文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2018.11.2 「既存の思考」

2018/11/03

 何事も性急に事を運ぼうとすると、急いて
は事を仕損じる危険があるわけだが、別にそ
うなっても構わないのであり、そこで失敗し
てもまたその人が再挑戦するか、あるいは代
わりに別の誰かが挑戦すればいいわけで、た
だその失敗の当事者になってしまうと、そこ
でその人はおしまいとなる可能性があって、
できれば失敗の当事者にはなりたくないから、
それなりに余裕のある人は慎重に事を運ぼう
とするわけだが、それでも失敗する時は失敗
するだろうし、慎重に事を運びすぎて失敗し
てしまえば、やはり再挑戦の機会を失って、
そこでおしまいとなってしまう危険があるだ
ろうし、どちらにしてもそれが運命だと思っ
て受け入れるか、あるいは受け入れずに最後
の最後まで可能な限り悪あがきを繰り返すか、
という選択を迫られてしまう場合もあるだけ
に、どういう結果になろうと救いのない話に
なってしまうのかもしれないが、そんな成り
行きの中で活動している人たちは、それなり
にやれる限りのことをやるしかないわけで、
その先にどんな運命が待ち受けていようと、
そこまで察知することはできないだろうし、
察知する必要もないわけだが、ただ可能な限
り状況を見極めようとするだろうし、そうや
って何かの予兆を察知しようとするのだろう
が、その大半は空振りに終わるか、勘違いな
思い込みを抱いてしまうかして、逆にそこか
ら余計で意味の定かでない幻想がもたらされ
たりして、そんな思いを抱いているうちに、
やっていることが当初の目的や目標からずれ
ていってしまうわけだが、そうした紆余曲折
がやっていることに幅を持たせるわけで、そ
れが可能性の広がりを表しているのだろうし、
時にはそれがそれとは違う他の何かとの偶然
の遭遇をもたらして、そこから袋小路や行き
詰まりを打開する可能性が生まれるかもしれ
ないが、別にそこまで至らなくても、途中の
段階に留まっていても構わないのかもしれな
い。そしてそんな成り行きの中で、特定の物
事から感銘を受けてそれを強調しようとする
と、それとは別の物事との関係がおろそかに
なって、バランスを欠いて偏向した認識に至
ってしまうのだが、そこからも無駄で余計な
幻想が生まれるだろうし、しかもそれが無駄
でも余計でもなく、何らかの魅力を感じられ
てしまうから、やはりそれが幻想なのだが、
たぶんそういう幻想がないと、世の中には他
に何もないように思われてしまい、時にはそ
うした幻想が心の支えにもなるわけで、だか
ら一概に幻想を抱いてしまうのを否定するこ
とはできないのだが、それでも幻想は幻想に
過ぎないし、実際に幻想を抱いてそれに向か
って進んでみると、どんどん幻想とは違う現
実の世界が視界を覆ってきて、そこには幻想
の中では思いも及ばなかった障害が行く手を
塞いでいる事実に気づくわけだが、そんな障
害に怖気づいて、それ以上進むのを諦めるか、
あるいはそこから障害を取り除いてさらに先
へと進もうとするかで、迷いが生まれるだろ
うし、また迷っているうちにも、他の事情か
ら事態が進展したりして、そこからも状況が
変わってくるわけで、そんな事態に対応して
いるうちに、さらにそれとは別の方面からも
作用や影響が及んできて、そんな事態に直面
しているうちに、当初に抱いていた幻想など
どうでもよくなってくるのかもしれないし、
それでも幻想にこだわり続けていれば、そん
なこだわりに意識が凝り固まって、何やらそ
れ以上の進展を望めないような成り行きを招
いて、そこで右往左往しているだけに終始し
てしまい、そんな逡巡の繰り返しの中に自足
してしまう危険も出てくるわけで、それを危
険とは気づかないと、それが安住の地である
かのように思われてくるだろうし、そうやっ
て活動領域が一定の範囲内に定着してしまっ
た人など、世の中にはいくらでもいるのかも
しれず、そんなふうにして人は人生の終着点
に到達するわけで、それが他の人にとっては
何を意味するわけでもない地点で、ひたすら
自分にとっては意味のある研鑽に励むような
成り行きもあるだろうし、もちろんそこには
他の人や集団との関わり合いもあれば、それ
なりに関係する人や集団と価値観を共有でき
るわけだが、たぶんそれ以上に何かを求める
となると、それだけより多くの人や集団と関
わるような成り行きへと導かれるだろうし、
そうなればさらに多くの物事に遭遇して、そ
うした物事への理解や認識も新たに得られて、
それによって従来から抱いていた価値観では
状況に対応しきれないことを知るだろうし、
そうやって物事に関する見聞を深めていけば、
少なくとも以前よりは特定の物事に関して抱
くこだわりも薄れてくるかもしれないし、薄
れてくるとしても、その代わりにより多様で
多彩な価値観を得られる可能性もあるだろう
し、それが何を意味するわけでもないと卑下
することもなく、素直にそんな状態を肯定し
ておいた方が無難であることに気づくかもし
れない。

