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彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2018.12.7 「子供騙しの演技」

2018/12/08

 自らが逃れられない成り行きがそこで生じ
ているとすれば、それは現に今ここで生じて
いる成り行きでもあるだろうが、そんな成り
行きの中にいる大抵の人の現状は、大して深
刻な状況ではないだろうし、中には深刻な状
況に直面している人もいるのだろうが、それ
に気づいていない人もいるだろうし、それが
どうなろうと知ったことではない人もいるか
もしれないし、そこでどんな成り行きが生じ
ていようと、その人にはどうすることもでき
ない場合もあるのだろうが、その人にとって
はそれが何を意味するわけでもないのかもし
れず、そこでそれを運命だと認識できないよ
うな成り行きがあるとすれば、やはりそれは
何でもないことかもしれないのだが、その人
にとってはそうであるとしても、他の誰かに
とってはそうではないかもしれないし、何か
そこで恐ろしいことが起こっているように見
えてしまう場合もあるかもしれず、それがど
んな状況であるかは、誰も正確には把握でき
ないことかもしれないが、それが何でもない
ことのように見えたり、恐ろしいことのよう
に見えたりするのは、その人の立場上の違い
があると同時に、主義主張や気持ちの持ちよ
うの違いもあるのかもしれないが、相変わら
ずそれを深刻には受け止められなければ、た
ぶん行われていることが子供騙しのように感
じられるのかもしれず、しかもそう感じられ
てしまうこと自体が、深刻な事態である可能
性もあるかもしれないのだが、そうだとして
も、そう感じられてしまう成り行きの中で、
実際に人が何かをやっているわけだから、そ
れ自体は否定しようがないわけで、誰もが子
供騙しのようなことに囚われているのが、し
かもそんなことをやらざるを得ないことが、
そんなに大げさなことでもなく、別にそれが
深刻な事態だとは思えないのなら、それで構
わないわけだが、そもそも子供騙しのような
ことというのが、具体的にどのような行為な
のかといえば、誰もが日常の中で普通にやっ
ていることでしかないのかもしれず、それが
特定の行為を指すのではなく、行為全般をい
うのだとすれば、かなり漠然となってしまう
わけだが、たぶんそれを子供騙しと表現する
こと自体がとりとめのないことであり、そこ
でどう捉えても見え透いたことをやっている
のに、それを何か真剣に演じなければならな
いような成り行きになってしまうことが、子
供騙しのように思われてしまうわけで、しか
も別に騙しているわけでもないのに、騙して
いるように振る舞わなければならなくなって
しまい、また騙されているつもりの側も、相
手が騙しているわけでもないことは承知して
いるのに、騙されたふりを装って、騙された
ことに腹を立てるような演技を強いられてし
まうわけで、そんなのは全て演技であるにも
関わらず、それが演技ではなく真剣に何かを
やっているふりを強いられてしまうこと自体
が、子供騙しの振る舞いと表現すればしっく
りくるのかもしれないが、それに関して確証
があるわけでもないだろうし、何だかわから
ないが、脱力感や無気力感を催すような情け
ない状態であるにも関わらず、そこからそれ
なりにつじつま合わせのようにして、その場
であてがわれてしまう役割をそれなりの真実
味を伴って演じなければならないわけだから、
むしろそれを真剣に演じる必要が感じられな
いわけではないのだが、しかも演じていると
いうよりは、実際に動作しているわけで、そ
こで何らかの作業を行なっていて、その作業
が子供騙しの動作を伴っているように思われ
るとすれば、それを他にどう捉えたらいいの
かわからないだろうし、果たしてそれを真に
受ける必要があるのかと言われると、もちろ
んそんなことを言ってくる人は誰もいないわ
けで、そうであるなら自分で自ら判断すれば
いいようにも思われるのだが、そうなるとそ
れが場違いな判断となってしまう公算が高く
なるわけで、それがその場で何かやっている
人たちの動作を、子供騙しの演技とみなすこ
とになってしまうわけだが、なぜそう思われ
てしまうのかというと、誰もが示し合わせた
わけでもないのに、なぜかそこでその場に特
有の共鳴現象が起こって、誰もがそうした動
作に落ち着いてしまうわけで、そこでその場
に居合わせた人たちを操るような場の力が働
いているように見えてしまうのだろうが、別
にそれで何がどうなっているわけでもないの
だから、そんな事態を深刻に受け止めるよう
な成り行きにはならないわけだが、少なくと
もその場に居合わせた誰もがそうは思わない
としても、そうした印象をもたらしているの
が、それらが子供騙しの演技に見えてしまう
現象であり、それをメディア特有の効果とみ
なせば、それで済んでしまうようなことでし
かないのかもしれないが、別に誰もそれ以上
の状態を求めているわけでもないだろうし、
それ以上の状態が何なのかもわからないのだ
から、総じてそうなってしまうのは仕方のな
いことなのかもしれない。

