文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2018.12.4 「依存症への取り組み」

2018/12/05

 意識が何かに囚われていると、否応なくそ
うなってしまうのだから、それに関しては意
識の制御が利かないのかもしれないが、そん
な渦中に身を置いていると、積極的にそんな
状態を求めている気になるし、主体的にそん
なことをやっている気にもなるだろうし、そ
うなっている時点では、自らが囚われている
物事に操られているとは思えないだろうし、
逆に自らがその物事に働きかけて、そこから
求めている利益や快楽などを引き出そうとし
ているように思われるのではないか。そうな
るとそれが受動的に囚われているのか、ある
いは積極的に働きかけているのかは、どちら
かであるにしてもどちらでもあるにしても、
対象となっている物事との結びつきが強まっ
ていることは自覚しているだろうし、そんな
物事と自らとの関係を、肯定的に捉えるにし
ろ、否定的に捉えるにしろ、それが何か他と
は違う特別な関係であるかのように思われる
のかもしれず、そうした思い込みがその人の
意識に作用して、対象となっている物事への
依存状態を強固に保つように働いているのか
もしれないが、果たしてそうした依存症から
脱することができるかというと、まずは自ら
が依存症になっていることを自覚できないと
話にならないだろうが、自覚した上でそうな
っていることを肯定的に捉えているのなら、
別にそこから抜け出そうとは思わないし、逆
にそのままの状態を保ちながら、さらに強固
な結びつきを求めて、そこへとのめり込んで
行こうとまでしてしまうのかもしれないが、
そういう成り行きであれば、それで構わない
面もあるだろうし、それに関しては、他の人
や団体がそれによって迷惑を被るようなこと
にでもなれば、それを阻止しようとしてくる
のではないか。またそれとは反対に、当人が
そうなっていることの弊害を自覚していて、
それへの依存関係を断ち切りたいのに、断ち
切れないような場合には、他の人や団体に協
力を仰いで、依存症から脱する方策を模索す
るような成り行きになるのかもしれないし、
そういう面で自分一人の力ではどうにもなら
ないような場合は、他の人や団体との関係を
利用して、何かに囚われている依存状態から
別の状態へと移行できる可能性を模索できる
わけだが、それ以前に人は他にも様々な物事
と関係を持っているのだから、それらの中で
生きていくのに欠かせない物事であるほど、
そうした物事との間で依存関係にあるわけで、
空気や食物などのように、そうした物事との
関係を断ち切れば死を招くような関係と、恣
意的に関係を深めたり薄めたりすることがで
きる物事との関係は、全く別次元のことのよ
うに思われるだろうが、それも厳密には相対
的な程度の差でしかないのかもしれず、例え
ばはじめはどうでもいいように思われた交友
関係のもつれから、自殺に発展するような成
り行きもあるだろうし、またその場のちょっ
とした行き違いから、些細な偶然の巡り合わ
せによって関係が生じて、そのことがきっか
けとなって九死に一生を得るような大げさな
体験をすれば、運命の不条理さを身にしみて
実感するかもしれないし、そういった極端な
関係から、気づく必要もないどうでもいいよ
うな関係まで、人は様々な程度で様々な物事
と関係を結んでいる一方で、そんな関係もひ
っきりなしに解消したり、また新たに別の物
事と関係を結んだりしている中で、たまたま
特定の物事と強固な依存関係に至ることもあ
るだろうし、さらにそうした関係も何かのき
っかけからあっさりと切れてしまったり、ま
たどんなことがあっても、執拗に腐れ縁のよ
うに付きまとわれてしまう場合もあるだろう
が、そうした関係の全てを相対化して捉える
ことはできないだろうし、その中である関係
を自分にとって特別な関係だと思い込めれば、
それを自覚している限りで強固な依存関係と
みなすこともできるかもしれないが、それを
自覚することなしに、特定の物事と強固な依
存関係を結んでいるような場合には、しかも
それに伴って自分や周囲に無視できない深刻
な弊害をもたらすような関係だと、始末に負
えない成り行きや結果をもたらすのかもしれ
ず、例えばそれが特定の政治的な思想信条だ
とすると、それに関しては普通に誰もが自覚
しているだろうが、そうした思想信条からも
たらされる特定の傾向となると、それを自覚
できない可能性があるわけで、それが時代の
変遷に伴って、その思想信条の名称は変わる
し、政治的な態度さえ時として正反対になる
可能性さえあるのかもしれないが、そこから
もたらされる特定の傾向は、ほとんど変わら
ない場合があって、多くの人がそうした傾向
を保持している限りで、そうした傾向が社会
に及ぼす作用や影響も相変わらず一定の効果
を保っていて、そうした傾向への依存状態に
ある人たちによって、社会へ及ぼされる弊害
も一向に改まらない場合もあるわけで、また
それを弊害だとも自覚できない可能性さえあ
るのではないか。

