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彼の声

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彼の声 2018.11.23 「虚構の罠」

2018/11/24

 社会の中で何か人や集団が関わって何らか
の活動が行われていると、そこで行われてい
る具体的な活動が何であれ、それについて言
葉で語るとなると、実際の活動から分離して
情報操作の領域が生じてくるのかもしれず、
それを言葉で表現しようとする限りで、言葉
による活動内容の装飾化や虚構化は避けられ
ず、実際に活動していることを言葉を使って
表現するわけだから、言葉で語る分だけ、そ
うした活動にも実体を伴わない虚構の部分が
入り込んでくるわけで、そんな活動の中でも、
そこで何かをやらせるに当たって、言葉によ
る命令や司令を発して、それへの言葉による
反応として、同意や拒否などの意思表示を伴
って動作が行われ、またそうした反応をして
いる意識の中でも、言葉で考えながらやって
いるわけだから、活動に言葉という情報が介
在していることは明らかなのだが、普通はそ
れを虚構とはみなさないだろうし、言葉を使
って操作している部分と実際の動作を分ける
わけにはいかないものの、それでも言葉を使
って何かを伝えようとしている部分では、言
葉という情報による動作の操作が行われて、
そういった操作としての指示を信じて同意す
ればそれに従うし、信じなければ拒否して従
わない、という選択がそこで行われるわけで、
そうした情報操作が活動に伴っている限りで、
実体を伴わない虚構の面が出てくるわけで、
またそういう虚構の面が大きいほど、情報過
多で印象偏重の実体の定かでない活動となっ
てくるだろうし、そうであるからこそ、そこ
に価値があると信じられるなら、信じられる
限りで、そこから金銭的な価値をいくらでも
膨らますことも可能となるわけだ。またそう
なると、他の物質的な実体を伴った物に関す
る取り扱いの活動との間で、価値のバランス
が狂ってくるだろうし、虚構的な信用が膨ら
めば、それだけ虚業的で金融的な方面での資
産が膨張するわけだろうが、そうなるとそれ
と比較して、一般の人々の生活に必要な衣食
住に関係する物資である、生活必需品などの
価値が相対的に低下するだろうし、そういっ
た方面に関わって活動している人々も、相対
的に価値の低い存在となってくるわけだが、
それは特定の業種や業界別の区分での差異で
はなく、同じ業界や業種の中でも、物を直接
取り扱う部門が単純作業となって、価値が下
がりやすくなる一方で、情報を操作する部門
が複雑で集約的な作業を一手に引き受けるよ
うな、付加価値を得やすい構成となり、結局
はそういった情報を操作する部門が少数精鋭
で構成されて、そうなって統括本部と化した
部門で働く知的エリートが、物を取り扱う部
門で働く一般の作業員に、上から指示を出す
役割となるわけで、また情報を取り扱うとい
っても、末端の情報端末を操作して作業する
人たちは、やはり上からの指示を仰ぐ役割を
担い、例えば一般の消費者への応対を担当す
る部門として、一定数の低い価値の人員を必
要とするわけだ。それは企業でも労働組合で
も役所などの官僚機構などでも同じことであ
り、大規模になって組織が肥大化すれば、全
体を統括して情報をコントロールする部門で
活動する少数精鋭のエリートたちに権力や権
限が集中して、そういった人たちは必然的に
貴族化するわけで、だからそうしたエリート
層の中にいる特定の人物の良し悪しを、ああ
だこうだと評価してみても、それは木を見て
森を見ないことにしかならないだろうし、そ
れよりはそこで生じている組織の構造的な役
割や権限から、その人の活動の内容が限定さ
れてくるわけだから、そうした限定的な活動
の中で、権力や権限が集中している立場の人
ほど、報酬も高くなりやすいし、多くの部下
を抱えて命令や司令を下す役割上、勝手なこ
とができるような幻想を抱きやすいだろうし、
またそれに伴って自らの能力への過信も生じ
やすく、そういう人が不正を行なって不当な
利益を得ようとすれば、その額もそれだけ大
きくなるわけで、そんな経緯を考慮すれば、
大企業のトップがそういった不正などの事件
に関与すれば、それだけメディアも大きく報
じて世間の注目も集まるし、何か世の中にと
って重大なことが起こったように思われるか
もしれないが、組織的な役割や権限からすれ
ば、そうなって当然な成り行きがあるわけだ
から、それを一般の人たちのレベルで深刻に
受け止める必要もないだろうが、興味本位の
世間的な話題としては共有できるだろうし、
そうした最大公約的な話題の共有から、その
人の公人としてのモラルなどが問題となって
浮上してくるわけだが、そうなると組織とし
ての構造的な問題など忘れ去られて、単に人
物本位で良し悪しを云々するような成り行き
にもなってきて、その人が企業内で生じてい
る役割や権限の範囲内でやったことが、あた
かもその人の個人的な能力や責任においてや
ったかのような倒錯的な物言いも出てくるわ
けで、そういうところをごっちゃにして、そ
の人の固有名ばかりに依存したことを言いた
がる人が多くなってくると、何か清廉潔白で
有能な人がトップに立てば、その企業の経営
も良くなるような幻想も生まれてくるだろう
し、そうなると逆に業績の良い企業であれば、
その企業のトップも、何か物凄く有能な人で
あるかのような幻想も生まれてくるわけだ。

