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彼の声

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彼の声 2018.11.27 「社会と個人の関係」

2018/11/28

 世の中で何か対立する立場があるとすれば、
社会的な立場と個人的な立場があるかもしれ
ないが、それらの立場の間で、例えば社会的
な立場上は都合の悪いことが、個人的な立場
上では都合が良い場合があるかというと、社
会のルールに反して個人の利益を追求する場
合があるが、そもそも社会の中で個人の立場
というのが単独であるかとなると、それは個
人の勝手な思い込みの中ではあるかもしれな
いが、立場自体が他との関係を前提としてい
るわけで、その人と関係している他の人や団
体からすれば、そんな身勝手な立場など認め
られず、それはあくまでも関係し合う人や団
体との間で、何らかの立場が生じることにな
るわけで、そういう意味で立場は単独では存
在し得ないわけだが、便宜的には個人の立場
というのがあるし、社会の中で公的に正当化
されているルールに抵触しない限りで、個人
の立場というものが尊重されなければならな
いわけだが、なぜそうしなければならないか
というと、個人が個人のままでは社会の中で
弱い存在になってしまうからだが、なぜ弱い
存在なのかといえば、他に個人よりは強い存
在があるからで、それは集団としての存在で
あり、個人が単体で心身ともにどんなに強く
ても、通常は多くの人が寄り集まって構成さ
れる集団で対抗すれば、退けることができる
わけで、また集団が組織的に構成されると、
集団内の特定の役割に応じて役職が生まれて、
その役職に伴ってその役割に応じた特定の権
限や権力も生じてきて、そうした権限や権力
が及ぶ範囲では、それを行使することによっ
て、他よりも強い立場になれるわけで、それ
が社会的な立場だと言えるわけだが、そうし
た集団によって付与されている権限や権力を、
集団とは無関係な個人の利益のために使うこ
とが、ルール上は禁じられていて、そういっ
た権限や権力は、集団が社会の中で機能する
ために必要な権限や権力であって、それ以外
のために使うことは不当な使用であり、いわ
ゆる職権乱用となるわけだが、そうした職務
的な立場から離れて、個人としての立場から
は何が生じるかといえば、個人の権利として、
基本的人権という法律的な規定があるにはあ
るが、それが法律的には定められているとし
ても、それを他が尊重してくれるかとなると、
他とは他の個人や個人以外の集団を構成する
団体となるわけだが、それらが他の社会的な
立場を優先する限りで、個人の立場は後回し
にされてしまうわけで、そういう意味で個人
は個人でしかない限りで、弱い立場となって
しまうわけだが、それでも個人同士で関係を
結んで、それが対等な関係である限りで対等
な立場にもなるわけだが、現実問題として個
人だけの関係で成り立つような社会にはなっ
ていないし、そこには必ず集団としての何ら
かの団体との関係が生じてきて、そういった
関係の中では、団体による何の組織的な後ろ
盾もない個人は弱い立場となってしまうわけ
だが、そんな中でも個人が強い立場になれな
いわけではないし、例えばその個人が莫大な
資産を所有していれば、その資産を利用する
ことで有利で強い立場になれる場合もあるだ
ろうし、資産以外にも社会的に有用で利用価
値の高い何かを所有していれば、それを利用
することによって強い立場になれるわけで、
そんな利用価値の高いものの中では、資格と
か技能とか知識とか経験とか、その個人が身
につけることのできる様々な物事が、その場
の状況の中でうまく機能する限りで、それな
りに強い立場になれるのだろうが、そうなる
と今度はそうした物事を利用して、社会的な
立場を獲得する成り行きにもなってくるので
あり、そういう利用価値の高い物事を身につ
けている個人は、それ自体で利用価値が高い
から、団体の方でも放っておかないだろうし、
その団体内のしかるべき役職に就いてもらっ
て、それなりに高額の報酬を払って、団体の
ために働いてもらいたいと要請してくるわけ
で、そんな要請を受け入れて、あるいは個人
の方が自らを売り込んでくる場合も多いだろ
うし、そうやって団体のお眼鏡に敵った個人
が、団体内で何らかの責任ある役職に就いて、
その役職に応じた権限や権力を行使するよう
な成り行きになるわけで、そういう意味でも
個人が個人的な立場のままではいられない成
り行きが社会の中で生じていて、たとえその
個人が個人的な立場の重要性を意識して、そ
れを尊重する姿勢を貫いているとしても、そ
れを社会に向かって主張したり正当化するよ
うな成り行きになってくると、そうした主張
や正当化を社会に広めるために、必要に応じ
て何からの団体を結成したり既存の団体に入
ったりして、そこから自然と社会的な立場が
生じてくるような成り行きとなってくるわけ
で、別にそういう成り行きによって、個人と
しての立場の弱さを改めて実感させられると
しても、弱ければ弱いなりに、個人で活動し
ていく成り行きもあるだろうし、少なくとも
集団で構成される団体にとって無用な存在と
みなされたら、個人は個人のままとなるしか
なく、中にはそれでも構わないような状況も
あるわけだ。