 それを真正面から受け止めるなら、食い違
いが明らかとなるのかもしれないが、それが
明らかとなってしまっては、演技が成り立た
なくなってしまうわけで、そこで何とか演技
を成り立たせるための工夫が求められてしま
うわけだが、それに関して好都合な立場を定
められれば、誰もがそんな架空の立場に飛び
つくのかもしれないが、それが架空であって
はまずいだろうし、現実にそういった立場が
成り立つように、立場の設定に関して工夫を
凝らさないとならなくなるわけで、それに関
してはうまく矛盾しないような限定条件を導
入して、例えば移民の問題を労働条件の問題
に限定すれば、無矛盾な立場を取り繕うこと
ができるわけだが、そこで需要と供給の問題
まで含めてしまうと、途端にうまくいかなく
なってくるわけで、誰もがきれいごとを言え
なくなってきてしまうわけだが、そうやって
そうした立場を取り繕う限りでは、やりたく
ない労働をやらざるを得ない人に押しつける
ための経済システムに反対していられるわけ
で、そういったいいとこ取りのつまみ食い体
質が、子供騙しの演技に見えてしまうわけだ
が、しかしそれ以外の立場があり得るかとな
ると、そういった立場というのが、それ自体
でそうした立場特有の限定条件から定まるの
だから、そんな立場を認められないとなると、
ではそれ以外にどんな立場が成り立つのかと
言われると、返答に窮してしまうだろうし、
そういう意味で社会的な立場自体には常に虚
構の面が含まれてくるのかもしれないが、少
なくともそうした限定条件を伴った立場から
しか主張できないことがあるわけだから、そ
ういう振る舞いを子供騙しの演技とみなすの
も、そうせざるを得ないことを踏まえると酷
な話なのであり、それはそれで限定的な立場
として認めていかないと、そういった類いの
主張は何もできなくなってしまうわけで、そ
うなると現状で行われている議論そのものが
成り立たなくなってしまうのだろうが、なら
ばそういった自らの立場に合わせた限定条件
をいくらでも認めても構わないかとなると、
そうなると都合のいいことしか主張しなくな
ってしまうから、議論が噛み合わないままと
なってしまうだろうし、そこにも議論を噛み
合わせるための歯止めが必要となってきてし
まうわけだが、そうした歯止め自体も限定条
件の一種となるわけで、そんなことを細々と
設定した上で議論を行えば、今度はそれ自体
が虚構の議論となってしまい、それこそ議論
の参加者が子供騙しの演技を強いられてしま
うわけだが、そうなると限定された立場や条
件からはみ出る部分も考慮しなければならな
くなり、そうやって実験室の無菌状態からは
程遠い行為を各自が強いられるだろうし、そ
もそも議論など成り立たない可能性も出てく
るだろうが、それでも各人が互いの立場や限
界を考慮しつつ、何とかその場で議論を成り
立たせるように配慮すれば、ある程度の真実
味とある程度の嘘っぽさが伴うとしても、何
かまっとうな議論が交わされたような印象を
もたらせるかもしれないし、そんなところで
妥協するのが関の山だろうが、それ以上を求
められないことは踏まえておくべきかもしれ
ず、いくら議論しても、実際に行われること
の中には、反対せざるを得ないことも含まれ
てくるし、機会を捉えてそうしたところを改
善する余地が出てくるわけで、それを実際に
改善できればいいのだろうが、それをまっと
うなやり方でできるかというと、それとこれ
とは別問題となってしまう成り行きも結構あ
るのではないか。そんなところで自身の主義
主張や立場とは相容れないようなやり方をと
ってしまうのも、目的のためには手段を選ば
ないような成り行きには逆らえないからだろ
うが、それに関しては、日頃から子供騙しの
演技に終始して、それによって相手を油断さ
せておいてから、いざという時に、そんな先
入観を打ち砕くような思いがけない行動に出
るようなやり方もあるだろうし、そういう成
り行きに持ち込めるなら、子供騙しの演技に
もそれなりの利用価値があったことになるだ
ろうが、そうした子供騙しの演技自体を正し
いことだと信じて、のめり込んでしまうよう
だと、それ以外のやり方には至れなくなって
しまうだろうし、それを避けるには、自らが
常日頃から子供騙しの演技に終始しているこ
とを自覚しておくべきだろうし、それを自覚
する上で重要なことは、自らの主義主張を成
り立たせている限定条件を知っておくべきだ
ろうし、それはまた自らの立場をも成り立た
せている条件ともなるわけだが、そうした限
定条件を取り払って、従来の立場から逸脱す
れば、どういうことが言えるのかも把握して
おくべきだろうし、そうなると自らが対峙し
ているつもりの、別の主義主張や立場を保持
している人や勢力が、それに関してどのよう
な正当化を行なっているかも考えなければな
らなくなるし、それが一方的な主張や立場に
思えるなら、彼らがこだわっている限定条件
もはっきりしてくるだろうし、そうやって自
らの主義主張や立場の限界とともに、思考の
対象としている人や勢力の主義主張や立場の
限界も、おのずから明らかとなってくるので
はないか。そういったことを考慮すれば、機
会を捉えて何をやればいいかがわかってくる
かもしれないし、日頃からそういった現状が
成り立つ上で必要な限定条件について把握し
ていれば、いざという時にとるべき行動に迷
いが生まれにくいのかもしれない。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
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