文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2018.9.16 「活動の程度」

2018/09/17

 世の中に助けを必要とする人がいるのは確
かであり、人道的な見地からもそうした人た
ちを助けなければならないと思われるだろう
し、実際に自然災害に遭ったり、戦災に巻き
込まれたり、経済的な苦境に陥ったりして、
それらの事情から助けを求めている人がいる
はずだが、誰がそれらの人を助ける義務があ
るのかというと、その地域を統治している自
治体や政府の救急搬送や消防や警察や軍隊な
どの部門が、その場の状況に応じて助けに向
かうわけだが、災害が起こった時には確かに
そうなるだろうし、それらの人たちの親族や
交友関係にある人も助けに向かうかもしれな
いし、さらに赤の他人が災害ボランティアと
して助けに来る場合までがあるわけだが、そ
れが仕事でやっている人や団体と、それ以外
の善意でやっている人や団体とは区別しなけ
ればならないだろうし、また親族のつながり
や、隣近所の助け合いや、職場関連の人たち
の間にも違いがあるだろうし、そうした違い
をひっくるめて、全てを慈善行為のように見
せかけて、言葉や映像によって飾り立てるの
は欺瞞でしかなく、それらの何が良くて何が
悪いということではなく、様々に立場や思惑
に違いのある人たちが、そこで人助けをやっ
ているということが、何か一つの肯定できる
価値観を伴っているわけではなく、またその
価値観を利用して助けに来ない人たちを批判
するのもおかしいだろうし、それを批判に利
用するような人にも、そんなことをやる立場
や思惑が生じているわけだろうが、それらに
関わって何かをやろうとして実際に行うと、
やれる範囲や程度に応じて立場が生じて、ま
たその立場からも特有の思惑が生じてくるの
であり、そんな思惑を抱いてそんなことをや
っていること自体を正当化するようになると、
そこから利益を得るためにそんなことをやっ
ていると受け取られてしまい、それでは火事
場泥棒と変わりなく、それも批判や非難の対
象となってしまうわけだが、そんなふうにし
て純粋に人助けをしようとする以外の事情に
よって、そこから逸脱するような立場や思惑
が生じてくることが、そこに制度や慣習など
の社会的な仕組みが絡んでいることを想起さ
せられるわけで、そうした社会的な仕組みか
ら人助けをしようとする意識が生じていると
すると、その人の善意から純粋に人助けをす
るにしても、そうするように仕向けられてい
ると考えれば、何やらありがたみが減じられ
るような不快な気分となってしまうかもしれ
ないが、だからと言ってそれが人助けをしな
い口実になるわけでもないし、要するに人助
けを奨励するような宣伝行為が、人助け以外
の活動に利用されてしまうと、それが欺瞞や
偽善と受け取られてしまうわけで、またそれ
以前に人助けに至る経緯やそこで生じている
事情が、逆に人助けを必要とする人を生み出
しているとすると、やはりその人や団体に、
人助けをせざるを得ない後ろめたさや疚しさ
があるのではないかと勘ぐられてしまい、純
粋な人助けの精神から逸脱していってしまう
わけだが、そういうのはたぶん経済活動や政
治活動や行政活動にはつきものの事情であり、
経済活動の背後には企業や資本家がいて、政
治活動の背後には政党や政治家がいて、行政
活動の背後には官僚機構や官僚がいるわけで、
それらの人や団体が暗躍して、一方では人助
けを必要とする人を生み出して、もう一方で
は人助けを利用して利益を上げる傾向がある
のは否めないのだが、一般の人たちもそれら
の人や団体を利用することによって生活が成
り立っていて、それらの人や団体によって現
状の社会が構成されている面もあるわけで、
そうした循環傾向の中でそれぞれの置かれた
立場を正当化して、そこで生じている事情を
尊重していくと、結局はそんな現状を肯定し
て、そんな現状の維持に貢献することにしか
ならないだろうし、それが嫌なら自らがそこ
で不都合や不利益を感じている範囲内で、そ
うした対象を批判したり、それと争ったりし
ながら、現状を変えて行こうとしなければな
らなくなるわけで、そうした意味での人助け
もあり得るわけだ。

