文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

全て表示する >

彼の声 2018.11.24 「人の物化」

2018/11/25

 人が物として扱われるケースは、人が人を
使う時に生じてくるが、それとは逆に物であ
る機械が人に見立てられて扱われたり、愛玩
用のペットなども人のように扱われたりする
場合もあるにはあるが、そこで人と物の違い
を強調するよりは、人を物として扱う方が何
かと便利だから、人の物扱いが一般的に生じ
て、そういう時の物というのは、道具として
の機能を果たすことになり、物を道具として
使うように、人を道具として使うから、そこ
で人の物化が生じるわけだが、では物ではな
く、人を人として扱うとはどういうことかと
いえば、自分と対等かそれ以上の存在とみな
して接することになるわけで、そうなると対
象となる人に対して謙虚な姿勢で臨むことに
なるだろうし、そうした姿勢で臨めば、その
人から信用や信頼を得られて、そこから対等
な立場での連携や協力の関係が結ばれること
にもなるわけだが、そうなると、それと人を
道具のように扱うのとはどう違うかというと、
対等な連携や協力の関係だと、何をやるにも
相手の同意を必要とするのに対して、道具的
な使用の場合には、相手の同意を得ないで、
こちらの都合に合わせて勝手に使うことにな
り、その方がこちらにとっては好都合だが、
相手にとっては相手側の都合が考慮されずに、
好き勝手に好きなだけ使い回されてしまうか
ら、たまったものではなく、それが高じると
時にはまるで奴隷のように扱われるから、そ
れが一般的に人権を無視したひどい行為とみ
なされてしまうわけだ。そういうことがなぜ
起こるかといえば、使われる側が弱みを握ら
れていて、使う側がそれを利用していいよう
に使おうとするわけで、その弱みというのが
経済的な事情とか立場の上下関係とかがある
わけだが、そういう使い方にも限度があるだ
ろうし、使われる側が使われ過ぎて、過労が
たたって病気になったり死んでしまったら使
えなくなってしまうわけだが、代わりがいく
らでも都合がつけば、消耗品のようにして使
い物にならなくなるまで使われた挙句に使い
捨てられて、場合によっては死ぬまで働かせ
ることになるのだろうが、そういう使い方だ
と使う用途が限定されてくるだろうし、誰で
もできることならそういう使い方ができるだ
ろうが、その人にしかできないことだと、そ
の人が死んでしまうと代わりがいなくなって、
他にやれる人がいなくなってしまうので、そ
ういう使い方ができないわけで、そうなると
結局は誰でもできるような作業で、しかも交
代要員がいつでも都合がつくような条件が整
う限りで、そういう使い方もできるかもしれ
ないが、そういう作業にはわざわざ人を使わ
なくても、機械にやらせればいいということ
になれば、作業の需要そのものがなくなって
しまうわけだが、機械を使うにはその設置や
稼働において、それなりのコストがかかるか
ら、人を使う場合と比べてどちらが得かとい
う話になるだろうし、人を使った方がコスト
がかからなければ人を使うし、機械を使った
方がいい場合は機械を使うし、また機械を使
った場合には、使い過ぎて環境破壊につなが
る場合も出てくるし、さらにまた人にしかで
きないことや、機械にしかできないことだと、
それぞれに使う必要が生じてくるわけで、そ
うやって中には人が物扱いされて、ひどい使
われ方をされる場合もあるだろうが、全てが
そうはならないわけで、時と場合によって、
人が物扱いされる程度も異なってきて、世の
中の全ての仕事が奴隷労働のようなことには
ならないわけだが、奴隷労働のような仕事が
成り立つ条件を、法律で禁止や制限などを設
けて抑制することはできるだろうが、違法行
為としては存続するだろうし、違法行為とし
て成り立つ条件は、政情不安や内戦などによ
ってその国の治安の悪化すれば、そうした法
律が守られないような状況となって、それだ
けそうしたことをやる敷居が低くなってくる
わけだが、根本的なところでは、人が人を使
わなくても困らないような世の中になってい
けばいいのだろうし、その必要がなくなれば
そうした行為は行われなくなるだろうが、逆
に言えば、人が人を使って何かをやる必要が
生じる限りは、なるべくならその人の都合に
合わせて人を使いたいだろうし、そうなると
使った見返りとして、金銭的な報酬を払えば
使えるような成り行きが生じてくるわけで、
実際にそうした用途に応じて、サービス業な
どの需要が生じてきて、現状でもそうした職
種に就いている人が、全産業人口の過半数を
超えるような状況となっているわけだが、そ
うなると何かをやらせるための条件として、
それに見合った報酬を払えばいいことになる
わけで、報酬を払いさえすれば合法的に人を
物化できる可能性が生まれてくるわけで、し
かも物化される側の人の方でも、満足できる
報酬と引き換えなら、喜んで物化されるよう
な風潮も生まれてくれば、人の物化に関して
特に抵抗が起こらなくなってくるのではない
か。

