文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2018.12.2 「出来事の物語化」

2018/12/03

 偶然の巡り合わせで起こった出来事が必然
的に起こったように思われるのは、後からそ
うなってしまった原因や理由を突き止めよう
として、それを特定できればそう思われるわ
けだが、実際にそれを突き止めたつもりにな
って、そんな原因や理由でそうなってしまっ
たと思い込んで、それが必然的に起こったこ
とだとみなして、安心できればいいのだろう
が、突き止めたつもりになっている原因や理
由が、それだけではないことに関しては、そ
れで納得できれば無関心でいられるだろうし、
他にも無数にあるかもしれない様々な要因が、
偶然の巡り合わせによってたまたまそこで出
会って、それらが作用し合って特定の出来事
を引き起こしたとしても、その全ての要因を
一つ一ついちいち調べ上げるのは難しいだろ
うし、もしそんなことをやれば、原因や理由
を突き止めるための探求にも、無限の時間を
費やさないとならなくなるだろうが、そんな
ことは物理的にも不可能であるから、もちろ
んそんなことまで考慮するわけもないし、実
際にもそこまでは考えないわけだが、たまた
まそこで思い当たった原因や理由が、結果的
に出来事を起こす上で、原因や理由としても
っともらしく思われれば、とりあえずそれが
原因や理由だとみなしてしまうわけで、そう
した思い込みの中で、因果関係のつじつまが
合えばそれで構わず、それで納得できれば原
因や理由の究明を終了してしまえるわけだが、
果たしてそれでは済まない場合があるかとな
ると、それは自分だけが納得しても他が納得
しない場合であり、他の人や団体が納得しな
い場合は、そんな人や団体と交渉してみて、
どうすれば納得してもらえるのかに関して、
その傾向と対策を探らなければならなくなる
だろうし、そうやってそれらの人や団体が納
得するような原因や理由を導き出さなければ
ならなくなるようだと、そうなっている時点
で、話がだいぶ横道に逸れていることにもな
るわけで、果たして出来事には誰もが納得で
きるような原因や理由が必ずあるのかと問う
なら、普通に考えるならそうとは言い切れな
いだろうし、そもそも疑問を感じるから原因
や理由を探ろうとするのだから、少なくとも
その時点では納得していないわけで、結局そ
う思った時点では疑問を抱いて、それを探っ
ていく過程で疑問が解消すれば納得するのだ
ろうし、そうした一連を過程を経ないと納得
できないわけだから、すぐには納得できるよ
うな原因や理由は見つからないわけだろうが、
その逆に、誰もがすぐに納得できるような原
因や理由から起こるような出来事が、果たし
て実際に世の中で起こるかというと、起こっ
たとしてもそんな出来事には誰も驚かないだ
ろうし、誰も驚かないと同時に、誰もその原
因や理由については疑問を抱かないから、話
題にもならないだろうし、そうなると少なく
ともそんな出来事を話のネタにしてもおもし
ろくはないだろうし、結局それは誰も興味を
持たないような出来事となるのではないか。
そしてそんな話題性のない出来事をメディア
が取り上げることはないだろうし、そういう
出来事は起こったとしても世間からは無視さ
れる可能性が高いわけだ。またそうであるな
ら、人はそういった何でもないような出来事
とは違った、驚きや感動や疑問を抱けるよう
な想定外の出来事に遭遇したくなるにしても、
直接遭遇してしまうと危険だから、そんな出
来事を安全なところから見物したり見聞した
いから、そういう出来事を選りすぐって伝え
ようとするメディアに群がるのだろうし、ま
た現実に起こった出来事では飽き足らなけれ
ば、そんな作り話ばかりのフィクションを求
めるようにもなるわけで、またそんな作り話
の中でも、驚きや感動や疑問などをもたらす
原因や理由を、懇切丁寧に解説してくれる謎
解き探偵的なフィクションにも、興味を惹か
れるようになるだろうし、またそれと同じよ
うに、現実に起こった興味深い出来事に関し
ても、懇切丁寧な謎解き探偵的な解説を求め
たがるわけだが、そうやって何でもかんでも
メディア任せになってしまうと、自分で考え
ようとしないから、自らの思考力が低下して
しまうわけで、またそれに乗じてそうした思
考力の低下した人向けに、浅はかな宣伝や煽
動によって、ワイドショー的に人々の興味を
煽り立てようと仕掛けてくるメディアも現れ
てきて、そうした需要を満たす試みも盛んに
行われるようになるのだろうが、実際にそう
したことをやり出すときりがないと同時に、
他方ではそんなことばかりにかまけているわ
けにもいかなくなるような事情も生じてくる
のかもしれず、それが自らもそうした出来事
を起こしてしまったり、また他で起こった出
来事に自らが巻き込まれてしまうような事態
に直面する時かもしれないし、そんな事態に
直面すると、否応なく思考を働かせて事態を
切り抜けようとしたり、打開を図ろうとする
わけだ。

