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彼の声

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彼の声 2018.7.25 「判断の自由と不自由」

2018/07/26

 社会の中で自由な立場というのは、他との
関係を伴わないことによって、何の権限も権
力もない立場になる可能性があるかもしれな
いが、そこで他人と何らかの関係が生じた時
点で、そうした関係から制限や制約が生じて
きて、また自分の意向と他人の意向がぶつか
らないような配慮が必要となる場合もあり、
交渉や話し合いによって活動を調整しなけれ
ばならなくなるかもしれず、さらにその場の
状況によっては、自分の活動と他人の活動の
どちらを優先すべきか判断しなければならな
くなると、互いの意見が衝突して調整が不調
に終われば、関係を解消するような成り行き
も生じてしまうかもしれないが、そこで指揮
命令系統を伴った権力関係が生じてくると、
立場が上の者が立場が下の者を従わせて、立
場が上の者の意向が優先されることになるか
もしれないが、そうではなく対等の立場を維
持できれば、どちらの活動を優先させるべき
かについては、他に何らかの判断材料を見つ
けようとする場合も出てくるだろうし、例え
ばどちらの意向を優先させた方が利益になる
かとか、また利益にならなくてもお互いのた
めになるかとか、他にもその場の状況に応じ
て優先させるのとは違う様々な判断が可能に
なってくるかもしれないが、それもその場で
の関係の状態や他との兼ね合いによって、う
まくいったりいかなかったりする場合が出て
くるだろうし、その場の関係がどうなるかは、
個々の人の立場やその人が所属する団体など
との関係や、場合によってはその時の社会状
況なども影響を及ぼしてくるかもしれないし、
他にも様々な要因が絡んでくるかもしれない
が、どのような場合であっても、そこでどち
らかかあるいは両者ともに活動の自由を求め
ているような場合は、その場の関係から何ら
かのしがらみが生じていて、それが不快に感
じられるから、できればしがらみを断ち切っ
て自由になりたいと思うのかもしれず、結果
的に関係を解消して自由になることと、それ
とも諸般の事情から妥協して関係を継続させ
て、ある程度はしがらみ受け入れながら活動
することとの間で、どちらを選んだ方がいい
か迷うかもしれないが、そうした場合にも、
自由を選ぶことと引き換えにして失うものが
大きいと判断されれば、そう簡単に関係を解
消するわけにはいかなくなるだろうし、中に
は関係から生じるしがらみが強すぎて、そん
な選択そのものがありえない境遇に陥ってい
る場合もあるだろうし、そうなると選択の自
由さえ選択肢に入らなくなって、どうあがい
てもそこで生じている社会的な関係から抜け
出ることが不可能に思われてくるかもしれな
いが、そういう場合は意識がその場で生じて
いる関係から強力な拘束を受けていて、そう
いう状態が洗脳状態と言えるかもしれないの
だが、それが洗脳されているだけでしかなけ
れば、その洗脳が何らかの作用から解かれる
と、強力な拘束だと思っていたことが、単な
る気のせいに過ぎなくなってくる場合もある
だろうし、そうした社会的な関係自体が心理
的な問題でしかなければ、その実態は大した
ことはないわけだが、そうではなく何らかの
物理的な拘束や実利を伴っている場合だと、
気の持ちよう程度ではどうにもならないだろ
うし、実際に暴力を伴った規律が生じたり、
制度的な有形無形の法律や掟がそれを体現す
る施設や機械設備や仕組みを伴って、しがら
みとして関与してくる場合もあるだろうし、
そうした実体が伴ってくると、実際にそれに
関係して人や集団の活動が行われている実態
が生じていることになるのではないか。

 そうした活動の実態がそこに関係している
人の意識に作用して、その活動に伴って生じ
ている物理的な作用を現実として実感させて
いるのであり、たとえそれが中身のない空疎
な演技でしかなくても、実際に体を動かして
活動して、活動した結果として何らかの物質
的な利益がもたらされれば、心理的な影響だ
けではなく、実利としての物質的な作用が生
じているわけだから、そんなことをやってい
るだけでもそれなりのエネルギーを消費して
いるわけで、そこで何かが行われている事実
を信じないわけにはいかないだろうし、そこ
で人や団体が関与する社会的な関係から何か
が生じていることが事実であり、ただ単にそ
れが人や人の関与によって人工的な構築物や
建造物や動植物などを存在させているだけで
はなく、それに関する情報なども伴ってくる
と、物質的な物と言葉や映像や音声などのイ
メージが複雑に絡み合って、人の心身が共に
そこに絡め取られている現実が、自由を阻む
ような束縛を意識させるわけで、確かに自身
の活動によって、自身の思いをそれらの物や
情報に反映させる可能性があることは信じて
もいいかもしれないが、そこに他人の思いが
作用してくることも、疑いようのない事実と
して認めざるを得ないだろうし、そういう面
で自らの自由にはならない部分があることは
確かなのだろうが、なるべく自らの作用を優
先させるような状況を作り上げようとするこ
とが、果たして良いことなのか悪いことなの
かは、自分では判断できないことかもしれな
いし、他人も他の団体もそうしているのだか
ら、自分がそれをやらない道理はないとして
も、そんなことを行う過程で争いが起こるこ
とは、ある程度は避けられないとしても、そ
の場の状況によっては互いに折り合いがつく
可能性もそれなりに出てくるだろうし、全面
的に争うことの良し悪しを判断する以前に、
交渉による妥協点の模索も常に行われ得るこ
とであるのも、状況に応じて活動の選択肢に
入ってくるわけだから、何かしらそこに関与
しようとすることが、どんな結果をもたらす
としても、妥協して結果を受け入れるにして
も、受け入れずにあくまでも抵抗する姿勢を
貫くにしても、そこで行う判断もその後の活
動に影響を及ぼしてくるわけだから、どこま
でも自由な裁量を阻む要素が残り続けること
は当然としても、その一方でそこまで自らの
裁量や判断の自由にこだわってはいないだろ
うし、ある程度は関係してくる相手の主張を
尊重して折れる部分も出てくるのが、一般的
な成り行きなのだろうが、そういうところで
いくら功利的に振る舞おうとしても、自由を
求めることと利益を求めることが重ならない
部分も出てくるわけだから、果たしてそこで
こだわっていることが自らの自由なのか利益
なのか、一概には言えなくなってしまうこと
もあり得るのかもしれず、そもそも何かにこ
だわるという態度が、こだわっていること以
外のことについては盲目にさせる作用も生じ
てしまうわけで、そんなことをやっているこ
と自体が自らの不利に誘導している可能性も
あって、それこそ自業自得なことをやってい
る可能性もあるわけだから、自分で主体的に
行なっているつもりの判断や選択が、結果的
に自らの自由を奪い、そこに絡んでくる外部
からの作用によって、がんじがらめで身動き
が取れなくさせてしまうような事態を招いて
いるとしたら、自由で主体的に思われる活動
こそが自身を破滅に追い込んでいるとも言え
るわけで、そういう皮肉な結果を招かないた
めにも、周囲の意見に耳を傾けられるような
心の余裕を確保しておきたいところだが、そ
れもその場の状況次第でどんな結果をもたら
すとも限らず、どうあがいても思い通りにな
らない可能性が残されていることには変わり
ないわけだ。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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