文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2018.11.30 「言葉と物」

2018/12/01

 虚構はそれ自体として捉えれば現実であり、
虚構を人為的に作っている現実があるわけで、
虚構として構成されたものが現実に存在して
いて、虚構も現実の一部を構成しているわけ
だ。要するに物としての物質的な現実と、そ
の中身の情報としての虚構とが一体化してい
るわけだが、具体的な現実としての虚構の姿
は、書物の紙面に刷り込まれたり、モニター
やスクリーンの画面に映り込んでいるわけだ
が、人の意識の中でも虚構の光景が見えてい
るだろうし、人がそれを現実だと思うかとな
ると、意識の中では現実と虚構が区別されて
いて、情報としても現実の内容と虚構の内容
とが区別されていて、それに関してjは、実在
するありのまま現実を、そのまま記述や音声
や映像に情報化した内容は現実とみなして、
そこで人が恣意的な操作や加工を施して、実
在しないのに実在するように見せかけて、記
述や音声や映像に情報化したものは、虚構と
みなされるが、両者を厳密に区別できるかと
なると微妙な面もあって、実在しないのに実
在するように見せかける技術が精緻になると、
それがいったん情報化されてしまうと、何が
現実で何が虚構なのか区別がつかなくなる場
合もあって、区別はされるが判別ができない
ことにもなるのだろうが、そもそも実在する
ありのままの現実の全てが情報化されている
わけでもなく、そこに恣意的な選択の心理が
作用していて、都合の良い現実だけ見せて、
都合の悪い現実は見せないようにする思惑が
作用していれば、そんな現実が部分的には実
在するとしても、その都合の良い部分だけが
全てではないわけだから、それも厳密には、
そんな都合の良い現実は実在しないのに、実
在するように見せかけていることにもなるわ
けで、それを虚構とみなしても、それほど間
違っているわけでもないことになるのかもし
れず、そうなるとそこに恣意的な選択の心理
が作用している限りで、少なくともそれがあ
りのままの現実とは言えなくなるわけで、そ
ういう意味ではそれがいったん情報化されて
メディアを通して伝わってくる現実には、そ
の全てに虚構的な要素があるとみなしておい
ても構わないのだろうが、たとえそんな虚構
的な要素があるからといって、別にそれを否
定する必要もないわけで、そうでなくても情
報化された現実は、それ自体が恣意的な加工
が施されているわけだから、そういうものだ
とみなすしかないだろうし、それはそれで一
つの現実と捉えておけばいいのかもしれず、
逆にそういうところで、ありのままの現実の
価値をことさらに強調する必要もないわけで、
確かにメディア経由の情報には、そうした虚
構の要素が付きまとってくるわけだが、メデ
ィアという存在自体は虚構ではなく、メディ
ア自体がありのままの現実の一部を構成して
いて、メディアがありのままの現実に、恣意
的な操作や加工を施して伝えていることが、
メディアの存在を含めたありのままの現実だ
と解釈しておけばいいだろうし、そういう意
味でありのままの現実にも、それを理解する
にはそれなりの解釈が必要となってくる場合
があるのだが、またそうやってもたらされる
メディアの情報であっても、メディア側が恣
意的に伝えたいことを伝えているだけとは言
えない面もあって、その中には特に伝える気
がなくても伝わってしまう情報が含まれてい
て、そういったメディアの思惑を外れる部分
を、情報を受け取る側が読み取ることができ
れば、そうした情報を読み取ることによって、
よりありのままの現実に近づくことができる
かもしれないが、それも現実に関する一つの
解釈に結びつくだけで、そうした解釈から何
がわかるとしても、それだけでは何をやる動
機も生じないのかもしれないが、少なくとも
メディアが伝えたい物事と、その意図がなく
ても伝わってしまう物事の間から、メディア
が伝えたがらないような物事が浮かび上がっ
てくるかもしれず、またそういった物事を比
較することで、なぜメディアが特定の物事を
優先して伝えたがっているのかを推測するこ
ともできるかもしれないし、さらに人々がど
んな情報に惹かれて、どんな情報を求めてい
て、そうした情報の中で何を信じているのか
を知ることもできるかもしれないが、そうい
った情報を受け取る側の恣意的な解釈によっ
て、世の中で何が起きているのかも理解しな
いとならないだろうし、特にメディアから受
け取った情報を否定的に解釈して、そうした
解釈をソーシャルメディアなどを通して、世
の中に広めようと画策している人が結構多い
だろうし、それを肯定的な解釈ではなく否定
的に解釈して、批判に結びつけようとする風
潮が、世の中に何をもたらしているのかを見
極める必要があるのかもしれない。

