文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2018.12.3 「雑学とぜい肉」

2018/12/04

 知り得ないことを知りたいと思うのは、そ
れを知り得ないとは思わないからかもしれな
いが、つまりはじめから知り得ないと決めつ
けるわけにはいかないわけで、それを知りた
いと思う限りで、知ることができる可能性を
追い求めていて、またそれを知り得たところ
で、それに関する知識以外の何がもたらされ
るわけでもないのかもしれないが、少なくと
も知りたいと思うのだから、それに興味を抱
いているのだろうし、興味があれば知ろうと
してしまうわけだ。またそうやって記憶の中
に溜め込んだ知識を、他のことに利用できれ
ば得したと思われるだろうし、もっとも同じ
溜め込むなら金銭などの資産の方がはるかに
有用で便利な利用法があるかもしれないが、
ともかく溜め込んだ知識も資産の一部だとみ
なすなら、ないよりはあった方がマシに思わ
れるだろうし、別に知識を溜め込むために物
事を知ろうとしているわけでもないだろうが、
知ろうとした結果として知識が増えれば、そ
れなりの満足感を得られるのではないか。も
ちろん満足したからといって、得られた知識
を活用できなければ、それは単なる宝の持ち
腐れでしかなく、さらに知識を過信してしま
うと、逆にその知識が要らぬ先入観や固定観
念を招いて、行動の邪魔をしかねないように
なってしまうし、結局はそれなりにメリット
もデメリットも抱え込むことになるわけで、
それは他の何に関しても言えることかもしれ
ないが、少なくとも暴飲暴食の挙句に体に脂
肪を溜め込んで肥満体になったり、酒を飲み
過ぎて脂肪肝になってしまうのとは、まった
く傾向の違うことだろうから、食べたいこと
と知りたいことを同じような欲求の発露とみ
なすわけにはいかないだろうし、食べること
からもたらされる結果と知ることからもたら
される結果には、それなりに違いがあるわけ
で、無駄な脂肪をぜい肉と呼ぶのと、無駄な
知識を雑学と呼ぶのにも、似たような傾向が
あるにしても、それなりに違いがあるし、ぜ
い肉をダイエットで落とすようには、雑学を
忘れるわけにはいかないだろうし、たとえ身
につけた雑学によってケチな物知り博士のよ
うになってしまっても、状況によってはそう
なるのもやむを得ないが、それを粗大ゴミの
ように扱うのも気がひけるのではないか。そ
ういう意味では脂肪よりは知識の方がそれな
りに価値が高いように思われるだろうが、知
ることをすぐに知り得たことの活用に結びつ
けようとすると、何かそこに思わぬ落とし穴
が待ち構えているようにも思われるし、知る
ことと知り得たことの活用とは、直接にはつ
ながらない面もあるのかもしれず、知ること
はそれ単体で独立した営為であり、そこから
知り得たことの活用へは、まただいぶ間が開
いてしまう場合の方が多いのかもしれないし、
その二つの営為を近づけすぎると、ハウツー
的な深みのない単刀直入なことにしか結びつ
かず、結局知識が活かされるには、それなり
の熟成期間を要する場合があり、その人の都
合で期間を縮めるようなわけにはいかない性
質があるのかもしれず、それも他の食べ物な
どの熟成と似た物言いになってしまうが、ア
ナロジーとしての傾向は同じでも、食べ物が
発酵するのと腐敗するのとは違うように、知
識が熟成するのと宝の持ち腐れになるのも同
じような違いを示すとしても、発酵食品のよ
うに技術的な処置を施して、活用の価値や必
然性を高めるようなわけにはいかないのかも
しれず、もちろん大学教育などの場では、そ
ういった傾向を追い求めているのかもしれな
いが、必ずしもそれだけが知識の活用の仕方
ではないだろうし、中には特に活用を前提と
しない知識もあるだろうし、それが雑学の類
いになるわけだが、活用を意識しなくても活
用されている場合もあり得るだろうし、それ
を活用だとは思わなくても、現にまったく役
に立っていないのに、人は知識を保持してい
るわけで、もちろん役に立たないぜい肉を身
につけている肥満体の人もいるわけだが、そ
うした状態をすぐに役に立たないからと言っ
て、否定的にみなすのは、やはり物事を短絡
的に捉えていることになるわけで、そこでそ
うした状態を放置できる余裕があれば、何か
それとは別の面でも余裕が出てくるわけで、
そうした無関係な物事との無関係な関係を認
めることができれば、そんな意味の定かでな
い心理状態が、それなりに精神的な豊かさを
示していることになるのではないか。そうな
るにはあまりにも事態を近視眼的に捉えない
ことが肝要だろうし、それを心がけていても、
忙しない世の中で活動していると、自然にそ
うなっていってしまうわけだが、そういう成
り行きも否定しないことが肝心なのかもしれ
ず、結果として矛盾してしまうのだが、何事
も両義的に捉えておけば、それでどうなるわ
けでもなくても余裕が生まれるわけだ。