 そういった傾向を一言で表現するのは難し
いかもしれないが、それがどのような政治的
な主義主張と結びついていようと、またそれ
が複数の主義主張に分かれて見せかけの対立
を形成していようと、対立しながらも同じ傾
向を保持しているようなら、どちらの主義主
張に傾倒している人たちも、同じような傾向
に囚われていて、そこではそれ以外の傾向が
排除されているわけで、そういった傾向に囚
われている人々には、それに関する選択の余
地がないわけで、どちらの主義主張を支持し
ても、同じ傾向になってしまうのだから、も
はやそんな主義主張自体が有名無実化してい
ると言えるわけだが、やはりそれにこだわら
ざるを得ない事情を抱えていて、対立しなが
らも同じことを主張せざるを得ない成り行き
の中で、双方ともに同じような傾向の依存症
に罹っているわけだ。それがまず政治意識の
浅い表層では国家に対する依存症に罹ってい
るだろうし、さらに経済意識の根深い深層に
おいては金銭に対する依存症に罹っているわ
けだが、どちらもそれがないと致死的な結果
を招くと信じているから、ほとんど空気や食
物と同じような次元で捉えられている可能性
さえあるのかもしれないが、たぶんそれが勘
違いであると同時に、次元の違う問題である
ことも認識しているだろうし、その辺でそれ
らを区別する理屈も成り立つわけだろうが、
そうであっても信仰をやめるわけにはいかな
い事情も抱え込んでいると自覚しているのか
もしれず、そうやってそれらに関して込み入
った事情が形成されるわけだが、もちろんそ
れ以前にそんなことは考えるまでもない大前
提であって、そうした前提を暗黙の了解事項
として確認し合った上でないと、特定の思想
信条や主義主張に分かれて対立したり連携し
たりできないわけで、そんな前提が崩れ去る
可能性があるなんて夢にも思わないかもしれ
ないが、それでも心の片隅では、それらが空
気や食物とは次元が違うことは踏まえている
だろうし、そういうところで問題が宗教的な
信仰の問題である可能性を帯びるわけだが、
やはりそれらと普通の一般的な宗教とも別次
元の問題だと認識しているだろうし、他の特
定の宗教であっても、国家的な信仰や金銭的
な信仰の上に成り立つと考えれば、それなり
につじつまの合う理屈を形成できると信じて
いるわけで、それらのうちでどちらが欠かせ
ないかといえば、特定の宗教に対する信仰よ
りは、国家に対する信仰や金銭に対する信仰
を優先させる傾向にあるわけで、そういった
信仰を優先させる傾向が、社会に様々な弊害
を及ぼしているとしても、逆に社会自体がそ
ういった信仰によって成り立つとも考えられ
るわけで、弊害よりはそちらの方が根本的な
優先事項であり、それに比べれば、そこから
生じる弊害など放置しておいても構わないと
さえ思えるわけで、実際に国家信仰や金銭信
仰から生じる弊害は、それを根本からはなく
せないものの、行政的な方策や社会的な相互
扶助などの活動によって、弱めたり減じるこ
とができると信じられているわけだ。もちろ
ん一方ではそんなご託宣が焼け石に水程度の
効果しかないことも承知しているわけで、そ
れよりもそうした信仰を疑う人がいることを
信じられないだろうし、それ以前にそれが信
仰というカテゴリーに含まれてしまうこと自
体が疑わしく思われるわけで、少なくとも他
の宗教などの信仰と同列に扱われることにも
違和感を抱くだろうし、何か国家や金銭を信
仰することが、他の信仰とは異なる特別なこ
とだと感じられるわけだが、それが特別であ
るからこそ、普通に国家を信仰するとか金銭
を信仰するとか言わないわけで、それらは信
仰の範疇には含まれないわけだ。要するにそ
れに関しては意識の制御が利かず、わざとそ
れらを信仰の領域へと引き下げるような表現
には抵抗を覚えるわけで、それらは信仰の対
象という表現からは引き離して、それとは違
った明らかに価値の高い次元で表現されなけ
ればならないわけだが、そのような表現とは、
もはや信仰ですらなく、特に表現するまでも
ない当たり前のこととして、それらを扱うこ
とになるわけだ。それが物質化であり、それ
らがすでにそこに存在していて、そのあるな
しを問うまでもない物として扱われるわけだ
が、果たしてその存在を疑うべくもない物と
して、それらを捉えていると言えるかとなる
と、実際にはそうでもないわけで、ただ一定
の範囲内の土地を便宜的に境界で区切って国
家と定めているだけだろうし、また取引上で
発生する決められた交換レートの数値を表す
指標を金銭と定めているだけであり、それ以
前に土地は土地でしかなく、交換レートの数
値は数値でしかないわけだが、そうした媒介
物があることを信じられる限りで、国家や金
銭が存在していることを信じられるわけだが、
別にその存在を信じていなくても構わないし、
信じられなくてもそうした媒介物を利用して
活動できるわけだが、逆に信じてしまうと、
その存在を前提とした上でしか物事を考える
ことができなくなってしまい、それだけ思考
できる範囲が狭まって、国家や金銭が作用す
る限界の範囲内でしか活動も成り立たなくな
ってしまうわけだが、一般的にはそれで十分
だと思われているし、実際にそうした範囲内
で人も物も情報も行き交っていると思われて
いるわけで、そう思われている限りでそうし
た依存症から抜け出ることはできないわけだ
が、それも抜け出る必要があるかと言うと、
その必要を感じていない人が世の中の大半を
占めているから、そうした事情を反映した世
の中となっているわけだ。 

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創刊日:2001-03-26  
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