文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2018.8.9 「外部からの視点」

2018/08/10

 その人がどんなに努力してもできないこと
があるのは、その人にそれを行う機会が巡っ
てこなかったり、そんなことを行う成り行き
になっていない場合には、何かそれとは違う
別のことをやっているわけで、他のことをや
っているから、そのこと以外をやる機会が巡
ってこないのだろうし、それはそれで当然の
ことなのだが、そこからその人にそれをやる
才能や能力のあるなしには結びつかないよう
に思われるかもしれないが、それをやる機会
をとらえて行うのも、結果的にはその人にそ
の時点で備わっている才能や能力のあるなし
で決まってしまうように思われてしまうわけ
で、そんなふうに偶然の巡り合わせを必然と
とらえてしまうことについては、物事を意識
がとらえる時の状況や状態からそう思われて
しまうわけだから、それがその人にとっては
運命の巡り合わせなのかもしれないが、その
人が世の中で何かを行ないながら活動してい
る実態というのは、その人の意識がそれをど
うとらえようと、実際にそこでそれをやって
いる状況や状態に依存してしまうわけだが、
そういうその人には制御できない面がある一
方で、確実に自らの行為を制御しているよう
に思われてしまう面もあって、その人の生活
や活動の様態や様式を厳密に観察して分析し
てみれば、それらの間に明確な境界や区別を
設定できるかもしれないが、少なくともその
人の意識の中では曖昧になっているだろうし、
今の自分にできることとできないことに関し
て、自分なりの思い込みからそれを区別して
いるとしても、実際にはできないと思ってい
たことができたり、できると思ってやってみ
ようとしてもできなかったりするわけで、ま
たその時にはできなかったことが、訓練や練
習を重ねているうちに、ある日突然できるよ
うになったら、それは自らの努力の賜物だと
思い込むだろうし、そうした訓練や練習を行
う機会がたまたま巡ってきたことについては、
努力した末にできたことの方が意識に強く印
象付けられてしまうから、その時にはあまり
考慮しないだろうし、また同じようなことを
やっている他人と比較して、自分の方がうま
くうまくやれていれば、それだけ才能や能力
に恵まれていると思うだろうし、その逆なら
それらに乏しいと思って落胆するわけだが、
そうした比較も、そこでたまたま比較対象と
なるような人物や行為などに巡り会えなけれ
ば、わかりようがないだけに、それもその場
やその時の偶然の巡り合わせとしか言えない
面もあるわけだが、そうした機会をとらえて
それを行う能力やそれを見つけ出す感性の有
無も、やはり訓練や練習では求められないよ
うに思われるなら、自らにはどうにもならな
い先天的な才能や、偶然的な運命の巡り合わ
せのように感じられてしまうだろうし、それ
がその人の経験から養われていると思えば、
実際に何かを行なっている中で自然に養われ
ているとしか言えない面もあるだろうし、社
会の中でその人の置かれ立場や境遇からも、
その人が行えることや実際に行うことが決ま
ってくるとしたら、それを外部からある程度
は制御することができるにしても、全ての面
でそうしたことを管理制御できるわけではな
いのは当たり前のことだが、そこに政府や企
業や様々な団体が設立されて、そこで組織的
な機構が動作していれば、法律や制度を定め
てそういうことを行うような成り行きになる
だろうし、人が集団を形成してやろうとする
ことの大半は、協力してその場その時の状況
や状態を、人為的かつ恣意的に制御して操作
することになるのだろうし、そういうところ
で決まり事を定めて、その場で協力関係にあ
る人たちがそれを守ることによって、そうし
た集団の目的に応じた制御や操作が行われる
のは当然のことなのだが、その集団だけがそ
うした行為をやっているわけではなく、それ
と関係して競合してくる他の集団も同じよう
な制御や操作を行っていれば、当然そこで関
係してくる様々な集団の間で、やっているこ
との調整を行わないと、やっていることが被
ってしまったりぶつかってしまうような成り
行きになるだろうし、そういう調整作業のよ
うなことをやるのも、それらの制御や操作に
は含まれてくるわけだ。

