文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2018.11.28 「炎上商法」

2018/11/29

 何をやるにしても、それをやっていくうち
に、やっていることによって自縄自縛となっ
てしまうのは、そこに至る自らの言動や行動
が災いしているからだろうが、何かにこだわ
って、そのこだわっていることに縛られて、
そんなこだわりから離れられなくなってしま
うとしても、そうしたこだわりは誰にでも生
じてしまうことであり、逆にこだわりがない
と、そこから何をどうやればいいのかわから
なくなってしまうし、少なくとも何かをやる
きっかけとしても、何かにこだわらないと何
もやりようがなくなってしまうわけだが、こ
だわり過ぎてもそればかりとなって、他のこ
とができなくなってしまうから、その辺の加
減や調整がうまくいかないわけだが、自主的
にその辺のバランスを取るように心がけても、
周囲から及ぼされる作用や影響によって、過
剰なこだわりを抱くように仕向けられてしま
うと、そうした自助努力では太刀打ちできな
くなって、心身が制御不能に陥って感覚のバ
ランスが崩れてしまうわけで、それが高じる
と、いわゆるマニア的あるいはオタク的な依
存症へとつながるのかもしれないが、大抵は
そんなところまではいかないし、自縄自縛の
状態にも程度の強弱があって、例えばちょっ
としたことでも大げさに騒ぎたい人たちは、
大したことでもないのにすぐにそんな程度の
強い言葉を使いたがるわけで、その辺の実態
とそれに対する表現との間で、人によって感
じ方に偏差が生じるのは当然のことだが、そ
んな偏差を自覚していても、時としてそうし
た言葉を使うことに対しても過敏に反応して
いる可能性もあって、何か自縄自縛な状態が
深刻な状態だと思い込みたくて、それが軽度
に思われるにも関わらず、そんな大げさな言
葉を使って騒いでいるのが我慢がならないと
ころが、やはり神経過敏症であり言葉に対す
る過剰反応かもしれないのだが、そんな言葉
の表現の程度をどう定めるのも、言葉を使う
人の勝手だろうし、それに関しては、近頃何
かと言うと炎上とかいう言葉を使いたがる風
潮もあるだろうが、気にくわないことをやっ
ている人に向かって、大勢の人から非難が集
中することが、炎上という表現によって、メ
ディアによっておもしろおかしくも軽薄に取
り上げられるとしても、やはりそんな炎上の
程度にもピンからキリまであるだろうし、そ
んなわけで何かの程度を言葉を使って表現す
るのにも、実際の程度と言葉を使って表現さ
れた程度の間で、それを使って表現する側に
も、そうした表現を受け取る側にも感覚的な
偏差が生じるわけで、もちろん偏差を感じら
れなければ、ピッタリしたちょうど実態と合
っているとような表現に感じられるわけだが、
実態と表現との間で生じる程度の感じ方をめ
ぐって、人によって違いがあることは確かで
あり、それに関して自らが感じた程度を、他
の人が感じた程度と同じ程度に合わせるのは
困難だろうし、たとえそれを大げさな程度だ
と感じて、それを他の人たちも大げさに感じ
てほしいと主張しても、そんな主張がそのま
ま受け入れられるわけでもなく、またなぜそ
れが大げさな程度であるかを詳細に説明した
ところで、そんな説明に対しても、人それぞ
れで感じ方が異なるだろうから、それを説得
力のある説明として受け入れられる人は、確
かにそれが大げさな程度だと思うかもしれな
いが、説明を受け入れない人はそうは思わな
いだろうし、そうやってその程度に対する温
度差が、それを受け取る人々の間で生じるわ
けで、それに関して人々の間で共通の価値尺
度が生じていれば、多くの人が同じ程度の感
覚を共有できるわけだろうが、それもそうい
う共通の価値尺度を世の中に広めて信じ込ま
せようとするメディアを、人々がどの程度信
用しているかにもかかってくるだろうし、そ
うした信用の程度も、メディアが実施する世
論調査などから求められるかもしれないが、
そうした世論調査自体が、共通の価値尺度を
世の中に広めるために行われていることでも
あるだけに、さらにそうした世論調査などの
結果を信用できるかが、そうした価値尺度を
信用できるかに連動してきて、そうなるとそ
うした価値と信用の循環構造をどう理解すれ
ばいいのかわからず、疑心暗鬼になってくる
かもしれないが、そういった疑念さえも、人
によっては全く抱かないだろうし、そもそも
そんなところまで考えなければ、疑念など生
じようがなく、考えが及ばない人にとっては、
疑心暗鬼になることすらがフィクションでし
かないわけだが、それ以前にそういった程度
の定まらないことについていくら考えても、
定まった結論など出てこないことはわかりき
っていて、逆にそういった程度の定まらない
ことに関して、一定の解釈を施して、その解
釈を他の人たちに押し付けようとする行為が、
社会の中で横行しているのかもしれず、そう
いった解釈の押し付けがメディアを中心にし
て行われていることであり、そういった押し
付けに抗う気にならなければ、いいようにさ
れてしまうわけで、そうならないためには、
絶えず疑念を抱いている必要があるのかもし
れないが、疑念を抱くには、それについて考
えてみないことには何事も始まらないわけで、
実際に考える余裕がある人は疑念を抱くだろ
うし、余裕のない人はメディアを信じやすく
なってしまうわけだ。

