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彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2018.10.6 「リアリティの水準」

2018/10/07

 リアリティという言葉が何か肯定的な意味
合いを持つのは、誰もがそれを意識するとこ
ろで、世の中でリアリティを得られる対象が
あるかというと、それは人によって様々に異
なるかもしれないが、例えば何かに本気で取
り組むべきことがあれば、意識がそれにリア
リティを感じているわけだが、では現状でや
っていることからリアリティを得られている
かというと、そうでないとやりがいを感じら
れないだろうし、またそういうことをやって
いないと生きがいも感じられないかもしれな
いが、やりがいを感じられるから本気で取り
組もうとするわけで、またそうした本気の取
り組みが周囲からも好意的に受け止められる
ようなら、さらにその気になって、熱心に取
り組もうとするだろうが、逆に取るに足らな
いどうでもいいことをやっている気になって
しまったら、そんなことをやっている自らも
何か取るに足らないどうでもいい存在に思わ
れてくるだろうし、それによって自暴自棄に
なってしまうかもしれないが、ならばこの世
の中で何か本気でやるに値することがあるか
というと、よほどの思い上がりでない限りは、
現状でやっている仕事の類いに真剣に取り組
んでいるつもりだろうし、それが価値のある
ことだと思われる限りで真剣に取り組んでい
るはずだが、別にそれ以外の大半ことが価値
のないことだとも思えないだろうが、自分か
ら見て価値のないことをやっている人がいる
と、そんな人間には価値がないようにも思わ
れてしまうことも確かで、自身がそんなこと
をやっている自覚があるなら、少なくともそ
れをやることにやりがいは感じられないだろ
うし、そんなことをやっている自らが生きが
いを感じているとも思えないだろうから、特
に生きている意味も意義もないようにも感じ
られて、否定的な気分になってしまうかもし
れないが、だからと言って、そこから自らを
奮い立たせて、無理にそんな自己を肯定する
ような契機が生まれるとも思われないだろう
し、どうもそういう方面で肯定的な幻想を抱
く気にはなれないのかもしれないが、それと
は別の方面では、特に価値を意識するという
よりは、もっと軽い気持ちで楽しいことや面
白いことをやろうとする方が、肯定的な成り
行きに至れるのかもしれないが、趣味や娯楽
の類いならそれでも構わないとしても、それ
が仕事となるとそうもいかないだろうし、苦
しいことやきついことでもやり遂げなければ
ならない、という使命感を伴う場合には、や
はりそれが価値のあることだと思うしかない
わけで、実際にも経済的な利益をもたらすよ
うなら、価値があることを実感するだろうし、
そういうところからリアリティが生じてくる
わけだが、ではその反対にリアリティのなさ
というのは価値のないことかというと、場合
によってはそうなるかもしれないが、逆にリ
アリティのないことを肯定するような場合に
は、それが価値を持つかもしれないし、何か
実感を伴わないような幻想に浸っていたい時
には、現実逃避としてそんな娯楽に価値を見
出すのではないか。そういう意味ではリアリ
ティのあるなしで価値があるかないかという
判断を伴うわけではなく、必要に応じてリア
リティがあったりなかったりして、またその
時の事情や求めに応じて価値があったりなか
ったりするわけだろうが、その場の状況に応
じてそれを使い分けるとなると、それ自体が
恣意的なご都合主義のように思われて、それ
が他人にとっては価値がないことのように思
われたり、またリアリティを感じられない場
合もあるだろうし、それが単なる趣味嗜好の
違いだけでは済まなくなってくる場合もある
かもしれないが、ただ漠然と趣味や価値など
を共有したい事情があると、倫理観なき馴れ
合いの関係となって、内輪のなあなあの関係
に依存してお互いの傷を舐め合うような、外
部からは見るに耐えないような具合になって
しまうことにもなり、そういう場合のリアリ
ティとなると、やはり否定的なニュアンスも
含まれてくるのではないか。

