文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2018.12.6 「重症患者の症例」

2018/12/07

 やっていることを正当化する必要がないと
いうことは、自分以外の他に向かって、その
ことを特にアピールする必要がないことにな
るわけだろうが、それ以前にやっていること
にこだわっていないかというと、他でもなく
そんなことをやっていること自体が、それを
やることにこだわっていることになるのだろ
うが、そうなるとこだわっていないわけがな
く、こだわっているにしても、特にそれを正
当化する必要がないということでもあるだろ
うし、そういう意味ではこだわることと正当
化することは違うことになるわけだろうが、
自らの意思とは関係なく、たまたまそんなこ
とをやっているのだとしたら、特にそれをや
りたくてやっているわけでもないことにもな
ってしまうわけで、それでもそんなことにこ
だわっていることになるかというと、やらな
くても構わないのにやっているとすれば、そ
れにこだわっていることになるだろうが、や
りたくないのにやらされていたりすると、や
ることに関しては、特にこだわっているわけ
でもないことにもなるだろうし、そうやって
様々な条件で様々なケースが考えられるかも
しれないが、何かそれを正当化する必要も感
じないでやっていることを意識してしまうと、
かえって正当化したくないことにこだわって
いるようにも感じられて、そういったこだわ
り自体が否定的にねじれてきてしまうわけで、
それに関してどう語っても、しっくりこなく
なってしまうかもしれないが、確かにそれを
やっている自らの意識の中ではそう思うかも
しれないが、実際にやり続けている状況の中
では、単にそれをやっている以外ではなく、
そんな状態を自分がいくら解釈してもきりが
ないようにも感じられるだろうし、それを正
当化しようがそれにこだわっていようが、表
面上はただそれをやっているに過ぎないこと
でしかなく、やっているに過ぎないことをど
う解釈しても、それ以上にはならないわけだ。
またそれを他人からどう評価されようと変わ
らないし、他人からどう評価されたところで、
どうなるわけでもないことかもしれないが、
要するにそれだけでは何がどうなっているで
もなく、ただそんなことをやっているに過ぎ
ないのだが、それでも構わないような状況の
中でやっていると、それだけのことになって
しまうわけだが、それだけは済まないような
状況になってくると、それ以上の何かを求め
ざるを得ないような成り行きになってくるの
だろうし、その何かが恣意的な幻想の類いに
結びつくとしても、それによって何らかの確
かな感触を得られるなら、何かそれ以上のこ
とをやっているつもりになれるわけだ。別に
それが他から見たら何でもないことに見られ
ても、自分がそれを否定的に見なくても構わ
ないだろうし、特にそれが世間的に肯定でき
るようなことでなくても構わないわけだ。そ
れが自己満足の段階なのかもしれないが、自
己満足だけでは不満なのだろうし、できれば
そのことについて他人からかまってもらいた
いと思うようになると、他人からの評価を気
にするような段階にまで、自らのやっている
ことを押し上げたくなってくるわけだ。それ
がやっていることの社会化に結びつくのかも
しれないが、実際に社会化すれば、今度は他
人との関わり合いの中で何かをやっているこ
とになるわけで、できれば協業としてそのこ
との意義を正当化したくなるかもしれないが、
それを何に向かってアピールしたくなるかと
いうと、それが自身に向かってアピールして
いることになってしまうと、やはりそれは自
己満足に陥ってしまうわけだが、そうした自
己満足が自分独自のこだわりを生むのかもし
れないが、要するにそこで自分が満足できる
ようなことをやろうとするわけで、それが高
じて他人の事情よりは自分の事情を優先させ
るように見られてしまえば、協業している他
人からの信用や信頼を失うことにもなり、そ
れが何かのきっかけで裏切りの原因ともなる
だろうし、実際にそうなってしまうと、他人
にしてみれば裏切らざるを得ない状況に追い
込まれるわけだが、そういった裏切りを否定
的に捉えてみても、裏切る側にしてみれば、
裏切ることにそれなりの必然性を感じている
わけだから、他からそれを批判されたところ
で、その裏切る必然性は揺るがないだろうし、
実際に他人を裏切って主導権を奪うことに成
功すれば、やはり裏切った意義を実感するだ
ろうし、そうなった成り行きを正当化したが
るわけだが、そうなったきっかけがなければ、
裏切る必要もなかっただろうし、そうであれ
ば初めからことさら裏切ることにこだわって
いたわけでもなかったはずで、その人にして
みれば結果的に裏切らざるを得ない状況に追
い込まれてしまったのだとすれば、そういう
状況に追い込まれてしまったから裏切らざる
を得なかったとアピールできるわけで、そう
した正当化に伴って、こだわっている部分も
それなりにずれてくるわけだ。

