう面で、意識が意識的に身体を制御し
ようとしていることは確かだが、完全には制
御しきれないから、そういう制御しきれてい
ない部分を、意識の中では便宜的に無意識の
動作とみなすしかないのかもしれないし、そ
ういった動作として自動的に身体が反応して
いる面があることも確からしいが、ひょっと
すると無意識は意識しないところで思考して
いるのかもしれないし、それに関しては急に
何かアイデアが閃いた時などは、それ以前に
無意識による思考が働いている可能性もある
のかもしれない。そしてそういう面では意識
が無意識を制御しているわけでもなく、逆に
無意識が意識を制御しているというよりは、
無意識が意識に何らかの作用や影響を及ぼし
ているのかもしれないが、意識の方からは無
意識に意識して働きかけられないから、どう
考えても意識して無意識を鍛えることはでき
なそうで、無意識の働きを意識して何かに利
用することはできないとしても、少なくとも
意識して無意識の邪魔をしないように心がけ
れば、自然に無意識の活動が活性化されて、
特に意識しなくても社会の中で自身の振る舞
いが、周囲と協調するように円滑に動作する
のかもしれないし、そうでなくても自然に体
が動いたり、自然に何かが閃いたりするとき
に、それが意識にとっても肯定できるような
ことならば、無意識が自らのために働いてい
ると捉えておけばいいのかもしれず、それも
確実にそうなるわけではなく、大したことで
なければ気休め程度に過ぎないことだろうが、
そういう意味では意識も無意識も特に協力し
て身体を守ろうとしているわけでもないが、
ばらばらに働いているわけでもなく、互いに
意識には捉えどころのない作用や影響を及ぼ
し合っているのかもしれず、そういうのは一
概には何とも言えないところかもしれないが、
そこでも何かそれなりに筋の通った動作が意
識できれば、意識と無意識とが連携して動作
していることにもなるのではないか。だから
と言って無意識の動作の全てを肯定するわけ
にはいかないだろうが、いいように捉えてお
けば苦にはならないだろうし、意識が許容で
きる範囲内で無意識の動作を肯定しておけば、
それなりに無意識の動作から学ぶこともでき
るだろうし、過去の嫌な体験を脳裏に呼び起
こすような無意識の動作などにしても、それ
を教訓として意識に伝えたいのかもしれない
し、意識としてはそんな過去の失敗から学ぶ
しかなく、そうやって意識と無意識とで何と
か折り合いをつけながら、自己という存在を
保っているのかもしれない。

 自己を保てなくなれば自殺したり狂気に囚
われたり、人には様々な症状が現れるわけだ
が、それも社会の中でその人の周囲からその
人に向かって、様々な作用や影響が及ぼされ
ることとの相互作用によって引き起こされる
現象かもしれないが、そうした作用や影響が
相互作用を起こしている上で、自己が自己や
他者との関係の中で成り立っているに過ぎな
いことだから、そういった水準では自己を確
固とした存在として信じるわけにはいかない
だろうが、何かをやる水準ではとにかく自分
を信じないと、思い切ったことができないだ
ろうし、その辺のめりはりや抑揚に関しても、
その場の状況に応じてうまく振る舞うことが
できれば、結果が伴えばうまくいったように
思われるだろうし、伴わなければうまく対応
できなかったようにも思われるし、それもう
まくいくかいかないかは、その時の運次第と
述べてしまうと、身も蓋もないことになって
しまうわけだが、結果から判断してしまうと
、そういった結果を受け止める側の都合に合
わせた判断や解釈ができてしまうだろうし、
どうやってもどうなっても何とでも言えてし
まう可能性があるわけで、結局信用できるの
はそうなった結果だけかもしれないが、どう
いう結果になるのもその時の運次第と述べて
しまうと、それもそう述べてしまう結果から
判断することになってしまい、中には運次第
ではない要因があるように思われるなら、そ
れだけではないことにもなるだろうし、そう
した判断や解釈を信用できるか否かも、その
場に及ぼされる様々な作用や影響を考慮しな
いと、確かなことは何も言えなくなってしま