 そこで何が人助けになるかは、その場の状
況に応じて変わってくるだろうが、その気が
なければ特にやっていることが人助けになら
なくても構わないだろうし、逆にやっている
ことを正当化するためにそれが人助けである
ことを強調するのも本末転倒なわけで、人助
けをする以前に自分で自分を何とかしろと思
うかもしれないが、そうした自助努力が尊ば
れる状況があるとしても、やれる程度も範囲
もその人の立場や事情に応じて限られてくる
わけで、そこにもそれなりに限界があること
も確かだろうし、社会の中で人と人とが連携
して協力しながら何かを行う場合には、そう
したことを行なっていく過程で、必ずそこに
関わっている他人を助ける成り行きが生じて
くるだろうし、そうしたことの延長上に人助
けがあると考えれば、そこから人助けの部分
だけを取り出して強調するのも不自然に思わ
れてくるわけで、様々なことが行われる中で
人助けを行うこともあるだけで、そこだけを
強調しなければならない事情がその人に生じ
てきて、そうした事情の中には良からぬ企み
も含まれてくるだろうが、たとえそれが肯定
的な価値を担うことであっても、何か役割や
目的に特化した活動が存在すること自体が、
そうした活動を行う上で、その役割や目的に
特化していることに関しての説明が求められ、
そうした行為が広く世の中に受け入れられる
には、それ相応の宣伝活動が必要となってく
る場合もあるだろうし、そんなことをやって
いること自体が、それが不自然な行為である
ことを証しているわけだが、たぶんそうした
事態を招いているとしても、それが当たり前
のように思われる社会状況がある限りで、そ
うした宣伝活動が当たり前のように行われ、
そこにも活動に関わってくる人や団体が、そ
こから利益を得ている実態もあるわけで、そ
れが実際に赤十字やユニセフなどの公的な体
裁を装った機関となっているし、そうした機
関に寄付金を託すことが肯定的な価値を担っ
ているようにも思われてしまうわけで、そん
なふうにして社会的な価値観が形成されてい
るわけだから、そうした行為にも疑念を抱い
て、それを批判するようなことも行われるわ
けで、そういう意味で役割や目的に特化する
ことが、欺瞞や偽善が生じる温床ともなって
いるのかもしれないが、社会が発展していく
過程の中ではそうした傾向が必ず生じてくる
のかもしれないし、そうした欺瞞や偽善とと
もに社会が発展していくとも言えるのかもし
れず、それもそこから生じる恩恵と弊害の両
義的な方向性を示すことになるのかもしれな
いが、それが避けられない成り行きであると
しても、その一方で個人的な善意から人助け
を行なっている人たちも大勢いるわけで、た
とえそれが非効率であまり効果のないことだ
と思われようと、そうした行為をあまり組織
的にまとめ上げない方が、そこから生じる欺
瞞や偽善の程度も少なくて済むだろうし、逆
に個人のレベルでやれるように社会の様々な
方面で改善して行けば、無用で不快な権力の
行使を招かなくても済むようになるのではな
いか。そういう意味で大勢の人を組織的に大
量動員しようと仕掛ける人たちには、そこで
大勢の人たちを従わせることによって権力が
生じるわけで、それらの人たちに自分たちの
設定した目的や役割を担わせること自体が、
権力の行使ともなるわけで、それが煽動者の
やり方であるわけだが、そうする必要が生じ
ているということは、煽動者自身がそうした
やり方に対峙しているから、自らもそんなや
り方を思いつくわけで、他で行われているこ
とを真似ているわけだが、そこに集団で活動
する形態のエスカレートが生じていることは
確かだろうし、誰かがそんなことをやれば他
でもそんなことが行われて、それらの間で対
立や抗争が生じるわけで、そうした対立や抗
争を通じて、そうしたやり方がエスカレート
していって、さらなる集団の大規模化や集積
化が生じてきて、そうした対立や抗争に勝ち
残った集団が、世の中を支配するような状況
ともなるわけだろうし、その支配形態として
政府や企業や他の各種団体があるわけだが、
誰もがそうした集団の中で主導的な立場にな
れるわけでもないのだから、それよりは個人
でやっていることの方が、たとえ世の中への
影響力が微々たるものであろうと、それだけ
誰もがやれる可能性も高いわけだ。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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