 そうした成り行きから何が言えるかとなる
と、その場の状況に応じて、それまでの態度
をがらりと変えるような事態が起これば、そ
れは態度を変えた人の意思で変えたとしても、
態度を変えざるを得ないような状況の変化が
起こったということだろうし、そうなってし
まってから何を言ってみても後の祭りでしか
ないわけだが、態度を変えるきっかけが実際
に起こったわけだから、場合によってはそう
なった状況の変化を尊重しなければならない
だろうし、そうしないと現状に対応できなく
なってしまうと判断するなら、まずはそうな
ってしまった現状を認めた上でどうするかと
なるわけだが、少なくとも当事者にならない
限りはどうすることもできないだろうし、そ
うであるなら当事者になるためには、そこに
介入するしかないわけで、介入できなければ
傍観者になるしかなく、傍観者には現状の中
で主導権を握るような力がないわけだから、
そんな現状の中で主導権を握りたければ、主
導権を握る上で邪魔な人たちを傍観者の立場
に追い込んでしまえばいいわけで、またすで
に現状で傍観者の立場の人たちも、そこから
介入してこないように予防線を張るなりして、
立ち入ってこれないような措置を講じておく
必要があるわけだ。結局人や団体を裏切るよ
うな人は、そこで主導権を握らないと、裏切
り者の汚名を着せられて、罰せられる立場と
なってしまうわけだから、是が非でも現状の
中で主導権を握る必要が生じてくるわけで、
その際あわよくば他人に罪を着せられたら、
自分が裏切り者ではなくなる可能性もあるわ
けだから、大抵の場合は裏切った対象者に罪
を着せるような成り行きになるわけで、だか
らその際にだまし討ちのようなことをやる成
り行きにもなるだろうし、そうやって裏切っ
た対象者を葬り去ることに成功すれば、自ら
の主導権も確保されるわけだろうが、やはり
実際にはそれだけで済むようなことにはなら
ないだろうし、その場が丸く収まるまでには
さらにそれなりの紆余曲折が待ち受けている
わけで、それがまた新たな騒動を引き起こす
にしても、過去に遡ってそんなことはやらな
い方が良かったとは言えないだろうし、まず
はそうなってしまった成り行きを踏まえた上
で、そこに関係する人や団体が対応していく
しかないわけだ。そしてそうした騒動の蚊帳
の外で傍観者の立場に甘んじている人たちの
方でも、そこからあまりにも野次馬根性に傾
倒してしまうと、煽っているつもりが煽られ
て煽りの中に巻き込まれて、当事者意識に絡
め取られて、そんな愚かしい立場を正当化す
る羽目になって、それがメディア上で行われ
るような成り行きになれば、世間に醜態を晒
すことにもなるだろうし、そんなに介入した
いのに無視されるような惨めな立場を強いら
れて、そんな惨状を他の人たちから見透かさ
れて、世間的な信用を落としてしまうわけで、
そうなるのが嫌なら、何でもかんでも闇雲に
自らの立場を正当化するのも考えもので、た
だその場に介入したいから、あちらが振り向
いてくれるまで騒ぎ立てればいいようなこと
でもないだろうし、介入したくてもできない
のなら、そのままでも構わないわけで、そう
いうことには縁がなかったと思えば、それで
済んでしまうようなことだと思っていればい
いのかもしれないが、それに関しては縁があ
ったりなかったりすることを、自分では制御
できないだろうし、それは制御しようとして
できるものでもなく、その場で自らに生じて
いる成り行きの中で、自然に他との縁が生じ
てくれば、そうなった時に対処するしかない
のかもしれないし、そんな悠長に待っている
余裕がなければ、やはり強引に介入しようと
して騒ぎ立てるしかないのかもしれないが、
そうなるにしても、そういう成り行きの中で、
日頃からやってきたことの延長でそうなるわ
けだろうし、実際にそんな騒ぎ屋みたいこと
をやる習慣が身についている人も世の中には
結構いるだろうし、またそういうことをやら
ざるを得ない事情を抱えている人もいくらで
もいるのかもしれないが、少なくとも自らに
そんな習慣も事情も生じていなければ、幸運
にもそうした成り行きとはなっていないわけ
だろうし、そうであるなら自ら進んでそんな
渦中に身を投じる必要はなく、また人を野次
馬の立場に至らしめるような成り行きから逃
れられている幸運を率直に喜べばいいわけだ
が、そうであってもそういう成り行きに誘い
込もうとする誘惑から逃れることはできない
だろうし、メディア上の話題に興味を惹かれ
る限りは、そこで傍観者やそれが高じて野次
馬の立場にならざるを得なくなるわけで、そ
こでそういう成り行きに過度にのめり込むよ
うになってしまうと、そうなってしまった人
たちの中から、実際にメディア上でそういう
立場を占めて、それに関して何か自己主張し
たり、そんなことをやっている自らを正当化
するような人が出てくるわけで、そうなって
しまった人たちがメディア上で話題を提供し
ているわけだから、他の人たちがそういった
行為に惹かれるのも無理はないわけだが、そ
うであるにしても、そんな病状にも軽症から
重症まで程度に幅があって、そんな程度に応
じてそれなりにそういう成り行きに関わって
いくしかないわけだ。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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