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彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2018.8.1 「制度的な仕組み」

2018/08/02

 世の中で起こっている様々な成り行きの中
で、メディア上で批判されていることには、
批判されるようなことをやってしまう成り行
きがあるわけで、別に批判されるようなこと
をやってしまったとしても、そうしたことを
やってしまう可能性は常にあるのかもしれず、
しかもメディア上で批判されるようなことな
ら、それなりに世間から注目を浴びるような
ことであり、それをやってしまう人もやって
しまう内容も、それなりにそうなる必然性ま
であるのかもしれないし、またそうしたこと
を批判するというのも、メディア上でそれな
りに認められているような批判なのだろうし、
批判する人も世間からある程度はその存在を
認められている人が批判するのだから、それ
なりに世間から注目を浴びるような批判であ
り、結局メディア上で何らかの行為が批判さ
れたり批判したりするということは、そうい
うことが行われる成り行きとして、そこに至
る道筋がある程度は出来上がっていて、そこ
で何か全面的に目新しいことが行われている
わけではないのかもしれず、前もって評価が
確定しているようなことが、誰もがそれとわ
かるように繰り返し行われる成り行きがある
から、それ自体が世間から注目されるような
成り行きとなるわけで、もちろん以前と全く
同じことが繰り返されるというよりは、その
バリエーションとして似たようなことが行わ
れて、そこにその度に行為としての何らかの
目新しい面が付け加えられるから、そうした
面がそれなりに新鮮な驚きをもたらすわけで、
以前にも似たような成り行きがあると、そん
なことがもたらされるように、何らかの社会
的なシステムや仕組みが機能していて、しか
もそれが批判されるような成り行きも、それ
なりに機能するシステムや仕組みとして整備
されていれば、そういうことは全て制度的な
行為となるわけで、要するにそれは法律違反
のような行為となり、そうした法律に基づい
た制度の中では絶えずそういう違反行為が行
われていて、特にそうした制度から逸脱する
ような行為として、それが違反行為とみなさ
れて、それに対する批判が行われるわけで、
そうなるとそこでそうした違反行為を行う人
や団体と、それを批判する人や団体による予
定調和の二項対立が、制度的に設定されるよ
うな実態までが整備されているのかもしれず、
そうした制度的に設定されている実態という
のが、誰にもはっきりとわかる何らかの機構
によって管理されているとすれば、それがそ
うした対立を強調したり煽り立てている当の
メディアであり、それが企業形態を伴った報
道機関であれば、そこでそうした二項対立的
な関係を認定する制度的な管理が行われてい
ることにもなるわけで、その管理の実態がど
うなっているのかといえば、それを伝えるに
当たって何らかの事実認定やそれを判断する
内部規定が設けられていて、その規定が定め
る条件を満たす物事が選りすぐられて伝えら
れるわけだろうが、世の中で起こっている出
来事の中から何を選ぶかについて、あからさ
まに成文化されているわけではないだろうし、
それを判断する役職を担う人がその場で判断
するわけだろうが、選ぶ基準として共通認識
のようなものが、そうした制度的な役割を担
う人の間で共有されている可能性が高いだろ
うし、それを伝える側やそれを批判する側に
認識の共有があれば、同じような傾向のこと
が選択されて、それに対する批判も同じよう
に行われて、それを同じように伝えることに
よって、それを受け取る側にも、それに対す
る判断や評価の基準が共有されて、そうした
価値判断が世の中に定着しているから、同じ
ようなことが世の中に広まって、それに対す
る判断や評価も一定の基準で受け止められて
いる実態があるのではないか。

 そうした評価や判断の基準というのを制度
的に定めることが、世の中で競われ争われて
いることなのかもしれず、メディアという機
関を介して、自らの定める基準を宣伝し煽動
することによって、それを受け取る民衆の意
識にもっともらしい感覚を植え付けようとし
ているわけで、そうした行為が実際に行われ
ているのを選りすぐって伝えて、それに対し
て批判を加えることで、それが批判されて当
然の行為であることを、民衆がもっともらし
く受け取るように仕向けているのだろうし、
そうした評価や判断の基準を民衆が信用して、
そうした基準を守ろうとするメディアが民衆
から信頼されるように、日頃から宣伝や煽動
などの活動を行うのが、メディアに課せられ
た社会的な使命と言ってしまうと、何か大げ
さに思われるかもしれないが、そうした基準
に基づいた評価や判断が、実際に社会の中で
有効に機能することが、民衆の間で信用や信
頼を生むのだろうし、そうすることが社会に
とって好ましく思われるなら、確かにそこに
信用や信頼が生じるのだろうが、その好まし
く思われる理由というのが、微妙なニュアン
スを含んでいるのかもしれず、普通に考えて
人々を不快にさせる行為が批判されるのは当
然だろうし、そうした行為が行われないよう
にすれば、好ましい状況が生まれるわけだが、
時には耳が痛い忠告や諫言が行われないと好
ましい状況とはならないだろうし、そうした
忠告や諫言を行うことが不快に思われること
も確かだろうし、それを批判するのは筋違い
に思われるなら、それも好ましい状況だろう
し、そう考えると人々を不快にさせる行為も、
場合によっては行われないと困ることになり、
そうしたことを意図的にごっちゃに混同して、
宣伝や煽動によって耳が痛い忠告や諫言を抑
圧しようとする傾向になってしまうと、それ
は好ましからざる状況となってしまうわけだ
が、宣伝や煽動という行為自体がそういうこ
とを行うためにあるようなものだろうし、そ
の辺がメディアという存在自体に矛盾した傾
向が備わっているわけで、そうした傾向とは
違った傾向をメディアとは別の方面から求め
ないと、感性のバランスが崩れてしまうのか
もしれず、それが日常生活の中で行われる人
と人との直接の交流になるのではないか。そ
してそうした交流の中で、時には耳が痛い忠
告や諫言によって救われる成り行きを経験す
れば、それが自身のためになることを肌で感
じることにもなるだろうし、メディアからの
間接的な作用や影響などでは感じ取れない微
妙なニュアンスを、直接の体験によって感じ
取ることにもなるわけで、そうした意味で人
と人の直接の交流が重要な働きをするのだが、
それも同じような価値観を共有する人ではな
く、全く別の価値観を持った人と交流するこ
とによって、自分とは違う人が世の中に存在
している現実を実感できるわけで、それも観
光などではなく、日常生活の中で様々な利害
関係を伴った作用や影響がぶつかり合ってい
る中で経験することが肝心だろうし、そうし
た環境の中で揉まれてみないことには、真の
意味での他人との関係を構築できないだろう
し、利害を共有する共同体の中でぬくぬくと
生きていると、利害の異なる他の人や団体と
接触したり、場合によっては何らかのトラブ
ルが起きた時に、うまく対応できなくなるだ
ろうし、そうした事態を避けるために、移民
を排斥したり、自分たちとは異なる生活習慣
や趣味嗜好を持っている人や集団を差別する
成り行きになるわけだが、現状で交流せざる
をえない成り行きが生じているとすれば、そ
んなことをやるのは悪あがきの類いとみなさ
れてしまう可能性があるわけで、直接の交流
が避けられなければ、逆にそれが当たり前で、
普通のことのように感じられる環境を構築し
ていく以外にはあり得ないのではないか。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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