文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2018.12.15 「人物評価の大衆化」

2018/12/16

 人が個人として何か優れた面があるように
感じられるのは、その人がやっていることに
関係する面だろうが、そうであるならそれと
関係しないところでは、別に優れているとは
言えないだろうし、その人が単体として単独
で優れていたり劣っていたりするわけではな
く、その人と関係する物事の取り扱いが、優
れていたり劣っていたりするように感じられ
るわけだが、それは物事の取り扱いに関係す
る動作であって、そういうところではその人
が身につけた技術が物を言うわけで、そうし
た技術的な取扱いに関しては、それを身につ
けるために特別な訓練や学習を必要とするも
のから、日常の経験から身についてしまうも
のまで、様々な成り行きを経てその人に身に
ついてくるわけだが、いったん身につけても、
その後の経験や学習などによってそれなりに
変容を被るだろうし、また絶えず新たに身に
ついてくる他の技術との相互作用によっても
変容を被るのかもしれないが、いったん身に
つけてしまった特定の技術に活動が依存して
いると、そうした技術との関係の中にその人
が固定されてしまって、心身がそうした技術
的な動作に凝り固まってしまう成り行きもあ
るだろうから、いくらでも新たに技術を吸収
できるわけでもなく、その人が関係する物事
とその人とが一定の状態で結びついている限
りで、その技術的な取り扱いも特定の物事に
固定されてくる場合も多いだろうし、世間的
にはそうした技術的な定着を一定の水準で評
価するような成り行きにもなるだろうが、そ
れが身体の動作に結びついているような場合
には、加齢による衰えに伴って、技術的な水
準も下がってくる傾向にもなるだろうし、さ
らにまたそれが思考的な動作となれば、その
人を取り巻く状況の変化によっても、それに
応じてそれなりの変容を伴う可能性も出てく
るだろうし、ある期間においては一定の技術
的な水準が維持されていても、何かのきっか
けでそれが維持できなくなるような成り行き
に巻き込まれてしまう場合もあるわけで、当
人の気づいていないところで、そうした技術
的な変容が生じてくると、以前は難なく一定
のことがやれていたのに、ある時期を境にし
てなかなかうまくいかなくなってきたことが、
何か訝しく思われたりするわけで、それは当
人の心身の変化であったり、取り扱っている
物事の変化であったり、またそれらを取り巻
く周囲の環境の変化であったりして、それら
が重層的に互いに作用や影響を及ぼしながら
変化してくると、何が原因でそうなってしま
ったのか、一概には言えなくなってしまうか
もしれないが、そんなことまで考慮すれば、
その人に対する評価も、ある時期には優れて
いるとみなされても、別の時期ではそれほど
評価されなくなってしまうこともあり得るだ
ろうが、それがその人のせいでそうなってし
まうわけでもなくても、その人に固有の問題
があるかのように言われてしまうこともある
だろうし、例えばいつまでも周囲がその人に
対する否定的な評価を保持していると、何か
につけそれが批判材料に使われて、何をやっ
ても一方的なレッテル貼りのような決めつけ
によって、その人を叩くような成り行きにも
なってしまうわけで、そうやってその人自身
の世間的な評価を否定的な水準に固定してお
けば、その人の影響力がそれ以上強まるのを
阻止できるようにも思われるだろうし、また
それがその人に対する技術的な取り扱いの動
作ともなるわけで、そうなるとそういうこと
をやっている人たちにとっては、それらの人
たちの関係する物事の取り扱いの中に、人の
取り扱いも含まれてくるわけで、そういった
人に関する取り扱いが、それらの人たちが身
につけている技術的な動作であり、そこにも
人によって優れていたり劣っていたりするよ
うな違いが伴ってくるわけだが、そういった
動作に関して、状況や時代の変遷も、対象と
なる人の社会的な地位や立場の変遷もあるの
に、いつまで経っても取り扱う人に対する評
価が固定しているような場合には、それが実
際に固定しておいても構わないように感じら
れるなら、それはそれでそういう評価もそれ
なりに説得力を維持できるかもしれないが、
そうした評価が疑問に感じられるような場合
には、その人の感性がそうした様々な変遷に
対応していないことをうかがわせるだろうし、
またそれを自覚することなく、何度も何度も
対象となる人の過去の失敗談を持ち出して、
それをその人の現状に結びつけて罵倒し続け
たり、逆にまた対象となる人の過去の成功談
を持ち出して、その人を延々と擁護したり賞
賛し続けたり、さらにそうした評価の対象が
自身にまで及んでしまうと、自身の過去の成
功談ばかりを取り上げて自画自賛を繰り返す
ことになってしまうわけだが、そうした傾向
があまりにも顕著になってしまうと、それが
配慮に欠ける動作として、その人がやってい
ることに対して、その取り扱いに関する社会
的な信用に響いてくるだろうし、そしてそう
した評価に疑問を感じる人が多くなるほど、
何かお粗末で杜撰なことをやっている印象を
抱かれてしまって、そういう人は次第に世間
から相手にされなくなってしまうわけだろう
が、逆にそこまで思考が及ばない人が多けれ
ば、あるいはその批判対象や賞賛対象に興味
がある人が多ければ、そんな人でもある程度
の支持や信用を維持していられるわけだ。

