文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2018.11.3 「力の正義」

2018/11/04

 力こそが正義であるのは、実際に力の前に
屈してしまう誰もが認めることだろうし、そ
こで行使される力の前では何事も問題とはな
らず、問題にならないような配慮や処理が力
を行使して行われるわけで、そうしたやり方
に対して、たとえそこでどんなにリアリティ
を伴った理屈を持って対抗しても、力がまと
っている現実と実感を伴った現実性の前には、
いかなる理屈も虚構であることを余儀なくさ
れてしまい、それは中身のない空疎な理屈に
なってしまうのかもしれないが、そんな力に
よってもたらされる現実も、その行使から生
じる現実性も、その力を正当化する理屈に伴
って生じる制度の一部でしかないとしたら、
その現実や現実性は、それを裏付ける制度が
説明する虚構から生まれたものとなり、そう
いう面では現実ではなくなってしまうかもし
れないが、そんな現実が実感を伴って存在し
ているとしたら、ではそんな現実を生み出す
虚構とは何かといえば、それはやはり力の行
使を正当化する法律であり制度でもあるわけ
だが、またそれは現実を制御する虚構でもあ
り、実際にそれらには人や集団を従わせる効
果があり、人も集団もそれに従うべきだと思
うから従っていて、誰も従わないとそうした
制度によってもたらされている社会の秩序が
乱れて、社会そのものの実態が失われる恐れ
があるから従っているわけだが、中には従わ
ない人や集団もいるだろうし、実際に従わな
いと罰せられてしまうわけだが、それでも従
わず、罰せられることを覚悟で従わない人や
集団も存在しているわけだが、全ての法律や
制度に従わないわけでもないだろうし、自分
たちにとって都合のいい法律や制度には従っ
て、そうでない法律や制度には従わないよう
な選択の余地が生まれるわけで、その場の都
合に合わせて合法的な行為と違法な行為の両
者を効果的に組み合わせて、それが自分たち
にとっての利益に結びつくように活動してい
くわけで、もちろん違法行為をやる時にはば
れないように画策しながらやるわけだが、ば
れたところで権力を行使できる立場にあるな
ら、それによって周囲を黙らせることもでき
るわけで、そうやって行使される力の前では、
法律も制度も都合のいいように歪められ捻じ
曲げられて、その実効性のない虚構の姿があ
らわとなって、それに従わざるを得ない力の
ない人たちを驚かせ失望させ落胆させるわけ
だが、果たしてそれが正義だと言えるかとな
ると、一般的には不正義であるが、それが何
らかの操作によって理にかなっていることに
なれば、正義だと強弁することができるだろ
うし、厳密には理ではなく利であるわけだが、
利を理と言いくるめるには、集団による同意
が必要になるだろうし、その集団というのが
公的な範囲では国民とみなせばいいわけだが、
もちろん中には納得できない人も大勢いるわ
けだろうが、同意できる人だけを国民とみな
せばいいわけで、力を行使して同意できない
人たちを黙らせて、それで国民の同意を取り
つけたことにすれば、それが理にかなった正
義の行為となるだろうし、そうやって自分た
ちのやっていることが正義であることを国民
に認めさせることに成功すれば、それが虚構
ではなく現実であることを証明したことにも
なるわけだが、そうなったとしてもそこには
それなりの虚構性が含まれているだろうし、
まず何よりも国民の同意を取りつけたことが
嘘で虚構であり、また利を理と言いくること
も嘘で虚構でしかないわけだが、力を行使し
てそれらが嘘や虚構だとは言わせないように
黙らせる行為は、虚構ではなく現実に行われ
ることであり、あるいはそれに反抗している
人たちがまるでいないかのように見せかける
ことも現実にメディア上で行われていること
だろうし、そうやって嘘や虚構を真実や事実
に置き換えていく作業が現実に行われるわけ
で、そしてそれに伴って、利を理に置き換え
て、それを理にかなっている行為だとみなす
ことも、現実に行われていることなのではな
いか。実際の理にかなった行為には、利益も
不利益も生じるわけだが、ただ利益を得る側
にとっては理にかなった行為であるとしても、
不利益を被る側にとっては理にかなった行為
だとはみなせないわけで、不利益を被る側を
力で黙らせることによって、それが利にかな
った行為でもあり、同時に理にかなった行為
ともなるわけだから、結局力の行使とは行使
される側に虚構を現実として押しつけること
になり、それが虚構の現実化としての権力の
特性だと言えるのではないか。またそういう
ことをやっている限りで、正義は力とともに
あり、正義を行使することが理にかなってい
るからというよりは、単に力を行使すること
が正義であり、そうやって得られる利を理と
言いくるめた後から虚構を真実にして、それ
がそれ以降も力を行使するための大義名分と
して行為に付け足されることになって、そう
した込み入った作業や操作の過程で、なし崩
し的に虚構の現実化が、力を行使される側へ
の強制的な同意と、そういった強制に反抗す
る人たちへの無視や弾圧とともに実現するわ
けだ。