 そうであっても意識はやっていること自体
へと引き寄せられていってしまうわけで、そ
れがその人の全てであるかのように思われて
くると、それ以上の進展は望めなくなるわけ
で、そんな事態を打開するために他のことに
目を向けるようになるとしても、それも一時
の迷いや気休めとなる場合もあるだろうが、
そこからやっていることに対する別の面への
気配りや別の捉え方ができるようになれば、
何やらそこから新たな進展が望めるようにも
思われてくるわけだが、そうした視点や視線
の移動によって、関わっている物事への認識
を新たにすることができたとしても、それだ
けでは物事自体は変わらないわけで、物事自
体を動かさないとそこから先への進展は望め
ないわけだから、そうした物事への関わりと
ともに自らも活動していかなければならない
わけだが、関わっていくこと自体が活動とな
るわけだから、その依存している物事を否定
的に捉えてしまうと、やはりそれでは物事を
一面的にしか捉えていないことになり、それ
以前に特定の物事に関わろうとすることの動
機として、それに魅力を感じるから関わろう
とするわけで、たとえ意識がそれを否定的に
捉えているとしても、意識の気づかないとこ
ろでは惹かれている面があるわけで、特定の
物事に否応なく惹きつけられてしまうから、
それが否定的な言及を伴うとしても、なお肯
定しなければならない面があるわけだ。たぶ
んその肯定しなければならない面というのが、
その物事の魅力なのだろうし、それを語れな
いとすれば、少なくともその段階では言葉で
表現できないような魅力があって、それを語
ることとそれに惹かれてしまうことが意識の
中で結びついてはいないものの、気にはなっ
ているから惹かれてしまうのだろうし、そう
した物事の肯定的な面に意識が惹かれている
状況にあるわけで、それを表現できないこと
には、それに関する否定的な捉え方を改める
には至れないわけだが、そこからさらに認識
を深めるには、さらなる物事への関わりが必
要となるだろうし、それへの否定的な捉え方
で凝り固まるにしても、それまでの認識では
物足りなくなってきて、自らがその物事を捉
える上で、それまでとは違う面や違う次元や
水準を見つけようとするだろうし、そうする
ことで思考の転換を目指すのだろうが、それ
でも関わっている物事自体は変わりようがな
く、そうした関わり方の行き詰まりを解消で
きないまま、ひたすら否定的な捉え方を堅持
しつつも、そうした物事の面を批判せざるを
得ないわけだが、それでも惹かれているから
には、当然他の人たちも惹かれているわけで、
社会の中で他の大勢の人たちが惹かれるから、
そこに魅力が生じているように思えるのだろ
うし、なぜそんな物事に惹かれてしまうのか、
その理由や原因を探ろうとするしかないだろ
うし、そうやって意識が惹かれている物事の
周りをぐるぐる旋回することになり、時折そ
れに近づいたり遠ざかったりしながらも、相
変わらず視線をそれに釘付けにしながら、そ
の周りで逡巡を繰り返すわけだが、結局それ
がその物事への関わりの一部始終だとすれば、
活動もそうしたものでしかないだろうし、そ
れだけでは飽き足らず、自らがそれ自体へと
同化してしまうような成り行きを伴ってくれ
ば、今度は自らが他から惹かれる対象となる
わけで、そうなってくると傍観者ではなく当
事者としての責任を自覚するしかないだろう
し、そうやって自らが時には批判される立場
ともなれば、ようやくそれまでに足りなかっ
た認識を獲得できるのかもしれず、それが当
事者意識からもたらされる認識であるととも
に、それまでに自らが犯した過ちや誤りにつ
いて、それに関して他人からの評価を受け入
れるか否かの選択を迫られるだろうし、受け
入れられないような評価であれば、それに反
発してそれなりの反論を用意しなければなら
ないだろうし、そうなって初めて、かつての
批判一辺倒だった認識を改める機会が訪れる
わけで、たぶん現状の社会の中でそこまでに
至れる人はそう多くはないだろうし、それに
引き換えほとんどの人たちは、批判しっぱな
しの立場を維持できるわけで、それだけ一方
的な認識や見解の中に安住していられるわけ
だが、そうなってしまうと物事の一面だけを
見ていれば済むような成り行きとなってしま
って、それだけで当事者意識になる事態を免
れてしまうから、意識が惹かれている物事に
対する活動の幅が狭まってしまうわけだ。だ
から限られた範囲内に意識も思考も固定され
てしまって、それ以上に達することができな
くなって、そこから先へと考えが及ばなくな
ってしまって、そうしたレベルからもたらさ
れる固定観念では、それを超える事態には対
処しようがなく、そんな固定観念に世の中の
世論がつなぎとめられているうちは、そこか
らもたらされる閉塞状況を打開できなくなっ
てしまうわけだが、そうした既存の秩序を打
ち破るには、そういう秩序を支えている制度
や法律から逸脱するようなことを行わなけれ
ばならないわけで、もちろんそれが正しい行
為になるとは限らず、違法な行為や倫理や道
徳に反するような行為をやらざるを得なくな
ってしまう成り行きも、結構な割合で伴って
くるのではないか。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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