文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2018.11.8 「ボランティア精神」

2018/11/09

 集団で行われる活動には、そこで集団で固
まって行うように何らかの拘束力が働いてい
るわけだが、それは団結力とも言えるが、団
結して活動するにはそれなりの利点があるだ
ろうし、また集団で行わないとできないこと
も、効果を上げないこともあり、そういう活
動ではそうするのが当たり前なことなのだろ
うが、社会そのものが人の集団で構成されて
いるわけだから、それは当然のことだとして
も、その一方で個人が一人でやっていること
も、あるいは数人が連携して協力しながらや
っていることもあるわけで、そんな中で一人
でもやれることを、わざわざ集団で束になっ
てやっている場合には、それが奇異に見える
こともあるだろうし、それを集団で行うこと
によって、そうした集団自体が何かをアピー
ルするようなことにもなって、それがデモ活
動などの特徴でもあるわけだが、またそれが
宗教の布教活動などのように、個人が自主的
にやっているように見せかけると同時に、そ
の背後で宗教教団や政治団体などが裏で糸を
引いているような場合もあり、そういった行
為が結果的に宣伝や煽動のためのパフォーマ
ンスになってしまうと、そんなことをやって
いる人の動作が、見え透いた演技のようにも
思われてしまうわけだが、少なくとも集団が
個人に向かって、その集団の活動に参加する
ように呼びかけている場合には、それは勧誘
活動であるだろうし、しかもそういった勧誘
活動が勧誘活動自体に参加するような仕組み
になっていると、ねずみ講のような事態とも
なるわけだが、その自分たちのやっているこ
とに他の人たちも参加してほしいと呼びかけ
て、しかもその呼びかけに参加するように勧
誘する事態となってくると、宣伝行為に参加
するように宣伝しているようなことになって
しまうわけで、そうなると参加する人が宣伝
に利用されているだけとなって、その人にと
っては肝心の宣伝の内容が問われないことに
もなってしまうわけだ。もちろんそうした活
動に加わる人は宣伝内容にも納得して加わる
のだろうが、宣伝内容自体が宣伝活動に加わ
るように勧める内容だとしたら、宣伝するた
めの宣伝のような事態にもなってきて、厳密
にはそんな宣伝はあり得ないが、効果として
は実態がそうなっている場合があるわけで、
それが最もはっきりしているのがねずみ講の
類いだろうが、何もそういう人を誘い込むた
めの罠が、人為的に仕掛けられているのでは
なく、自然にそうなってしまっている場合も
あるわけで、それがよくありがちな傾向とし
て、善意の押し売りのような様相を呈してし
まうわけだが、ボランティアなどの勧誘もあ
る意味ではそういう傾向があるだろうし、実
際にやっている作業自体は大したことでもな
いのに、参加することの意義ばかりが過剰に
宣伝されて、とりあえずそこに参加すること
自体が免罪符のようなことになってしまうと、
実質的にそれは宣伝のための宣伝の効果が出
ていると言えるわけで、またそれが良い行い
で、そんな良いことをやっているのを、メデ
ィアが好意的に取り上げてほしいような意図
や思惑も自然に発生してくるだろうし、また
そんな宣伝を積極的に取り上げてくれるメデ
ィアも、良心的なメディアであるように思わ
れたがっているように受け取られると、そん
な良い印象ばかりが独り歩きしながら、雪だ
るま式に良い印象を増殖していくような効果
が働いてきて、ともかくそんなことをやって
いる自らを自己宣伝していることになってし
まうわけで、その内容自体が、例えば道路や
公園のゴミ拾いのような大したことでもない
のに、そんな誰からも非難される危険性のな
いことをやっている自らを宣伝したくなるわ
けで、たとえ他で人を騙すようなあこぎな商
売をやっていようと、そこでは無償のボラン
ティアのようなことをやってみせて、そして
そんな面だけを過剰にアピールしたいような
成り行きとなってしまうから、何かそれが偽
善的な行為であるかのように思われてしまう
わけだが、たぶんそういううがった見方をし
てしまう意識自体も、その人がそんな善行ば
かりやっているわけではないと思い込みたい
わけで、何かそこに裏があるように勘ぐって
しまうのも、そうした過剰宣伝のような成り
行きに対しての防御的な反応としてはありふ
れていて、それが宣伝のための宣伝に対する
防御のための防御のような効果を発揮して、
そうやって人と人の間で相互不信と疑心暗鬼
に拍車がかかって、ますます純粋な良識や良
心の発露から出た行為に対する疑念を増幅さ
せる成り行きとなり、結果的に人の心の荒廃
にも拍車がかかるわけだが、そうなるのを防
ぐには、なるべく人の見ていないところで気
づかれないように、善行をこっそり行うこと
が、世の中の荒廃を防ぐ歯止めとなるのかも
しれず、しかもそういうことをやっているの
を見つけても、あからさまにそれを賞賛した
り騒ぎ立てないことが肝要となるのかもしれ
ない。