 そういう場合には社会的な立場と個人的な
立場が対立ではなく共存していると言えるの
かもしれないが、それが無用ではなく、互い
に互いを有用な存在とみなせば利用し合う関
係となるだろうし、それが実際に実現してい
る具体例としては、企業と消費者の関係であ
ったり、政府と住民の関係であったりするわ
けだが、それらとは異なる関係があるかとい
うと、やはり互いが互いを無用な存在とみな
す無関係の関係があるかもしれないが、実際
にはある程度は関係があったり、またある程
度は無関係であったりするわけで、全てにお
いて関係があったり、また全てにおいて無関
係であったりするわけではなく、関係の程度
にも強弱の違いがあるのだろうが、社会的な
立場を利用して行使される権限や権力に対し
て、それが合法的な行使である限りで、個人
の立場で合法的に逆らえば、それ相応の報い
を受けるだろうし、もちろん違法なやり方で
逆らえば処罰されるわけだろうが、では個人
の立場で他の個人に対して権限や権力が生じ
るかというと、そこに何らかの契約関係が結
ばれていれば、契約に基づいたやり方で権限
や権力を行使することになるだろうし、また
法律に基づいた扶養義務や婚姻や相続などの
関係から、権限や権利が生じることもあるだ
ろうが、それらも社会的な立場から生じる関
係であって、そういう意味で個人としての立
場に何らかの規定を施してしまうと、途端に
それが社会的な立場になってしまうわけで、
何かそこに決まりが伴ってくる限りで、個人
としての立場ではなくなってしまうのだが、
そうなると社会的な立場と個人的な立場は、
対立するのではなく両立しない面があるのか
もしれず、しかも何らかの規定や決まりが伴
う限りで社会的な立場が生じるのだから、そ
うした決まりや規定がない限りで、個人的な
立場があるとしたら、社会の中で暮らしてい
る限りは、必ずそこには法律などの決まりが
伴ってくるのだから、そうした決まりや規定
を意識する限りで社会的な立場となってしま
うわけで、ではそれらを意識しない時には個
人的な立場で居られるかというと、自身がそ
う思っていても、他の人や団体ではそうは思
ってくれなければ、やはりその限りで社会的
な立場が伴ってくるわけで、そうであるなら
社会の中では個人的な立場の生じる余地がな
いのかとなると、そうとも言い切れないだろ
うし、それに関しては個人が社会的な立場を
無視して、あるいはそれを考慮しないで何か
を行えば、それが個人の立場からやった行為
になるのかもしれず、そういうのは分をわき
まえない振る舞いとして、しばしば否定的に
捉えられてしまうだろうが、そうした行為が
個人的な立場から生じる行為として、社会的
に規定されるのではないか。もちろんそれは
社会的な決まりやそこから生じる身分や地位
をわきまえていないから、分不相応な行為と
して非難されるわけだが、逆に分をわきまえ
たことをやると、周囲から安心されるだろう
し、何か妥当なことをやっているように思わ
れて、特にそれに関して非難されたり処罰さ
れるようなこともなく、そこで行われる物事
が丸く収まるような結果をもたらすのかもし
れないが、しかしそうなったらなったで、そ
こには何の驚きもなく、かえってそうなり過
ぎると、何のおもしろ味もないようにも思わ
れてくるのではないか。そうなるとそれも気
にくわないような意識が、そういうことをや
らされてしまう世間に対する反発の感情とと
もに生じてくるわけで、結局そんな感情を抱
くことから、社会的な地位や身分にこだわら
ない個人的な立場を意識するようになるわけ
で、そうなると社会的な立場とは対立する概
念として、個人的な立場を主張する人たちが
出てくるわけだが、彼らが自たちの立場を正
当化する上で掲げる宣伝文句によく使われる
言葉として、自由という概念が使われるわけ
だが、要するに社会の束縛を断ち切って自由
になろうと主張するわけで、そういった主張
に賛同する人たちが増えてくると、またそこ
で自由な社会を作ろうとして集団で徒党を組
んでしまい、やはり徒党を組んだ途端に、そ
こに役割分担が発生して、そうしたコミュニ
ティが社会化してしまうわけで、結局そこで
新たな自由という名の束縛に支配されてしま
うわけだが、そこで自由が実現するわけでも
ないのに自由を求めてしまうのが不条理な要
求であるとしても、自由を求めている間は自
由を夢想していられるわけで、それは個人の
立場を主張しているうちは、個人の立場があ
るように感じられるのと同じことなのかもし
れず、それに対して人や団体との間で決まり
事が成立すると同時に、そこに社会的な関係
が生じたように思われるのとは対照的な成り
行きであるわけだが、そこでも物事の成り行
きが流動的に推移しているうちは、そこでは
何も決まり事が成立していないから、個人の
立場で自由を享受しているつもりになれるわ
けだが、そこからいったん何らかの決まり事
が双方の同意のもとに規定されてしまうと、
その決まりに同意した人や団体の活動が、そ
の決まりの範囲内に制限されてしまい、そう
いった制限や制約が伴う関係が双方の間で守
られている限りで、そこに社会が成立してい
ることになるのではないか。 

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創刊日:2001-03-26  
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