 またそういう人物評価を繰り返す人たちが、
お互いに貶し合ったり、褒め合ったりする場
合には、そういうことがメディア上で話題に
なることも多いだろうから、そういうことを
やるのが当たり前な状況が作られて、それが
不自然にも疑問にも感じられないような成り
行きになってしまうわけで、そうなるとそれ
を真に受けた世の中の一般大衆が、そういっ
たことの支持者に仕立て上げられてしまい、
さらにそれが高じると、何やら歴史上の著名
人と現代に存命中の著名人などを比較するよ
うな、そういった根拠の疑わしい人物評価に
明け暮れるような成り行きにもなってしまう
わけで、またさらにそれが作り話の登場人物
にまで及んでしまうと、フィクションの中で
単純化された人物設定と、複雑に錯綜した情
勢の中で揺れ動く、実在する人物の状態とが
混同されて、さらに攻撃対象となる特定の人
物が恣意的なレッテル貼りを施されてしまう
経緯や成り行きを省略した、安易な決めつけ
の横行に拍車がかかってしまうわけだが、そ
うしたことを真に受けないと、そういった成
り行きには興味を持てないだろうし、そうし
た安易なレッテル貼り自体を行為として面白
がっている人たちも大勢いるだろうし、遊戯
のやり方としてそういうことが流行っていれ
ば、そういった人物に対する取り扱いも、そ
の正当性や意味や意義などを考慮しないで、
攻撃的な行為として、そうすることが面白け
れば、それで構わないような風潮になってし
まうだろうし、そうやって安易な行為として
の人物評価が大衆化するわけだが、しかもそ
ういう大衆化したやり方が基準となって、世
の中が動いていくわけだから、そうなってし
まっている時点で、そんな行為自体もそんな
世の中の風潮もどうでもいいようなことでし
かないわけだが、だからと言ってそこに真っ
当な基準を恣意的に再設定することはできな
いわけで、それ自体に真っ当な基準などあり
はせず、そういった人物評価には常に恣意的
な誇張や偏見が含まれてくるわけだから、真
っ当であるはずがないのかもしれないが、そ
こで認識しておくべきなのは、そんな情勢の
中では逆に恣意的な誇張や偏見が含まれない
と批判や攻撃としては機能しないし、そうで
ないと世の中の一般大衆も興味を持てないし、
面白がらないし、要するにそういった行為自
体が、冗談半分にお笑い芸人などによって行
われるようなことだと捉えられているだろう
し、真面目な水準ではそれを真に受ける必要
はないわけだろうが、実際にそういった行為
と地続きでメディア的な話題が形成されてし
まうわけだから、それも現実に起こっている
現象には違いないわけだ。そしてそういった
現象からそれなりに作用や影響を受けながら
世論が形成されるわけで、またそうした世論
が現実の政治の場に少なからず作用や影響を
及ぼしてくるわけだから、そうなってしまう
時点で、まさに冗談半分なことが政治的な行
為としても通用してしまうのかもしれず、そ
ういった風潮を真に受ける側からすると、真
面目に社会問題などに取り組むのが馬鹿らし
く思われてくるかもしれないが、実際にそう
いった成り行きの中で活動していれば、それ
が当たり前のことのように思われてしまい、
特におかしいとは思われないだろうし、また
そういうことをやるのが当然のことのように
思われてくるわけで、むしろそれがないと不
自然にも感じられてしまうのだから、それは
それとして受け止める必要があるだろうし、
そんなふうに世の中の情勢を認識している自
らも、そういうメディアを通じた世の中のフ
ィクション化に、何らかの形で積極的に加担
してしまっていることを自覚しておいた方が、
かえってそれとは違う理想論的な幻想を抱か
ずに済むのかもしれない。もちろんそうだか
らといって、そんな自覚によって世の中の真
の姿がわかるわけでもなく、ただ相対的な程
度として、メディア上で流通している著しく
誇張されたり歪められた現状認識には違和感
を抱けるかもしれないが、そうした認識の最
たるものが、何らかの兆候から危機感を煽る
ような認識だろうし、そうやって危機感を煽
りたい人は、ちょっとしたきっかけから大変
なことが起こってしまうことを予言したいわ
けで、そういう人は別に自らが予言者になり
たいとは自覚していないのだろうが、なぜか
予言的な物言いに囚われてしまっていて、そ
れがこのままでは大変なことが起こるとか、
社会の崩壊が間近に迫っているとか、そうい
った類いの文の定型に意識が縛られてしまっ
ていて、それがその人が身につけた言葉の取
り扱いに関する一定の動作であるのだろうが
、なぜそんな動作が物事の取り扱いとして生
じてしまうかは、歴史をどう捉えるかに関す
る訓練や学習によって身についた動作とも言
えるかもしれず、例えば戦争や災害や革命な
どによって社会が混乱する経緯を、それが大
変なことだと認識して、できればこれから起
こるそういう未曽有の惨事を避けなければな
らないと同時に、そうなる予兆を事前に感じ
取って、それを避けるために自らが警鐘を鳴
らす役目を引き受けたいわけで、それがその
人が歴史から学んだつもりの教訓になるわけ
だろうが、どうもそうした動作は、歴史の実
情を反映しているわけではなく、別の訓練に
よって身につけた動作なのかもしれず、それ
に関しては、その人にとっては社会的な混乱
を招いた戦争や災害や革命などが、過去の失
敗談なのであって、そうした過去の失敗談を
現状の世の中に結びつけて批判したいがため
に、何度も何度もそうした失敗談を取り上げ
ては、それにかこつけて現状で生じている世
の中の風潮を批判しようとするわけで、それ
がこのままでは大変なことが起こる、という
危機感を煽り立てる定型文の活用とも結びつ
いていて、そんな動作を正当化する自身は、
そんな風潮とは違うことをやっているつもり
になっているわけだが、実はそれ自体がそん
な風潮そのものであり、その人が囚われてい
る現状の世の中を虚構化する風潮そのものな
のかもしれない。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
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