 もちろんそんな単純なわけではないことは、
普通のレベルで多くの人たちが理解している
ことだが、一方でその人の固有名に依存して
半ば伝説化するような挿話を用いて、人物本
位的な幻想も安易に抱いてしまうし、そうい
うところでも結果として明らかとなった、そ
の人に関する実績や業績を都合よく解釈して
しまいがちになるわけだが、さらにまた、そ
れに関して言葉で語る内容からも、それ相応
の幻想を伴ってくるわけで、語る技術や文章
作成術によって、気分が良くなったり悪くな
るような技巧を凝らされた内容を信じてしま
うと、やはりそうした語りによって、幻想を
抱くように誘導されてしまうわけで、それど
ころか語っている本人や文章を書いている作
者までが、自らの語りや文章に酔ってしまっ
て、幻想を抱きながら語り、そして言葉を記
すことになってしまうわけだろうが、そうい
う面を割り引いて考えれば、そんな語りから
もたらされる幻想を安易に信じない程度には、
平静を保っておくことが肝要だろうし、何よ
りも集団による組織的な活動には、その中で
の固有の役割分担からくる権限に応じたこと
しかできないわけで、そうした制限や制約の
範囲内でやっていることであるなら、いかに
組織のトップといえども、全能の権限や権力
があるわけでもないし、中にはそうした権限
や権力があるように装われている場合もある
だろうが、それが全てではないことは、冷静
になって考えてみればわかることだろうし、
何よりもそこに集団的な組織形態があるわけ
だから、その中で活動している多くの人たち
が、それぞれに割り振られた役割をそれなり
にこなしているから、全体としてそうした活
動が成り立っているわけで、それを組織のト
ップの実績や業績と同一視するような単純化
は避けた方が無難だろうが、それでもトップ
にはトップとして割り振られた役目を果たし
ているから、組織のトップでいられるわけで、
そういう面での手腕を評価すればいいわけで、
また組織のトップにまで上り詰めた経緯にし
ても、それなりに有能だからトップになれた
わけで、そうした立身出世に関する有能さに
関しても、それなりに評価するしかないわけ
だが、トップに立った経緯とトップに立って
からの経営手腕の類いは、それとこれとは別
な面もあるだろうし、それぞれに別々に評価
すればいいことでしかなく、そうやって様々
な面から評価しようと思えば、できないこと
はないだろうが、そこからその企業やその企
業のトップに関して、何か肯定的あるいは否
定的な幻想を抱くにしても、それに関する様
様な条件づけや定義づけの範囲内で、肯定的
あるいは否定的な評価を下すしかないだろう
し、それに関して何かその企業に特有の事情
があれば、それを考慮すればいいことでしか
ないだろうし、まさかそれを敷衍して国家や
国民性の問題にまで言及してしまうと、それ
相応のいい加減さや偏見が付きまとってくる
だろうし、それを一言で言い表すとか一つの
問題に集約させるとか、そんなふうに論理を
単純化すればきりがないだろうが、それだけ
どうでもいいような認識や解釈が伴ってしま
うし、それに関して何か一つのことを批判す
れば、そこからその批判対象への全否定につ
ながるような単純化は、できれば避けたいと
ころだろうが、それについて手短に語るとそ
うなりがちになってしまうのも仕方のないと
ころかもしれないが、企業が否定の対象とな
る時は、何か不正事件が起こった時とか、公
害や環境破壊などの当事者になったり、従業
員の雇用や待遇などの面で差別や不当な扱い
があった時など、様々なケースが考えられる
わけだが、確かにそれが社会問題化する場合
があるわけで、それに関して行政や政治の取
り組みを期待したり、またそれへの取り組み
が不十分だとして、政府や政治家を批判する
成り行きにもなるだろうし、それらを連動さ
せて国家全体の問題として、何か大げさに語
ることができるとしても、相変わらずそれら
は個々の問題でもあるわけで、何かそれに関
して包括的なことを言えるとしても、社会的
にも集団としての組織的な構造の中でも、限
定的な役割分担と権限の制約があって、全て
を一気に解決できるわけでもないのに、それ
を一気に批判できるということが虚構なのか
もしれず、要するにできるわけでもないのに
語ることはできるという非対称な関係が、言
葉を使うことによって実現しているわけで、
そうした言葉の虚構性を踏まえておかないと、
いくらでも大げさに語って、どんどん誇大妄
想に近づいていってしまうわけで、そういう
語ることの自在性が、人の意識を幻想の虜に
してしまうのだろうし、現実の制約を超えて
過剰に語れてしまうことから、宣伝や煽動に
も結びついてしまい、結果的に語っている内
容がリアリティを失って陳腐化したり、紋切
り型と化してしまったり、しかもそれをもっ
ともらしく語る技術に磨きをかけると、自身
も他の人もそれを本当だと信じてしまうわけ
で、そうやってますます虚構の罠にはまり込
んで、ありのままの現実から飛躍して、あり
そうでありもしない妄想を抱いてしまうわけ
だから、そういった虚構の誘惑から逃れるこ
とは難しいのかもしれない。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
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