 要するに物事の真相は、メディアが伝えた
がっている物事とは別のところにあるとみな
したい人が多いから、それが否定的な解釈を
伴った批判に結びついているわけだが、それ
も単純すぎる思考だろうし、物事の真相とい
うのは、これといって特定できないものなの
かもしれず、もちろん真相を究明したつもり
の人は、それを特定したつもりになれるだろ
うが、それだけが物事の真相ではなく、それ
以外の全てを含めたものが物事の真相であり、
そうした全てから恣意的に一部分を切り取っ
てきて、それが真相であるとして、自ら誇示
したいわけで、そうやって自分だけが知って
いる真実を断言口調で示したいという欲望が、
ある意味ではメディア的な欲望とも言えるわ
けで、その「そうではなく真相はこうだ」と
いう強調を伴った断言こそが、それを悪く言
うならメディア病とも言える症候なのではな
いか。またそうである限りで、そこには必ず
強調したい物事を部分的に切り取ってくる癖
がついているわけで、何かその部分に物事の
真相の全てが詰まっているかのように強調し
たいわけだが、そういう強調を伴った断言は
ことごとく、それだけが全てではない、とい
う反駁に直面するわけで、またそうした反駁
が、それとは別の部分を切り取ってきて、そ
うではなく真相はこうだ、という強調を伴っ
た断言も誘発して、結局そんな断言とそれに
対する反駁との間で、物事の真相がぐるぐる
回って循環する成り行きになるわけで、それ
を全体として見れば、そうやって自分だけが
知っているつもりの真相が増殖していって、
それらが物事の真相の全てとなるなら、結局
それは物事自体であり、それについて言及し
たい個々の人が示すそれらの強調したい一部
分ではなく、そうした物事の全てが真相とな
るわけだが、そもそも記述でも音声でも映像
でも、その全てを語り尽くすことはできない
だけに、それらの恣意的な操作から導き出さ
れた断言の一つ一つは、悪く言えば虚構に過
ぎなくなるわけだが、それを虚構と断じてし
まうと身も蓋もないから、そうした虚構を真
相という言葉で表現するしかないわけだが、
そんな真相自体が虚構だとすると、何か不都
合なことがあるのかといえば、不都合であれ
ばそうした不都合は伝えたがらないだろうし、
結局はそれが真相であることを強調して伝え
るしかなく、それを受け取る側に信じてもら
うしかないわけだが、もちろん情報を受け取
る側にとっては、それが真相とされるよりは
虚構とされた方が興味深いわけで、だからこ
そ、物事の真相はメディアが伝えたがってい
ることとは別のところにあるとみなしたいの
であり、そうやって情報を受け取る側の興味
も、メディアの情報が虚構であることをめぐ
って循環するわけだが、それももちろん全て
が虚構だとは断じ難いだろうし、何かしらそ
こには真実が含まれていることを信じたいわ
けで、そうした真実の一つが、それだけが全
てではないということであり、それを言い換
えれば、物事の真相はその物事自体であるわ
けだが、それを言葉で表現すると、それだけ
では済まなくなるわけで、それ自体としてし
まうとそこで終わってしまうので、それを別
の何かと対比させないと文章とはなりがたく、
何か似たような別の事例と対比させて、そう
であるならこうでもある、という帰納法的な
やり方を使って、それだけ文章を長引かせる
わけで、またそうなれば、そこからさらに似
たような別の事例を持ち出してきて、そうで
あるならこうでもあって、さらにああでもあ
る、というふうに、さらに文章を長引かせる
ことにも成功するわけで、そんなことをやっ
ていくと、結局は物事の全体から似たような
部分を複数切り取ってきて、それを複数の似
たような事例として語ればいいわけで、それ
が文章を長引かせるコツと言えなくもないが、
さらにそれと「そうではなく真相はこうだ」
という文を適当に組み合わせれば、何かもっ
ともらしい内容の文章が出来上がるのかもし
れないが、果たしてそんな文章から何がわか
るかと言えば、そうした言葉による表現自体
が、虚構を膨らましているとも言えるわけで、
同じ物事を別々の部分に切り分けて、それら
を対比させて、そうではなく真相はこうだ、
と言い換えてみたり、また全体から複数の部
分を切り取ってきて、別々の物事を比較して
いるように装いながら、そうであるならこう
でもある、と言い換えてみたりしながら、そ
うした部分的な物事を使って言い換えを行う
ことが、虚構の操作と言えるのかもしれない
が、実際にそうした虚構の操作によって現実
を捉えようとしているのは確かであり、それ
以外のやり方では意識が現実を捉え切れない
のであれば、そうするより仕方がないのだが、
他にどうしようもなくそうなってしまうにし
ても、そこで踏まえておかなければならない
のは、そういった操作によって虚構が生じて
いることであり、言語的な行為の対象が紛れ
もない現実であるとしても、それを表現する
には虚構の操作が必要不可欠であることは理
解しておいた方がいいのかもしれない。 

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創刊日:2001-03-26  
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