 それは結果的に心身に余裕を持たせるため
に、無駄な脂肪を体につけたり、役に立たな
い雑学を身につけたりすることになるわけだ
が、それが適度な範囲で落ち着いていれば、
精神的にも肉体的にも余裕が生じるのかもし
れないが、どの程度が適度であるかに関して
は個人差があるだろうし、その場の状況にも
よるのだろうが、それがどの程度であっても
構わないのかもしれないし、たとえ太り過ぎ
て生活習慣病などに罹って早死にしても構わ
ないとなると、それこそが自己責任になって
しまうのだろうが、そうなると余裕がなく忙
しない成り行きになってしまっても、それも
自己責任となってしまうわけだが、それを両
義的に捉えるなら無責任に振る舞えるだろう
し、そんな自分や他人の無責任な振る舞いを
どこまで許容できるかも、心身に余裕がある
ほど許容度も高まってくるのかもしれないが、
それも事情が許す限りで生じることでしかな
く、何か性急に物事を処理しなければならな
い事情が生じてくると、回り道をしている余
裕がなくなってしまい、その分せっかちな対
応となって、それが災いして思わぬ失敗をし
でかして、かえって想定外の対応を余儀なく
されて、その分余計に時間を食って、結局全
ての歯車が狂ってしまうような事態も起きる
かもしれないし、そうやってやっていること
が悪循環にはまってしまうわけだが、だから
といってそこから教訓を得て、うまくいくよ
うに工夫をすればいいのかというと、中には
そうなるような成り行きもあるだろうが、相
変わらずそうはならない場合もあるのかもし
れないし、その辺もその場の事情が許す限り
でそうなるしかなく、実際に活動していく中
で判断するようなことでしかないわけだ。ま
たそんな状況の中では、身につけた知識がど
うこうというよりは、その場の直感に頼って
しまうわけで、しかも結果的にそれで成功し
ようが失敗しようが構わない事情も生じてき
て、結果的にそうなってから判断して対応す
るようなことでしかなくなってしまい、そう
いう短期的な動作と、長期的な知識の熟成と
は無関係に思われるわけだが、たぶん無関係
だと思っていても構わないし、自然に体が動
いて動作が行われている限りは、何を意識し
なくても、それが自然に身についた動作なの
だから、そんな動作を優先させていれば、そ
れなりに事態が進行していってしまうわけで、
そこで長期的に熟成された知識が勘となって
活かされていようがいまいが、そんなことま
では考えなくても構わないだろうし、実際に
考える暇もないわけだ。そしてそんなことを
やっているうちに、蓄えていた無駄なぜい肉
が消費されたり、何かの拍子に雑学が役立っ
たりして、だからと言ってその時のためにぜ
い肉を無駄に蓄えておいたわけでもないし、
雑学を身につけていたわけでもないのだが、
何かの時に役立てば、それに越したことはな
いし、何の役にも立たないのなら、そのまま
放置しておけばいいことでしかなく、そこで
もどちらでも構わないような両義的な姿勢で
いればいいわけで、そうした姿勢を維持する
には、それなりに心身に余裕がなければなら
ないのであり、そういう意味では日頃の蓄え
というのは、それが役に立っても無駄になっ
ても構わないような性質があるわけで、そこ
に微妙な両義性があるわけだが、そのような
両義的な物事は、自らの都合でどうなるもの
でもないだろうし、それとは違って意識を制
御して倹約を心がけ、蓄えを計画的に維持す
るようなこともあるわけだが、やはりそれと
これとは微妙に異なるのであって、そうやっ
て計画的に富を蓄えるようなことをやると、
思わぬところからそうした計画が狂ってくる
のであり、しかもそうやって意識的な制御を
施すほど、そこから欲が生じてきて、かえっ
てその欲が重荷となって、結果的にそうした
制御や計画に意識の方が縛られてしまい、そ
うなるといざという時に融通が利かなくなっ
てしまうから、そんなことをやったばかりに
自滅するような成り行きにもなるわけで、そ
ういうところで余裕を持たせるには、自らの
目的や目標とは無関係なことをやった方がい
いのかもしれないし、しかも軽い気持ちであ
まりのめり込まない程度でやっていれば、自
然とそんなことをやれている分だけの余裕が
生じていることになるわけで、もちろんそう
した余裕を無理に作る必要もないだろうし、
それに関しては鶏が先か卵が先かの問題とな
ってしまうわけだが、その場の自らが巻き込
まれている状況の中で、一方的に忙しなかっ
たり、また一方的に暇を持て余しているよう
な、そうなっていなければ、忙しい時と暇な
時がそれなりに交互に巡ってくるわけで、そ
うした機会を捉えて、その場の状況に応じた
対応を心がけるしかないだろうし、その対応
がどんな対応かは、その時になってみないこ
とにはわからないわけで、もちろんその時に
なってもわからない場合もあるのだろうが、
それに関してはあまりはじめから、こうなっ
た時にはこうするとか、決めつけておかない
方がいいのだろうし、何かそういう状況に慣
れていると、そんな時に自然と体が動くよう
な自分独自のペースというのをつかんでいる
かもしれないのだが、それも心身に余裕があ
れば、自然とそんな芸当も身につくのではな
いか。 

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創刊日:2001-03-26  
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