 だがそんなことを考えれば考えるほど、そ
んな考えに囚われて自縄自縛となってしまう
可能性もあるわけで、そういった思考の追求
もほどほどのところで切り上げる必要もある
のかもしれないが、考えるだけでなく、実際
に何かを行わないとならなくなるだろうし、
その行なっていることが、メディアを通して
自らの考えを表明することになるのだろうが、
それが実際にメディア上で行われている解釈
の押し付けになるわけで、もちろん考えを表
明している人たちは押し付けているつもりは
なく、一定の解釈を提示して、それをどう受
け取るかは、受け取る側の判断に委ねられて
いるわけで、それを一方的な押し付けと受け
取るのは、どう考えても無理があるだろうし、
そこにも強制力を伴った押し付けではなく、
絶えず情報を受け取る側に選択の機会が与え
られている、と解釈しても構わないようには
なっているはずだが、そうした選択にもある
一定の傾向があるなら、それでは選択になっ
ていない場合が出てくるわけで、例えば全て
の選択肢が同じような傾向になっていて、ど
れを選んでも変わらないように思われるなら、
それは選択を装った押し付けになるだろうし、
そういうところで技術的な工夫が凝らされて
いるわけで、どれを選んでも一緒だが、一応
は選択肢があるように見せかけられていて、
そうやってメディアから情報を受け取る人た
ちの意識を一定の傾向に均していこうとする
わけだが、それがメディアだけなく、例えば
選挙の時の政治的な選択肢であったり、商品
を選ぶ時の選択肢であったり、さらに何かを
表現する時に使う言葉の選択肢であったりす
るわけだが、そんな中でも使う言葉を選ぶ時
の選択肢になると、少なくとも世間的に通用
する今風の言葉を使おうとするわけで、しか
もなるべくなら目立つように、他の人の気を
惹くようにしたいわけで、そうなるとそれを
安直に理解して、何でもかんでも、ちょっと
したことであっても、例えば現状で流行って
いる炎上という言葉を使えば、他の人の気を
惹くように思われるだろうし、たとえそれが
大げさに思われようと、ふざけて使っている
ことにすれば大目に見てもらえるだろうし、
そうやってこちらの都合で勝手に状況をいい
ように捉えて、とにかく人の気を惹くような
工夫を凝らして、何かもっともらしく見せか
けようとするのだろうが、確かにその場では
それが正しいやり方に思われるのだろうが、
そういう言葉が他でも流行っていること自体
が、他の人もそういうやり方になってしまっ
ていることを示しているわけで、さらにそう
なっていること自体が、そういう言葉を流行
らせているメディアによって、人の感性が均
されてしまっていることも示していて、要す
るに炎上という言葉を使った紋切り型の表現
が世の中で流行していることを、その人自身
が自らの言語表現によって体現していること
にもなるわけだ。そこまで状況が進行してし
まえば、それがメディアによる解釈の押し付
けだとは思わないだろうし、何でもかんでも、
そこでちょっとした諍いが起これば、それを
炎上と解釈すること自体が、実際の炎上とは
似ても似つかない状態であろうとなかろうと、
それを炎上という言葉を使って解釈すること
自体によって、その程度や状態が均されて、
それに対する感覚も平均化されるように誘導
されていってしまうわけで、実際の状態がか
なりひどくても大してひどくなくても炎上と
なってしまうから、そんな言葉を使った表現
を受け取る度に、次第に感性が鈍感になって
きて、何とも思わなくなる頻度も多くなるだ
ろうし、そうなってくると本当に深刻な状況
が起こっているのに、誰も何とも思わないよ
うな状況が生じてくる可能性もあるだろうし、
そうやって紋切り型的な言語表現の流行から、
その状態の程度が曖昧になってきて、何が起
こっても同じ表現でしか報じられないから、
事の深刻さを理解できなくなってくるし、そ
うした傾向が世の中に蔓延してくると、誰も
が同じようなことしか感じないから、それに
関して大して深く考えもせずに、同じような
態度や反応になって、同じようなことしかや
らなくなるだろうし、同じようなことしかや
らなくなるから、それを表現するのに同じよ
うな言葉しか使わなくなるだろうし、だから
同じような言語表現が世の中で流行るのだろ
うが、そうやって様々なことが連動して循環
しながら、様々な物事の平均化が促進される
一方で、何事も安易に済まそうとする傾向も
強まってきて、安易に済ますことができる手
法も世の中で流行ってくるわけだが、それが
便利さの追求だろうし、またそれが物事を効
率的に処理できるやり方の追求にもなるわけ
だが、またそれが追求されるほど、それと反
比例して、それを実現するための技術的な処
理も複雑怪奇になっていくわけで、結局いく
ら世の中が便利になっても、全てが便利にな
るわけではなく、あるところでは便利になっ
たように思われても、その便利さを実現させ
るためのシステムが次第に大掛かりかつ複雑
化していってしまうという不条理が発生する
わけで、またそうなるほどそのシステムの全
体が人の意識では把握できにくくなって、そ
の内部での部分的な役割も細分化されすぎて、
そこでどんな処理が行われているのか理解す
るのが困難となってくるわけで、それが現代
文明の自縄自縛的な傾向なのかもしれない。
 

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創刊日:2001-03-26  
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