 そうした制御や操作の万能性をどこまで有
効にできるかは、それを行おうとする集団の
社会内での力や影響力にかかってくるのかも
しれないが、一般的に考えて、政府にはそれ
相応の力が備わっていることは確かだろうし、
また政府に関わってくる政党や行政の官僚機
構などにも、それに準ずる力があるように思
われるわけだが、それぞれの集団には固有の
機能や立場があって、それが力の源泉であり、
それらを効果的に駆使しながら、備わってい
る力を集団の活動に結びつけようとするわけ
で、そうした力を養うには集団の組織力の強
化が必要に思われるだろうし、また他の集団
との連携や協力関係の強化も、その場の状況
に応じて求められてくるのだろうが、そんな
ことをやっている中で見失われがちになるの
は、そうした集団の構成員に対する配慮であ
り、またそれは制御や操作の対象となる社会
の構成員に対する配慮ともなるわけだが、結
局は集団の目的にそれらの人々を従わせよう
とするほど、そうした配慮が欠けてくるわけ
で、世の中で許容されている人々の自由を奪
ってまで、集団の目的に従わせようとするか
ら、それだけ自由の幅が狭まってしまい、組
織的な動作にはつきものの命令や指示によっ
て、圧迫されて窮屈な思いをするほど、心身
への負担がそれだけ増加して、それと自覚し
ないうちにおかしくなってくるのだろうし、
集団の組織力の強化が、目的に応じた動作を
徹底させるための命令や指示の強化や増加に
つながっていくわけで、そうしたことを行う
こと自体が制御であり操作なのだが、そうし
たやり方に人がどこまで耐えられるかも、日
頃の訓練や練習にかかってくるのかもしれな
いが、訓練や練習をやればやるほど、そのこ
とに割く時間も増加して、他のことをやれる
余裕が減少してきて、それだけ窮屈な思いを
して、心労も増加してくるわけで、そのこと
の典型的な事例が、集団でマスゲームの練習
ばかり行っていた北朝鮮などの状況にも表れ
ているのかもしれないが、そんなことを突き
詰めていくと、結局は次第に訓練や練習をや
ること自体が目的化してしまうわけで、人々
を制御したり操作する目的で、延々と訓練や
練習を行わせることになってしまい、そうし
た訓練や練習によってどんなことが達成でき
るのかが抜けてしまい、ただ儀式としてそう
した訓練や練習を繰り返させるような成り行
きに落ち着いてくるのだろうし、そうやって
実際に行なっていること自体が目的と融合し
て、それ自身へと循環する傾向となってくる
わけだが、例えば政府の官僚機構が住民に対
して、竹槍防空頭巾のようなあまり効果の期
待できない防災訓練などを頻繁に行わせよう
とする目的自体が、危機を煽って強制的に住
民に訓練や練習を行わせることによって、そ
れを通じて住民を政府に従わせようと仕掛け
てきているわけで、やらせている当事者にど
こまでその自覚があるかは疑問だろうし、そ
の程度や本気度にもそれなりに差があるわけ
だが、集団の組織的な動作にそうした意図や
思惑が刷り込まれていることは確かなのかも
しれず、そうであるならそうした訓練や練習
を行うことによって期待される効果というの
が、その訓練や練習の対象となる行為を上達
させることよりは、それを通じてそれをやら
せている人々を支配することに目的の重点が
移ってくるのも当然の成り行きとなるだろう
し、集団の動作自体が放っておけばそうした
形式的な儀式の繰り返しとなって、それが自
家中毒のように集団を蝕んで、組織的な形骸
化を促進させるような効果も生み出すわけだ
ろうが、それも麻薬のような効用でしかない
だろうし、集団がそうした儀式化された空疎
な訓練や練習の繰り返しに依存するほど、集
団内やそれに関係する人々への支配力が強ま
ることは確かだが、それとともに集団の動作
の目的が、その集団に関係する人々を支配す
ること自体へと自己循環してしまうわけだか
ら、それを外から見れば無味なことを延々と
繰り返しているようにしか感じられないわけ
で、かつてそんなことを嬉々として行なって
いた北朝鮮がその後どうなったかは、今や誰
の目にも明らかかもしれないが、集団の自己
検証がおろそかになってしまうと、どんな集
団にも絶えずそういう事態が起こりうるわけ
で、そうなってしまっていることを外部から
指摘してくれるようなお人好しな人もそうそ
ういるわけでもないだろうし、そうした自業
自得な結果に陥らないためにも、自分で常日
頃から外部からの視点を意識できるようにし
ておくことが肝心なのかもしれない。 

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創刊日:2001-03-26  
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