 またそんな事態に直面した時に、メディア
から得られた知識が役に立つかといえば、役
に立つ時もあるだろうが、役に立たない時も
あるのかもしれず、役に立つか立たないかは、
その場の状況に左右されるようなことかもし
れないが、そうなった時にはすでに、自らの
経験から得られた知識の中でメディアから得
られた知識も混ぜ合わされていて、それを判
別することは困難になっているかもしれない
が、そこでもまずは安心したいから、そうな
ってしまった原因や理由を突き止めようとす
るだろうし、それを突き止めることがそれへ
の対処に繋がると信じているわけだが、そう
した対処が何をもたらすかといえば、自らが
体験しつつある謎に満ちた未知の出来事を、
自らが理解可能な既知の出来事へと消化する
過程だろうし、そうやって出来事を自らが納
得できる自分の物語の中の一挿話として、自
意識の中で再構成したいわけだが、それを記
述することが日記というメディアに結晶化し
たわけで、また最近ではそうした需要を当て
込んで、それをネットメディアの中で実現さ
せるような成り行きも生じて、それがソーシ
ャルメディアの役割となって、そんなマイ・
ストーリーを画像や映像をふんだんに盛り込
んで飾り立てるような現象も生んでいるわけ
だが、そうした出来事の物語化を通して、人
人が何を求めているかというと、別に意識し
て特定の物事を求めているわけでもないのか
もしれないが、やはりただ漠然と安心を求め
ているわけで、何とか自らが直面している謎
な事態を理解可能な記述や音声や画像や映像
に消化して、それをソーシャルメディアの中
に定着させて安心したいわけだが、そんなこ
とをやってみても相変わらず謎は残るだろう
し、それの何が謎かといえば、いったん安心
してしまえば興味がなくなるのに、それでも
安心を追い求めることが謎なのかもしれない
が、そうやって未知を既知に置き換える過程
で、謎が解けたように思い込めるのだろうし、
そう思い込めることが安心につながるわけで、
そうした過程が「ハリー・ポッター」のよう
に大げさな自分探しの大冒険とまではいかな
いにしても、ほんのささやかな分をわきまえ
た散歩程度の営みにはなるわけだろうし、何
もしないよりは、散歩でもやらないよりはや
った方が幾分マシだろうし、たとえそれが気
晴らし程度の満足感しか得られなくても、得
られるだけマシだろうから、そうした営みが
人々に受け入られて、それなりに世の中で流
行っているわけだが、そこでも絶えず体験し
た出来事を情報へと置き換える作業が行われ
ていることには変わりなく、そうやって偶然
から必然へ、未知から既知へ、不安から安心
へと至りたいのだろうが、その過程をあまり
にも素早く通り抜けてしまうと、不満が残る
わけで、結局はそこで、いかに偶然に弄ばれ
ながら未知の状態の中で不安感を抱きながら
も留まっていられるかが、快楽の増大や持続
へとつながるわけで、そんな状態の中に留ま
っているほど、それだけ身の危険にもさらさ
れているわけだが、またそうであるほど冒険
心も掻き立てられるだろうし、それをやり終
えた時の達成感もひとしお大きくなるのかも
しれず、そんなふうにして絶えず未知の何か
に挑戦していられたら、それだけ幸せなのか
もしれないが、現実にはそんなことをやる暇
もない人が世の中の大半を占めているだろう
し、だからそうしたことをやっている少数の
人がメディアで取り上げられると、人々の関
心を惹くのだろうし、またそうした人を主人
公にしたフィクションも人気を博すわけだが、
またそれもメディアを通して身の危険を感じ
ない安全な場所から、そうした行為を見物し
たり見聞したり、時にはゲーム的な操作を伴
うこともあるが、そんなやり方で満足するこ
とを強いられているわけで、結局そこには疑
似体験的な不条理感がもたらされるわけだが、
それが疑似体験的であれば、そうした経験か
らもたらされる知識も疑似体験的であり、そ
うした知識はメディアから離れた現実の世界
では通用しない可能性があるわけで、そこに
メディアの中の疑似空間と現実の世界との落
差があるわけだろうが、だからと言ってメデ
ィアを通した仮想世界の中では通用する可能
性もあるわけだから、そんな限定条件を踏ま
えた上でそうした知識を理解しておけばいい
のかもしれないが、そこで限定条件だとか現
実の世界と仮想世界との間に生じている差異
とかを意識し出すと不安感を覚えるわけで、
そうした不安を安心に変えるには、あまり物
事を深く考えないで、与えられた情報をその
まま受けるだけに終始していればいいわけだ
ろうが、そうなると情報をもたらす側の意図
や思惑通りに操られる危険も生じるのだが、
たぶん情報をもたらす側が絶対的な優位に立
っているわけでもないだろうし、メディアを
通して情報をもたらそうと画策している人た
ちでさえ、絶えず出来事の物語化を通してし
か現実を情報に加工できないわけで、そうな
ってしまう限りで偶然の側にも未知の側にも
不安の側にも留まれずに、絶えず必然の側へ
既知の側へ安心の側へと至ってしまうから、
そういった物語化と引き換えにして、出来事
自体の偶然の巡り合わせも未知の状態も不安
な感覚も見逃してしまうわけだ。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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