うわけだが、別に確かでなくても、かもしれ
ないと推量しておけば、暫定的にそう思って
済ますこともできるわけで、それをいい加減
なあて推量とみなしても、それ以上確かめる
必要がなければそれで構わないような成り行
きになってしまうだろうし、そういう方面で
いくら思考を巡らせても、得られるのは大し
たことではないのかもしれないが、ではそう
いう内省的な自己についての思考から離れて、
世の中で実際に起こっている具体的な出来事
について考えるとなると、それに関係する人
や団体の行為を賞賛したり批判するような成
り行きにもなってしまうだろうし、何かそこ
でそういう行為に対する良し悪しの判断が伴
ってくるわけで、そうやってそういう行為を
賞賛したり批判したりすることだけにかまけ
ていると、それに関係する人や団体がどのよ
うにしてそういう行為に及んでしまうかにつ
いての経緯が抜けてしまうだろうし、またそ
の経緯を説明するにも、それを批判する際に
は、いかにもひどいことをやっているように
語ろうとしてしまうだろうし、賞賛する際に
は、いかにも素晴らしいことをやっているよ
うに語ろうとしてしまうだろうし、そういっ
た語りを受け取る側が、それをひどいことだ
と判断する以前に、説明する側はひどいこと
だと思わせたいだろうし、またそれを素晴ら
しいことだと判断する以前に、説明する側は
素晴らしいことだと思わせたいわけで、そう
いう方面で何が信用できるかといえば、物事
の良し悪しを説明の中では判断しない説明の
方が、説明という水準では信用できるだろう
し、それと比較して物事の良し悪しを判断す
るような主張の中では、そういった主張に共
感できれば、主張する側とその主張を受け取
る側とで、価値観が一致していることが明ら
かとなるかもしれないが、そうやって共感す
る人が多い主張には、そうした主張が世の中
で流行っている可能性があるわけで、特に何
かを批判する主張が世の中で流行っていると、
批判されるようなことがそういった批判に逆
らって行われている状況があるわけで、そう
なるとそこでは批判に逆らってまで行われな
いと困るような事情が生じていて、果たして
そういった事情に納得できるかといえば、批
判している側には納得できないから、現に批
判しているわけだろうが、批判されるような
ことを行なっている側にしてみれば、批判に
逆らってまでやらなければならない切実な事
情があるのだろうし、しかも実際にそれが行
われているのだから、それを行なう側にはそ
れを行なうだけの力があるし、行なう側を支
持している人や団体も存在しているだろうし、
行なうに際しての社会的な権限や権力も持ち
合わせていることにもなるわけで、そういっ
た面で信用できるのは、悪いことを行なって
いると主張しながら批判している人たちには、
現状ではそうした行ないを止められるような
権限や権力を持ち合わせていないということ
であり、またそういった権限や権力がどこか
ら生じるかというと、批判に逆らいながらも
それを行なっている人や団体などに生じてい
る事情とは異なる事情を、自分たちの側に生
じさせなければならないのかもしれず、それ
は生じさせようとして生じるようなものでも
ないのかもしれないし、しかもそれはそれら
の人や団体を批判している事情とは異なる事
情となるのかもしれないが、現状の社会的な
関係とは異なる方面からそういう事情が生じ
てくるのかもしれないし、それが今までに行
われてきたような政変や革命などに伴って、
時の支配勢力に対抗して行われた際のやり方
とは、異なるやり方になることに関しては、
どうも信用してもいいのかもしれないが、具
体的に何をどうするかについては、実際にそ
ういう機運が高まって来ないと、やるべきこ
とがはっきりしてこないのも確かな感触なの
かもしれない。 

規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
Score!: - 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  • コメントはありません。