 そうした事情を考慮すると、リアリティを
感じるか否かとか、価値があるかないかとか、
それだけで物事を評価しがちになるのは仕方
ないとしても、それだけでは済まないような
事情があると、他人から見るとどうでもいい
ようなことにこだわってみたり、無意味なこ
とを執拗に主張してみたり、何かその人にと
っては切実なことでも、それが周囲に伝わら
ないと理解されないだろうし、伝えようとし
ても共感を得られなければ、その人の切実さ
が伝わらずに終わってしまうだろうし、また
それが明らかに内輪だけで通用する事情だと
思われてしまうと、場合によっては反感を抱
かれるかもしれず、そこで何を考慮してどん
な条件が設定されているかによって、価値判
断も評価も異なってくることは確かだろうが、
そこに誰もが納得できるような普遍的な統一
基準を設けられるかとなると、そういうわけ
にはいかないだろうし、そこに同質な社会が
形成されているわけではないから、それなり
に事情が異なれば条件も異なってきて、それ
に応じて価値判断も評価にもある程度のずれ
が生じてくることは間違いないが、それでも
社会が形成されている時点で、何らかの価値
観の共有が起こっていることは確かで、そう
した価値観を共有できる限りで、ある程度の
統一基準が想定されるだろうし、それが普遍
的な価値観の共有とみなされる場合もあるだ
ろうが、別にそうした価値観に逆らってはい
けないというわけでもないし、そういう意味
で個人的な趣味嗜好を考慮するなら、いくら
でも勝手なことが言えるわけだが、他の人た
ちがそんな事情をどこまで考慮できるかとい
えば、そんな義理もなければ配慮もされない
だろうし、そういうことに関して何をどう批
判してみても、かわそうとすればかわせるよ
うな成り行きも生じてしまうのかもしれない
が、後は自分たちの社会的な影響力や権力に
物を言わせて、自分たちが信奉する価値観を
相手に強要できるか否かが、そういう人たち
にとっては重要な意味を持つのかもしれない
し、そういうところからは逃れようとしても
逃れられないような社会的な事情が生じてく
るのだろうが、他にも利益を餌にして誘導し
たり誘惑したりする手法もよく試みられると
ころだが、それらが複雑に絡み合って生じる
のが同調圧力だろうし、そういう同調圧力を
それと自覚することなく行使している例など
いくらでもありそうで、中でも善意や良識を
装ってそういうことをされると始末に負えな
いわけで、特に相対的に良心的な立場を取り
ながらも、微妙なところで差異を認識できな
いような人たちが、政治的な体制派を批判す
る一方で、微妙な差異を混同するような鈍感
さを伴った価値観の強要を周囲に向かって迫
ってくるわけで、その微妙な差異というのが、
些細で枝葉末節な差異ではなく、根本的なと
ころで欠陥を伴ったような価値観だと、それ
自体が体制的な批判を台無しにしているわけ
で、それに気づかないからこそ、普通に他か
らの賛同を得られないのかもしれないが、そ
れが内輪で固まってなあなあの関係を築いて
いる場合には、なおのこと反発を招く原因と
もなっているだろうし、当人たちがそれに気
づかないことにはどうしようもないわけだが、
なまじそれが一定の世間的な支持を得ている
と、自分たちに欠陥があるとは思えないわけ
で、しかもそれを批判している側が少数派で
しかなければ、そんなのは無視していれば済
むことだろうし、だからいつまで経っても欠
陥がそのままとなってしまうのだろうが、そ
れが一定の世間的な支持や評価とともに固定
されてしまっているわけだから、やはりどう
にもならないところなのではないか。そうい
うところは他でもそれなりにあるだろうから、
そんなことに目くじらを立てても意味がない
のかもしれないが、だからと言ってそうした
人たちを支持できないことには変わりないわ
けで、そんな人たちが存在している限りで成
り立っている現状もあり、そういう現状はち
ょっとやそっとでは変わりようがないわけだ。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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