 ともかくメディア上で善行や悪行などの過
剰な宣伝やアピールの応酬が続いている中で
は、誰もがそんなことには無関心ではいられ
ないわけだが、そこで良識や良心を発揮する
には、自らが宣伝する側にもされる側にも回
らないことが肝要となってくるのかもしれな
いが、実際にそんなことができるかというと、
たぶん現状でも誰もがほとんどそうなってい
るのかもしれず、そういう広告宣伝に関係し
ていない人なら、誰でもそうなっている可能
性があるわけだが、逆に過剰宣伝などをやっ
ている人たちは、ほんの一握りの少数の人た
ちであって、そういう人たちの宣伝でメディ
ア上が埋め尽くされていると捉えておくのが
無難なところで、それを他の大多数の人たち
が見て真に受けているに過ぎず、それが常態
化しているわけだが、そんな状況の中で、宣
伝している側が宣伝を受け取る大多数の人た
ちに向かって、絶えず宣伝する側に回るよう
に誘惑しているとも言えるわけで、それと同
時に、宣伝する側に回ると大金が得られるよ
うな幻想も振りまいているとも言えるわけだ
が、実際にそんな誘惑の罠にはまって、宣伝
競争に巻き込まれた人たちの中から、ごく一
部の少数の人たちが競争に勝ち残って、実際
にそれなりの額の大金が手に入るシステムも
整備されていて、そこからも誰もが無関心で
はいられない状況がもたらされているわけだ
が、それでもそんな状況の中で巧妙に立ち回
って、それなりの利益を得られる人も限られ
てわけで、それに対して無理にそうした状況
から背を向けるのではなく、かといって積極
的にそんな状況にのめり込む必要も感じられ
なければ、ほどほどの感覚でそうした宣伝広
告合戦に接していればいいのかもしれないし
、それも絶対に真に受けないという姿勢では
なく、それを素直に受け止めて、真に受けれ
ばいいだろうし、そういう成り行きの中でそ
れなりに関心を持って、暇があればそこから
大金を得られるような幻想を抱いて、そうし
たシステムに参加してみても構わないだろう
し、場合によってはそこへのめり込んでも構
わないのではないか。そしてそうなったとし
ても、実際にそれに成功するのは限られた少
数の人たちだから、ほとんどの人たちは大金
を得られないままとなってしまうだろうが、
それでも構わないだろうし、そんなことでし
かないのをその身でもって実感すればいいわ
けだ。そうやってそういう幻想に対する免疫
を作っていくしかないだろうし、逆にそこか
ら大金を得られたごく少数の人たちは、病が
重篤化していると言えるわけだが、そうはな
らなかった大半の人たちは、特にそうならな
くても普通に生きていることを実感できるだ
ろうし、それらの人たちは、そうした幻想が
その程度のことに過ぎなかったことを素直に
受け止めるべきで、実際に大金を得られなか
ったのだから、そう受け止めるしかないわけ
だが、別にそれがどうということではないだ
ろうし、そういうことに関して優れていると
か劣っているとかを比較してみても、大多数
の人たちが劣っていることになってしまうわ
けだから、特にそれによって自らを卑下する
こともないだろうし、それ以外でも世の中で
はそれなりの競争があって、それに勝ち残る
のがごく少数の人たちである分野など、他に
もいくらでもあるだろうし、そうした分野で
も同じような状況となっているわけだから、
たとえメディア上でそうしたごく一部の少数
の成功者たちを過剰に賞賛するような成り行
きが生じているとしても、それはそういうこ
とだと素直に捉えておくしかないわけで、何
も自らがそうでなくても、それを深刻に受け
止める必要はないだろうし、またそういうこ
とに影響を受けて、道路や公園のゴミ拾いの
ような大したことはない行為を過剰にアピー
ルするのも、それとこれとは全く違う行為な
のだから、何かおかしいと思うのが普通の感
覚だろうし、そういう面を考慮するなら、そ
うした無償の何でもないような行為自体は、
普通にやっている限りで、別にどうというこ
とはないわけだが、そういう行為をまるで尊
い善行であるかのように煽るのがおかしいわ
けで、何かのイベントにかこつけて大勢の人
たちが路上で乱痴気騒ぎをするのは、それな
りの必然性があるとしても、その騒ぎが収束
した後に、そこで散らかったゴミを拾うよう
な行為が、それとの対比でメディア上で賞賛
されるとしても、別にそれが大した行為では
ないことは踏まえておかないと、今度はその
手のゴミ拾いばかりが過剰に取り上げられて、
それも一つのイベントとなってしまい、そう
いう行為に参加していることを過剰にアピー
ルするような風潮も生まれてくるわけで、そ
こで考えておかなければならないのは、別に
そんなことをこれ見よがしにアピールするこ
とは、どうということはないことであり、む
しろそんなことを強調するのは愚かな行為だ
と捉えておいた方が無難なのではないか。 

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創刊日:2001-03-26  
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