 果たしてそんな強引なやり方を民衆が受け
入れることができるかというと、受け入れさ
せるような成り行きとなれば、それに従わざ
るを得なくなるわけで、時としてそんな成り
行きになることがあるから、そこでそれが有
効なやり方であることが実証されてしまうわ
けだが、なぜそうなってしまうかといえば、
簡単に言えばそれは国家という制度からもた
らされる必然的な成り行きでもあり、国家と
いう構築物が現実の存在として実態化するに
は、時としてそういった力の行使が必要とな
り、それに際して必要な人員が集団となって
力を結集させるから、そうやって結集して強
大化した力の行使には、個人や小規模な集団
では太刀打ちできなくなるわけで、それを避
けるには力を行使する口実を与えないように
しなければならないわけだが、それに関して
これまでに推進されてきたのが、理不尽な力
の行使を行わせないようにするための制度的
な工夫だろうし、それも簡単に言うなら、民
衆にとって自由で平等な民主的な政治制度に
して、社会的な立場や境遇に囚われない民衆
の意見が政治や行政に反映するようになれば、
社会の中で有利な立場や階層の意向を反映し
た独裁的な権力の行使に歯止めがかかるよう
に思われたのだろうし、実際に民主的な制度
の整備にそれなりに取り組んできた諸国では、
比較的独裁的な政治体制にはなりにくいわけ
だろうが、それでも完全に独裁体制を排除で
きるかとなると、そうでもないだろうし、メ
ディアを利用して宣伝や煽動によって幻想を
ふりまいて、偏向した思想信条などを民衆の
意識の中に吹き込んで、特定の政治勢力を支
持するように誘導する手法がしばしばとられ
るようになって、そうした行為が功を奏して、
独裁的な政治体制が成立することがあるわけ
だが、実際にそうなってから民衆が騙された
ことに気づいて反抗しようとする時には、す
でに民主的な制度が機能しないような仕掛け
が施されてしまっているわけで、結局はどの
ような政治制度であっても、権力を行使する
側の対応次第では、制度自体が虚構化したり
形骸化してしまい、そうやってリアリティを
失ってしまうわけで、そうした制度の虚構化
や形骸化を促進させる要因が、民衆の政治に
関する無知や無関心であったり、それを促進
させるような経済的な功利主義の蔓延であっ
たりするわけだが、経済的な功利主義の方は、
自身の収入や資産などの面でそれなりのリア
リティを伴っているから、そこに虚構が介在
しているとは思わないだろうし、日頃の売買
を介した経済の制度が人々の身にしみて生活
を支えているだけに、政治的な経済政策に実
質的な効果があるように思われてしまうと、
やはりそうした経済政策を行なっている勢力
を支持して、そうした勢力が民主主義の建前
を軽視したり、踏みにじるようなことをやっ
ても、簡単には支持が揺るがなかったりする
わけで、そういうわけであまり実感が伴わな
い民主主義の建前と、実質と実感が伴ってい
るように思われる経済的な価値観などを比較
した場合、どちらを優先させるかは自ずから
明らかとなってくるのかもしれず、経済がそ
れなりにうまくいっているように思われれば、
またメディアを通じてそう思わされているよ
うだと、さらに民主的な建前を重視する勢力
が、経済政策などに関して信用できるような
裏付けがない場合、どうしても功利的な経済
政策を推し進める側を信用してしまうわけで、
しかもそれによって社会の中で経済格差が広
がるような事態になっているとしても、自分
たちが富裕層に憧れていて、チャンスがあれ
ば自身も富裕層になりたいと思うだろうし、
そうした欲望を煽られている限りで、たとえ
実質的にはその可能性がほとんどないにして
も、そうしたことをやっている勢力を支持す
るだろうし、その一方で理想主義的な勢力が
掲げる富の公平な分配などという幻想を抱く
には、実際に自身が他との競争にさらされる
ような経済活動を行なっている中で、そうい
うことが行われたためしがないことを肌で実
感しているだけに、やはりそうした夢ではリ
アリティを持ち得ないだろうし、現状では実
現性の定かでない空想上のフィクションと思
うしかなく、そういうところでも民主的な建
前を保持しているだけの勢力には信用が生じ
ないだろうし、そうした経済至上主義的な実
感とともに、それを肯定している勢力が政治
的な主導権を握るのはやむを得ないとしても、
もしかしたらそれとは次元の違うところで、
政治的な幻想を捨てなければならない可能性
も出てきているのかもしれず、それは現状を
どう捉えても、政治的な権力の行使自体が世
界的に弱まりつつあって、それに変わって強
まりつつあるのは行政的な民衆の管理体制の
強化であり、またそれと並行して企業側でも
顧客となる消費者を管理する体制を強化しつ
つあり、その両面から侵食されて、次第に政
治的な活動の領域や範囲が狭まりつつあるの
かもしれず、それを隠すためにメディア上で
盛んにポピュリズム的な内容のない政治宣伝
が煽られているのかもしれないし、人々がそ
んな宣伝に煽られてそれを真に受けている間
にも、行政と企業による民衆の管理統治体制
が着々に強化されつつあるのではないか。 

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創刊日:2001-03-26  
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