 そもそも人は物に含まれるだろうし、人と
物を区別する必要もない場合もあるわけだが、
人が人を一方的に物化するのではなく、物扱
いされた人の方でも、人を物扱いしている人
を物扱いしている可能性もあるだろうし、人
を物扱いすること自体が、その人に対する攻
撃を意味するなら、お互いに攻撃対象となる
人を物扱いして攻撃しているわけだろうが、
その一方で報酬を払ったからといって、人を
物扱いしているつもりはない場合もあるだろ
うし、何かをやってもらった謝礼として感謝
の気持ちで報酬を払うなら、別にその人を物
扱いしているわけではなく、ちゃんと人とし
て遇していることになるわけだろうし、そう
なるとその人の気持ち次第で、対象となる人
を人と扱っているか物として扱っているかが
分かれてくるわけだが、またその気持ちは態
度にも表れて、丁寧な態度で接しているよう
に思われれば、ちゃんと人として接してくれ
ているようにも思われるだろうし、逆にぞん
ざいに粗末な扱われ方をされれば、人として
の扱いを受けていないように感じられるかも
しれないし、さらには慇懃無礼な扱いという
のもあって、そこから微妙に屈折した感情が
生じてくるかもしれないが、人を人として扱
わないことは、その人を敵とみなしているこ
との表れであることは変わらず、そこに敵対
関係が生じていると、そういった相手を自分
と同じ人間とは思いたくないような感情が芽
生えてくるわけだが、ではなぜそう思うのか
といえば、相手が自分の思い通りにはならな
いということだろうし、しかもそういう相手
を思い通りに制御したり操縦できると、その
相手を物化したことになるわけで、要するに
人を物化するということは、思い通りになら
ない相手を屈服させて、自分の思い通りにさ
せることによって生じるわけで、そういう意
味では攻撃的な敵対感情に基づいているわけ
だが、普段からあからさまにそう思うことは
あまりないとしても、そういう感情が誰にと
っても全くないわけではなく、他の様々な喜
怒哀楽などの感情の中で、そういった敵対的
で攻撃的な感情もうごめいていて、何かのき
っかけで機会が巡ってくると表に出てくるの
かもしれず、それが自分が相対的に有利な状
況となった時だろうし、具体的には有利な立
場から不利な立場の者に向かって指図するよ
うな成り行きになるわけで、そうなった時に
満足感が得られるわけだろうが、通常の平和
な世の中ではそんな状態が長続きすることは
なく、そうした立場も状況の変化に応じて様
様に移り変わってゆき、ある状況では人に命
令する立場であっても、別の状況では人から
命令される立場になったりして、普通は恒常
的に人に向かって命令し続けるような立場に
はなれないわけだが、そうやってその人が様
様な立場を経験して、その立場に応じた振る
舞い方を身につけるような成り行きになって
くると、立場に応じた相手の気持ちがわかっ
てくるわけで、そうなると自然な成り行きか
ら、少なくとも相手の気分を害するような不
快な思いをさせてしまうと、その相手に攻撃
的な敵対感情が芽生えてくることがわかって、
そうなると自分が不利な状況に立たされた時
には、復讐心に駆られてその相手から仕返し
をされる危険があることを理解するわけで、
そうであるなら関係を持った相手にはなるべ
く不快な思いをさせないように、それになり
に丁寧かつ真心のこもった対応をするように
心がけるようになるだろうし、少なくとも相
手をぞんざいに扱ったり、侮って見下しなが
ら慇懃無礼な対応をして、小馬鹿にするよう
な真似は控えるようになるだろうが、それで
もそうなるまでにはそれなりに様々なことを
経験しないと、それがわかるまでには至らな
いだろうし、中には死ぬまでわからないよう
な人もいくらでもいるのかもしれず、そうい
う面では人によって対応にもその人なりの差
が出てくるのだろうが、老齢にさしかかって
もなお、他人にいばり散らしていたり、ある
いは立場が上の人にはごまをすって、立場の
下の人に向かってはぞんざいに振舞っている
ようなら、その人には人生経験が足りなかっ
たということになるだろうし、そんなことを
しても周りから咎められないような環境で生
きてきたことを明かしているかもしれないし、
それはそれでそういうことが通用しているう
ちは、それで構わないような状況があるわけ
で、その良し悪しは、そういう環境の中で生
きている人の感じ方次第でしかないだろうし、
別に他人を不快に感じるのが日常茶飯事の環
境の中で生きていれば、相手に不快な思いを
させても何とも思わないわけで、中にはわざ
と不快な思いをさせて、ざまあみろと思って
気分がせいせいするかもしれないし、そんな
ことをやられた相手の方でも、機会を捉えて
仕返しをして、同じようにざまあみろと思っ
て、気分がせいせいするかもしれないし、そ
んなことをやったりやり返したりしながらも、
時には仲直りして酒を酌み交わしたり、そう
やって愛憎入り混じった環境の中で暮らして
いる人もいるだろうし、それで構わないなら
そうなってしまうわけだが、たぶんそうなっ
ている限りでは、人と人とは対等の関係にな
っていて、そういう意味で人の物化は避けら
れていて、そこでは人を人と認め合うような
世の中になっているのではないか。 

規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
Score!: - 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  • コメントはありません。